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23 メナートの受難

「あの禁書が、そんなに危険なものだったとは、知りませんでした」


「未婚の王族がそばにいなければ発動することもないからね。今のところ、僕以外には無害だよ」


「いや、けど、まさか今発動することないじゃないですか。ひと月後には引っ越しなんですよ⁉︎ 猫の手も借りたいほどだっていうのに、あんたがいないとかあり得ないですから。どうにかなんないんですか? その……シュエット様? でしたっけ? 離れられないのは仕方ないとしても、一緒に来てもらえばいいじゃないですか」


(ついでにシュエットにも手伝ってもらいたい、と)


 メナートの思惑など、手に取るようにわかる。

 だが、エリオットは仕事をしたくない。というより、できないのだ。


 シュエットとの件は、渡りに船だった。


 エリオットと魔導書院は、特別な魔術による契約を交わしている。

 ヴォラティル魔導書院創設時から連綿と続いてきた、王族の第二子を犠牲にすることで成り立つこの魔術の名は、鳥籠(カージュ)


 魔導書院にある全ての魔導書を鳥の姿に変え、保管し、貸し出す際には解除、戻ってきたら再び鳥の姿にする。

 許可なき者を魔導書院へ入れない、阻む。


 それら全ての機能を維持するために、エリオットは膨大な魔力を供給し続ける。その代わり、何人たりとも魔導書院から許可なく魔導書を持ち出すことを禁ずる、という契約だ。


 この契約は古の魔術と呼ばれるもので、禁書と同じ時代につくられたものらしい。

 化け物じみた魔力を保有していた、当時の王族がつくったものだから、禁書同様、その効果は絶大だ。必要とする対価も凄まじいが。


 だが最近、魔導書院に使われている一部の魔術にほころびが出始めていた。

 どんなにエリオットが頑張って魔力を注ぎ込んでも足りない。注いでも注いでもすり抜けていってしまうような感覚。


 今までだったら、一日一回で済んでいたのが、徐々に二回三回と増えていく。

 結果、エリオットは魔力不足で体調を崩すようになった。


 メナートには「仕事が嫌だ」と言っているが、彼はきっとエリオットが駄々をこねているようにしか見えていない。エリオットが悟らせないように、装っているせいもある。


(メナートは、知らなくて良い)


 そうでなくとも、面倒をかけている。

 余計な心配など、エリオットはさせたくなかった。


 国王(あに)曰く、新しい魔導書院になれば改善されるらしいが、どうなることやら。


(そういえば、シュエットと一緒にいるときは息がしやすい)


 一人でいるときは、いつも息苦しい。魔導書院がエリオットの魔力を吸い取ろうとするから。


(これが、恋の魔法というものだろうか)


 ふと、と学生時代に読んでいた恋愛小説の一説を思い出す。

 恋する女の子は強いのよ、だったか。


(恋する男も、強くなるのだろうか)


 それならいいな、とエリオットは思った。


「シュエットは、店を営んでいる。僕のせいでこうなったんだ。これ以上、彼女に迷惑をかけるわけにはいかないだろう」


 至極真っ当な言い分に、メナートは「うぐ」と言葉を詰まらせた。

 確かに、その通りだ。

 だがそれでも、エリオットがいるのといないのとでは、違う。


 なんとか仕事をしてもらう術はないかとメナートは思案するが、混乱の最中にある頭ではろくな案が浮かばない。

 悔しそうに口を閉じるメナートに、エリオットは王族らしい、有無を言わせぬ顔でほほ笑んだ。


「頼むよ、メナート。もしもうまくいったら、僕に奥さんができるんだぞ? おまえも言っていただろう、早く嫁をもらえと。その機会がやってきたんだ。応援してくれるな?」


 不敵な笑みを浮かべるエリオットは、それはもう凶悪に色っぽかった。男のメナートさえ、「ひゃい」とろれつが回らなくなるほどに。


「そうかそうか、それは良かった。ひと月後の引っ越しまでには戻れるようにするから、それまでよろしく頼む」


 ポムポム。

 優しく肩をたたかれて、メナートはまたしても「ひゃい」と返事をしてしまった。


 言ってしまってから「いや、これは……!」と焦っても、もう遅い。

 してやったりな顔でニマニマ笑うエリオットに、メナートはガックリと床に膝をついた。


「うわぁぁぁぁん! 俺のばか!」


 獅子のようだと評される凛々しい顔も、形無しである。

 いい歳して泣き喚くメナートをあっさり放置することに決めたエリオットは、早々に彼から視線を外すと、ベッドの上に私服を並べ始めた。


「メナート。女性が好む服とは、どういったものだろうか?」


 メナートは泣き喚いているというのに、エリオットはお構いなしだ。

 こういう時は空気を読んでほしいと、メナートはいつも思うのだが、彼の境遇を考えると強く言えない。


 エリオットは悩み顔だが、どこかウキウキしているようにも見えた。

 よほど、シュエット嬢がお気に召したのだろう。


 いつもやる気がなく精彩に欠ける表情を浮かべているのがデフォルトなのに、今はその面影さえない。

 暗く澱んでいた赤の目は、今やキラキラと宝石のように輝いている。


「なぁ、メナート。これとこの組み合わせは、どうだろう?」


 ふと、メナートは妹のことを思い出した。

 最近恋人ができたらしい彼女は、初めてのデートの前の日に、今のエリオットと同じような顔をしていた。

 目を輝かせ、嬉しそうに頬を染めて、夢見るように口元には笑みが浮かんでいて。今にも飛んでいってしまいそうなくらい、浮かれていた。


 メナートは「はぁ」とため息を吐いた。

 泣き喚いているのも、馬鹿馬鹿しい。


 それに、エリオットが他人に対して執着することは、悪いことではないだろう。

 小川に浮かべた笹舟のように流されるまま、そこらにある小石のように静かに息をするだけの彼に、一体何が楽しみで生きているのか不思議に思っていた。


ヴォラティル魔導書院(ここ)以外に執着するものができれば、少しは楽しく生きられるんじゃないですかね」


 独り言ち、メナートは立ち上がった。

 エリオットが服装について悩む日が来るとは思ってもみなかった。ましてや、メナートに相談してくるなんて。

 少しは仲間だと、友達だと認めてくれているのだろうか。


 悩むエリオットは、初めての恋に夢中になっている少年のよう。

 もともと容貌は良かったが、気持ちが変わったせいか、さらに綺麗になった。


「男相手に綺麗っていうのもおかしな話だが……事実なんだから仕方ねぇよなぁ……はぁ……すげぇな、シュエット様。たった一晩で、エリオット様を変えやがった」


 自分のことを道具だと言い切り、人生に喜びも楽しみも見いだせなかった彼を変えた、選ばれた花嫁──シュエットは、一体どんな女性なのだろうと興味がわく。


 美少女だろうか。もしかしたら、朴訥(ぼくとつ)とした子かもしれない。


「できれば、サボり癖のあるこの人をきっちり締めてくれる人がいいなぁ」


「なにか言ったか? メナート」


「……清潔感が大事だと思いますよ、って言ったんすよ。女性は不潔な男が嫌いですから」


 いつか、会えるだろうか。


 まさかもう会っているとも知らず、メナートはベッドのそばへ歩み寄った。


読んでくださり、ありがとうございます。


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