見極める色
相変わらずのサイの視線を感じながらも、ラビィは日々競歩に明け暮れた。時間の隙間を見つける度に、中庭に飛び込み、池の水をぴちゃぴちゃと遊ばせる。教室から行ったりきたり、きたり行ったり。繰り返すエンドレスぴちゃぴちゃ。
「あ、水草が……」
へばりついた。
正直ここまでくるとこれはこれで危ないやつなような気がするし、気持ちの上でも飽きてくる。日に何度も同じ場所を目的とするのも辛いものがある。
ラビィは手についた水草を投げ捨てながら、ついでに迷いも放り投げた。ここで諦めてどうする。ラビィが唯一持っているものと言えば、根性の言葉一つだ。求めるものは筋肉だった。
それ以上に、サイもよくラビィについてくるものだ、と感心する。狂ったように池を求めてさまよう女の後ろを日々黙々とくっついてくる。気の毒な。あちらはあちらで皇子の命令なのだから、仕方のない話だろうが。もともと隠す気もないらしく、今現在も、鋭い眼光をガンガンとラビィにぶつけている。
それが当たり前の日常になったとき、ラビィは自身の手足を確認した。少しばかり歩いた程度で息切れをしていた、虚弱さはすでにない。相変わらずの陰鬱な空気は漂っているものの、こればかりはあえて、と言ったところである。口数を少なくさせて虚ろな瞳もお手の物だ。サイという監視役、もといガード役がいるため、そうそうネルラがこちらに関わることはないだろうが、念の為だ。決行の日は近い。
職務遂行というプライドのため、ぷりぷり怒りながらも、毎日丹念にラビィの髪をといているマリに、暦をきいた。頭の中で、記憶と間違いがないことを確認し、あと数日だと頷いた。
そうして小綺麗にしすぎたところで、下手にネルラの目に留まっても困ってしまう、と適度に髪をぐしゃぐしゃにした瞬間、再度部屋にやってきたマリがラビィを見つめ、静かに頭の血管が切れる音が聞こえたのだが、それはさておき。
「はあ……っ!!」
緊張のあまり、思いっきり息を吐き出した。調達したローブで服と顔を隠して、人混みの中を歩いていく。街の中は大人と子供に溢れていた。これだけの人は、ラビィとしての記憶にはないことで、万一過去の記憶がなければ、動けなくなってしまっていたところだ。
ぎゅうぎゅう詰めに押されて、弾かれて、逃げてを繰り返して、目的地を目指した。今日しかなかった。そうして、こうして屋敷から抜け出し、歩くことができる体力がついたことも幸いだった。
記憶にあるゲームの中のマップ画面と、周囲を見比べた。たどり着くことができるか不安だった。事前に調べることもできなかったからだ。立派な店の門構えを見上げて、ひどく顔が歪んだ。悲しみでもなんでもなく、安堵したのだ。幾度か呼吸を繰り返して、落ち着けて、ラビィは口元を引き締めた。ローブの中の胸元には、交渉に必要なものを抱きしめている。扉をあけると、涼やかな鐘の音が響いた。
「へい、らっしゃい」
聞き覚えのある声だと思ったのは、ゲームの画面向こうで、何度も聞いた声だからだ。(……なんて、運がいい) このときばかりは、神様と名のつくものに祈ったかもしれない。
深い緑の、くせっ毛の少年だった。年齢はラビィと同じ16歳。ぴろぴろと細い髪のしっぽを赤いリボンで束ねていて、口元はにこやかだ。そのくせ、瞳はどこまでも真っ黒で、何を考えているのかもわからない。
「今日みたいな日に、客が来るなんて珍しいねぇ」
特徴のある、語尾を延ばす癖は、ゲームの中でも、こちらでも変わらないらしい。
「ええ、まあ、もしかすると、花祭りの最中の方が、お店も空いているんじゃないかと思いまして」
「ああ、そういうこと。その通りだよ。まあ、俺はその反対に、客が来ないものだと思って、サボってやろうと考えていたところだけど」
とかなんとか言いながらも、客が来るにこしたことはないねぇ、とにかり落とされた人好きのする笑みに、思わず流されてしまいそうになった。初対面でも、誰でも打ち解けることができる。そんな警戒感をなくすような顔つきだが、ラビィは彼のことを知っている。
彼の名前はレオン・ハミリオン。カメレオンがイメージの、通称、何にでも染まることができる男。
――――大商人の息子であり、この物語、『ハリネズ』の、最後の攻略者でもある。