【Goodbye, he didn't say his name.②(さよなら、名前を言わなかった彼)】
「……寒くないか?」
「ああ、少し……」
「キース!上着を」
「ああ、いい。他の奴の温もりなど欲しくはない」
「じゃあ……」
「もし君が構わなければ、抱いてくれないか?」
「構わない」
俺はコンゴでミヤンにそうしてやったように、彼の体を抱いた。
「知っていたんだ」
「知っていた?」
「俺がミヤンに似ている事。 だからザリバン高原から逃げ帰った俺が君のスカウト担当になった」
「君たちの組織は、一体……」
どこまで俺たちの事を調べているのかと思ったが、もう彼には時間が無い。
だから無駄な質問はしないで、好きにさせたかった。
「ミヤンの事も調べたし、ザリバン高原からの帰り道にミヤンの故郷ベラルーシのレオンポリにも立ち寄った。勿論ミヤンの両親をこれ以上悲しませてはいけないから会ってはいない」
「なぜ、それを付け加えた?」
「ミヤンの両親に会ったと言ったら、君に殺されるだろ?」
偽ミヤンは“してやったり”と言う表情で悪戯っ子の様な笑顔を向けた。
「君のミヤンは、良い奴だったらしい」
「ああ、良い奴だった」
「似ていると分かってから、意識するようになってしまう」
「なにを?」
「ミヤンの事。もしも本物のミヤンだったら、どういう風に君にコンタクトを取るのか」
「たしかに、あのシチュエーションは絶妙だったな。本物かと思ったぞ」
ノートルダム大聖堂のあるシテ島に架かる橋の上から、俺たちの方に一眼レフカメラを向ける背の高い若い男性。
それが、この偽ミヤンとの初めての直接的な出会い。
俺は、まんまと釣られて、彼を追いかけ逆に松伏の罠に掛かりスカウトの話をされた。
「実はな、知っていたんだぜ」
「何を」
「何をしても駄目な事」
フフフと可愛らしく偽ミヤンが笑う。
「君を、どう説得した所で俺たちの仲間にはならないし。捕獲には成功したあとも、ここまでが精一杯だってこと」
「どうして? ナカナカ良かったぞ、赤外線センサーに注意を払っているところに、音を使うなんて思ってもいなかった」
「お世辞を言うなよ。それだって1回きりで、その他の企みは全部君と君の仲間に打ち破られたじゃないか」
偽ミヤンがまた笑ったが、途中から肺に溜まった血が出て咳き込んだ。
「大丈夫か。もうそろそろ静かにした方が……」
「なあに、もう暫くしたら、騒ごうにも騒げなくなる。だから最後に一つだけ君の質問に答えてあげるから何でも聞いてくれ」
抱いているからよく分かる。
傷口を押さえているから、よく分かる。
もう、流す血も少なくなり、体温も下がり、死が急速に訪れている事。
「またいつの日か会えるとしたら、今度は俺を助けて平和のために尽くしてくれるか?」
本当は組織の事や、ミランの事を聞きたかったが、そんな話を最後にしてお別れするのも辛いから止めた。
「ああ。俺で良ければ、従士のひとりに、つけ・く・・わ・・・え 」
最後まで言葉にする事は出来なかったが、たしかに口の動きは“て、くれ”と動いた。
そしてそのあとに“ありがとう”とも。
偽ミヤンは最後まで本当の名前を明かさないまま、深く溜息をついて人生を終えた。
抱いていた彼の体から全ての力が抜けて、一瞬重くなった後で少し軽くなった。
軽くなった分は、体から魂が離れた分。
魂は、体を離れると、神様の世界へ行ってしまう。
「Goodbye, he didn't say his name. Be happy in heaven.」
真っ赤な夕焼けの染まる空を見上げて、そう呟いた。
「やべえ!崩れるぞ!!早く逃げろ!!!」
建物の下からトーニの大声が聞こえた。
「なんで崩れるんだ!?」
「2回目の水蒸気爆発で、正面側側のコンクリートが吹き飛ばされ、剥き出しの鉄筋がまともに熱を受けているんだよ!」
「でも鉄筋だろ!しかも、それが溶けるほど熱くはねえし」
フランソワとモンタナがトーニに文句を返す。
「歪で接合部に無理が掛かっている。つまり接合部のボルトが力に耐えられなくて千切れているんだ」
皆が黙って耳を澄ますと、時々不気味なカンッという音が聞こえる。
「これが?」
「千切れて飛んだボルトの音だ」
「全員退避―!!気絶している敵は担いで降ろせ!」
ハンスの声が響き、ブラーム、モンタナ、フランソワとハンスが屋上に倒れていた4人を担いだ。
俺も偽ミヤンを担いで、慌てて階段の方へと向かう。
「ちょっとー!忘れてない?!」
そう言えばエマが居た。




