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12 諦めたはずの初恋

 情けないことだが、エリオットは四年たった今でも、シュエットのことを忘れられないでいた。


 名前を忘れたなんて、本当はうそだ。

 店の看板を見なくたって、彼女の名前は頭に浮かんでいた。


(……嫁選びの書(モリフクロウ)は、わかっていたのだろうな)


 だから、彼女はここに──シュエット・ミリーレデルのもとにいるのだろう。


(禁書も彼女を選ぶ、か)


 なるほどな、と腑に落ちるものがある。

 だが同時に、心を見透かされているようで、悔しい。


(今思えば、あれは初恋だったのだろう)


 十七歳にして。遅ればせながら。


 シュエットが視界に入るようになったのは、彼女がエリオットの周囲をうろちょろするようになったからではない。

 エリオットが無意識に、彼女を探していたからだ。


 几帳面(きちょうめん)で、責任感が強くて、我慢強くて、真面目で、家族思い。

 自分とはまるで違うシュエットは、エリオットの目にはキラキラと輝いて見えた。 


 目が離せない。

 まさに、そんな感じだったのだろう。


 一度目は、諦めて逃げ帰った。

 二度目は──、


(今度こそ、うまくいくだろうか)


 不安に思ってモリフクロウを見つめると、「わかっているわよ」と言うように、ゆっくりしたまばたきを返される。

 そしてエリオットの背中を押すように、


「ホゥ、ホゥ、ホゥ!」


 と鳴いた。


 どうするの?

 モリフクロウが、尋ねるように首をかしげる。


 エリオットは目を閉じた。

 ゆっくりと深呼吸して、目を開ける。

 シュエットの深い青の目が、月明かりに煌めいているのが見えた。


 思わず、


(ほしい)


 とエリオットは手を伸ばす。


 今までずっと、諦めてきた。

 両親からの愛も。

 周囲からの承認も。

 友だちも。

 将来の夢も。


『だから、これくらいは良いじゃないか』


 そうささやいたのは、自分だったのか、それとも禁書だったのか。

 気付けばエリオットの口からは、魔術を発動させる言葉が漏れていた。


「ゆるす」


 ただ一言。

 エリオットが呟くと、モリフクロウの胸に魔法陣が浮かび上がる。


 魔法陣の中央には、王家の紋章。その周りを『愛の約束』という言葉を持つアイリスの花が囲む。

 エリオットの目と同じ深紅色をした光を放ちながら、魔法陣はエリオットと、シュエットの足元にも浮かび上がった。


「えっ、やだ、なに⁉︎」


 ベランダで、シュエットが慌てふためいている。


(ごめんね、シュエット。でも、キミだけは、諦めきれないみたいだ)


 泣き笑いのような顔で、エリオットはシュエットを見つめ続ける。


 足元の魔法陣から逃れるように、シュエットは足踏みしているが、そんなのは無駄だ。

 優秀な彼女ならそれくらいわかりそうなものなのに、いざと言う時は焦るらしい。


 エリオットは清々しい気持ちで、それを受け入れていた。

 だって、彼女と自分はゼロどころかマイナスからのスタートなのである。

 もう落ちるところまで落ちているから、これ以上心配することはなにもない。

 モリフクロウに後押ししてもらったおかげなのか、エリオットはやる気に満ちていた。



 ヴォラティル魔導書院の禁書が、禁書たるゆえん。

 それは、その強制力にある。

 膨大な魔力を有する王族でさえ抗えない強制力を持つからこそ、三冊の禁書は禁書なのだ。


 むかしむかし、リシュエル王国の王族は、魔術で嫁を選び、婚約し、婚姻していた。

 魔術師の国と呼ばれる、リシュエルらしい方法だ。


 選ばれた花嫁は、大変不名誉なことに『生贄の花嫁』と呼ばれている。

 それはむかしの王族が、人の身に余る魔力を保有していたせいで、花嫁が短命に終わるからだった。


 自分が早死にすると知っていて「はい、わかりました」と応じる娘は多くなかったし、娘が早死にすると知っていて、喜んで差し出す親もそう多くない。


 だから、公平に魔術で嫁を選び、選ばれた女性が逃げないように婚約し、婚姻まで持っていくのである。


 なんともひどい話だが、それも昔の話だ。

 今となっては、人の寿命に影響を及ぼすほどの魔力を保有する王族もいない。

 時代とともに『生贄の花嫁』は必要なくなった、というわけである。


嫁選びの書(モリフクロウ)】ができることは、三つ。

 対象の王族にふさわしい女性を見つけること。

 選ばれた女性がよそ見をしないように、王族と離れられないようにすること。

 そして、王族と女性が仲良くなるための試練を課すことである。


 一度かけられた魔術は、全ての試練をクリアするまで解けない。

 つまりシュエットは、モリフクロウに見初められた段階で、もう逃げ道なんてなかった。


 魔法陣から溢れ出た光は、エリオットとシュエットの手首に絡まると、グネグネと生き物のようにまとわりつく。

 まるで蛇が手首に絡むような感覚に、ゾワゾワと鳥肌が立った。

 シュエットも同じようで、ベランダから悲鳴が上がる。


「きゃああ!」


 ベランダで、シュエットが腕を振り回している。


(ああ、そんなに動いたら──)


 落ちてしまう。

 と思う前に、シュエットの体が傾ぐ。

 手すりに(もた)れた体はそのまま停止するかと思いきや、ズルリと頭から重力に従って落ちてきた。


 エリオットはとっさに風の魔術を発動させると、シュエットの体を浮かせる。

 ふわふわと空から落ちてくるように下ろした彼女を、エリオットは大事そうに抱えた。


 気絶しているのか、シュエットは苦悶(くもん)の表情を浮かべてまぶたを下ろしたまま。

 それでも、こんな間近で彼女を見たのは初めてのことで、エリオットはついまじまじと見入ってしまったのだった。


読んでくださり、ありがとうございます。


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