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19 試練〜手を繋いで歩く〜

 エリオットがやって来た日は、丁度良く店の定休日だった。

 週に二日ある定休日のうちの一日目を、シュエットは買い物の日と決めている。


 睡眠をたっぷりとって、寝過ぎてボケた頭でダラダラと身支度を整えたら、店のフクロウたちにご飯をあげて、近所のプルデネージュ料理店でランチを食べる。


 カウンターでプルデネージュ氏やカナールと会話しながら食べるランチは、にぎやかで楽しいひと時だ。

 気付くとあっという間にお茶の時間になっていて、そのままお茶をごちそうになることもしばしば。

 結局、店が忙しくなるギリギリまでそこで過ごし、カナールがプルデネージュ氏に厨房で下ごしらえを命じられる頃にお暇することが多かった。


 料理店を出ると、だいたいいつも夕方で、赤く染まるペルッシュ横丁をのんびり散策しながら、たまに観光客に道案内をしたりしつつ、一週間分の食料──といっても、パンやコーヒー豆といったシュエットにもどうにかできる範囲のものだ──や日用品を買って帰る。というのが、シュエットの定休日一日目の流れである。


 既に結婚して子どもまでいる友人たちには「優雅でいいわねぇ」なんて言われるけれど、そうでもない。

 優雅にランチなんて洒落込んでいるけれど、実際は料理が出来ないだけだし、外を散策するのは家にいたら汚してしまうからに過ぎない。

 むしろシュエットからしてみたら、旦那と子どもと手をつないで、毎週のようにピクニックに出掛けている彼女たちの方が羨ましかった。


(でも今日は、そうもいかないわね)


 だって、エリオットがいる。

 エリオット同伴でプルデネージュ料理店へなんて行ったら、からかわれるに決まっているのだ。


『うおっ! シュエットにもようやく春が来たか』


『おうおう、めでてぇじゃねぇの。おい、祝酒(いわいざけ)出してやれ』


『アイアイサー!』


 カナールとプルデネージュ氏がいかにも言いそうなことを想像して、シュエットはしばらく行くまいと決意した。


(そもそも、エリオットは家事が得意らしいし? しばらく甘えてしまいましょう、うん)


 パンを焼く、カフェオレを淹れる。それだけしかできないシュエットだから、それ以上なら全てがごちそうである。こだわりがなくて良かった、とシュエットはこっそり呟いた。


 そんな彼女の隣では、エリオットがキョロキョロと物珍しそうに周囲を見回しながら歩いている。

 放っておけば脇道に入っていきそうで、ハラハラしていたシュエットだったが、タイミング良くピピから、


「第二の試練じゃ。手をつないで歩け!」


 と言われたこともあり、手をつないでいた。


 貴族令息かと思いきや家事が得意だったり、かと思えば、観光地として有名なペルッシュ横丁を物珍しそうに歩いたり。

 エリオットという人は、よくわからない。


(でも不思議と、触れることに抵抗がないのよね……)


 一人暮らしをするようになって、二年。人付き合いがないわけではないけれど、異性と接触するような機会がなかったせいで、少し飢えている自覚はある。


(飢えているというか、焦り? 妹に先を越されそうだから……)


 誰が責めたわけでもないのに言い訳を並べて、シュエットはエリオットと手をつないだまま、人でにぎわうペルッシュ横丁を歩いた。


『やだ、シュエット。本当に、そうなの?』


『こんなに綺麗な人なのだもの。ちょっと触れたいと思ったって、ちっともおかしなことじゃないわ』


 耳の奥で、友人たちのからかうような笑い声が聞こえるような気がする。

 シュエットは心の声を振り切るように、首を振った。


「シュエット、どうかしたのか?」


「……なんでもないわ。それより、早く買い物を済ませてしまいましょう。夜ご飯は、エリオットにお願いしても良いかしら?」


「ああ、任せてくれ。料理も、得意だから」


 つないだ手が、キュッと握り込まれる。

 痛くはないが、なんだか強く抱きしめられたような錯覚を覚えて、シュエットの胸がドキリと早鐘を打つ。

 あっさりドキドキしてしまう自分の心を叱咤(しった)して、シュエットは「お願いね」と笑い返した。


「シュエットは、嫌いなものや苦手なものはあるか?」


 キラキラと目を輝かせて、エリオットが問いかける。

 何をつくるか悩むように、つないでいない方の手を顎に当てていた。


「そうですねぇ。レバーは、苦手かしら。食べられないこともないのだけれど、匂いが嫌で」


「……あの、シュエット」


「なんですか? レバーが嫌いとか、子どもっぽい?」


「いや、大人でも嫌いなものの一つや二つ、あるだろう。そうではなくて、だな……」


 言い淀むように黙ったエリオットに、シュエットも気になって足が止まる。

 ツアーの団体客がその横を通りながら、「なんだなんだ」と期待するような視線を向けてきた。


「エリオット。注目されているから、話したいことがあるなら早く言ってちょうだい?」


「その……敬語を、やめてほしいなぁと」


 エリオットの言葉に、シュエットはキョトンと目を瞬かせた。

 シュエットとエリオットは頭ひとつ分くらい身長差があって、猫背でも彼は上から見下ろしているというのに、なぜだか上目遣いで懇願されているような気になる。

 シュエットの頭は、


(かわいい)


 と思った。


(どこのお嬢様よ⁉︎)


 とも思った。


 なんてかわいい要求だろう。

 いい歳した青年が言う言葉ではないが、その顔があまりに整いすぎているせいで補正がかかっているらしい。

 シュエットの頭は、ネジが飛んでしまったかのように、かわいいとしか認識できなかった。


「ねぇねぇ、ママ。あのお兄ちゃんとお姉ちゃん、どうして道の真ん中で立ち止まっているの? 道の真ん中で立ち止まったら危ないって、知らないのかなぁ?」


「シッ! 見ちゃいけません! ほら、行くわよ、アントン」


 バカップルに向けられるお決まりのセリフを聞いて、シュエットはハッと我に返った。

 その瞬間、ボボボッと彼女の顔が赤く染まる。


「わかりまし……わかったわ、エリオット。敬語は、やめる。あなたも気楽に話してちょうだい」


 好奇の視線に晒されて、シュエットは居た堪れない気持ちでいっぱいだ。

 なんとかそれだけ絞り出すように早口で答えると、つないだままだった手を引っ張るように歩き出した。


「ああ。嬉しいよ、シュエット。ありがとう」


 エリオットは周りの視線なんて気付いていないのか、それとも気にしていないのか。

 破壊力抜群の顔でほほえみかけられて、シュエットは「うぐ」と(うめ)いた。


読んでくださり、ありがとうございます。


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