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図書室の鳥2


ラビィが思わず初めに行ったことは、周囲を警戒することだった。ネルラがいるはずがないとわかってはいるものの、体と心は別で、すでに習慣のようなものである。


ネルラがいないとなると、今度はサイだ。彼はバルドの護衛なのだから、いてもおかしくはない。残念ながら、目に映る範囲には彼の姿はなく、それについてため息が出てしまったことには自分で呆れた。羽休めをしてくれ、と言ったのはラビィのくせに、いざとなるとがっかりする。ああいやだ! と自分の胸元を掴んで、吐き捨てるように息をした。


「……ラビィ? 入り口に立ったままで、どうしたんだい?」

「ああ、失礼致しました。バルド様のお近くですのに、サイ様がいらっしゃらないことが不思議で」

「確かにそうだね。彼には少し休暇も必要かと思ったんだ」

「……そうでしたか」


バルドもラビィと同じようなことを告げたというわけらしい。とは言え、皇子がふらふらと一人きりで大丈夫なのだろうか、と不安になったが、彼自身も立派な魔力の使い手だ。下手な刺客であるなら、すぐさま返り討ちになるだろうが、それでも万一ということはある。「まあ、代わりの人間は、近くに何人かはいるけどね」 やはりか、と頷いたものの、ラビィ程度にはわからないようにきっちりと気配を消しているらしい。


いつまでも立っていないで中に入ったらどうだい、というバルドの言葉に押されるようにラビィは図書室に足を踏み入れた。正直、気持ちとしてはすぐさま帰って中庭に消えてしまいたいのだが、それではあまりにもあからさまだ。ただの気分転換として来たものの、やって来たからにはせめて何らかの意味を成したい。


ラビィはそう考えて、聖女の関連本に手を延ばすと、バルドも目的は同じだったらしい。彼の長い指先が、見覚えのある背表紙に向かって行く。それから引っ張り出された本を見て、「あっ」とラビィは慌てて片手を伸ばした。それは、見ず知らずの人間の、恋文が入っていた本だ。「あっ、あー……」 どこの誰だか知らないが、一国の皇子に、学院の図書室を逢瀬の場にしていたと知られるとはなんとも運の悪い、と思わず顔に手を当てた。


バルドは特に気にすることなく、本棚のすぐ側に立ちながら、ぴらぴらとページをめくっていく。心が広いのか、鈍感なのかは知らないが、手紙の主の代わりにびくびくしているラビィに対して、「どうかした?」と首を傾げる始末だ。


「い、いえ、なんでも。と、言いますか、バルド様も一体どうしてここへ? それこそ、お城には立派な図書室があるでしょう」


ラビィの疑問も無理はない。学院の図書室と言えど、彼の住まいに比べれば小さなものだ。それこそ彼が手に持っている、聖女の関連本など腐るほどある。まだネルラからの束縛も僅かであった頃、ラビィはバルドに連れられて、ひっそりと城に忍び込んだことがある。そのとき城で見つけた本で、禁忌の魔法と束縛の印を知ることになったのだが、あのときの絶望は忘れられない。


「……ああ、そうだね。城の本はもう大半読んでしまったから。でももしかすると、ここならまだ僕が知らない何かを見つけることができるんじゃないかと思ったんだけど」

「聖女に関して、ですか?」

「うん。そうだよ」


ネルラはまだ、聖女として扱われてはいない。その前から、彼女の相手役であるバルドが聖女について興味を持っているとは知らなかった。バルドはひとしきり本棚を見つめて、小さなため息をついた。彼が求めるものは、ここにはなかったのだろう。


大きな窓からこぼれた明かりの中で、金の髪をきらめかせながらうなだれる様は、まるで一羽の鳥のようだ。どちらかと言うと白い肌も相まって、文字通り、彼はおとぎ話の王子様だ。もちろん今となっては彼の容姿を見てもその程度の感想しか出ないが、こんな状況、以前ならドギマギして、会話すらもままならなかったかもしれない。


「僕は、聖女というものを知りたいんだ」


ぼんやり考え事をしていたものだから、ふと呟かれたバルドの言葉をきいて、「はい?」と少し素っ頓狂な声が出てしまった。ラビィは慌てて口元を押さえた。彼の見えない護衛にも聞かれてしまったと思うと少し恥ずかしいが、咳をついて誤魔化してみた。


「せ、聖女について、ですか?」

「うん。そうだよ」


いや、もう普段から近くにいらっしゃるけど、と言えるわけもなく、バルドの言葉を待った。

この先のゲームの展開を、彼はまだ知るわけもないからだ。


「この国は、何百年も昔にいた聖女の力で守られている。代々王家は聖女の宝珠を守り続けてきた。だから、僕もいつかは宝珠を持つことになるだろう。けどね、どの本を読んでも、誰の話をきいても、その聖女という人間がどういった人物だったのか、まったくわからないんだ」


宝珠、と言うのは聖女が魔力を込めた石のことだろう。ハリネズのオープニング画面にも、タイトルロゴの端できらきらと輝くオレンジの宝石があった。バルドルートのエンディング付近では、彼の戴冠式がある。その中には、皇子が石を受け取るスチルもあったが、主人公であるネルラは遠くから彼を見つめていただけだから、実際の手元はプレイヤーにも見えない。ただ、バルドが驚いたような顔をしていたことは覚えている。


その記憶が、一体何に繋がるかラビィにもわからない。まあ、こんなシーンがあったな、という程度だ。



「聖女に関する記載は、あまりにも不自然なんだ。まるで意図的に消し去って、僕たちはその残りかすを眺めているだけなような、そんな感覚さえする」


そうしてぼんやりしている間にバルドは言葉を続けていた。慌ててラビィは顔を上げた。「聖女について、知りたい」 絞り出すような声だった。「なぜこんなにも、胸の内が求めるのかわからない。でも、ずっと、幼い頃からその思いが溢れて、止まらなくて、自分でもわけがわからないんだ」 いつも口元には笑みを貼り付けて、こちらに内を覗かせようともしない少年だった。その彼が、ほんの一瞬、ひどく崩れた顔を見せた。


もしかすると聖女とその力を知ることで、よりよき国を作ることができるかもしれない、と告げながらも、年相応の恋い焦がれる少年の顔をするバルドを見て、ラビィは考えた。本当に、本当に。



(死ぬほど、どうでもいいわ……? 帰ってもいいかしら?)


自身でも驚くほどバルドに興味がないことを、この場ではっきりと理解した。

いや別に彼が嫌いなわけではないが、恋する乙女な表情でそんなことを言われても反応に困る。しかし彼からしてみれば死活問題なのだろう。バルドは心の底から聖女を求めている。この物語は、ネルラが主人公なのだ。彼女を中心とするように、物語は進むようになっている。そう考えると、嫌になるばかりだ。




すっかりラビィは欠伸を噛み殺して、本棚に入っている本を数えて時間を潰すことに必死になってしまった。「ごめん、つまらない話だったよね」と苦笑するバルドに、「いいえ、そんなまさか!」 にんまり、と笑った。ニヤリ、となっていないところを見てみると、最近ちょっとは笑顔がマシになっているのかもしれない。


それはそうと、そろそろ皇子のお相手から逃げてもいい頃だろう、とそそくさ後ずさろうとすると、バルドはじっとラビィを見つめた。「な、なにか……?」 実はこっそり何度か欠伸をしてしまったことがバレていたのだろうか。



「……まだ体調がよくないと聞いていたけれど、そうでもないみたいだね」

「えっ。い、いえ! そんな、たまたま今日は、気分がいいんですけれど、普段はもう、本当に、大変で!」


焦ってぜほぜほ、とわざとらしい咳をしたあとに、体調がよくないと聞いたって、一体誰に? と首を傾げた。考えるまでもない、サイだ。確かにラビィは、以前の茶会を断る文句として体調不良を伝えたが、先程のセリフがそのときのものではないことは、彼の口ぶりで理解できる。サイが、ラビィの体調を偽って皇子に報告をし続けてくれていたのだ。


ふと、目頭が熱くなりそうだった。こんなにも知らないところで、ラビィは彼に支えられている。


「そう。交流戦も近いし、気をつけてね。ラビィは応援席側だろうけど、あそこは妙に熱気に当てられるし」

「ええ、そうですわね。でも、もしかすると欠席させていただくかもしれません。ご参加されるバルド様や皆様には申し訳がないのですが……」

「無理をするよりはいいと思うよ」


ちなみに交流戦とは、中等部は高等部の胸を借りて、高等部はより練度の高い魔法やら剣技やらを見せつける、力自慢大会のことである。ちなみにゲーム内では、必ずバルドが優勝する。ネルラがイベントに忙しい日のため、ラビィとしては絶好の換金日よりだ。もちろん休ませていただく気満々である。





こうして、ラビィにとって妙に気を遣った一日になってしまった。皇子がほいほいと出歩かないで欲しい、というため息はさておき、お楽しみの深夜の徘徊タイムである。にこにこるんるん、おなかいっぱい、と幸せに歩いている最中、再度フェルとぶつかったときは、正直イヤすぎる運命を感じた。この間出会った場所はあえて避けてやったというのに、彼も同じことを考えていたらしい。別の部屋へ隠れ家を変えたのが運の尽きだ。互いに尻を抱えて震えながらも、フェルはいち早く立ち上がった。そうして逃げた。


彼が足元に落とした細い銀の針を持ち上げて、「あらまあ」とラビィは呆れ声を出した。ハンカチの中にそっと包んで、どうしたものかと困ってしまった。



そうして、交流戦までの日にちが近づいてきた。フェルは中等部の代表として、腰元には剣を携えている。試合場に向かう馬車の中では、相変わらず気まずく二人で向き合った。ちなみにラビィは今から腹痛を訴え逃げ去る予定なのだが、ふと見た弟の顔色がひどく悪いことに気がついた。土気色で、少年の指先は震えているようで、緊張にしては妙におかしい。



まるで、少し前のラビィのような陰鬱な空気だ。

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