22 お喋りな男
院長室へ向かって歩いていると、書架の影から人影が飛びかかってきた。
エリオットは、最小の動きでヒラリとそれを躱すと、気にせず先を急ぐ。
しかし、ベシャリと床に崩れ落ちた男はめげることなく跳ね上がって、叫びながらエリオットの肩をグワシと掴み、グラグラと揺さぶってきた。
「あぁぁぁぁ! 院長、やっと帰ってきた! 遅いですよ、もう。あんた、院長なんですから、無断欠勤とかやめてください。というか、なんですか、その荷物。こんなに食べ物買い込んで、何してんですか。あ、もしかして、あんたの分も働いたけなげな俺へ、ごちそうでも作ってくれるんですか⁉︎ いやぁ、嬉しいなぁ。俺、院長の料理、好きなんすよねぇ」
耳をふさぎたくなるくらい騒がしいこの男の名は、メナート・ロバン。
リシュエル王国では珍しい、浅黒い肌に鮮やかなオレンジ色の髪。野生動物のような鋭い目は、金にも黄色にも見える。
口を開かなければ、獅子のような雄々しさを持つ男。それが、メナートだ。
とはいえ、エリオットの前ではただひたすらにうるさい男なのだけれど。
メナートは、エリオットの部下にして、ヴォラティル魔導書院の副院長をつとめる男だ。
やる気のないエリオットを監視し、時に尻を蹴っ飛ばし、なんとか仕事をさせている苦労人でもある。
ゆさ、ゆさ、ゆさ。
がさ、がさ、がさ。
メナートが肩を掴んで揺らすたび、持っていた袋が揺れる。
袋の持ち手が腕に食い込んで、エリオットはムスリと顔をしかめた。
「うるさい」
エリオットは手っ取り早くメナートの口をふさぐために、持っていた荷物を彼に押し付けた。
ひとしきり騒いでからでないと、メナートという男は静かにならないことを、エリオットは嫌というほど知っている。だからこそ、黙らせるにはそうするしかなかったのだ。
メナートに荷物を預けたまま、エリオットは院長室の奥にある扉から自宅へ入った。
部屋には、落ち着きのある青の絨毯にクロス、年季の入った飴色の木製家具が置かれている。
シックでエレガント。公爵らしい部屋だ。
しかし、若いエリオットには些か落ち着きすぎた雰囲気の部屋である。
エリオットは最初の部屋を通り過ぎて、続き部屋へと進んだ。
一つ目の部屋が応接室、二つ目の部屋が私室といったところだろうか。
続き部屋も、同じような雰囲気だ。エリオットの私室だというのに、彼が住んでいる気配がまるでしない。
家具ごと貸し出された部屋をそのまま使っているような、そんな雰囲気である。
唯一彼らしさを感じるのは、作りつけの本棚におさめられた本くらいだ。
エリオットが戻ってきたことに気付いていたのか、『婚約の書』と『婚姻の書』がベッドのヘッドボードにとまっていた。
エリオットを見るなり、二羽は満足そうに「ホゥ」と鳴きかけてくる。
話はきいていますよ。おめでとうございます、エリオット様。
そんな声が聞こえてきそうな、満足げな顔だ。
本当にそう思っているかはわからないが、満足そうなので良しとする。
エリオットはクローゼットからトランクを取り出すと、着替えを適当に放り込んだ。が、ピタリと動きを止めたかと思うと、トランクの中身を戻してうなり出した。
シュエットが気に入りそうな服はどれだろうか。
恋する乙女のように、エリオットは頭を悩ませる。
まさかそんなことを考えているとは思えない、真剣な表情だ。
普段やる気のないエリオットばかり見ていたメナートは、彼の珍しい表情に思わず口を噤んだ。
だが、それも長く続かない。お喋りな彼が黙るのは、難しいことなのだ。
「院長、今から料理するんじゃないんですか?」
「ギャギャギャ!」
メナートの質問に、メンフクロウとシロフクロウが不服そうに鳴いた。
「うわっ!」
メナートは驚いて飛び退った。
弾みで、袋からオレンジが転がり落ちる。
コロコロと足元に転がってきたそれを拾い上げながら、エリオットはメナートを見た。
「ここではしない。それより、メナート。僕はしばらく帰れなくなったから、あとはよろしく頼む」
ニッコリとほほ笑んでやれば、メナートの手からドサリと荷物が滑り落ちた。
普段から笑えと口うるさい彼への、意趣返しの微笑でもあったのだが、思いのほか効果があったらしい。
いつもの機関銃のようなトークはどこへやら。メナートはあんぐりと口を開けたまま、間抜けな顔でエリオットを見返してくる。
「な……え……は⁉︎ 一体、どういうことですか?」
エリオットは、嫁選びの書がシュエットを選んだこと、これからどうなるかを大まかに話した。
嫁選びの書が禁書だということは知っていても、その内容まで知らなかったメナートは、鋭い目をわずかに見開いて驚いているようである。
「な、なんっ⁈」
仕事が出来ないわけじゃない。シュエットの協力さえあれば、たぶん可能だろう。
だが、エリオットが言わなければ、メナートが知る術はない。
それを良いことに、エリオットは意図的に「仕事が出来ないのは仕方のないことだ」と告げた。
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