【Launch Royal Soap!②(発動ロイヤルソープ)】
ニルスが、ゆっくりと階段を降りて来る。
「ちっ、将校に話を聞かれたのはマズイな……」
フランソワが小声で言ったのも無理はない。
いくら荒くれ者の集団と言っても、その者たちを管理する立場の将校は違う。
軍が将校に期待することは“規律”を守らせること。
どんな場合でも、冷静にこの規律を隊員に守らせる能力が望まれる。
ニルスが知ったからには、銃の帯同は許されない。
銃を持っている可能性の高い敵に対して、俺たちは素手で何が出来るのか……それはすなわちナトーの足手まといを意味するだけの事。
「ナトーを守るためだって? 一体どんな敵からナトーを守る? 敵の正体や人数、組織は?」
「……」
誰も答えない。
いや、答えないのではなく、答えを知らないから答えられないのだ。
「知らない。と言う事だね……。じゃあ敵はナトーがここに居ることは知っているの?」
「そりゃあ土日と2日間に渡って付け狙われたんだから、そのくらいのことは知っているんじゃねえのか?」
「知っていると仮定した言い方だけど、その根拠は?」
「こっ、根拠って言っても……なあ……」
トーニが助けを求めるように、皆の顔を見渡すが、誰も何も口に出す言葉が見当たらないで俯いいていた。
「じゃあ、エマさんからは、どういう指示を貰った?“石鹸大作戦”と言うくらいだから、エマ少佐から何か知恵を授かったんだろ?」
「そっ、そりゃあ……」
「言えないの?」
「……」
「じゃあ、仕方ない。みんな1週間ほど禁固室に入ってもらう事になるけれど、いい?」
「どうして、いきなり禁固室なんですか?!」
フランソワが苛立って言った。
「だってそうでしょ。こんな夜中に集まって武器を持ち出すような相談。これは只事じゃないから各自口裏を合わせないように禁固室に入ってもらい事の詳細を事細かに調べる必要がある。――だろう?」
「おい、勘弁してくれよ」
「じゃあ話してくれるね」
結局ニルスに事の詳細を話してしまう事になったが、俺たちの心配とは逆にニルスは協力を申し出てくれた。
次の日は、昨日のナトーのシゴキのせいで、予想通りの勉強会。
プロジェクターのスクリーンに映し出される地理に関する講義のビデオを、睡魔と闘いながら面倒な講義を聞いている風の俺たちとは違って、ナトーはチャンとノートを取りながら聞いている。
ニルスの奴は、ビデオに先生を任せて机の下に隠した携帯でゲームをしている様子。
“ったく、呑気なもんだぜ”
今、こうしているうちにも、ナトーを付け狙う奴らが見張っているかも知れないと言うのに……。
ビデオ講義の次は技術士官による自動車工学の講義、その次は何故か法務官による法律に関する講義と何の脈絡もない。
おかげで何も頭の中に入らなかった俺たちは、精神的苦痛で参ってしまった。
「ニルスの野郎、チャッカリ自分だけ楽しやがって」
「講義はビデオと、人に任せっきりだからな」
「何が“午後は講義内容に関するテストとレポートを提出してもらう”だ、コンチクショウ!」
昼食の時は将校と下士官以下の兵隊は食堂が違うので、皆口々にニルスの悪口を言っていた。
「あれっ、ナトーは?」
「まさか敵が忍び込んで、拉致されたんじゃぁねえだろうな!」
慌てて立ち上がるトーニに、ナトーが図書室に行くと言っていたことをハバロフが伝えた。
「なんで昼食時間に図書室なんだ?」
「講義を聴いていて、もっと詳しく知りたいところがあったんじゃねえのか」
「軍曹は教わったこと以上に、吸収しようとしますからね」
「それって欲が深いってことか?」
「いや、子供のように純粋な好奇心を持っているって事じゃないですか?」
図書室はこの敷地内で働く職員や兵士たちなら、開館時間であれば誰でも自由に使える。
窓際の席には管理事務の子がデスクに俯せになって寝ていて、それから二つ置いたテーブルでは総務の子がいつもの恋愛小説を読んでいた。
今日の図書係は資材部の准尉と、経理部の子。
どちらも、1年目の新人同士で仲良くヒソヒソ話をしている。
広い図書室だけど昼時はいつも、閑散としている。
午前中講義の中で、講師が説明を飛ばした内容が気になっただけではない。
あの事件の事を想うと、無性にイライラしてしまう気持ちを何かに集中することで紛らわしたかった。
1冊目の本を読みながら、2冊目の本を探しに奥の専門書のコーナーに入って行った。
この場所は本棚が天井に届くほど高く、薄暗い。
目当ての本は、その最上段にあった。
“脚立を持ってくるしかないな……”
そう思ったとき、にゅーっと大きな手が伸びて来た。
「お目当ての本は、これか?」
驚いて振り向くと、ハンスがいた。
「どうした?いつもなら足音を忍ばせて近付いて来ても直ぐに気が付くのに、なにか悩み事か?」
確かにボーっとしていた。
これが戦場であれば俺は死んでいる。
だが、ここは戦場ではない。
薄暗く、誰も居ないこの空間にハンスと2人でいる。
いつもの俺なら、ここでどういう返事を返していたのだろう?
分からないままハンスの顔を見ずに、その手に持たれた本を不思議な気持ちで眺めていた。
ミューレに胸を揉まれたのは騙されたからだが、それ以外に生まれて初めて肌を触らせ、その逞しい体に包んでくれた男。
ザリバンとの闘いが終わり、その後の軍法会議も終わって、久し振りに部隊へ戻ってきた夜のグラウンドで俺たちは抱き合った。
規律違反を侵してしまったが、過ちを犯したとは思っていない。
いつか赤十字難民キャンプで偶然覗き見てしまったサオリとミランのように、俺たちはお互いの体を求め合い、不覚にも俺はその途中で失神してしまった。
気が付いた時には、寮の自分の部屋。
こうしていると、今すぐにでももう一度抱いてもらいたい気持ちと、突き放して逃げ出したい気持ちが交差する。
「ほらよっ」
俺の手に本が乗せられて気付く。
今の俺の悩み事をハンスに打ち明けたい気持ちと、優しくキスしてもらいたい気持ち。
「ハンス!」
立ち去ろうとする、その後ろ姿に小さく声を掛けた。
ハンスは振り向かずに「なんだ」とだけ答える。
「ありがとう……」
それだけ言うのが精一杯だった。




