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33 本当はこわい公爵様

 クゥクゥと小さな寝息を立てて腕の中で眠ってしまったシュエットを、エリオットは慎重な手つきでベッドに寝かせた。


「ん……」


 寝心地の良い体勢を探して、シュエットがころりと横向きになる。

 彼女のまろやかな額に、前髪がハラリと覆い被さった。


 エリオットはそっと髪を払い、額に唇を寄せる。

 ごく自然な流れでキスを落とし、


「夜の小鳥があなたにすてきな夢を連れてきますように」


 と呟いた。


 それは、隣国エトラに伝わる、おやすみのおまじない。

 無意識にやったことだったが、誰よりもエリオット自身が驚いた。


「なんだ、覚えているではないか」


 不意打ちのように背後から声をかけられて、エリオットはビクリと体を震わせた。

 振り向けば、そこに幼女が立っている。


「ピピ……」


「おまえは両親から愛されていないと言っているが、エトラのまじないをする者など、限られるであろう?」


 誰にされたのだろう。

 ふと、兄ではないかという考えが浮かんだが、打ち消すように女性のシルエットが浮かぶ。


 両親に愛された記憶はない。

 乳母は、エトラのおまじないなど知らないだろう。


「まさか、母上が……?」


「それ以外、誰がいる」


 心底呆れたような顔をして、ピピがエリオットを()めつけた。


 エリオットの脳裏に浮かんでいたぼんやりとしたシルエットが、くっきりと像を結ぶ。


『エリオット』


 優しい思い出の中の母は、エリオットを見て、愛しくてたまらないという顔をしていた。


『ああ、かわいいエリオット。いつかわたくしが触れられなくなる日がくるまで……たくさん触らせてちょうだいね』


 そう言って、母は何度もエリオットに触れた。


 優しくて、あたたかくて、大好きだった人。

 なのに、ある日突然、母はエリオットの前から姿を消したのだ。


 行方不明になったわけではない。

 エリオットの前にだけ、姿を見せなくなった。


「ああ、そうだ……」


 悲しむエリオットに、乳母は言った。

『坊っちゃまが一生懸命お勉強して強くなったら、会えるようになりますよ』と。

 今に至るまで、そんな日は訪れなかったが。


「ヴォラティル魔導書院の院長は、魔導書院との契約を維持するために膨大な魔力を必要とする。先代の院長が若くして力を失ったため、おまえは予定よりだいぶ早く後継にならざるを得なかったのじゃ。だが、幼いおまえの魔力では、到底賄えるものではない。足りない分は、周囲から奪われた。そう、おまえの母や父、兄からな」


 ピピの言葉を聞いて、全てがストンと腑に落ちた。


 母は、エリオットが嫌いだから来なくなったわけじゃない。エリオットが出来損ないだからでも、義理で産んだからでもない。

 来たくても来られなかったのだ。迂闊に近づけば、命を吸い取られてしまうから。


 隣国の姫であった母には、リシュエルの王族のような膨大な魔力はない。

 そんな彼女から、魔導書院は容赦なく魔力を吸い取り、足りない分は命を削り取って補填しようとしたに違いない。

 それくらい、古の魔術はえげつないものなのだ。


「おまえは知らぬであろう? 王妃は、おまえが眠った後、こっそりやって来てはおやすみのまじないをしていたのじゃ。うっかり魔力切れになって王に叱られていたがの」


 あどけない顔でしてやったりと笑うピピに、エリオットはこの禁書はどこまでわかってやっているのだろうと思った。


 シュエットとの距離を縮めるだけじゃない。

 長年拗らせていたエリオットの家族への気持ちまで、どうにかしようとしているのではないか。


「まさか、額へのキスはこのために……?」


「さぁてな。どうであろう?」


 エリオットの質問に、ピピはヒョイと肩を竦める。

 それ以上の質問は受け付けないとばかりに、幼女の顔に大人びた微笑を貼り付けた。


「さて、エリオット。この試練は合格じゃ。だが……少々問題がある」


 貼り付けた微笑が、剥がれる。

 神妙な面持ちで告げられて、エリオットはなにを告げられるのかと身構えた。


「問題?」


「……この娘、わらわが思っていた以上に厄介かもしれぬ。それでも……おまえはこの娘が良いと言えるのか?」


「シュエットが、厄介? ……どういうことだ、ピピ」


「三人きょうだいの一番上はうまくいかない。この国に古くからあるジンクスだが……シュエットはそれを、本気で信じ込まされているようじゃ」


「ただのジンクスだろう? 本気で信じ込まされているからって、なにが──」


 なにができるというのか。

 ジンクスなんて、当たったり当たらなかったりするものだ。

 本気で信じたからと言って、重大な問題にはなり得ない。


()()()ジンクスならば、問題にもならない。だがこれは、ジンクスの域を超えておるのじゃ。もはや、呪いと言っても過言ではない。このジンクスを本気で信じ込まされているがゆえに、彼女は魔力保有量ゼロという珍しい体質になっている。本来は、王族に勝るとも劣らない量を保有できるというのに、じゃ」


「シュエットは、魔力を保有できない体質だったのか……」


 通りで、この家には魔導式のものがないわけである。

 あえて便利な道具に頼らない生活をする者もいるから、彼女もそうなのだと思っていた。

 実際、エリオットの自宅は魔力切れを起こしても使えるよう、魔導式でないものでそろえられている。


 だって、誰が思うだろう。

 王立ミグラテール学院で秀才と呼ばれた彼女に、まさか魔力がないだなんて。


 愕然としながら眠るシュエットを見つめるエリオットに、ピピは続けた。


「彼女は呪われている。エリオット、このままではおまえが選ばれることはないだろう。おそらく、公爵だと告げた時点で、彼女は逃げる」


「シュエットが、逃げる……だって?」


「ああ、そうじゃ。三人きょうだいの一番上は、うまくいかない。その通りにするために、彼女はそうするだろう」


「彼女が、逃げる……? そんなこと、僕は許さないけれどね」


 エリオットは片頬を上げて、ハッと鼻で笑った。

 まるでピピが、馬鹿なことを言っているかのように。


 彼が持つ深紅の目が、ギラリと剣呑(けんのん)な光を放つ。

 夜の闇で獲物を狙う猛禽類(もうきんるい)のように、エリオットの目は鋭くなった。


 ピピは思わず、「ぴゃっ」と声を上げた。


 知っている、この感覚を。

 嫁選びの書を使った王族の中で時たま、こんな顔をするやつが出てくるのだ。

 そういうやつは大抵、どんな逆境であろうと確実に嫁を手に入れている。


「リシュエル様……」


 主人を思い出して、ピピはその名を呼ぶ。


 気弱そうに見えても、結局はエリオットも王族の血筋なのだ。

 リシュエル王国は魔導師の国。

 そう。とある国から追放された、悪い魔導師が建国した国なのである。


「それなら、おまえの次の試練は決まっている。エリオット・ピヴェール、シュエット・ミリーレデルを呪う不届き者を排除せよ」


「言われなくても、そうするさ」


 嫁選びの書が選んだ花嫁は生贄の花嫁と呼ばれていたが、命短し彼女たちを、伴侶となった王族たちはみな、心の底から尊敬し、愛し抜く。

 ひとたび彼女たちを害すれば、悪魔に魂を売ってでも報復するのである。


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