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31 コルネーユとベルジュネット

 今日中にキスをすると宣言されて、意識しない女性なんているだろうか。

 いや、いるわけがない。


 相手が嫌いな男性なら、どんな手段を使ったって逃げようとするだろうし、ましてや、相手が憎からず思っている相手だとか、相手にされなそうな美貌の男ともなれば、一回くらいは……と隙を見せたくなるというものだろう。


「どうして、そんな面白いことになっているのかしらね?」


「そうねぇ……年齢イコール彼氏いない歴を更新し続けたからとか?」


「とある本で読んだのだけれど、異性を知らないまま三十歳の誕生日を迎えると、魔法使いになれる……なんて言い伝えがある国もあるそうよ。二十歳まで恋人いない歴を更新したら、美形との出会いに恵まれる、なんてことがあるのかもしれないわね」


「うわ、マジか。そうと知っていたなら私、結婚なんてしなかったのに」


「うそおっしゃい。あなたはきっと、何度だって旦那さんと結婚するわよ」


 艶やかな烏の濡れ羽色をした長い髪の美女がしたり顔でクスクス笑う。

 その向かいで、プラチナアッシュの髪をポニーテールに結った女性が「うぐ」と息を詰まらせ、観念したように「……そうね」と顔を赤くして答えた。


 黒髪の美女の名は、コルネーユ。ポニーテールの女性の名は、ベルジュネット。シュエットの、学生時代からの親友たちである。

 三人が出会った、王立ミグラテール学院を卒業してから数年たっているが、今も月に一度はお茶をしたりご飯を食べたりしながら近況報告をし合っている。


 今日も恒例のお茶会の予定だったのだが、今回、シュエットは珍しく不参加だ。

 唯一の独身者である彼女が不参加というのははじめてのことで、コルネーユもベルジュネットも「さては恋人ができたな」と勘繰ったのだが、それ以前の問題だったらしい。


 二人のテーブルには、シュエットの相棒であるウサギフクロウのラパスが持ってきた、一通の手紙が広げられている。

 かわいらしいレースの便箋に書かれている内容は、二人を楽しませるには十分な内容だった。


『ごめんなさい。仕事が忙しくて、行けそうにないの。でも、次は行けると思うわ。

 ベルジュネット、体調はどう? 無理はしないでね。

 ところで、ある友人が男性からキスをすると宣言されたのだけれど、こういう時はどうするべきなのかって相談されちゃったの……。

 でもほら、私って、恋人がいたこと、ないでしょう? どうアドバイスすれば良いのか悩んでしまって……。

 彼女は、その人のことが気になっているみたい。彼女の両親も、男性のことを認めているわ。

 でも彼女は、相手の方が美形過ぎて、隣に並べないとも思っている。

 あなたたちなら、どうアドバイスする?

 追伸、できるだけはやく、返事をくれると助かります』


 ラパスが戻らないところを見ると、返事を持って帰るように言われているのかもしれない。

 カフェチェアの背もたれにちょこんととまるラパスを、コルネーユはねぎらうようによしよしと撫でた。


「ある友人、だなんて」


 手紙を前に、ベルジュネットがおなかを抱えて苦しそうに言った。

 はちきれんばかりに膨らんだおなかがカフェテーブルの端に当たって、カタカタとティーカップが揺れる。

 笑いを堪えているつもりなのだろうが、ちっとも堪えられていない。

 でも気持ちは分かるわ、とコルネーユは「ふふ」と声を漏らして笑った。


「イテテテテ。笑いすぎておなかが張るぅ」


「もうすぐ臨月なのだから、気をつけてよ?」


 卒業と同時に結婚したベルジュネットは、現在第二子を妊娠中である。

 初めての妊娠ではないにしても油断は大敵だと、コルネーユは(たしな)めるように苦い顔でベルジュネットを睨んだ。


「わかっているけど……でも、プクク……わかりやすすぎよ。明らかにシュエット本人のことじゃない」


「そうね。でも、シュエットから恋愛相談されるなんて、初めてのことよ。ここはちゃんと、返事をしてあげないとね」


「できるだけはやく、だって。ラパスが帰らないところを見ると、本当に緊急なのかもねぇ」


「今日明日にでもされそうなのかしら。シュエットのことだもの。きっと無自覚に煽って、相手をイライラ……いえ、ムラムラさせてしまったに違いないわ」


 意外でもないが、シュエットはわりとモテる方である。

 それなりに美人で、優しくて、面倒見が良い。ちょっとお堅いところがネックではあるけれど、男性からしてみたら、それが難攻不落の城塞のように思えて「我こそは」と思うらしい。


 とはいえ、頭は賢いのに異性との駆け引きにはてんで鈍チンな彼女は、寄ってきた男性たちのアプローチなどみじんも気づくことはなかった。

 それどころか、彼女が知らないうちに男性たちの自尊心(プライド)をへし折り、そのせいで躍起になって強引なアプローチに出る男性たちを、親友たちが水面下で阻止していたなんてことは、知る由もない。


「でもさ、この文面から見るに、シュエット自身は嫌だと思っていないみたい。ほら、またアレなんじゃない? シュエットの悪い癖。三人きょうだいの一番上はうまくいかない、だっけ? シュエットがよく言うやつ。相手はかなりの美形らしいし、またそれで渋っているのかもよ?」


 堅実で愛のある結婚を夢見るシュエットは否定するかもしれないが、彼女は面食いの傾向がある。

 そのくせ、好きになりそうな相手が美形だからという理由で、シュエットは諦めてしまうのだ。

 相手がシュエットの気持ちに気づいて気になり始める頃には、すっかり諦めてしまっている。

 だから、彼女は今の今まで浮いた話がなかったのである。


 美形というのはそれだけでなんでも許されるので、問題のある男が少なくない。

 変なところで純粋なシュエットが、ジンクスを信じているおかげで騙されずに済んでいるのは良かったと言えるが、さすがにそろそろ恋の一つくらいしても良いのではないだろうか。


 学生時代から今に至るまでの、シュエットの恋とも呼べない遍歴を思い返して、二人は悩ましげに深いため息を吐いた。


「ああ、アレね。でもそれって本来は、年上のきょうだいたちになめられていた末っ子が、成功を掴み取ってきょうだいたちは損をするっていう、末子成功譚(まっしせいこうたん)なのよ。シュエットは妹たちを馬鹿にしたりしていないし、むしろ模範になっているじゃない。だからどうしてああまで気にするのか、不思議ではあるのよね」


 三人きょうだいの一番上は、うまくいかない。

 そのジンクスを、シュエットはことあるごとに、自身を戒めるように呟いていた。


「まるで呪いみたい」


「呪い……そうね、そうかもしれないわ」


「今回の人は、シュエットのお父様も認めているくらいだもの。きっと、シュエットにとって悪い話ではないはず」


 そう言って、ベルジュネットはカバンからメモ帳とペンを取り出した。

 メモ帳からビリリと一ページ破り取って、ペンを走らせる。

 書かれた言葉に目を落として、コルネーユは「まぁまぁね」と満足げにほほえんだ。


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