20 市場で値切無双
「エリオット」
「なんだ?」
「どうして、あなたは食料品ばかり見ているの?」
「どうしてって……居候させてもらう代わりに、僕が家事を担当するからだろう?」
何を今更、と当たり前のように答えられて、シュエットは腑に落ちない様子でエリオットを後ろから眺めた。彼は、荷車に並べられた野菜を真剣なまなざしで吟味している。
(どうして、こうなっちゃったのかしら)
おかしい。
シュエットがエリオットの手を引いていたはずなのに、気づけば目的地にしていたイロンデル家具店を通り過ぎて、ペルッシュ横丁を抜けた先にある、市場に着いていた。
(ベッドを買わないと困るじゃない)
まさか、シュエットのシングルベッドで体の大きなエリオットと仲良く就寝、なんてことはないだろう。
(どう考えたって無理よ)
エリオットの体格もそうだが、それ以上にシュエットが落ち着かない。
恋人でもない顔見知り程度の男とひとつ屋根の下、というのはまだ許せても、一つのベッドを仲良く半分こはない。
(母さんが知ったら卒倒しそうな案件よ……!)
もしも母に知れたら──考えるだけでも頭痛がしそうだが、考えずにはいられない。
実家に連れ戻されるのは必至だろう。
そして最悪、「責任を取ってもらう」と言って強制的にエリオットと婚約させられそうだ。
脳裏に、母の暴挙がありありと浮かぶ。そして、それに付き従う父の姿も。
敏腕商売人である父だが、愛する母にはとことん弱い。娘にも弱いが、母には及ばない。
たとえシュエットが渾身の演技で父に懇願したとしても、母の一言で全ては決まる。
(駄目よ。それだけは、駄目)
だって、シュエットは恋愛結婚派なのだ。
結婚するなら、好きな人と。
なにもかもうまくいかないのだとしても、恋愛くらいは自由にさせてもらいたい。
(そりゃあ、エリオットは綺麗な顔をしているけれど……)
おばさんと交渉するエリオットの横顔を、シュエットは盗み見た。
横からでも、彼の端正さはよくわかる。高い鼻に、控えめな口元。そして、シャープな顎。それらは絶妙なバランスで綺麗なEラインを作っていた。
「お嬢さん。こちらを頂きたいのだが、いくらだろうか?」
美形は、ちょっとほほえむだけでいろいろとんでもない。
妙齢のおばさまも、頰を染める。
「嫌だよぉ、お嬢さんなんて。くすぐったいじゃないか。こんなイケメンに言われちゃあ、おまけしないわけにはいかないねぇ」
市場で値段交渉するなんて、当たり前のことだ。
当たり前のことを知らなかったエリオットに、「常識よ?」と先輩風を吹かせて教えたのがいけなかった。
顔面の良さを遺憾なく発揮して、エリオットは無双状態だ。
わかりやすいお世辞も、イケメンというだけで特別感が増す。
おばさんに限らず、おじさんまで籠絡する始末で、シュエットは教えるべきではなかったと後悔した。
「お兄さん綺麗だから、割引もしてあげようねぇ」
「おまけしてくれた上に、割引まで……ありがとうございます」
感激したように、エリオットが笑う。
おばさんはお決まりの「あたしがあと十歳若けりゃあねぇ」と言って、シュエットが思わずそんなにいるか⁉︎ と心配になるくらい野菜を袋に詰めていた。
「いいんだよぉ」
おばさんとの交渉がうまくいって、エリオットは嬉しそうだ。
口元が緩んで、弧を描く。あどけない子どものように、屈託のない笑みだ。キリッとした横顔に、幼さが滲む。
(くそぅ、かわいい)
一体全体、どういうことなのか。
ここまでの美形を見たことがなかったせいで、シュエットの脳はおかしくなってしまったのかもしれない。いや、もしかしたら勉強と仕事ばかりで異性と交際したこともなかったから、耐性がないだけかも。
ふとした弾みで、エリオットのことがかわいくて仕方がなくなるこの現象を、なんと言えば良いのか。
シュエットは、困惑した。
(あのモッサリした頭を撫でくりまわしたくなるのよね)
フワフワとはねた柔らかそうな黒髪。触れてみたら、どんな感触なのだろう。
見た目通りやわらかいのか、それとも思ったよりかたいのか。
気になるが──、
(……触らせて、なんて言えないわ)
恥ずかしすぎる。言えるわけがない。シュエットは、誰かにお願いすることが大の苦手なのだ。
それに、握手でさえ戸惑っていたエリオットだ。頭を撫でさせてほしいなんて言ったら、驚いて逃げていってしまうかもしれない。
(そんな状態で、よく貴族なんてやっていられるものだわ)
貴族は、社交的な生き物だ。と、シュエットは認識している。
朝は乗馬、昼はクラブに議会、夜はオペラ鑑賞や舞踏会に晩餐会。連日のように集まりがあるはずだ。
もしかしたら、貴族じゃないのかもしれない。
ここまで人に慣れていない貴族なんて、そうはいないだろう。
シュエットはそれなりに人を見る目を持っているつもりだったが、間違っていたかもしれないと思い始めていた。
(あっさりした口調で共同生活だって告げてきたものね)
貴族なら、庶民の住む家に住めないはずだ。
居候するにしたって、当然のようにシュエットに給仕させるはず。
没落気味の貴族だから家やプライドなんて構っていられない、というのも考えられる。
だがそうだとしても、エリオットの人との接し方はおかしい。
(なにか、理由があるのかしら?)
人と距離を置かなくてはいけないような何か。
握手すら躊躇うような要因とは、一体なんだろう。
シュエットは小首をかしげた。
しかし、会って数時間ともにしたくらいの彼のことは、さっぱりわからない。
「やめよう」
考えるだけ、無駄だ。
シュエットがエリオットと、どうにかなるわけがない。
(三人きょうだいの一番上は、うまくいかない……私がエリオットに恋をする可能性はあっても、彼が私に恋をする可能性なんてないもの。つまり、不毛ということ)
人付き合いに難ありではあるが、見目麗しい青年がシュエットを恋愛対象にするわけがない。するはずがないのだ。
だって、シュエットは三人きょうだいの一番上だから。
絵本のお姫様のような未来なんて、シュエットには望めない。
(ゆうべ馬鹿げた妄想をしたから、引きずられているだけよ)
ふぅ、と疲れたようにため息を吐いたシュエットに、買い物を終えて袋をまた一つ追加したエリオットが歩み寄ってくる。
「ただいま、シュエット」
子犬のように懐っこく笑いかけてくるエリオットに、シュエットは慌てて笑みを貼り付けると「おかえりなさい」と答えた。
市場で買い物を終えると、エリオットの腕には抱えきれないほどの袋がぶら下がっていた。
さすがに一人で持たせるには申し訳ない量で、「これは僕の仕事だから」と遠慮するエリオットからシュエットはいくつかの袋を取り上げて持つ。
来た道を戻るのかと思いきや、エリオットの足はシュエットの家とは違う方向へ向かおうとしていた。
シュエットは、まさかまだ買い物をするつもりかと、ギョッとする。
思わず腕を引いて引き留めた彼女に、エリオットはキョトン、と掴まれた腕を見て、それからはにかんだ表情を浮かべた。
「エリオット? さすがにもう、買い物は無理よ?」
「買い物じゃないよ。シュエットの部屋に住まわせてもらうのに、着替えとか取りに行きたいだけだ。それに、説明もしなくてはいけないし……」
「ヴォラティル魔導書院へ行くの? でも、同僚から、嫁選びの書を持ってくるまで戻ってくるなと言われているのでしょう?」
「ああ、だから持っていくよ?」
そう言って、エリオットは上空を見上げた。
つられるように空を見上げれば、大きく翼を広げたモリフクロウが、悠々と飛んでいる。
「また、持って出ることになるけれどね」
おどけるように笑うエリオットに、シュエットもなるほどと笑みを零す。
握手さえままならなかった男が、少しずつシュエットに懐いていくようで、なんだか嬉しい。
(嫌われているより、よっぽど良いもの)
それに、ヴォラティル魔導書院へ行くのは初めてだ。
魔力がないから行っても仕方がないのだが、いつかは行ってみたいと思っていた。
学院の教科書でしか見たことがなかった『鳥籠』を思い出して、シュエットは足取り軽くエリオットの後を追った。
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