Rem:3 雨と祖父と白い背中2
自宅から歩いて五分くらいの距離にある七輝の家。既に救急車が止まっていて、赤い光が近所を照らしていた。
近隣の住人が何事かと家から出て来て、救急車を見つめている。
玄関の前に救急隊員が立っていて、父親の話を聞きながらバインダーに何か書き込んでいる。
慎は開いたままの門をくぐり、話し中の父親に軽く会釈だけをし、七輝の家に入った。
開け放された居間から、激しく咳込む声が聞こえる。
「七輝!」
慎が姿を見せたら、彼女の母親が顔を上げた。
「慎くん!こっちよ」
こちら側からでは救急隊員とソファの背が邪魔になり、様子がよく分からない。
慎は呼ばれるままに、ソファの正面に移動した。
細切れに浅い息遣いと、間を置くことなく何度も繰り返される咳。苦しさからか、上気した顔は赤い。
「なっちゃん、お水」
母の手から差し出された水を拒み、七輝は首を振った。まだ意識はあるらしい。
「……こっ、まっ……、とは?」
「慎くんは居るわ。来てくれたわよ」
「七輝。おれだ。分かるか?」
「………」
潤んだ目が慎を捉える。七輝は慎に答えようと口を開くが、代わりに激しく咳込んだ。
布団から出ていた手を両手でつかめば、燃えるような熱が伝わる。
眩暈がする。慎は鼓動が激しく胸打つのを感じた。
慎の祖父は、喘息で亡くなった。
家族の留守にしていたその時に発作は起こり、朦朧とする意識の中、助けを呼ぶ電話をかけた。
いつの頃だったか、とても幼い自分がたまたま電話を取った。
「はあい、瀬谷です」
初め、受話器の向こうは無言だった。
「もしもーし?」
再度声をかけても答えない。しかしよく聞いたら、獣の息遣いのような隙間風のような妙な音がするのに気がついた。
どうしていいか分からずにそのままにしていると、電話の主はようやく慎に答えた。
『まご、……ど、まごど!』
呪いのようにしわがれた声は大きく、背筋が凍ったように硬直する。
慎は怖くて、受話器を取り落として大声で泣いた。
何事かと両親が駆け付け、父が落ちた電話を取った。
「もしもし?どちら様……」
不審そうに電話を拾った父も、何か相手の様子が妙なことに気がついたらしい。
受話器から離れたこちらにも分かるほど、連続した大きな咳が聞こえた。
「父さんかっ?」
その後のやり取りは、記憶に朧げだ。
でも先に救急車の手配をして、母や赤ん坊だった蒼と一緒に車で祖父の家に駆け付けたのは覚えている。
車で三十分以上かかる道程を、飛ばせるだけ飛ばした。
慎たちよりも救急車の到着が早かった。
玄関が閉まっていたために、居間に回ると倒れた祖父が庭から見えた。その窓ガラスを破り、救急隊員が中に入った。
わずかに遅れた慎たちが救急措置を受ける祖父を見たときには、意識が既に無かった。
彼が横たわる部屋には、喉に絡んだ啖をとるための丸まったティッシュが、部屋に散らばっていた。その後一度気道確保はできたものの、すぐに病院に運ばれたにも関わらず、祖父はそのまま他界してしまったのだ。