16 疑惑の赤点と禁書に記された魔術
「わかる……僕だって、気になる」
「わかりますか!」
テーブルに手をついたシュエットが、身を乗り出して転移魔術についての考察を熱く語る。
そんな彼女に負けず劣らずの知識で話についてくるエリオットに、彼女は不思議に思った。
だって、おかしい。
彼は、赤点大魔王のエリオットのはずだ。
だというのに、特別カリキュラムで卒業したシュエットの話についてきている。
(でも……遠慮なく議論し合えるのは、楽しい)
学園を卒業してフクロウ百貨店の店主になってからは、こういう場から遠のいていた。
久しぶりの感覚に、つい嬉しくなって声が弾む。
ふと気付けば、慈愛に満ちた見守るようなあたたかい視線で見られていて、シュエットはハッとなった。
「ごめんなさい、つい……卒業してからは魔術とはかけ離れた生活をしていたから、楽しくなってしまって」
恥ずかしそうにシュンとしながら椅子へ座り直すシュエットに、エリオットが「いや」とあるかなしかの笑みを浮かべた。
ささやかな微笑みは、高貴そうな見た目も相まって、とても上品に見える。
思いがけず大人の男の色気のようなものにあてられて、シュエットは頰を赤らめた。
こういう時はどうするのが適切かなんて、恋愛事に疎いシュエットには未知の世界だ。
恋愛小説や友人たちからの話を参考にしようにも、カーッと血が上った頭ではろくなことを思いつかない。
だからつい、
「でも、意外だったわ。赤点大魔王なんて言われている人が、こんなに詳しいだなんて」
失礼なことをポロリと言ってしまった。
言ってしまってから口を閉じたって、もう遅い。
シュエットは申し訳なさそうに眉を下げて、「ごめんなさい」と呟いた。
「いや、僕が赤点ギリギリだったのは本当のことだから。あなたが気にするようなことではないよ。それに、遠慮しないで話してくれた方が僕も気が楽だ。だって僕らはこれからしばらく、共同生活を強いられるからね。僕は人付き合いに慣れていないから、何かあったら遠慮なく言ってほしい」
共同生活。
それを聞いた瞬間、シュエットの目から煌めきがスッと消えた。
「キョウドウセイカツ……?」
「ああ。このブレスレットが外れるのは、嫁選びの書が課すすべての試練をクリアした時なんだ。つまり、それまで僕とあなたは、五メートル以上離れることが出来ない。つまり、共同生活をする他ないというわけだ」
転移魔術の話に夢中で、それが自分とエリオットの身に起こっていることなのだと、シュエットは忘れ去っていた。
五メートル以上離れられないということは、つまり、そういうことなのだろう。
(エリオット先輩と、共同生活……?)
「僕と一緒に暮らすなんて、不本意だと思う。でも、同僚から、嫁選びの書を持ってくるまでは魔導書院へ戻ってくるなと言われていて……大変申し訳ないのだが、僕の自宅は魔導書院内にあるから、ここに居候させてもらえると助かる」
(しかも、ここで……? 私の、家で⁉︎)
エリオットの申し出に、シュエットは絶句した。
頭の中は「無理」の二文字で埋め尽くされている。
几帳面で責任感が強く、クソがつくほど生真面目な、いかにもな優等生。将来はきっと、良き妻、良き母になるでしょう。
そんな評価をされがちな彼女だが、実のところ、人に見られていないプライベートな部分はダメダメだった。
掃除、洗濯、料理。
日常生活に欠かせないそれらの作業が、得意ではない。
と言えばかわいらしいものだが、実際のところは苦手とかいうレベルではない。壊滅的といっても過言ではないレベルである。
掃除をすれば汚部屋に成り果て、洗濯をすれば服が縮み、料理をすれば珍味を生成する。せいぜいがところ、パンを焼く、カフェオレを淹れる、ができる程度。
便利な魔法石があっても、使い手がへっぽこだと程度が知れる。
それなら素直に誰かに頼ってしまえば良い。実際、実家ではそうだったのだから。
だけどそれは、シュエットが許せなかった。
誰かに頼るという行為が、彼女は大の苦手なのである。
弱さをみせることが、怖い。
お姉ちゃんなのに、と幻滅されることが怖い。
『お姉ちゃんなんだから』
『お姉ちゃんでしょう』
そう言われ続けた結果、シュエットは甘える方法、誰かに頼る方法がわからなくなってしまったのだ。
甘える方法を忘れたまま、隠すことだけがうまくなって。
いつしかシュエットは、なんでもそつなくこなす人を装えるようになっていった。
そのせいで、ますます甘えられなくなるとも知らずに。
そんなシュエットが一人暮らしをすればどうなるのか。
それは、火を見るより明らかだ。
だからこそ、ミリーレデル氏は彼女の一人暮らしを快く思っていない。
結局は、かわいい娘の珍しい我が儘に屈したわけだけれど。
「試練の時以外、僕からは決してあなたに触れないし、ここに置いてくれるなら、僕が全ての家事を請け負う。どう、だろうか?」
なんという好条件だろうか。
エリオットの提案に、シュエットは思わず「よし、乗ったァ!」と言いそうになった。
「僕の家事の腕は、この部屋を見ればわかると思う」
「……え?」
「昨夜、ベランダから落ちたあなたを部屋に帰すために部屋に入らせてもらった。部屋が……その……乱れていたから、余計なお世話だと思ったのだが、片付けさせてもらったんだ」
「み、たの……? あの、部屋を……?」
シュエットは、ザァァとわかりやすく顔を青ざめた。
誰にも見せたことがなかった、自分の弱い部分。絶対に知られたくない秘密を暴かれて、シュエットは絶句するしかない。
「し、かも……片付けた……?」
「ああ」
「……うそぉ」
シュエットは、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「うそではない。しかし、意外だったな。あなたにも、苦手なものがあるとは。完全無欠な女性だと思っていたから、不得手なものがあると知れて、少し親近感がわいた。かわいい、と思う」
「かわいい⁉︎」
エリオットの言葉に、シュエットはガバリと顔を上げながら、素っ頓狂な声をあげた。
かわいいなんて、生まれてこの方、家族にしか言われたことがない。
(しかも、家事ができないことがかわいい、なんて。やっぱりエリオット先輩は変わっているわ)
眉間に皺を寄せて、困ったような怒ったような顔をするシュエットに、エリオットはおずおずと問いかけた。
「それで……僕は、ここで暮らしても良いのだろうか? 駄目だと言われても五メートル以上離れられないから、近くで野宿する他ないのだが……」
「うーん……」
くしゅん!
悩むシュエットの前で、エリオットがくしゃみをする。
「もしかして、ゆうべは外で野宿を……?」
「ああ。春になったとはいえ、着の身着のままで野宿は寒かったな」
昨夜の寒さを思い出したのか、エリオットがブルリと体を震わせる。
(……ああ、もう!)
シュエットのせいで、エリオットが病気になっては寝覚めも悪い。
エリオットの前に置かれた空のカップを取ったシュエットは、そのままキッチンへ向かってカフェオレをもう一杯淹れ始めた。
「あの……?」
「私のせいであなたが風邪をひいたら、嫌だもの。試練とやらが終わるまでですよ、エリオット先輩」
ギュッと眉間にシワを寄せて、目は怒ったように吊り上がっている。不本意だと言わんばかりの顔で、それでも彼女は、
「家事、お願いします」
と言った。
「エリオット、でいい」
「じゃあ、私のことはあなた、じゃなくてシュエットって呼んでください」
「ああ。わかった、シュエット」
くすぐったそうに笑うエリオットに頷きを返して、シュエットは小鍋を火にかけた。
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