Rem:18 それぞれの道 ―桜のころ―4
久しぶりに本当の我が家のインターホンを鳴らすと、母が出迎えてくれた。
「七輝ちゃんに光くん、いらっしゃーい」
母は、二人分のスリッパを玄関マットの上に並べた。
「ごめんなさいね。卒業式にせっかく誘ってくれたのに」
「母さ……、おばさん。具合はいいんですか?」
慎はスリッパを履きながら聞いた。蒼の言い方だと、あんまり芳しくないような感じを受けたのだが。
やせ我慢しているようにはとても見えない。
「蒼くんが、朝心配してたんですよ」
「ああ。もういいの」
居間まで歩きながら、母は元気よく答えた。
「朝はだるくて気分悪くて、とても起き上がれなかったんだけど。今はさっぱりよ。貧血だったんじゃないかしらね」
「そうですか」
それなら安心だ。慎は家に上がり、母がお茶を用意している間に仏間に入った。
初めてではないものの、自分で自分に線香をあげるのは何度やっても変な気分だ。
そんな時は手を合わせながら、七輝に祈りを捧げる。
閉じていた目の向こう側で、優しく笑う七輝に話しかけた。
「今日が卒業式だったんだよ。君のいる空からも、見えてたかな?」
目を開けると、光がこちらを見ていた
「行こうか」
「……ん」
慎は光について、居間へ移動した。
「どうぞ」
目の前に緑茶が二つ並べられる。
「ありがとうございます」
それぞれにお礼を述べ、最後に母が自分の席にお茶を置いて二人と向かい合った。慎は封筒を母に差し出す。
「これ、お借りしていた写真です」
「わざわざありがとうね。慎は幸せ者だったのね。こんなお友達と恋人に恵まれて」
母は少し涙ぐんだ。
「慎がいなくなってからかしら。それとも、歳のせいかしらね?最近やけに涙脆いの」
「いいことだと思いますよ。感情が素直に出せるのは」
光が言った。
「そう言ってもらえると助かるわね」
落ちた母の涙を、慎がティッシュで拭う。
「ごめんなさいね」
慎の手からティッシュを受け取り、自分で目元と鼻を拭くと、母は深呼吸をして落ち着きを取り戻した。
「ところで、七輝ちゃんはどこの学校に行くの?光くんはこの間、お母様に会って推薦で大学に行くって伺ったわ」
「はい。大学でも、サッカーをやります」
「プロになりたいの?」
「できれば」
「何を言ってるんだよ。光なら絶対なれるから、自信を持てって」
慎は、光の肩を叩いた。
「自分は、進学はしません」
「働くの?」
「はい。県外なんで、初めて親元を離れて暮らします」
「そうなの。七輝ちゃんのご両親も寂しがるわね」
「……泣かれました。でも最後は自分の気持ちを優先してくれました」
「そうね。何にでも挑戦するといいわ。まだ若いし、恐れることはないもの」
母は微笑んだ。
「わざわざ言わなくても、あなたたちは身を持ってわかっているとは思うけど……。悔いの残らないように生きてね。いつどこで、何があるかわからないから」
「はい」
慎と光は、声を揃えて返事をした。
その時玄関で靴の音、その後足音がこちらに近付いて居間のドアが開いた。
時刻はいつの間にか、四時半を回っていた。
「ただいまー」
「お帰りなさい、蒼」
母の後に、慎と光が声をかける。
「お帰り」
「お疲れっ!」
たくさんの出迎えに、蒼は少し驚いたようだった。
「早かったのね」
「今日は先生たちの会議で、授業時間が全部四十五分だったから」
蒼は答えながら慎たちの前に来ると、頭を軽く下げた。
「卒業おめでとうございます。朝言いそびれたから」
「ありがとう」
「サンキュー!」
昔の蒼ならきっと、恥ずかしい気持ちが勝って挨拶などしなかっただろう。
頼りなかった弟は、成長していた。兄がいなくなることで色々考えることもあり、しっかりとする自覚を持ったのだろう。
(頑張ったな、蒼)
慎は心の中で、蒼を褒めてやった。
「じゃあ、そろそろ帰ります」
慎が言って光と立ち上がり、母も見送りのために腰を浮かせた。
「そう?二人とも、時間が空いたらまた来てちょうだいね」
「はい」
頷きながらドアを開け廊下に出たら、
『慎、光、卒業おめでとう!』
と、七輝の声が聞こえた。
それから一ヶ月間は地元に留まったものの、引っ越しや日用品などの準備に追われ、あまりゆっくりは出来なかった。
全ての用意が終わり、大好きで思い出のある町を離れる当日、慎は親友と弟、母、七輝の家族に見送られて去った。
【学生編 終了】




