41 知っているのに知らない男
「そうだ、シュエット。喉が渇かないか? 何か飲み物をもらってくるよ」
黙ってしまったシュエットに、気まずく思ったのだろう。
エリオットは途端にそわそわし出して、シュエットにそう言ってきた。
「じゃあ、果実水をお願いできる? お酒では、ダンスをした時に酔ってしまうかもしれないから」
「わかった」
言うが早いか、エリオットは放り投げたボールを取りに行った犬のように、一目散に行ってしまった。
一人取り残されたシュエットは、手持ち無沙汰でその場にたたずむ。
「はぁ」
華やかな舞踏会に、縁がないわけじゃない。
ミリーレデル商會は老舗で、それなりの付き合いがある。
父は娘たちを溺愛していて、機会さえあれば連れて自慢するような人だった。
フクロウ百貨店を任されてからは店を理由に断っていたから、すっかり忘れていた。
(……舞踏会が、楽しいだけの場ではないということを)
覚えのある、攻撃的な視線を感じて、シュエットはげんなりした。
(まさか、あの子がいるなんて。いや、公爵様がいるところにあの子あり、か……)
グリーヴ・レヴィ。
シュエットの母方の従姉妹で、公爵様との結婚を夢見る女の子だ。
金の髪に淡い空色の目。お人形さんのように可愛らしい顔立ちをしているのに、身にまとう香水はまるで夜の蝶のようにけばけばしい。
「あーら、シュエットぉ。あなた程度の人間が、どうしてこの華やかな舞踏会へ足を踏み入れられたのかしら? あ、もしかしてお仕事で? そうよねぇ、あなたをエスコートしてくれる奇特な殿方なんて、いるわけがないもの」
人混みから、三人の人物が現れる。
正面を切って歩いてきたのはグリーヴで、その後ろには彼女の両親がついて来ていた。
「久しぶりね、グリーヴ」
シュエットがにこやかに笑いかけると、グリーヴは小馬鹿にするように鼻で笑った。
「シーニュのように、パトロンでも見つけたのでしょう? 親娘そろって、似た者同士ねぇ」
伯母のジャキャスは、まるで汚いものを見るようにシュエットを睥睨してくる。
彼女はいつもそうだ。貴族と庶民は違う生き物なのだと本気で思っている。
『貴族は偉くて、王族はもっと偉くて、それ以外は虫みたいなものなのよ』
偉そうにグリーヴから言われた時は「こいつは阿呆なのか」と心配したものだが、この母であればそんな考え方になっても仕方がない。
下手に反抗しても騒ぎ立てられるだけだ。せっかくの舞踏会で悪目立ちしたくない。
いつも通り、シュエットは当たり障りのない笑みを浮かべて、やり過ごす。
彼女たちは知らないのだろうか。
ノブレス・オブリージュ。財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うものなのだと。
(生きているだけで価値があるような貴族は、ごく一部。レヴィ家なんて、ミリーレデル商會の援助がなければ、お取り潰し必至の家のくせに)
それはあなたたちでしょう。
言い返したくなる気持ちを我慢して、シュエットは言葉を飲み込んだ。
「伯母様も、お元気そうで何よりです」
嫌な時ほど、笑顔で対応すること。
父から叩き込まれた接客の極意を思い出し、シュエットはことさらニッコリと微笑んでみせた。
「ひっ、久しぶりだね、シュエット。きょっ、今日は、一人で、来たのかい?」
吃りながら話しかけてきたのは、伯父のムウェトだ。
伯爵家の当主と言うには、あまりにもなよなよしている。
きな臭いうわさが多いトログロディット侯爵の身内だという話だが、悪役というより虐められっ子のようだ。
いつもおどおどビクビクしながら、妻である伯母の顔色を伺ってばかり。実質、当主は伯母のようなものである。
「いいえ、伯父様。一人じゃないわ。ここにお勤めの方から誘われて、一緒に来たの。今は飲み物を取りに行ってくれているだけよ」
気が弱いムウェトが「あ、そ、そうなのか」と吃っている間に、グリーヴがキャンキャンと吠えかかる。
「えぇ〜本当にぃ? あなたをエスコートするなんて、よっぽど相手に困っている方なのね。きっと、陰気で不細工で太っちょの、どうしようもない男に決まっているわ」
「そうね。三人きょうだいの一番上は、うまくいかないものだもの。あなたにはそれくらいの男がお似合いだわ」
伯父へ返答したのに、グリーヴと伯母から嫌みが飛んできた。
相変わらずなレヴィ家の人々に、シュエットは早く立ち去ってくれと祈るばかりだ。
「そうね、そんなところよ。グリーヴは? 公爵様ともう会えたの?」
「まだよ。あなたの相手と違って、公爵様はお忙しいの。今はご挨拶なさっているわ。それが終わったら、わたくしをダンスに誘ってくれる予定なのですわ」
グリーヴはうっとりとした目で遠くを見つめる。
おそらく視線の先には公爵様がいるのだろう──そう思ってシュエットもそちらを見てみると、なぜかエリオットがいた。その向かいには公爵様がいて、どうやらあいさつをしているらしい。
気安く笑いかける公爵様に、エリオットがぎこちない笑みを返している。
異国情緒溢れる公爵様と堕天使のような美貌の男のセットは、周囲の女性たちの注目の的になっていた。
それはグリーヴも同じだったようで──、
「きゃぁぁぁ! あの方は誰なの⁉︎ あんな綺麗な方、初めて見たわ」
「グリーヴ。チャンスよ、今なら二人セットでご挨拶できるわ。急ぎましょう」
「はい、お母様!」
勝手に盛り上がって、勝手に走り去ってしまった二人に、ムウェトはぐったりと疲れ切った様子でため息を吐いた。
「わ、わが家の、女性陣は、げ、元気、いっぱいだ」
「伯父様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、だっ大丈夫さ。いっ、いつもの、ことだから。そっそれよりも──」
シュエット、君の相手はあの方なのだろう?
ムウェトは吃ることなく、スラスラとそう言った。
言われた瞬間、シュエットの背をザラリと嫌なものが這い上がっていく。
悪寒に身を竦めると、口元に穏やかな笑みを浮かべた伯父が、シュエットの背を気遣わしげに撫でてきた。
「どうしたんだい? 違うのかな。二人は気づかなかったみたいだけれど、私は見たよ? 君の相手は、エリオット・ピヴェール様なのだろう? でもね、あの方はやめておいた方が良い。君には支えきれないよ。だって、あの方は──だから」
「……え?」
シュエットを気遣うそぶりで耳に口を寄せてきたムウェトは、信じられないことを言ってきた。
あまりに突拍子もないことで、シュエットは呆然と彼を見返す。
ムウェトはそんな彼女を面白そうにニンマリとした顔で数秒見つめた。
その笑みは底のない沼のように恐ろしげで、シュエットは目を逸らせない。
胸が嫌な音を立てる。
(怖い、怖い、怖い!)
足が震える。
得体の知れないものに出会ってしまった。
そんな恐怖で頭がいっぱいになる。
「三人きょうだいの一番上は、うまくいかない。ああ、そうさ。忘れちゃいけない、君のことなのだから」
ムウェトはそれだけ言うと、すぐさまいつものおとなしい彼に戻った。
「わ、私は、ちゅ、忠告したからね。じゃ、じゃあ、妻と娘が、ままま待って、いるから」
シュエットを置いて、ムウェトは去っていく。
公爵様たちへあいさつしようと、令嬢とその親たちが集まり出していた。
人混みに埋もれていく彼を見つめ、シュエットは問いかけるように「うそでしょう?」と呟いた。
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