Rem:2 日常2
「……ったく。だから投げ返せって言っただろ」
朝練の終了後、光が着替え終わるのを待ち、たくさんの生徒と一緒に校内に入る。
靴を履き替える光の額は少し赤い。先ほどボールと一緒に跳んで行ったのは七輝の靴だった。
「ごめーん。だって、できると思ったんだもん」
「素人が簡単に思い通りに飛ばせるほど、単純なスポーツじゃないの。テクニックが必要なんだよ」
「ちぇー」
七輝は唇を尖らせた。
「なにが『ちぇ』だ。だいたいスカート履いたままでボールを蹴り上げるなんて、本当に女か?」
「あっ!ひどーい!」
そう言いながら、光は七輝が風邪を引いているのにも気づいている。
だから、テスト前で教科書のたくさん詰まった七輝の鞄を持ってやっていた。
誰に対しても、さりげなく気遣いができる。慎は光のそういう面に敬意を払っている。
もちろん登校中に慎も鞄を持ってやろうかと思い、七輝に言ったが『大丈夫』だと断られていた。
七輝は光の申し出も断ったが、彼は
「病人が無理してんじゃねえよ。悪化したら、俺らに気遣いが足りなかったって、白い目で見られるだろー」
と、彼女の手からあっさり鞄を取り上げてしまったのだ。
相手が遠慮しなくても済むように、きちんと理由をつけて。必要であれば少し強引で。
慎は相手の意志を尊重するタイプだから、そこまで強く踏み込むことはない。
「まこっさん、まこっさん?俺らの話に、ちゃんとついて来てますかー?」
黙って二人についていくだけだった慎の顔の前を、覗き込むように光が手を振る。
「ちゃんと聞いてるよ」
「慎は聞いていないようでそうじゃないような、そうなような感じなのっ」
「わっかんね!それって結局はどっちなんだよ」
「都合のいいところだけ、聞けるってことよ」
「お、そりゃ言えてるな!」
「だから聞いてるって……。光も七輝も好き放題に言うなよ」
やっと慎が自分から会話に口を挟んだら、光と七輝が声を立てて笑い出す。それを見て慎もつられて笑ってしまった。
教室に着いて七輝に鞄を返し、まず光がドアを開けると同時に明るく挨拶をする。
「はよーっす!」
それを聞き、既に賑わっていた男子からたくさんの『おはよう』が帰ってくる。
慎も続いて入って、普通に『おはよう』と言うと、光に背中を叩かれる。
「まこ、朝から元気のない挨拶をするんじゃねえ!」
「痛いって……」
そのやり取りを見て、クラスメイトがどっと笑い出す。
慎や光が席に着く頃には、七輝は仲良しグループの輪に入っていた。
「おはよう」
「おはよー。何、七輝。その鼻声は風邪?」
「うん。ちょっとね」
「大丈夫?」
「平気だよ。熱もないしねっ」
「そうなんだ。ところでさ……」
話題が別の道に反れ始め、七輝は鞄を置いて友達と教室を後にする。
その頃には、光も慎も鞄の整理をほぼ終えてしまっていた。
「諏訪本光!」
「なんだよ」
まだ登校していない光の隣の開いた椅子へどかっと腰を下ろしたのは、バスケットボール部のクラスメイトだ。
「お前んとこのサッカー部、試験休みはいつからよ?」
「試験始まってから終わるまでだな。今回は中間だろ?大会も近いし、テスト休みなんてないない」
「おっ、奇遇だな。こっちもだぜ。ってことは勉強は……」
光は腕組みをして足を組む。
「俺様を誰と心得る。そんなもん、するわけねえだろ」
「さっすが!それでこそ仲間だ」
「当然よ」
(威張ることか?)
慎が苦笑まじりに頬杖をつき、窓の外に視線を移したその瞬間、幼なじみは見逃さなかった。
いきなり後ろから首に腕を掛けられ、引っ張られる。
「うぐっ?」
「こら、まこ。テメー、今ため息ついたろうが!」
「ちょっ!ひか、る。苦しい、……って」
抗議をすると、光は腕の位置を肩に変えた。
「バカにしただろ」
「してないから!」
「怒らないから、本当のことを言ってごらん?」
光が慎の顔を掴み、後ろを向かせる。
「まこっさんは、試験勉強をしてるのかな?」
「……してるよ」
「うわっ!真面目なこと言った!」
「光と違っておれは何も部活をしてないから、自力で進学しなくちゃいけないの。良い点取れるかどうかはともかく、試験前くらいは勉強をします」
「それにしてもムカツクー」
「何だよ。勉強を投げ出してるのは光の都合だろ」
「言ったなっ!」
光がシャツの襟を掴んでくる。
「八つ当たりするなっ!光は何だかんだ言いながら、赤点を取ったことないじゃないか。こっちは必死なんだぞ」
慎が言い終わるか終わらないうちに、高い悲鳴が聞こえる。
二人が声のした廊下を向くと、数名の女子生徒が走り去って行くところだった。驚いた光の手の力が緩む。
「何だ何だ?俺、何か悪いことした?」
「さあ?」
光の問いに首を傾げ、しばらく存在を忘れていたクラスメイトが口を挟む。
「あれ、漫画・広報研究会の連中だよ」
「知ってるのか?」
「知ってるっつーか。あいつら、お前らの恋愛物語を描いているらしいよ」
「は?俺は、彼女とかいないけど?」
光の言葉に、相手がぷっと吹き出す。
「違う違う。お二人さんが恋人っていう設定で。アブノーマルだよ」
「……あ?」
「だから、お前とお前がラブでだな」
彼は人差し指を慎と光に向けて、もう一度言った。
「噂に寄れば、かなりやらしくて激しーいのまであるらしいぜ」
唖然として光が慎を放す。慎は額に手をあてて呻いた。
「うげ……」
「しょうがねえんじゃねーの。だって普段は一歩引いて人と接してるくせに、瀬谷ってば諏訪本と絡む時だけ極端に口数が増えるだろ?」
「おまっ!それを知ってて、何で今まで黙ってたんだよ?」
光は机を叩く。
「面白そうだからだよ」
「くあーっ!俺はノーマルだ――!」
光が両手を天井に向けて叫び、状況を見守っていたクラスは再びどっと笑い出す。
いつの間にか戻って来ていた七輝も、仲間と一緒に笑っている。
自分達が漫画の材料にされているのは恥ずかしかったけど、七輝の笑顔を見つめているだけで、慎は心が幸せで満たされていくのを感じた。