10 最悪な巡り合わせ①
エリオットは思わず、
「げ」
と声を漏らした。
彼は、信じられないような気持ちで、ベランダを見上げていた。
王立ミグラテール学院を卒業してから四年。
ずっと会うことがなかった、永遠に会う予定もなかった彼女がそこにいたからだ。
記憶よりも少し大人びた顔立ち。
以前はきつく結われていた女家庭教師みたいな髪型はもうやめたのか、柔らかそうな長い髪が春の夜風に揺れている。
服装は、相変わらずのようだ。制服とそう変わらないかっちりとしたデザインのものを、一分の隙もなく着込んでいる。
(名前は……なんだったか……)
ふと目の前にある店の看板を見れば、『ミリーレデルのフクロウ百貨店』と書かれている。
ああそうだ、とエリオットは思った。
(彼女の名前は、ミリーレデル。シュエット・ミリーレデルだった)
彼女はたいてい「せんせい」と呼ばれていたから、名前をすっかり忘れていた。
彼女のことをシュエットと呼ぶのは、よく一緒にいた女子二人くらいだったように思う。
エリオットが彼女を知ったのは、ミグラテール学院の五年生の時だった。
せっかく入った学校にもなじめず、ただ一人、時間を持て余していたあの時期。
彼女はエリオットの目の前を、通り過ぎていった。
指定された制服をきっちり着込んで。
赤みがかった茶色の髪を、三つ編みにして。
校則そのものが歩いているんじゃないかと思うくらい、彼女は規則通りの格好をして歩いていた。
(今時、あんな子がいるのか)
ミグラテール学院は、身分の差なく広く門戸を開いている。
王族が通う王立リシュエル学園がほぼ貴族だけなのに対し、ここに通う生徒のほとんどが下位の貴族か一般庶民だった。
そのため、校則はわりと緩めである。
特に制服に関してはゆるゆるで、スカートの丈をいじるだけならかわいいもので、原型を留めないくらい改造してしまう者も多々いた。
そんな中、大真面目に校則を全部守っている生徒は珍しい。
エリオットは彼女を一目見て、
(苦手だな)
と思った。
彼女は、似ているのだ。
エリオットが、ここへ逃げてきた元凶──兄のアルフォンスと。
どこにいたって、なにをしたって、出来の良い兄と比較された。
十二歳も離れているのだ。
アルフォンスにできて、エリオットに出来ないことなんてたくさんある。
歳の離れた弟を溺愛する兄は、エリオットに「おまえはおまえで良いんだよ」と言ってくれたけれど、周囲はそれを許さない。
「お兄様のときは──」
「あの方だったら──」
代わる代わるやってくる家庭教師たちは、いつもエリオットを見てため息を吐いた。
出来の良い兄に期待している両親は、エリオットに期待も興味も抱かなかった。
──無関心。
それが一番、適当な言葉だろう。
でも、それも仕方がないことなのだ。
だってエリオットは、義務で生まれてきた子どもだから。
兄のように、愛し愛されて、望まれて生まれてきた子どもじゃない。
必要だったから。
ただ、それだけだ。
リシュエル王国の王族には、最低でも二人以上の子をつくる義務がある。
一人目は世継ぎとして。二人目はヴォラティル魔導書院の院長にするためだ。
ヴォラティル魔導書院には、莫大な魔力が必要とされる。
魔導書院を守る魔法陣、それから魔導書を鳥の姿に変えておく魔術。それら全てをたった一人で背負えるのは、王族しかいなかった。
アルフォンスが生まれてから十二年。
ヴォラティル魔導書院の院長が、後継者を求めて騒ぎ出した。
だから両親は、十二年もたってから、思い出したようにエリオットをつくったのだ。
エリオットがそう言うと、優しい兄は決まって「それは違うよ、エリオット」と悲しく笑っていた。
けれど、エリオットはその通りなのだろうと思っている。
だって彼は、両親とろくに会話もしたことがないのだ。
王宮の中で、兄だけが味方だった。
だけど、その兄の存在が、いつからかエリオットを苦しめるようになったのだ。
兄と同じように出来ない自分が嫌だった。
どうにもできないことがわかってくると、今度は兄のせいだと思うようになった。
(兄上が、なんでも完璧に出来てしまうからいけないんだ)
少しくらい、不得手なことがあれば、エリオットはそれを頑張ろうと思えたのに。
残念ながら、アルフォンスは超人とも思える努力の人で、なんでもかんでも地道にコツコツ解決してしまったのである。
おかげで、学校に入学する十三歳になった時には、エリオットはすっかりやさぐれていた。
兄と比較されることを厭って、彼が通った学校ではなく王立ミグラテール学院に入学したのは、少しでも兄から離れたかったからだ。
兄と離れて、自分という人を見てもらいたかった。
だが、兄の偉業はここでも知れていて、教師たちはエリオットに過分な期待を寄せてきた。
偉大な兄のような人になるのだろうと期待して、かつての家庭教師たちのように勝手に失望される。
その上、身分を隠しているせいで教師たちに特別扱いされるエリオットが面白くない同級生たちは、彼を倦厭した。
それが五年目ともなれば、もう挽回しようという気にもなれない。
居心地の悪い教室を抜け出して、中庭で惰眠をむさぼるのがエリオットの日課だった。
そんな時だったのだ。
エリオットがシュエットを見かけたのは。
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