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18 試練〜握手〜

 朝食を終え、シュエットが衝立(ついたて)の向こうで着替えをする間、手持ち無沙汰なエリオットは、許可をもらって、珍しい魔法石のコンロを磨きながらしげしげと見つめていた。


「これより、試練をはじめる!」


 唐突に、幼い少女の声が部屋に響き渡る。

 エリオットは振り返りながら持っていたスポンジをギュウと握りしめて床に泡を垂らし、シュエットは着替え途中の姿のまま衝立の向こうからギョッとした顔を覗かせた。


 推定年齢、二歳。

 身長一メートルにも満たない幼女が、ダイニングルームの中央に立っている。

 まんまるでクリクリの大きな目に、ちんまりとした鼻と口。そして、薔薇色の頰。どことなく神々しさを感じるのは、その背に翼が生えているせいだろうか。


「えぇぇ⁉︎ あなた、誰っ? エリオットが入れたのっ⁈」


 シュエットが、咎めるようにエリオットを睨む。


「僕がか⁉︎ いや、違う!」


 エリオットはそんな彼女にブンブンと首を横に振りながら、手に持ったスポンジを掲げて掃除中であったことを訴えた。

 そして、迂闊にも着替え途中であったシュエットのあられもない姿を目の当たりにして、彼らしくもない素早い動きで顔を背けた。


「しゅ、しゅしゅしゅシュエット! じょ、女性がそんな格好で出てきちゃ駄目だ!」


「そんな格好って……ちょっとボタンが開いているだけじゃないですか」


 ちょっと、なんてものじゃない。

 普段は首までピッチリ着込んでいる人が、胸元が微かに見えるまでボタンを開けているなんて、エリオットからしてみたら大問題である。


 ギュッと、顔をしかめるほどかたく目を閉じたエリオットに、シュエットは「大袈裟ね」と呆れまじりのため息を吐いた。


 母もそうだが、貴族というのは本当に頭がかたい。

 これくらい、妹たちなら当たり前のようにしている。

 むしろ、シュエットにもそうするように注意してくるくらいなのに。


 貴族でも年頃の娘はこれでもかと胸を強調するドレスを着るものだが、シュエットは知らない。

 まさかエリオットがシュエットだから過剰な反応をしているのだと、思いもしなかった。


 それでも、相手が貴族ならその反応も当然かと勝手に納得して、シュエットは手早くボタンをつける。

 そうして身支度を整えてダイニングへ出ていくと、謎の幼女は変わらずダイニングの真ん中でエッヘンと腰に手を当てて仁王立ちしていた。


 偉そうだが、どうにも偉く見えない。小さな女の子がそうしていても、ただかわいいだけである。ただちょっと、女の子の正体がわからないだけに、不気味でもあったが。


「わらわは、嫁選びの書、である! いにしえの盟約に(のっと)り、そなたたちに試練を与える!」


「おまえ、人の姿にもなれたのか」


「うむ! わらわは特別な魔導書ゆえ、好きな姿になれるのじゃ。もっとも、フクロウの姿が一番気に入っているのだが……そもそも、ヴォラティル魔導書院の魔導書を鳥の姿にしているのも、わらわたちが鳥の姿を好むからなのじゃ。木を隠すには森、と言うじゃろう?」


「そうなのか。それは、初耳だ」


「そうであろう、そうであろう! だって、今まで誰にも教えなかったからな! エリオット、おまえだから教えたのじゃぞ?」


「はぁ……」


 特別なのじゃ! と嫁選びの書だと言う幼女は胸を張った。

 対するエリオットは、困ったような、どうでもいいような顔をして幼女を見つめている。


 シュエットはエリオットと幼女のやりとりを、ポカンと眺めていた。

 どうやらこの幼女が嫁選びの書で、つい今し方までモリフクロウの姿を取っていたらしいと理解はできたものの、シュエットの常識では計り知れないことの連続で、思考が停止せざるを得ない。


 幼女はエリオットからシュエットへと視線を移すと、にっこりとほほえむ。

 まるで天使のような愛らしい笑みに、思わずシュエットも笑い返した。


「はじめまして、なのじゃ。わらわの名前は、ピピ。普段はモリフクロウの姿をしているが、真の姿は嫁選びの書じゃ」


 タタタと走り寄ってきたピピと名乗る幼女は、そう言ってスカートの端を持ち上げてお辞儀をした。

 二歳くらいの子のように見えるのに、そのしぐさは随分と慣れた様子だ。見た目通りの年齢ではないのだと、シュエットは感じた。


「シュエット・ミリーレデル。そなたならば、エリオットの良き(つがい)になると、わらわは信じておる。だが、わらわも万能ではない。時には間違いもあろう。だから、そのために試練は用意されているのじゃ。試練に挑み、それでもエリオットのことを番と認められない時は……そなたから嫁選びの書(わらわ)に関する全ての記憶を消し、なかったことにする」


 天使のようなほほえみを浮かべながら、ピピは似つかわしくない厳しい口調でそう告げた。

 笑顔と口調のちぐはぐさに、得体の知れない恐怖のようなものが迫り上がる。


「なかったことに……?」


「ああ、そうじゃ。エリオットの番に選ばれたことも、試練のことも、禁書のことも、すべて。それを惜しいと思うのであれば、エリオットを選べば良い。しかし……試練はまだ始まってもいない。これからしばし、付き合っておくれ」


 あどけない顔をしているのに、ずっと年上の人に諭されているような気分になる。

 おかしな感覚を覚えながら、シュエットはこくりと頷いていた。


「うむ、良い子じゃ。ではさっそく、第一の試練を行ってもらおう。エリオット、スポンジを片付けて、早うこちらへ」


「あ、ああ」


 エリオットがスポンジを片付けて手を拭いている間、シュエットはピピに導かれてダイニングの椅子へと腰かけた。テーブル越しのもう一脚の椅子には、エリオットが座る。


「うむ。では、手を握ってくれ」


 手を握る。

 要は、握手だろうか。

 試練、試練と何度も言われて緊張していただけに、シュエットは肩透かしを食った気分だった。


 それくらいなら、とシュエットはテーブルの上に手を出す。

 握手をするように、ほんの少し傾けた。


 向かいでエリオットが、表情を痙攣(ひきつ)らせてシュエットの手を凝視していた。

 まるでシュエットの手に触れたら爆発してしまうとでも思っているような、この世の終わりのような顔をしている。


「あの……大丈夫?」


「あ、ああ……」


 ああ、なんて言っているが、エリオットはちっとも大丈夫そうに見えない。

 心なしか、彼の体が震えているようにも見える。


(そんなに嫌なのかしら?)


 まさか握手をすることさえ嫌がられるほど嫌われているとは思っていなかったので、シュエットは少し悲しくなった。いや、本当はわりと傷ついた。


(かわいいとか言うから、少しは好意的だと思っていたのに……!)


 騙された気分だ。

 かわいいと言われて、あっさり警戒を解いた自分にも腹が立つ。


 シュエットは、目を伏せた。

 そんな彼女を見て、エリオットが「あ……」とか細く声を漏らす。

 なんだろうとシュエットが視線を上げると、エリオットまで悲しそうな顔をしていた。


(なんで、あなたまでそんな顔をするのよ)


 悲しいのはこっちだ。握手をしてくれないのはエリオットで、悲しいのも彼のせいなのに、どうして。

 責めるようにジトリと睨むと、エリオットは何か言おうと唇を開いた。はくはくと小さく開閉して、しかし何も言わないまま貝のように閉じてしまう。


(握手一つでこんなにかかるなら、これ以上の試練はいつ終わるのかしら)


 先が思いやられる。

 深々とため息を吐くと、エリオットがボソボソと「ごめん」と謝ってきた。


「謝ってほしいわけじゃないわ」


 言い方がつい、キツくなる。

 本当に、謝ってほしいわけじゃないのだ。ただ、第一の試練とやらを早くクリアしたいだけ。それだけ、のはずだ。放って置かれた手が寂しいとか、そう思ってなんかいない、はず。


「……エリオット」


 ズン、と重みのある声がエリオットの名を呼ぶ。

 シュエットではない。ピピの声だ。


「早くしろ。お嬢さんを待たせるなんて、それでも男か? わらわは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()魔導書なのだぞ?」


「うっ」


 わかりやすく目を逸らしているエリオットに、シュエットはまさか、と思った。とても信じ難いことだ。

 まさか、と思いつつも、即座にそんなわけないじゃないと突っ込みたくなるような考えが、脳裏に浮かぶ。


(この美貌で、どう考えても女の子たちが放って置かなそうなこの顔で、誰とも握手をしたことがないの……?)


 だが、学生時代は得体が知れない男だった。

 シュエットは、いつも遠巻きにされていた彼を思い出す。


 いつも物言いたげにジトリと見てきて、なのにその顔はいつだって前髪で隠れていて表情が読めない。

 前髪の奥にこんな美貌があったなんて、誰が想像できただろう。


 そう考えると、シュエットの考えはあながち不正解とも思えない。

 それどころか、かなりの確率で正解なんじゃないかとさえ思えてくる。


「あの、エリオット? もしかして、なんですけど。誰かと手を握るのも慣れていない、とか?」


「……実は、そう、なんだ」


 ボソボソと自信なさげに呟くエリオットに、ピピが「軟弱者がぁっ」と喝を入れている。


「だって、仕方がないだろう。学生時代は友だちもいなかったし、魔導書院に行ってからはもっと人と関わらなくなったんだ。僕が今、関わっているのなんて、兄上とメナートくらいなのだぞ? そんな状態で、どうやって人付き合いをしろって言うんだ」


 ピピに耳たぶを引っ張られながら、エリオットは涙目でそう訴えた。


 シュエットは、エリオットをかわいそうに思った。

 握手一つまともにできないくらい、彼は友だちに恵まれていなかったらしい。


(この美貌で、この年齢で、まだ結婚できていないのはそのせいね)


 実は、エリオットが独身なのかどうか、シュエットは怪しんでいた。

 だって、彼の顔は本当に、信じられないくらい綺麗だ。ちょっと猫背気味ではあるけれど、背も高いし、太ってもいない。

 こんな男が社交界にいて、貴族の目の肥えたご令嬢たちが放っておくわけがない。


 だが、握手さえまともにできない男なら、どうだろう。

 どんなに見目がよろしくても、触れ合うことさえままならない男を、令嬢たちが相手にするわけがない。


(もったいない)


 本当に、もったいない。

 こんなに綺麗ですてきなのに、どうして結婚できないのだろう。


(こうなったら……)


 シュエットの姉魂(あねだましい)に火がついた。

 私が、どうにかしてあげないと。

 持ち前の世話好きを発揮した彼女は、エリオットを安心させるように穏やかに微笑みかけた。


「大丈夫よ、エリオット。私、じっとしているから。それに……第一の試練をさっさと終わらせないと、買い物にも行けないわ。だって、あなたはここで暮らすのでしょう? 買い揃えないといけないものが、たくさんあるわ」


 そう言えば、エリオットの目にわずかながらのやる気が戻ってきたようだった。

 引っ込めていた手を服でゴシゴシと乱雑に拭って、エリオットはおずおずと、まるで初めて見る生き物を触るかのように、ゆっくりそろりと触れてくる。


 触れるか触れないかの触れ合いは、こそばゆい。

 くすぐったさに思わずクスリと笑むと、エリオットがつられるようにへにゃりと相好を崩した。


 美形の、飾り気のない無防備な笑顔は、破壊力がある。

 シュエットは怯みそうになったが、長女の意地で笑みを貼り付けた。


 緊張していた手から力が抜けて、遠慮がちに手が握り込まれる。

 じわ、じわ、じわ、と合わさる手のひらは、まだ緊張しているせいかシュエットよりも体温が高かった。


「やればできるではないか」


 ふん、と鼻息も荒くピピが腕組みをして頷いている。


「第一の試練、合格じゃ。まだまだ、先は長いの」


 合格の声に安心したのか、エリオットがテーブルに突っ伏す。

 もちろん、握手したままだ。握手というよりは手をつないでいるような感じだったけれど。


 つながれたままの手を振り解くべきか悩んで、シュエットは結局、エリオットが気付くまでそのままでいた。


(だって、振り解いたら、せっかく頑張ったのにかわいそうじゃない)


 そう、言い訳して。


読んでくださり、ありがとうございます。


少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、下部よりポイント評価をお願いします。


ブックマークや感想も、非常に励みになります。


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