【Natow in a bad mood②(イライラなナトー)】
射撃訓練が終わったあと、フランソワとトーニの間でナトーの撃っていた的の取り合いで喧嘩が起きた。
勿論、元怪しげな酒場の用心棒だった身長193㎝のフランソワと、分隊内で一番格闘技の成績の悪い身長170㎝のトーニとでは、取っ組み合いの喧嘩にはならなくて、子供の言い争いに過ぎない。
喧嘩の理由は、どっちが俺が撃った的を手にするか。
喧嘩をしている最中に的から煙が出始めて2人は慌てて消火をするために走ったが、結局銃弾1発分しか開いていなかった的には、握り拳が入るほどの大きな焼け焦げた穴が開いた。
何故木製の的が燃え始めたのか、ニルス少尉の分析によると、穴の中を絶えず同じ径の銃弾が通過することによる摩擦熱で燃えたのだろうと言っていた。
バターン!
武道館の中で畳に打ち付けられる大きな音が響く。
「まっ、待て!」
組み手をしていたキースが畳に打ち付けられたまま動けない状態にもかかわらず、なおも技を繰り出そうと飛び掛かるナトーに対してトーニが間に入って止めた。
「ありゃ~、こいつ昇天しちまっているぜ」
キースの様子を見に行ったモンタナが、気絶している事を伝えた。
「次!」
次の相手を求めるナトーの声が、周囲の者達にはまるで猛獣の雄叫びのように聞こえるのであろうか、誰もその声に応えることなく息をひそめている。
「次!相手はいないのか!」
ナトーがもう一度組手の相手を求めて声を上げるが、声を上げたのは医務室から空の担架を持ち帰った第3分隊の2人と、その担架を奪おうとした第1分隊の2人が争う声だけ。
「おい、そこの4人何をしている!」
ナトーに見つけられて、4人の争う声と態度が凍り付く。
「キースを医務室に……」
ひとりがカラカラに乾いた声で、細々と小さく呟くのが精一杯だった。
「お前たちは今ボッシュを運んで帰って来たばかりだな、その前は自分の分隊の軍曹と伍長」
「はい……」
今度は担架を奪おうとした2人に目を向けた。
「お前たちも、その前に自分の分隊の仲間を2往復医務室に送っていたな」
「……はい」
「しかもお前たちは片道3分で行ける医務室まで倍以上も掛かっていたから、20分以上格闘技訓練をサボっている」
「し、しかしそれは、ケガ人が……」
「そう。怪我人の搬送は仕方がない。ただし1度だけなら」
「寄こせ!!」
4人が取り合いをしていた担架を、口を切っているブラームと、目の周りを腫らしたフランソワが奪う。
奪った担架に足を引きずって居るモンタナと、痣だらけのトーニがキースを大切に抱きかかえて乗せると、ブラームたちは武道館を出て医務室へと消えて行った。
「2回以上搬送に参加した者は立て!」
渋々、7人が立った。
中には、こう怪我人を多く出されたら2往復も3往復もするだろうと、小声で文句を言っているものも居た。
「もう時間も少ない。お前らには特別指導をしてやるから全員一度に掛かって来い」
「おっ、おい」
腰を上げて止めようとしたニルスの肩をトーニが止めた。
「痛てっ」
「おっと、すまねえ。まだ痛むのか?」
「当たり前だ、あの凶暴な投げ技を食らったんだから、脱臼しないで済んだのが奇跡だ。それにしても大丈夫なのか?いくら何でも特殊部隊LéMATのメンバーだぞ」
「ニルス少尉、アンタは一体どっちの心配をしているんですか?」
モンタナが痛めた足を摩りながら聞く。
「7対1だぞ。そりゃあナトーの心配に決まっているだろう」
「なら心配いらないでさあ」
「ああ。マーベリック少尉も医務室送りになっちまったし、心配するんなら明日の訓練スケジュールってところだな」
モンタナの横でトーニが口を挟む。
「明日の訓練スケジュール?」
「ああ、動けないヤツが、わんさかいますから……」
ギャーッ!!!!!
武道館から次々に7つの悲鳴が轟いた。
「明日は、勉強会だな」
医務室から戻る途中の廊下で、その悲鳴を聞いたフランソワが呟いた。
「ああ」とブラームが苦笑いをして答えた。
全ての訓練が終わり、外通路にある水道の蛇口をひねり、勢いよく出る水の流れに頭ごと突っ込んだ。
射撃訓練が終わるまでは冷静で居られたのに、それから先は何故か無性にイライラする。
いつもなら多少の手加減をするはずなのに、今日の格闘技の際には全ての相手がまるで敵のように見えてしまい、手加減はおろか逆に乱暴に戦い傷つけてしまった。
“どうかしているぞ、ナトー。いったい何を心配している”
ふと、ハンスの声が聞こえた気がして、顔を上げて周りを見渡した。
だが、ハンスの姿は何所にもない。
見えないハンスを探しながら目が留まったのは、向こうに見えるグラウンド。
ザリバンとの決戦が終わったあと、軍法会議に掛けられてようやくここに戻って来た日の夜に心配してくれていた皆が飲み会を開いてくれた。
そして酔い覚ましに、ふらっとあのグラウンドを訪れた。
ここに来て、最初の試験で走った思い出深い場所。
試験官はハンス――。
俺が訪れた時、偶然ハンスもそこに来ていて、俺たちは……。
「よう、ナトー。タオル居るか!?」
振り向くとトーニが居て、その手に持っているはずのタオルは既に空中を漂っていた。
「Grazie」
「Non ti preoccupare, ti amo(気にするな、愛しているぜ)」
苛立っていた俺にボコボコにされ痣だらけになったと言うのに、こいつはいつも俺に優しくしてくれ、俺の事をまるで実の妹のように気に掛けて居てくれる。
兄貴と呼ぶには頼りなさすぎるが、俺にとっては大切な人。
もしもザリバンとの決戦の場にトーニが居てくれたなら、俺の心はあれほど追い詰められてはいなかっただろう。
「すまない。痛むか」
「なんの、これくらい屁でもねえ。一緒に帰るか?」
「ああ」
トーニにタオルを返し、肩を並べて寮へと向かった。




