17 哀れな二男と不安いっぱいの長女
カフェオレと一緒に適当に焼いたレーズンパンをエリオットにも出して、シュエットは冷えてしまった朝食をもそもそと食べた。
ただのレーズンパンとカフェオレを、噛み締めるように食べるエリオットに、シュエットはもしやこの人は普段ひもじい思いをしているのでは? なんて一瞬思ったが、そうでもないらしい。パンを食べているだけなのに妙に気品が漂っていて、しぐさの一つ一つが洗練されている。
(いいところのお坊ちゃんなのかしら)
王立ミグラテール学院には、一般庶民だけでなく下位の貴族も通っていたから、もしかするとエリオットは貴族なのかもしれない。
(没落気味のおうちとか? だって、ヴォラティル魔導書院の中で暮らしていると言っていたわ)
家すらないのだろうか。
そう考えると、なんだかエリオットがかわいそうに思えてくる。
実家は没落気味、家もなく魔導書院暮らし。その上、手違いで禁書の魔術が発動して、シュエットのそばを離れられなくなるなんて。
(長女の私よりついてない)
「エリオットは、三人きょうだいの一番上だったりしますか?」
「……? いや、二人兄弟の二番目だが」
「そうですか」
「それが、どうかしたのか?」
「いえ、興味本位で聞いただけなので、お気になさらず」
「そうか」
レーズンパンを食べ終えてカップに口をつけるエリオットをこっそり盗み見ながら、シュエットはうーんと悩んだ。
(伯爵なら間違いなくリシュエル学園へ通うから……男爵……いえ、子爵かしら?)
客商売をしているせいか、どうにも深読みしたくなってしまう。
しかし、お貴族様なのに家事が得意とは。
ふと、シュエットは母を思い出した。
シュエットの母は、伯爵令嬢であるにも関わらず、家事が得意だ。
数代前の当主が事業に失敗し、作った借金のせいでメイドを雇う余裕もなく、母が家事をこなしていたためらしい。
伯爵家には祖父母、それから伯母もいたが、彼らは決して家事をしようとはしなかった。
母が強いられたのは、家事だけではない。朝早くと夜遅くは家事をして、朝から晩まで外で働き詰め。そして、母が稼いだお金は、伯母に注がれた。
「この子が王子様と結婚すれば、もとの生活に戻れるはずよ」
どこの馬鹿王子が伯爵家の令嬢を相手にするというのだろうか。
王子様の相手なら当然、隣国の姫だったり公爵家の令嬢だったりするはずだ。間違っても、伯爵家の、それも没落寸前の家の娘は選ぶまい。
そんなことはシュエットでさえわかるのに、祖父母はわからなかったらしい。
彼らは母から金を取り上げては、伯母を飾り立てて舞踏会へ行った。
(母を、置いて)
その挙げ句、さらに借金を重ねられないとわかると、祖父母は母をミリーレデル家に売った。
だからシュエットは──否、ミリーレデル家の人々は、母の実家が大嫌いだ。
(結果として母は幸せになれたから良かったけど、もしもミリーレデル家ではなく他の家だったらどうなっていたことか)
どこぞのヒヒジジィの慰み者にされていたかもしれないと思うと、ゾッとする。
伯爵家は現在、伯母と結婚して婿養子に入った男が当主になっている。
王子様のハートを射止めたのは、没落寸前の伯爵家の令嬢ではなく隣国のお姫様だった、というわけだ。
伯爵家には現在、シュエットと同じ年の娘と、妹のエグレットと同じ年の息子もいる。
シュエットと同じ年の従姉妹は、公爵位を賜った王弟の嫁の座を狙っているのだとか。
(母娘そろって、どうして高嶺の花ばかり狙うのかしらね)
地味にコツコツ堅実に、が信条のシュエットには、まったくもって理解し難い。
王子様に憧れる気持ちは、わからなくもない。
シュエットだって女の子だ。
絵本に登場する見目麗しい王子様に、胸をときめかせていた時期もある。
だけどそれは、あくまで憧れに過ぎない。
(自分の世界の話ではないもの)
ありきたりでいい。
父と母のように愛し愛されて、ヨボヨボのおじいちゃんおばあちゃんになっても仲睦まじく添い遂げられたら──シュエットはそれだけで良いと思っている。
彼女の友人たちは、「それだけって言うけど、それが難しいのよ」なんて笑うけれど、父や母を見てきたシュエットは、それだけは譲れないと思うのだ。
(まぁ、まずは好きな人を見つけないといけないわけだけど……その前に、まずはこのブレスレットを外してエリオットと離れるのが前提よね)
エリオット付きでデートなんて、あり得ない。
どんな聖人君子だろうと、男連れでデートなんてない。ないったら、ない。
(エリオットとデート、ならまだわかるけど)
ぽわん、とシュエットの脳裏にエリオットとデートする自分の姿が浮かぶ。
(手が触れそうなくらい、近い距離で歩く二人……ふとした弾みで触れる手と手……つないでみようか、それともやめておくべきか……様子を見て決めようとしたら、エリオットも私の方を見ていて、それで私は……)
「どうするのかしら?」
「シュエット? どうかしたのか?」
知らず、エリオットの目をぼんやりと見つめていたらしい。
柘榴石のような目が、不思議そうにシュエットを見返している。
シュエットはごまかすように咳払いを一つして、「なんでもないです」と席を立った。
使い終わった食器をシンクに置いて、さてどうしたものかとシンクの縁に寄りかかる。
(私ったら、何を考えているのかしら。エリオットは迷惑しているはずなのに……手をつなぐなんて、あり得ないわ)
きっと、先日読んだ恋愛小説の影響だろう。
そう結論づけたシュエットは、無理やり納得させるように頷いた。
(でも……エリオットは、試練の時以外は決して私に触れないと言っていた。それってつまり、触れるような試練があるということ?)
嫁選びの書が課す試練。それは一体、どんな試練だろう。
(たぶん、二人の相性を試すとかそういう類のものになるんじゃないかしら。もしくは、二人の仲を進展させるような、絆を結ばせるようなもの)
偉大な魔導師ですら跳ね返せない強力な魔術。
それは果たして、シュエットに跳ね返せるものなのだろうか。
暗雲立ち込めるこの先を思って、シュエットはこっそりため息を吐いた。
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