15 嫁選びの書
「カフェオレしかないんですけど……」
招き入れたエリオットに椅子を勧め、キッチンで彼用のカフェオレを淹れる。
椅子の上でかわいそうなくらい恐縮しきっているエリオットの前に、カフェオレをたっぷり注いだカップを置いてから、シュエットはそう言った。
正確には「カフェオレしか作れないんですけど」だが、今は言う必要はないだろう。
テーブルごしにエリオットと対面するように腰掛けたシュエットに、エリオットがボソボソと「ありがとう」とカフェオレの礼を告げる。
やや俯いた角度から上目遣いでシュエットを見てくる彼は、彼女に捨てられたら終わりだと思っている、哀れな捨て犬のように見えた。
(見た目と中身にギャップがある人なのかしら……?)
もっと自信を持って堂々としていれば良いのに。
高貴そうな見た目をしているのに、態度がおどおどしているせいで台無しになっている。
勿体ないと思っているシュエットの前で、エリオットは背を丸めてカフェオレに息を吹きかけていた。猫舌らしい。
(……なんというか、聞いていたよりも随分とかわいらしい人みたい?)
人付き合いが悪いという話だったが、もしかしたら人付き合いが悪いのではなくて、下手なのかもしれない。彼からは、シュエットとどう接したら良いのかわからないという戸惑いが、ビシバシ伝わってきた。
なんだか、小動物みたいな人だ。
シュエットの脳裏にふと、真っ黒い子猫が浮かぶ。
(カフェオレのカップに顔を寄せてフーフーしている子猫……かわいい)
おひげにミルクをつけていたらもっとかわいい、なんてシュエットに思われているとも知らず、エリオットはカフェオレを一口飲んでフゥと息を吐いた。
小さく「おいしい」と呟く彼に、じわじわとシュエットの顔に喜色が浮かぶ。
モニュモニュとくすぐったそうに唇が動いている。かなり、嬉しかったらしい。
「それで……話、なのだが。僕は今、ヴォラティル魔導書院で司書の仕事をしていて……あ、ヴォラティル魔導書院は知っている?」
「ええ。利用したことはありませんが、知っています。世にも珍しい、魔導書が鳥の姿をしている魔導書院ですよね?」
「ああ、そうだ。そして、そこにいるモリフクロウは、魔導書なんだ。それも、持ち出し禁止の禁書と呼ばれる類の」
魔導師の国、リシュエルにおいて、魔導書はとても重要なものだ。
だからこそ、特殊な方法で厳重な扱いを受けている。
ヴォラティル魔導書院では、魔導書を鳥の姿にすることで持ち出しにくくしている。
無断で持ち出そうとすれば、魔導書がけたたましく鳴き叫ぶ、というわけだ。
禁書と呼ばれる三冊の魔導書は、絶対に使用してはいけない、そして持ち出してはいけない代物なのだが、一カ月後に迫った魔導書院の引っ越しの準備の最中、手違いで逃げ出してしまったらしい。
逃げ出した禁書の名前は、嫁選びの書。
結婚相手に恵まれない独身男性の嫁を選ぶ魔導書で、一度その魔術が発動すると、どんな強大な魔力を保有する魔導師も逃げることはかなわない、強制力を持っている。
本来魔導書とは、書に書かれた術式を実行することではじめて発動するわけだが、三冊の禁書は例外だった。
ただの魔導書と侮るなかれ。禁書には、自我がある。
自らの意思で、対象の男性の嫁を選び、術を発動させ、選んだ嫁候補と独身男性が特定の試練をクリアするまで一定距離離れられないようにする──らしい。
(いやいやいや、嫁選びってなに? それくらい、自分で決めなさいよ)
恋愛結婚推奨派にして恋人いない歴イコール年齢のくせに、シュエットは突っ込んだ。
ここに彼女をよく知る友人たちが同席していたら、苦笑いを浮かべて言っただろう。「あんたにピッタリな魔術じゃないの」と。
「そして、その証がこれなんだ」
コトリとカップをテーブルへ置いたエリオットは、そう言って右腕を上げた。
──シャラリ。
男性がするには些かかわいらしいデザインのブレスレットが、エリオットの手首で揺れる。
パールとゴールドの二連のブレスレットだ。シュエットの左腕にあるのと、同じデザインの。
「まさか……」
シュエットはブレスレットを隠すように、右手で左手首を覆った。
ぷっくりとしたパールが、手のひらに当たる。
「その、まさかだ。嫌かもしれないが……あなたは、僕の嫁候補になってしまったらしい」
秀麗な眉をわずかに下げて、エリオットは言った。
(うそでしょう⁉︎)
だってそんなの、有り得ない。
(エリオット先輩は、私のことを好意的に思っていないはず……)
エリオットは今、困っているだろう。
嫌かもしれないが、なんて言っているが、それはエリオット自身が思っていることに違いない。
(よりにもよって、私なんかを選ぶなんて……)
非難めいた目でモリフクロウを見ると、「間違いなんかじゃないわよ?」と言いたげに首をかしげていた。
どう考えても、第一段階失敗だろう。
だって、学生時代のエリオットを思い出してみれば、簡単にわかる。
決して好意的とは思えない物言いたげな視線を送るような人物が、シュエットに好意を抱くなんてあるわけがない。
(まぁ……恋愛小説なら、相反する二人や憎み合う二人が情熱的な恋をするのもセオリーではあるけれど……でも私、長女だし)
そもそも、こういうハプニングに巻き込まれることが、ありえない。
三人きょうだいの一番上は、こういう時真っ先に、それも手酷く失敗すると決まっている。
「あの……試練って、どういうものなのでしょうか? 命の危険とか、そういうのもあり得ます?」
「さすがにそこまでの試練はないはずだ。大事な花嫁候補を死なせるわけにはいかないだろうし」
そうだよな、とエリオットがモリフクロウに尋ねると、彼女は「ホゥ」と答えた。
少なくとも、死ぬかもしれないような危険はないらしいと知って、シュエットは少しだけ安堵する。
「一定距離離れられなくなる、とのことでしたが、正確にはどれくらいの距離なのか、エリオット先輩はわかりますか?」
「試したところ、五メートルくらいなら離れられるから、生活するのはそう難しくないと思う」
「それ以上離れると、どうなるんですか?」
「転移させられる。五メートル以内の場所に」
「なんっ……!」
(そんなすごい魔術があるなんて、聞いたことがない!)
そもそも、人間を転移させる魔術自体、かなり大掛かりなもののはずだ。
国でも数人くらいしかなれない、大魔導師と呼ばれる人でないと扱うことは難しいと聞く。
だというのに、限定的とはいえ五メートル離れただけで自動的に転移させられるなんて。
(なんてすてきな魔術!)
シュエットは好奇心の赴くままに、エリオットから五メートル離れてみた。
ダイニングにエリオットを置いたまま、玄関から外へ出て二階へ降りる。と、その途中でまるで水の中に落ちたみたいな浮遊感を感じた。
そして気付けば、エリオットの向かいに立っていた。
「すごい魔術ですね!」
きらきら、きらきら。
シュエットの目が、煌めく。
大好きなお菓子を前にした子どものように、シュエットは無邪気に笑う。
そんな彼女を目の当たりにして、エリオットは眩しそうに目を細めた。
今でこそフクロウ販売店の店主などしているが、シュエットは魔力さえあれば、魔導師になりたかったのだ。
医者からは、「十八歳までには、魔力が蓄積できるようになるでしょう」なんて言われていたから、ミグラテール学院では希望を持って、実技以外の全てに全力を注いでいた。
(約束の十八歳になっても魔力はゼロのままで、結局諦めたけれど……)
それでもやっぱり、すごい魔術を前にしたら気になってしまうわけで。
シュエットは、エリオットの嫁候補に選ばれたことなどすっかり頭から抜けてしまったように、未知の魔術にはしゃいだ。
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