Rem:5 母さん3
すぐに家に着き、幸い玄関の鍵は開いたままだった。
中に飛び込み、靴を脱ぐのももどかしく投げ捨てる。
家の中は不気味なくらい静まり返り、ただ居間の方から男の話す声だけが聞こえた。
恐らく父だろう。電話で誰かと話しているに違いない。
そこには入らず、慎は仏壇のある座敷の戸をそっと開けた。
何か黒いものが少し動いている。それが母の背中だとすぐに気が付く。
黒い仏壇の前には、木で作られた長い箱があった。
母はその上に突っ伏して、静かに泣いているようだった。
(棺、か……)
改めて、自分が死んでいることを思い知らされる。
(母さんの背中は、あんなに小さかったっけ?)
家の中で当たり前に何度も見ていた母の背は、いつの間にかものすごく縮んで見えた。
一人で泣いているのは、誰にも見られたくないからだろう。
いつでも明るかった母は、こう見えて結構強気。
家族の前で涙を見せることを嫌がる人だった。いつだったか母方の祖母から、
『あの子はお嫁に出る前は泣き虫でね。小さなことに傷ついては、しょっちゅう泣いて帰って来ていたよ』
なんて話をされても、いまいち信じられなかったものだ。子どもが出来ると女は強くなる。そういうことだろうか。
しかしその母が泣いている姿を見て、慎の胸は絞られたように痛んだ。
ゆっくりと母の背後に近づき、膝をついてその肩に額をくっつけた。
「母さん」
彼女の肩が驚きに揺れる。
「おれだよ。だから泣かないで」
「まこ?」
ゆっくりと母が振り返り、慎も顔を上げた。
「……七輝ちゃん」
「違うよ。おれは」
母は手早く涙を拭ってしまい、こちらに向かい合う形に姿勢を変え、微笑んだ。
「びっくりしたわ。言い方が慎にそっくりなんだもの」
「いや、あの……」
「優しい子」
母は手を伸ばし、慎を抱きしめた。
「貴女だって辛いでしょうに。私を心配して、慎みたいな言い方をしてくれたのね」
小さな子どもにするように頭を撫でられ、慎は黙ってしまった。
「大丈夫よ。慎のいない穴は埋められないし、きっと何年経っても淋しいけれど、蒼がいるから立ち直れるわ」
「もし、一人っ子だったら?」
「そうね。死んじゃうかも」
ズキリ。胸が痛む。微笑みは絶やさずに母は言ったが、悲しかった。
その表情は今まで見た中で一番悲しく、はかなく美しかった。
『慎』はここにいるのだと伝えられたら、こんな顔をさせなくても済んだのだろうか。
でも起きたら自分以外の身体にいたなんて、そんなドラマみたいな話、どうやって説明できよう。
「こんなことを言ったら、きっとまこが怒るわね。だから生きるわ」
温かい両手がそっと慎の頬を包む。
「七輝ちゃんも生きてね。幸せになって。どんな姿になっても、あの子は私の息子で貴女の彼よ」
母は慎が思っていたよりも、ずっと強かった。
蒼だって、もう大事なものを守れるくらいには成長している。
時間をかけて、時にはふと慎を思い出して、家族は前に進んでいくのだろう。
離ればなれになったわけではない。
(例え七輝の姿で、その中にいるのが慎だと気が付かれなくても、家族を見守っていこう)
そう思ったとき、引き戸の向こうから声がした。
「気が済んだか?」
開けたら、光が廊下の壁に背中をついて待っていた。
「いつからいたの」
「結構前からだな」
光はこちらに来ると、母に向かって会釈をした。
「すみません。何か急に断りも無しに上がっちゃったみたいで」
それを聞いて、慎は頬を膨らませる。
「光だって同じじゃないか」
「残念ながら、俺はちゃんと蒼坊に許可をとりました」
「坊って言うな!」
同じく廊下にいたらしい蒼が、抗議をする。




