08 気になる視線①
エリオット。
その名前を知ったのは、シュエットがまだ学生の頃──王立ミグラテール学院の三年生、十五歳の時だった。
ミグラテール学院は、優秀な魔術師を数多く輩出している名門校だ。
十三歳から十八歳までの六年制で、魔術だけでなくさまざまなことを教えている。
毎週水曜日の五限目、魔術実技。
シュエットには魔力がないため、魔術の実技は免除されていた。
その代わり、彼女には特別厳しいとされている教師による特別な授業が用意されている。
ランチタイムを友人たちと過ごしたシュエットは、魔術実技の授業のために外へ出る彼女たちを見送ってから、別棟で特別授業を受けるのがお決まりのパターンだった。
その日も、友人のベルジュネットとコルネーユとともに、中庭に面した廊下を歩いていた。
「あぁぁぁ……ランチのあとに実技だなんて。せっかく食べたものが出ちゃいそうよ」
その細い体のどこに収納しているのか、軽々三人前を平らげたベルジュネットは、おなかをさすりながら歩いている。
「もう。コルセットを緩めるほど食べるなんて、ベルジュネットくらいよ?」
苦笑いを浮かべながらも楽しげにクスクスと笑っているのは、コルネーユだ。
「そうかなぁ。二人はそういう時、ない?」
「……なくも、ないけれど」
「ないわね」
一刀両断したシュエットに、ベルジュネットは「さすが!」と手叩きした。
「さすが、シュエット。女家庭教師と呼ばれるだけはある」
「やめてよ。そのあだ名、ちっとも嬉しくないわ」
不名誉なあだ名を出されて、シュエットはムッとした。
そんな彼女に、ベルジュネットは笑いながら「ごめん」と謝罪しつつ、ポケットから取り出した飴玉を握らせる。
「でも、おなかいっぱいでこれから眠くなるっていう時間にさ、あの気難しいパンソン先生の授業を居眠りせずに受けられるシュエットは、尊敬に値すると思う!」
「そうね。居眠りうんぬんは置いておいても、パンソン先生の授業でA判定をもらっているのはすごいことだと思うわ」
仲の良い友人二人に褒められて、嫌な気はしない。
二人が本気でそう思っているのが分かるから、シュエットはそれ以上怒れなくなってしまった。
へにゃりと眉が下がる。
二人につられるように、シュエットも笑い出した。と、その時だった。
不意に視線を感じて、中庭を振り返る。
午睡にちょうど良さそうな日差しが、中庭を照らしていた。
中庭の象徴ともいうべき大きな木が、天に向かって枝葉を伸ばしている。
穏やかに吹く風が、サラサラと葉を揺らしていた。
暖かくて、気持ちが良い日だ。
中庭の芝生に寝転がって目を瞑ったら、数秒で眠りに落ちてしまいそう。
(私はしないけれど)
学院長が「いいよ」と言ったって、シュエットには無理だ。
学院ではどうにも気が張ってしまって、眠気なんて感じないのだから。
(……あの人の視線、かしら……?)
中庭に見える人物は、一人だけだ。
太い幹の根本に、一人の青年が寝転がっている。
目隠しするように長く伸ばされた漆黒の髪、日焼けなんて知らない白い肌。スラリとした肢体にまとうのは当然、シュエットと同じ王立ミグラテール学院の制服だ。男子生徒用の。
青年は、頭の後ろで手を組んで、気持ちよさそうに日向ぼっこを楽しんでいるように見えた。
少なくともシュエットには、そんな風に見えた。
長い前髪に邪魔されて、本当のところはどうなのかわからなかったけれど。
「どうしたの、シュエット?」
立ち止まって中庭を見つめているシュエットに、少し前を歩いていた二人が戻ってくる。
「ちょっと、視線を感じて……でも、勘違いだったみたい」
「視線って……もしや、我らの愛すべき友人、シュエットちゃんにホの字の殿方が……⁉︎」
「あらまぁ。それは、大変。私たちがしっかり、見守ってあげないと」
二人はシュエットそっちのけで勝手に盛り上がり始めると、中庭をまじまじと眺めた。
大切な友人の、初めての恋人になるに値する男なのか。奥手な彼女を傷つけるような男は許しませんよ、と母のような姉のような気持ちで中庭を凝視する。
「……」
「……」
二人は、見た。
ちゃんと、見た。
描き損じたらその日一日中小さな不幸に見舞われる魔法陣を描く時のように、しっかりと。
「コルネーユ」
「わかるわ、ベルジュネット」
中庭には、青年が一人、寝転がっているだけ。
二人は確認し、ガックリと項垂れた。
「二人とも、どうしたの?」
何が二人をそうさせたのか、シュエットには見当もつかない。
ただ視線を感じて振り返っただけなのに、なんだか大げさである。
キョトンと不思議そうにしているシュエットに、二人はやれやれと首を振った。
「どうもこうもないわ。彼はない。ないったら、ない。シュエットにはもっとふさわしい相手がいるから、気にしないでおきなさい」
「???」
「ええ、そうですとも。彼だけは、あり得ません」
よくはわからないが、中庭にいる青年は、シュエットと合わないらしい。
しかも、シュエットをよく知る二人にこぞって「ない」と言わせるなんて。
そんなに気になっていたわけではなかったのに、むくむくと興味が湧いてくる。
「あの、どうしてって聞いても良いかしら?」
「えぇぇぇ。興味、あるの?」
「言いたくないけれど……」
シュエットの質問に、二人は難色を示した。
だが、言わないことで興味を持たれてはたまらない。
二人は渋々、口を開いた。
「いつも一人で行動していて人付き合いも悪いし」
「しょっちゅう授業をサボって中庭で寝ているの」
「そのせいで成績はいつも最下位。留年しないのが奇跡だとも言われている」
「赤点大魔王、エリオット」
「「それが、彼」」
まるで息ピッタリにさえずり合う番いの小鳥のように、二人は言い放った。
本当に、前もって練習していたのではないかと思うくらい、テンポが良い。
「……確かに、それだけ聞いたら、私とは正反対ね?」
一人が苦手で、団体行動や人の世話を焼くことが好き。成績優秀で、真面目すぎるくらい真面目で、融通のきかない女家庭教師みたいな子。
シュエットとは、真逆のような人である。
(でも……だからといって、私と合わないというわけでもない)
シュエットはエリオットのことを何も知らないのに、なぜかそう思った。
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