Rem:10 連絡網作戦
疲れているのだろうか。実際、今朝倒れてから目が覚めるまでの時間もほんの数時間しかなかった。
(保健室で寝させてもらおうかな)
校内は休憩時間なだけあって、騒がしい。
生徒の弾む声の中、保健室に行こうと階段を降りていたときだった。廊下を歩いていた女子生徒が、誰かに呼び止められた。
「ひろ!」
彼女が足を止めて振り返ると、女友達が駆け寄ってきた。
「昨日、LINIしたのに返事ないんだから」
「あ、ごめん。携帯変えたからアカウント新しくなってて。友達リストに新しいアカウントでてない?」
「えーっ!そんなのないから」
「おかしいなあ。じゃあ、また交換しよ」
「うん。教えてよ」
二人は、階段の踊場の隅に寄って、こそこそとポケットから携帯電話を取り出す。
学校に携帯を持って来るのは校則違反だから、先生に見つからないようにという配慮だろう。
(明らかに怪しいし、まるわかりだけど……)
苦笑しつつ、二つの背中とすれ違った瞬間。
『慎も……。よく、アドレスを交換してたよね』
「!」
声のした方を見上げると、階段の上に七輝がいた。
裸足で、ゆっくり階段を降りてくる。
『けっこうしょっちゅう。あ、でも交換とは違うかな。一方的にメアドを渡してただけだから』
他人に対して無頓着な慎にしては、おかしな――、いや。だからこそと言うべきか。
確かに七輝が言うように、頻繁にアドレスを聞かれていた。しかも、女の子から。
「瀬谷くーん」
甘えたような、媚びたような声で呼ばれるときは、だいたいメールアドレスを聞かれる。
理由はいくつかあったが、一番多かったのは……。
「瀬谷くんの前の連絡網、私なの。だから、教えて」
「分かった」
そう言われれば、素直に連絡先を教えていた。
勉強などは別にして、元々、あまり物事を深く突き詰めて考えることはなかったから。
『連絡網を回す担当の子が、慎にだけ専門に何人もいたのかしら?他のクラスの子も混じって』
(……言われてみれば、確かに)
『本当はね、私は嫌だった』
拗ねたような声で、七輝は言った。
『それが他の子からのアプローチだなんて、全然気付かなくてほいほい教えちゃうし。どれだけ鈍いんだって感じ』
裸足の足は、慎の少し前で止まる。そしてその場でしゃがみ、ワンピースの裾が階段に広がった。
『ムッとする時はあったけど、でも言わないの。慎は知らないメールアドレスに返信しないし、私がそこまで縛り付けたら、きっと窮屈になっちゃう』
自分のアドレスを明け渡すことはあっても、相手の子の情報は登録したことはない。
だから、向こうからメールが来ても返しはしない。
メールに例え『○○だけど』と名乗ってあっても、誰だか分からないので同じことだ。
でも何も考えずに明け渡して来たメールアドレスが七輝を悩ませているなんて、考えてもみなかった。
『私はマイペースな慎が大好きだし、信じてるから。籠に閉じ込めたりはしないの』
(そんなことくらい、言ってくれたって良かったのに)
慎は、女子生徒を眺める七輝を見つめた。
何でもはっきり意見を言うと思っていた彼女も、自分を想って健気に隠しておいた気持ちがあったのだ。
それに、密かに妬きもちを妬いていた事実も、たまらなく愛しい。
「七輝」
その場に座って、七輝に手を伸ばす。今度は握手だって出来る距離にあって、彼女に簡単に手が届いた。
それなのに、手は触れることなく貫通してしまい、七輝の姿ははかなく消えてしまった。




