池の前に座る
今考えてみると、情けない反応をしてしまったものだ、と思う。
自身の姿を思い出して、恥ずかしさやら、困惑やら、いろいろな気持ちが混じり合って、一人で頭を抱えてしまいたくなった。自分でも、わかっていたことではないか。以前のラビィならともかく、今は自身のこの姿を、誇りにさえ思っていたはずなのに。
もちろん、健康的になりたいとは常々と考えている。けれども影で鶏ガラ令嬢と言われようとも、何も恥じることはない。そう思って、気にもとめていなかった。……はずなのに。
池に映る自身の顔を見つめて、ラビィは僅かにため息を落とした。痩けた頬に息をふくませて、必死で膨らませてみせる。そうしたあとで、何をやっているんだか、とぺちりと白髪の頭を叩いた。
きっと、想定外のことだったのだ。
いくら影で言われようとも、堂々と、正面切って、その上、ラビィと年も近い少年からの純粋な感想だ。心にくるものがあるというものである。
その上、あのときは状況が状況だった。正直死んだかと思った。気持ちも丸裸にされて、混乱していたからこその反応だ。だから仕方がない。サイの鍛えた体と比べてしまえば、こちらは見事な骨である。だから気にしていない、と思うのに。
ぴちゃぴちゃと池の水を片手で遊びながら、ぐさぐさと背中に突き刺さる視線を意識した。サイがいる。
冗談ではなく、サイがいる。いつもどこからか見つめている。そのでかい体を隠すこともなく、十数メートルほど背後から、じっとラビィを見つめている。やばすぎ。皇子の護衛じゃなかったのか。
はじめは気の所為かと思ったものの、目立つ巨体と尖すぎる視線に数日刺されてみれば、間違いなく彼はラビィを監視していた。なんでなんだ。こうしてサイからの監視を受け、色々と考えた結果、休み時間の目的地はここ、中庭にと変えてしまったわけである。さすがのラビィであるが、意識をしての奇行ならともかく、ただやばいやつだと思われたいわけではない。目的もなく階段をあがって、さがってを繰り返し続ける令嬢など、別の案件が飛び出てきてしまう程度には怖すぎである。
せめて行く先が中庭であるのなら、いっときの安息を求めての行動だと考えてくれるのではないか、と思案したのだ。ちなみにこの場所は、ゲーム内でラビィがネルラの教科書をぶちまけたと思わしき場所である。池と言うわりには広く、森の端に続いている。時折魚が跳ねる音まで聞こえた。
ネルラに陥れられたあのとき、バルドは場を改めるべきだと言っていたものの、特に誰からか呼び出されることもなかった。もともとネルラ一人の証言だ。聖女であるのならばともかく、ただの男爵家令嬢に、なんの発言権もあるはずもない。ならば、なあなあに流してしまおう、というバルドらしい発想だ。昔は気づかなかったが、バルドは優しいかわりに優柔不断で、誰も傷つかない道を選びたがる傾向にある。
だからこそ彼は様々な理由があったとは言え、狂ったラビィを婚約者としても扱ってきたのだ。
過去を思い出して、ついでとばかりにぴちゃぴちゃと池の水で遊んでいる度に、考えが冴えてくる。ティーカップ一杯程度の魔力であるラビィだが、彼女の魔力の本質は水だ。触っていると、心が落ち着いてくる。
(だからこその、サイ……というわけなの?)
現状で、ラビィを断罪することはできないし、できることならしたくもない。ただ愛しい人の主張をないがしろにするわけにもいかない。だから監視という名目で、彼をラビィのもとに送り込んだ。そう考えると、納得できる。ならばラビィにとって、好都合だ。
トレーニングが好き勝手にできないことは痛いが、ラビィにとって、一番恐ろしいものはネルラだ。サイがこちらにしっかりと目を向けていてくれれば、やすやすとネルラがラビィに接触することもできない。使えないおもちゃをなりふり構わず処分しようという女だ。今後、彼女との会話すべてが恐ろしい。ラビィさえ死んでしまえば、彼女はまた新しいおもちゃを得ることができる、とネルラは考えているかもしれない。隷従の魔法は、一度につき、一人までしか使えない。
(けれども、ネルラは、私に死ねと言えば、すむ話なはず……)
あんな回りくどい断罪を行う必要など、どこにもないのだ。その上、性急にことをすすめようとして、失敗した。どうにもネルラには、別の目的があるような気がする。理解ができない、ということが一番恐ろしい。
相変わらず背後からは殺気立った視線が、めらめらと燃え上がっている。すでにネルラに虜にされたあとなのかも知らないが、振り返って、互いに視線を合わせてみると、目付きの悪い顔つきが、更に悪くなる男である。ちなみにラビィも目つきの悪さは負けてはいない。互いに見つめ合うはずが、ただのにらみ合いになるわけもわからない状況である中、響いた鐘の音に、慌ててラビィは立ち上がった。授業が始まってしまう。
立ち上がって、駆けようとして、自身の体力を思い出して、慌てて歩いて、その上すっ転んだ。地面に大の字で転がった。サイはハッとして、ラビィのもとに駆けつけようとした。しかしながら、すぐさま自身の立場を思い出したらしく、慌ててその動きを止めた。ラビィも、彼のそのさまには気づいていた。
ゆっくりと立ち上がり、互いに距離をじりじりと保ちつつ、学舎に向かう。もう少し速く動かなければ間に合わない、わかってはいる。はらはらとサイはラビィを見守った。そんなサイの緊張すらもこちらに伝わる。そう言えば、ゲームでは、見かけばかりは迫力があるものの、サイは常識人枠の人間だった。
互いに絶妙すぎる距離感だった。サイは決して味方ではないものの、ラビィを陥れる人間ではない。彼という人物像を、原作で知っているからこその安堵はあるものの、今となっては原作の展開など関係ない。少しでも早く、この場から逃げ出さなければいけない。
――――けれども、一人で今後生きていくにも地盤が足りない。