最高の、バッドエンド
ラビィはずっと、あえてサイズの合わないぶかぶかの制服を着ていた。ネルラに操られていた際の隷従の印をごまかすためということもあったが、自分のあんまりにも細すぎる服が恥ずかしくて、なるべく誰にも見られたくもなくて、サイズの合わない服を情けない姿で引きずっていた。
けれどもあんまりにもストレスなくまったりとした生活をしていたものだから、きつい箇所はきついし、逆に長過ぎる箇所は気になるようになってしまった。作り直した制服は驚くほど彼女にぴったりで、自分でもお気に入りだ。それから、鏡を見た。
「……よし!」
「なにがよしですか。可愛らしくしているのは私ですよ」
しゃかしゃかと慣れた手付きで櫛で髪をとかすマリに、「まあそうね、ありがとう」と礼を言うと、「当たり前のことをしているだけです」 ツンケンしているメイドだが、案外、彼女たちは悪い相性ではないようだった。
***
慣れた学院までの道のりだ。過去にはぜえはあ命を削りながら訪れた場所だが、今ではもうなんてこともない。正門をくぐり抜け、並木道を歩いていると、ときおり周囲から視線を感じた。よくも悪くも噂になりやすい身だから、とラビィは気にしないようにしていたが、実際のところ、それだけではないことを彼女は知らない。
ふと、見覚えのある姿が目に見えた。目立つ彼らだ。見間違えるはずもなかった。
「サイ様、レオン」
珍しい組み合わせだ。彼らはラビィに気づいた。「お久しぶりですね」 声が聞こえる距離に近づくと、なぜだかレオンは驚いたような顔をした。けれどもすぐにいつもの腑抜けた顔つきで、やあやあ、と軽く片手を振った。サイも礼儀正しくぺこりと頭を下げてくれる。
「おふたりとも、何をしていらっしゃるんですか?」
「俺? 俺はお嬢様を待っていたんだよぉ」
「私ですか?」
「そうそう。そしたら彼が絡んできてさあ。男二人でたまんないよ」
「……そちらがあまりにも不審だからだ」
いや俺はお嬢様を待ってるって言っただけじゃんかよう、それが不審だと言っているんだと互いに平行線で喧々言っている姿を見て、まあ見たとおり相性のよくない二人なのだな、としか思えない。真面目と不真面目の組み合わせである。
「そうだ、それでだお嬢様、ちょっとくらい時間はあるかい?」
「え、ええ。授業までまだ間はありますし」
「それならよかった、最近、店に来てくれないからさ」
何がよかったのか、レオンは手持ちの皮袋にごそごそと片手をつっこんだ。ネルラとの確執を終えた今となっては、あまり店に行く用事もなかったため、彼と顔を合わせることがなかった。見当もつかないが、何か用事でもあったのだろうかとラビィは首を傾げて、レオンの手元に目を落とした。
「これなんだけど。お嬢様にプレゼントしようと思ってさ」
出てきたのは可愛らしい首飾りと髪留めだ。驚いて、ラビィはわずかに息を飲んだ。それはひどく、“覚えのある”ものだったから。
「これ、大切なものだったんだろ?」
それは初めてレオンの店に訪れたときに、ラビィが売り渡したものだ。二束三文、とまでの金額ではないが、安くはない値段と引き換えにレオンに渡したはずだ。小さな彼女の手のひらの中に、ゆっくりとレオンは二つの品を渡した。
それは幼い子供に贈るようなデザインで、今のラビィにはあまり似合いはしない品だ。それでも、初めて両親からもらった大切な飾りだったから、ネルラに操られていたときも、ときおり箱の中から出して、その星のような可愛らしい輝きを眺めて胸の中を癒やしていた。
ネルラから逃亡するためにレオンの店から得たお金は、今もラビィの手元にある。一部は使ってしまったものもあるが、大半はそのままだ。売り払った宝石たちを、買い戻すことも考えたが、渡したものを、やっぱり返して欲しい、だなんてなんだか意地の悪い話だと諦めていたのだ。
久しぶりの手の中の輝きを、うっとりとラビィは見つめた。けれどもすぐさま顔を上げて首を振った。
「これは、レオン様にお渡ししたものです。受け取れません」
彼からもらう理由がない。
そう主張するラビィに、「いやいや」とレオンは肩をすくめた。「そこは受け取って欲しいなぁ。俺からのお祝いだもの。お嬢様は、でっかいことをやり遂げたんだろう? これくらいもらっても、ばちは当たらないよ」 あとは面白いものを見せてくれたお礼かな、とにひりと笑う彼であったが、「それならせめて、お金をお支払いします!」 さすがにただでは受け取れない。
「いらないったら。さすがに他の宝石までは無理だけど。それは本当に大切にしてたんでしょ? 俺は触ればわかる。そういう魔力だからねぇ」
この宝石を鑑定する際に、レオンはこつりと指のさきで石を弾いた。彼は土の魔力を持っている。誰よりも土の声を聞くことを得意としていて、土の中に長く埋もれた石達を相手にするなど、それこそレオンの独壇場だ。
「俺は多分、お嬢様でも、ネルラという聖女でも、どちらの味方にもなっただろうねぇ。ほら、カメレオンだから。でも、素直な気持ちには素直に返すし、そうじゃなければ反対だ。でも、できれば気持ちのいい終わり方になった方が、俺だって気分がいい」
レオンのルートでは、彼は最終的にはネルラを商人として影から支えた。
だというのに、あの中庭でのネルラとの対決で、数多くの人々を引き入れてくれたのは彼だった。フォクスの説得があったからだろうが、実際のところ、『なんだそれは面白い! 任せてくれよ!』の一言で飛び出してしまったらしい。
「だからこれは、ただの礼だよ。あとはほら、上客になってくれそうな客は、逃しはしないからさぁ。フェル様ともども、俺のお得意様になってよ」
「……フェルも、というと?」
ここまで言ったあとに、レオンはしまった、とでも言いたげにわざとらしく額を打った。そういえば、彼の店に初めて訪れたとき、ヒースフェン家はお得意さんだと言っていた。そのときは、てっきり父と母なものだと思っていたけれど、違ったらしい。「もしかして。あなた、フェルの……!!」 さすがにこれ以上は隠している彼の趣味に関わることだ。人気がある場で叫ぶわけにはいかなかった。不思議に思っていたのだ。刺繍やらと手芸を趣味にするフェルが、一体どこで布やら、糸やらを調達しているのかと。
レオンは気づいたラビィにしたり顔をした。サイは首を傾げているが、ラビィとレオン、互いが通じた瞬間であった。
「ラビィ様。今度はフェル様と一緒においで。ちょっとくらいならサービスするよ」
そう言ってカメレオンの男はとても楽しげに笑った。
意外なところで、意外な人たちがつながっている。サイとフォクスもそうだった。人生、案外そんなものなのかもしれない。
***
ありがとうございます、と改めて頭を下げた彼女に、さすがにそのまま渡すことは躊躇われたから、飾りはヒースフェン家の屋敷に送ることを約束した。
学舎の中に消えてしまったラビィの背中を見ながら「それにしても」 レオンはやっとこさ口をつぐんでいた本音が飛び出てしまった。「ほんとに、随分可愛くなったもんだねぇ。詐欺みたいなもんだ」 環境が人を変えるってことかなあ、とさきほどまでラビィとレオンの会話を、むっつりと口をつぐんでいたサイに投げかけた。
サイは腕を組みながらも難しい顔をして、ラビィが去った方角を見つめている。「騎士様騎士様、きいてます?」「ん、ああ、ん?」 まったくもって聞いていなかったらしい。まあいいか、とレオンはため息をついて繰り返した。
「ラビィ様だよ。以前よりも可愛らしくなったって話」
ラビィが通り過ぎる度に、彼女と知らない人間までもがふと振り向く。不思議な光景だった。
「――――どこがだ?」
なので間髪入れずに答えられたサイの言葉には面食らった。「ど、どこが? いや見たらわかるでしょ。全然違うよぅ!」「ラビィ様はラビィ様だ。確かに多少健康的になったとは思うが」「多少! あの変化を多少と済ます!?」 頭の中は大丈夫かな!? と失礼極まりない言葉を叫ぶ彼はさておき。
サイにとってのラビィは、いくら見かけが変わろうとも、ラビィには違いない。もちろん彼女の変化には気づいてはいるが、“可愛くなった”という言葉には同意しかねる。「……それはそうと、ラビィ様はそちらの店に、直接訪れていたのか……?」 探るつもりではないが、彼らの会話をきいて、疑問を感じてはいた。家に商人を呼ぶのであるならともかく、その反対となるとあまり聞かない話だ。
「ああ、まあねぇ。俺もそれほど深くきいたわけじゃないけど、お嬢様のそのときの現状を考えると、目的については想像がつくよね」
「……なるほど。そのために手元の宝石を売ったのか」
ネルラからの逃亡資金というわけだろう。サイは小さくため息をついた。そしてふいに思い至った。
「それは、俺でも買い戻すことができるのか?」
高い背でレオンを見下ろし、じっと彼を見つめた。レオンはぱちぱちと幾度か瞬きを繰り返した。それから、「もちろん。まったく問題ないけど、今から? 安くはないよ。お手元のほどは大丈夫?」「……すぐに、というわけにはいかないが」 うぐりとサイが顔を歪めた。確かに彼の家に金はあるが、彼のものというわけではない。それを使うことは躊躇われたからだ。けれどもそんな彼の顔を見て、レオンはひどく面白げな気分になった。
「それじゃあ、売却済みってことで倉庫の奥の方にしまっとこうかなぁ。騎士様、期待してますよぅ。いつかお嬢様を驚かせてやってね。ハミリオン商店は、上客は逃さないからさ」
***
実のところを言うと、サイは焦ってはいた。そんなそぶりを、ラビィに知られるわけにはいかず、心の奥底に閉じ込めておいたのだが、心底彼は焦っていた。
彼女の監視役はとっくの昔に解任されて、自由な時間が増えた。けれどもそれはラビィとの関わりを少なくするだけで、気がつけば少女と言葉を交わす機会すらもなくなってしまった。
すれ違えば会釈はする。少しばかりの会話はするがそれだけだ。彼が学院から卒業すれば、それすらもなくなってしまう。だからサイがラビィを学舎裏に呼び出したのは、仕方のないことだった。
以前なら中庭で二人きりであったものを、ネルラとの騒動から、中庭はとても縁起のいい場所として生徒の憩いの場になってしまった。両手を合わせて願いを呟けば、それが叶うのだそうだ。すっかり小さな伝説を作り出した彼女であったが、今現在、サイの前で小さくなって震えていた。ラビィからしてみれば、唐突に呼び出された用件は想像もつかない。一体なにがとびくびくと少年を見上げている。
「唐突に、お呼びだてをしてしまいすみません」
「い、いえ! サイ様でしたら、私はいつでも構いませんが」
小さな喜びを噛み締めている場合ではない。
「実は少しばかり、ラビィ様にお伝えしたいことが」
こくりとラビィは首を傾げた。ぱちぱちと可愛らしく瞬きを繰り返している。その瞳を見つめていると、どうにも胸が熱くなって、言うべきはずのことさえわからなくなってくる。「その、ラビィ様」「はい?」「その、いえ、あの、……フォクスが」 なぜあの男の名前がでてきたのか。サイは自身の心の脆弱さに唇を噛み締めた。「フォクス?」 ラビィがやはりきょとりと瞬いたが、出した言葉が元に戻るわけではない。
「久しい名前ですね。彼は……その、お元気で」
「え、ええ。すっかり体がなまっているようでしたので、しごきにしごきを入れられ、ヒースフェン家の方がよかったと嘆いていますが」
「いえいえ、そこは返品させていただきます」
ラビィからすれば、フォクスは様々なことの世話になった男であったが、別れはあっさりとしたものだった。『お嬢様のことはすっげー怖かったけど、まあぼちぼち楽しかったよ! そいじゃバイナラ!』と二本指で挨拶をしてすたこら去っていく姿を見て、よくぞまあ、最後までクビにならずに勤め上げることができたものだな、と感心した。あれで二十歳を越えているのだ。正直心配する。
とまあ、口ではなんともいいつつも、ラビィは彼との思い出を考えて、くすりと笑った。本当に、たくさんのことがあった。
サイはそんな彼女を見下ろし、ひどく指先が震えた。彼女の周囲では、驚くほどの速さで様々な環境が変わり始めていた。だからこそ、彼は焦っているのだ。「さっ……」 とは言っても、彼女を壁に押し付けたのは、正直自分でもやりすぎかとも思ったのだが。「サイ、さま……?」
片手を壁につけたまま、サイは彼女を見下ろした。「ラビィ様」 言わねば、という気持ちと、言いたいという気持ちと、二つがぐちゃぐちゃに混じり合っていた。
「俺は」
――――ラビィ様だよ。以前よりも可愛らしくなったって話
サイはレオンの言葉が、心底不思議だった。以前よりも、というその言葉が。
「俺は、あなたをお慕いしております」
サイからしてみれば、ラビィはもともと、魅力的な少女なのに。
***
(い、今、私は何を言われたの……?)
少しばかり伝えたいことがある、と言われて呼び出されたのは人気もない学舎の裏だ。普通なら用心して断るに決まっているけれども、相手がサイなら別だ。多少の不思議はあれど、なんの警戒もなく、ラビィはのこのことやって来た。それがまさか壁ドンをされて見下されている。なんでこんなことに。
(いや問題は、そこじゃなくて)
お慕いしている、と確かに彼はそう言った。
サイがおかしな冗談を言う少年でないことは知っているし、聞き間違いには他の言葉を思い浮かばない。それよりも、それよりも。(壁ドンを、されてる……!?) びっくりしすぎて二度考えた。
これじゃあまるでサイのルートと同じだ。ラビィは以前、この体躯でされる壁ドンには恐怖しか感じない。そう思ったのに事実は違った。覆いかぶさる彼の影があまりに近くてまっすぐに前を向くこともできない。心臓が痛い。
「さ、サイ様、バルド様の護衛に行かなくても、いいのですか……!!?」
そんなことを言いたいわけじゃないのに、関係のない言葉を吐き出していた。そんなラビィに、冷静にサイは返事をした。
「バルド様は、少しずつナルスホル家とは距離をとるお考えです。俺としては、彼の手助けをしたいと考えてはいますが、断られてしまいましたから」
ナルスホル家は王家の影だ。次期国王となる皇子に忠誠を誓う。フェルを次の王位にと考えるバルドにとって、避けては通れない道なのだろう。だからこの間もバルドと一緒ではなかったのね、と頭の端で考えつつも、そんなことは本当にどうでもいい。
羞恥なのか、喜びなのか疑いなのか、わけもわからない感情で、ラビィは体を小さくさせ、サイから視線を逸らした。ラビィからすれば、余裕しか感じられない彼の態度だが、サイ自身も、ひどく暴れ狂った感情を必死に抑えつけての現状である。落ち着いて見られる少年だが、彼だって、ラビィとの年の差はたった二つの少年なのだ。
「お、お慕いって、一体、本当に」
聞き間違い、思い違いの可能性を考えて、改めて呟いてみた。「はい」 そこで短く耳元で囁かれたものだから、ラビィは小さな悲鳴をあげた。とても近い。「ね、ネルラは!」 今できることと言えば、とにかく疑問を叫び続けることぐらいしかできない。なのに、「ネルラ?」 その名前に眉を顰めたのはサイの方だ。
「そうです、ネルラです! 以前、とても気になっているとおっしゃっていたじゃないですか!」
今となっては、サイがネルラのことを好いているとは、まさか考えはしないものの、そのときはしっかりサイはそう返事をしたはずだ。それをきいて、ラビィは正直なところ、がっくりしたことを覚えてはいる。ラビィの言葉に、ああ、とサイは返事をした。
「気になるといいますが、正直、初めてバルド様を通して彼女と会ったときから、きな臭く感じていましたので、そのことかと」
初めて、ネルラと会ったときから。つまりは、ラビィとはなんの関係もない、そのときから。
「えっ。だって、それじゃ」
――――俺はお前のそばに居続ける。必ず
ゲームでの彼は、ネルラにそう言っていた。つまり、これは。
俺は(お前が怪しいから皇子を守るために)お前のそばに居続け(て、監視をす)る。必ず(尻尾を掴んで見せる)。の略。
「こ、言葉足らずか!!!?」
思わず叫んだラビィは許していただきたい。ちなみにびくりとサイも震えた。
――――サイのストーリーはボリュームが一番少なく、物語の後半に集中している。イケメンだし、性格も悪くない。なのに足りないものは出番だけという、不遇キャラだ。
ついでに言うと、ゲームの彼は今よりも感情の起伏が少なく、一見すると自身の魔法と同じく、氷のような男に見えるが現実は違う。朗らかで優しい男の人だ。
(つまり、サイは、ゲーム本編でもネルラに惚れてはいなかった……?)
妙に、肩の力が抜けていく感覚がした。ほっとした、と言えばいいのか、拍子抜けのような気持ちなのか。なぜだか涙まで滲んできた。でも、それでもサイが自分を好きだという気持ちが、ラビィとしてはまったく理解ができない。彼はずっとラビィを手助けしてくれた。ラビィが彼を慕うのであるならばともかく、彼がというとおかしな話だ。嬉しさよりも、困惑が勝ってしまう。
「わ、私はサイ様に、情けない姿ばかりを見せてきました。ですから、その」
わからない、という言葉を端的に伝えた。そんなラビィに、サイは苦笑した。「以前に、お伝えしたかと思いますが」 バルドがネルラと共にヒースフェン家にやって来たとき、サイがかばってくれた。そんな彼がわからなくて、怖くて仕方がなかったときのことだ。
「俺は、あなたの努力を、見ないふりをすることができないと伝えた」
サイは、ラビィにたくさんの勇気をくれた。前に進む力をくれた。
「それと同じだ。あのときは、あなたの味方になることはできないとお伝えしたが、俺は、あなたの側に立ちたい。共にありたい。あなたさえよければ、俺と婚約して欲しい。君を通さず、ヒースフェン家に伝えることもできたが、君の意思を無視することは嫌だったんだ」
婚約となれば家同士の話となる。本人たちの意思は、それほど重要視されないことも多い。ラビィは公爵家の家柄で、サイはそれよりも身分は低いが、彼はナルスホル家の人間だ。その血筋は公爵家に引けを取らない。すでにバルドとの婚約も破棄されているため、彼さえ望めばなんの問題もなく縁談は進むだろう。それでも。
「わ、私は魔力が、他の貴族の方よりもほとんどありません……!!」
すでにサイは知っていることだが、その事実は彼女が隷従の紋章を人々に見せつけることで、周知の事実となった。「魔力は掛け合わせるものです。あなたの魔力と、私の魔力はあまりにも違いすぎる」
生まれてくる子供が高い魔力を持つのか、それともその反対か、誰にもわからない。ただ少なくとも、低くはない確率で、サイよりも魔力の低い子供が生まれることだろう。それは貴族として恥ずべきことだ。「そんなこと」 サイは少しばかり苦笑した。「正直、この国は魔力というものに振り回されすぎている。低い魔力を持つことは、そんなに恐ろしいことだろうか?」
――――恐ろしい、ことだ。
ラビィからしてみれば、恐ろしいこと。もしかすると、また新たな聖女が生まれる可能性があるし、初代の聖女の防壁があり、この国は他国からの侵略に脅かされたことはないとは言え、いつの日かそれが破られ、戦いとなる日が来るかもしれない。そのときは、武器もなにも発達していないこの国では魔力が頼りとなり、その力を持たなければ、いつかは押しつぶされてしまうかもしれない。
「だからせめて俺たちだけでも、おかしな業に囚われずに、生きてくことは難しいだろうか」
人よりも力がないラビィだからこそ、そう感じる。それでも、彼女の中のもう一つの記憶が囁くこともある。人が武器を持っているからといって、自身もそれを携えれば終わりはない。けれども、それを一番に終わらせるものは、きっとひどく恐ろしい。
もしかすると、バルドが求める先の未来には、そんなものも含まれているのかもしれない。誰もが理解ができない、魔力という争いのない理想郷だ。「……すまない」 ラビィの表情から、サイは全てを悟った。そうして謝った。「すまない、ただの言い訳だ」 綺麗な言葉を並べようとした。そうして、自身の汚い胸の内を、隠してしまおうと思ったのだ。
「君は、これから様々な人と関わって、多くの変化があるだろう。そうなる前に、俺は君と、どうにかなってしまいたいんだ」
苦しげな顔つきだった。「俺は、君が許可をくれなきゃ、手だって触れることができない。だから、率直な君の感情を聞きたい。俺のことは、嫌いだろうか」 卑怯な問いかけだった。言える言葉は一つきりなのに、ずるくてたまらなかった。「す、好きに、きまっています……!!」 そんなの当たり前なのに。
サイが監視から消えてからというもの、寂しくてたまらなかった。だから今日、この場に来てほしいと言われたときは、飛んで跳ねて喜んだ。でもそんな顔を見せることが恥ずかしくて、必死にラビィは我慢をした。ラビィの言葉をきいて、サイは心底嬉しげに笑った。それから真っ赤な顔をするラビィを見て、たまらなくなった。
だからひとつ、キスをした。
「さ、サイさま!!」
「すまない」
「手も触ることができないと言ったばかりなのに!」
「本当にすまない」
短く、一瞬だけだったが、あまりにも驚いた。「抑えがきかなかった」 サイはあまりにも謝り方が適当で、淡々としていた。「だからもう一度、抑えがきかないかもしれない」 今度はもっと長かった。幾度も繰り返して、すっかり息も苦しくなって、それでもでてきた涙は嬉しさからだ。大きすぎる体に抱きついたまま、ラビィは泣いた。あんまりにも幸せだった。
これからも、ラビィの人生には様々な困難がのしかかるだろう。魔力が低すぎるというその体は、多くの偏見と戦い続けることになる。けれども少なくとも、その隣には灰色の髪と目を持つ一人の男性がいたし、たくさんの家族にも恵まれた。人は死に歩き続ける。ラビィにとってそれが処刑台という、あまりにもわかりやすい場所であったけれど、誰しもがそのことに間違いはないのだ。
塔の中で、悲痛に叫び続ける女もいる。失った記憶は、一体どこにあるのだろうと不思議に空を見上げた赤髪の、細目の男性もいた。
つまり、誰しもが死というバッドエンドに向かって生きている。けれどもその過程は様々だ。
そして、もうひとり。
仰向けに倒れていた。体の自由もきかなかった。少しずつ、彼女の中の様々なものが消えていく。片手を上げた。なのにそれすらもわからなくて、あまりの恐怖に、彼女は聞こえもしない悲鳴をあげた。少しずつ、自分という“人”が消えていく。
自身が望んだはずのことだった。怖かった。たまらなく辛かった。嗚咽ばかりが溢れた。逃げ出したかった。片手には、すっかりヒビの入ったオレンジ色の宝珠を握りしめている。その感覚さえも、すでにない。
ここに来るまでに、彼との思い出の場所に、ひっそりと手紙を残した。万一の可能性があるからだ。その万一がないように、これ以上不幸が生まれないようにと、積み重ねたつもりだが、念の為だ。あの手紙が、誰の目にも届かぬことを彼女は祈った。
涙ばかりがこぼれて、わけがわからなかった。ひいひいと、少女は恐怖に顔を歪めた。自分で決めたはずのことなのに、往生際も悪く、彼女はただ叫んで、怖くて、気づけばぐしゃぐしゃになっていた。
自分が消えてしまうということは、こんなにも恐ろしいのか。知らなかった。理解もできていなかった。
それでも。
聖女という存在が、この国から消えてくれるのなら。
(あの人が、自由になるのなら)
「とても、幸せなことね……」
小さく呟かれた言葉は、誰にも聞こえないけれど。
どうか、最高のバッドエンドをあなたに。
あまりにも力がなさすぎる主人公であったため、たくさんのご心配をおかけ致しましたが、ラビィとともに、とうとう最後まで駆け抜けることができました。ありがとうございます!
彼女は本編にて、自分には何の才能もない、と言ってはいましたが、彼女の努力は立派な才能であると、私個人としては感じています。
また、コメント、ブックマーク、評価、レビュー、とっても嬉しいです、ありがとうございます! 次作への糧とさせていただきます。
こちらまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!!
【追記】
Kラノベブックスf様より書籍化しました。
本編すべてを一冊に収録しておりますので、よければこちらもどうぞよろしくお願いいたします!




