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32 試練〜頰か額へキス〜

『悪い魔女に呪いをかけられた姫は、王子様のキスで目を覚ますものよ。

 その子も王子様にキスをしてもらえば、きっと覚悟が決まるはず。

 追伸、男の人が見つめてきたらキスの合図よ。したくなかったら目を逸らせば良いし、したかったら目を閉じておとなしくしていなさい。怖かったらギュッと目を(つむ)れば良いわ』


 ラパスが持ち帰ってきた返事を読んだのは、もう何度目だろう。

 シュエットは「うう」と(うめ)き声を漏らしてベッドの上へダイブした。

 握り締めたメモ帳の端には、コルネーユの字で『ファイト』と書かれている。


「バレてるよねぇ……」


 シュエットの呟きに、ラパスがクチバシを鳴らす。

 冷やかすようなしぐさに、恥ずかしさが増した。


(ああ……しかも私、頰か額へのキスって書き忘れていたわ……唇以外へのキスも、同じで合っているのかしら……?)


「ねぇ、どう思う? ラパス」


 グルグルと考え込む主人を前に、ラパスは素知らぬ顔で羽繕いを始めた。


「つめたい子ねぇ」


 唇を尖らせて(にら)むシュエットに、ラパスはチラリと視線を送るが、それも一瞬のことで、すぐにどうでも良さそうにそっぽを向いてしまった。

 いつものことではあるが、今日ばかりは恨めしく思ってしまう。


(主人のピンチなのよ? 少しくらい、親身になっても良くない?)


 これでは、ラパスも親友たちと同様、シュエットがエリオットにキスされれば良いと思っているようではないか。


 当のエリオットはと言えば、バスルームで入浴中である。

 シュエットが入ったあとにエリオットが入って、そのままバスルームの掃除までこなしている。

 美人な上に家事まで完璧。なんとできた嫁だろう。


 そう、嫁だったら最高なのだ。

 だが残念なことに、エリオットは男で、なれるのは嫁ではなく旦那である。


「これでちょっと、男らしく迫ってくるような勇気があれば……」


 そうして思い出すのはやっぱり、シュエットに変わって父に抗議してくれた時のエリオットの姿。


(あの時は、本当にかっこよかった)


 颯爽(さっそう)と現れた、騎士様のようだった。

 普段は、守ってあげなくちゃと思わされる優しい人なのに。


(あのギャップは、ダメよね。誰だって、ときめくに決まっている)


 思い出して、むず痒い気持ちになる。

 シュエットはたまらず、ベッドの上でジタバタと手足を動かした。


『横から失礼いたします。お言葉ですが──』


 そう言ってシュエットを庇うように声を張り上げたエリオットの横顔は、きっとずっと忘れない。

 だって、すごく嬉しかったから。そして、とても綺麗だったから。


(試練が終わったら、記憶を消されてしまうのよね。じゃあ、あの横顔も、忘れてしまうのかしら……?)


 それは、なんだか嫌だった。

 でもだからといって、エリオットを選ぶこともできない。


「だって、三人きょうだいの一番上は、うまくいかないから」


 呪いのように、ジンクスが脳裏を掠める。


「嫌だわ。本当に、嫌になる。どうして私は、三人きょうだいの一番上なのかしら……」


 二人きょうだいだったら、こんな思いをしなくて良かったのに。

 でもだからといって、末っ子がいないミリーレデル家なんてありえない。


「そういえば私は、いつからこのジンクスを気にするようになったのかしら……?」


 二人きょうだいだったのは、シュエットが七歳までだ。

 七歳の時に、二人目の妹が生まれた。


「じゃあ、七歳以降ということ?」


 父にねだってジンクスの本を買ってもらったのは、十歳の頃だったように思う。

 ならば、七歳から十歳までの間に、何かあったのだろうか。


「何か、あったかしら?」


 ささやかな、どうでもいいような思い出は容易に思い出せるのに、肝心なジンクスについての記憶はおぼろげだ。

 無理に思い出そうとすると、ズキリと頭が痛んだ。


「いた……」


 ズキン、ズキン、ズキン。

 まるで思い出すなと警告するように、頭を締め付けるような痛みに襲われる。

 シュエットは頭を抱え込んで、ベッドの上で丸くなった。


「く……ぅ……」


 息ができない。苦しい。

 もっと空気を吸わなくちゃと思うのに、ますます苦しくなっていく。

 次第に視界が白く塗りつぶされていって、シュエットは焦った。


「た……けて……」


「シュエット⁉︎」


 名前を呼ばれて、ドタバタとエリオットが走り寄ってくる。

 ハッハッと早い呼吸をする彼女に、エリオットはシュエットが過呼吸になっていることに気づいた。


「過呼吸か……シュエット、落ち着いて。ゆっくり、ゆっくり呼吸をするんだ。そう、いい子だね」


 大きな手が、シュエットの背を優しく撫でてくれる。

 不安でいっぱいだったシュエットの緊張を(ほど)くように、その手は彼女を撫で続けた。


「わた、わたし……」


 エリオットのパジャマの胸元を握りしめて、シュエットは彼を見上げた。

 見上げた先で、一瞬だけ焦ったような表情を見せたエリオットだが、シュエットの視線を感じてすぐに穏やかな笑みを返してくれる。


「大丈夫。怖くないよ。ほら、僕の心臓の音を聞いて……ゆっくり……ゆっくり……うん、上手だよ」


 背中を撫でていた手が、呼吸をゆっくりにすると褒めるように頭を撫でてくれる。

 それがくすぐったくて、気持ち良くて。シュエットは押しつけられたエリオットの胸に耳をすませて、彼の心音を聞きながら少しずつ呼吸を遅くさせていった。


 いい子、いい子。

 そう言って、エリオットはまるで子供にするように、シュエットの額に何度もキスを贈る。


(子供扱いされている……というより、甘やかされているみたい?)


 エリオットに甘やかされるのは、とても心地良い。

 嫌だとも思わないし、恥ずかしいとも思わない。


(変なの。まるでエリオットだけが特別みたいじゃない)


 風呂上りのエリオットは温くて、シュエットの意識がトロリと溶け出していく。

 エリオットに抱きしめられたまま、シュエットはいつの間にか眠りに落ちていた。


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