第5章 テロリズムの行方
久しぶりの休日。
剛田は愛車のNSXに乗り、高速に乗って毛利市を目指していた。
その後ろを、杏が運転して九条が助手席に乗り、ひたすら爆走しているNSXを追いかける2000GT。
毛利市に入る前に2台はSAに寄りガソリンスタンドで給油し、3人は車から出て缶コーヒーを飲んでいた。マイクロヒューマノイド用の缶コーヒーは実は苦いのだが、杏も九条も気にしていない。
一気に缶コーヒーを飲み干した剛田が杏と九条を交互に見る。
「五十嵐、九条。相談があるんだが」
「なあに?」
「剛田さんから相談とか聞くと身震いしますね」
「なに、そんな大それたことじゃない」
剛田は2人から視線を逸らし、太陽が眩しく感じられる青空を見上げた。
「朝鮮国での美春さんの住居をそのままにしようか悩んでいる。記憶が戻っても、九条家では朝鮮国に美春さんを旅立たせることはないだろう?九条、そう思わないか」
「そうですね、もう朝鮮行きは許さないでしょう。今は仕事もしていないし、毛利市で暮らせというはずです」
「そうなるとな、向こうの住居がある必要性も感じられない」
非常に効率的な考え方であり、朝鮮国に出入りするのが段々難しくなっている現実を思えば致し方ない。
だが、杏は敢えて反対の立場を採った。
「最終的に記憶が戻ってこちらで暮らすにしても、向こうの家には大事な大事な失くせない記憶が詰まっているんでしょう?記憶が戻ったら居場所がなくなってしまわない?」
「こちらで暮らすとしてもか?」
「そう、自分で日本に戻るという決断が必要だと思うの。美春さんならもしかしたら1人で生きられるとは思うけど、この頃何かと物騒だしさ、日本で暮らした方がいいって勧めるのは剛田さんの役目じゃない?」
九条が杏を驚きの眼差しをもって見つめる。
「チーフは仕事中とっても合理的なのに、オフになるとセンチメンタルなところもあるんですね」
「九条、寝技で落とされたい?」
「いえ、褒めてるだけですから」
「住居だけは残しておいて、最終的には全てを思い出した美春さんが決断すべきだと思う。あたしたちが守りながらこっちで暮らす方がいいんじゃないかな」
「伊達市で、ということですか?」
「そうよ、九条。実家とはいえ何かと不便ではあるでしょうから。あたしと同居してもいいじゃない」
「うーん、そこを九条の家が許すかどうかの問題がありますけど」
ひとしきり悩んだ剛田はまだ答えが出せないようで、とにかく毛利市に行き様子を見てきたいというばかりだった。
付いていく車の中で九条は杏に色々と質問してくる。ときに運転の邪魔になることも承知の上で。
「剛田さんは、もしかしたら叔母を愛してるのかな」
「どうかな、でもあたしたちが済州島に隠れた時、いの一番に頼ったのは美春さんだし、美春さんも旦那さん亡き後剛田さんに頼りながら生きてきたのも本当みたいよ」
「僕は無償の愛を感じるんです、剛田さんの姿勢に」
そういえば、剛田に女性の陰が見えたこともなければ、そんな素振りは一切見せたとこがないが、こと美春のことになると我を失う傾向が見られるのは確かだ。
だからこの間のように警察関係者であるにもかかわらず拉致されたりするのかもしれない。あれはどうみたって怪しい手紙だったのに、まんまと騙されるという失態もやらかしてしまった。
どうやら、剛田が我を忘れて美春に尽くしてしまうことだけは確かな事実といえるだろう。
爆走しながら毛利市に入り九条の実家の近くに着くと、剛田は少し手前で車を停めた。杏もその後ろで車をストップさせる。
「ここで待っていてください」
九条が助手席から勢いよく飛び出して家の中に走っていき、また杏と剛田は10分程待たされた。
美春が1人になることの無いよう、いつも警護のSPが張り付いていたから一人にするよう頼みに行ったのだろう。
上機嫌で家の門から出てきた九条は、剛田と杏に告げた。
「叔母の古くからの友人とそのお嬢さんということで家に入れることになりました。さ、どうぞ」
剛田は美春にとって、古くからの友人、には違いない。
ただ、美春の家出を手伝った人物とは誰も想像しなかっただろうが。
九条は真実などおくびにも出さず、ただの古い友人ということで押し切ったらしい。
「そうか、有難い」
剛田は少し緊張の面持ちで車から出て、九条の後ろに立った。
「大丈夫なの?」
車から出ながら杏が問うても堂々としている九条。
「古くから見知った顔ではあるし、何より、杏さんの顔だけは覚えていますからね、この場合、何かと都合がいい」
「九条さんって、いつもしれっと嘘つくよね」
「失敬な。叔母のためですし、他に嘘なんてついてませんよ」
広い住居の中、長い廊下を静かに歩く九条。その後をやはり音も立てずに歩く剛田と杏。
美春がいる部屋のドアを開けて中を覗くと、少し痩せてしまった女性が後ろを向いて座っていた。
誰かが来た、と気付いた女性が微笑みを湛えてゆっくりとこちらを振り返る。
美春だった。
九条が古くからの友人とその娘だというと、美春は杏を見て喜んだが、剛田を見てもその瞳に光が戻ることはなかった。
毛利市内での拉致誘拐未遂事件以来、初めて美春に会った剛田だったが、剛田や夫の逢坂さえも思い出せず魂の鼓動が感じられない美春に対し、少し涙を浮かべながらも剛田は気丈に接していた。
九条は、自分と杏が10分程席を外すことを剛田と美春に伝えると、杏の手を掴んで廊下に出た。
家の中を案内しながら、九条はこれからどうしようか思案中だと杏に告げた。
家の者は、ずっと家にいれば昔を思い出すだろうと言って聞かないが、自分はそうは思わない。美春は外に出て様々な体験をすべきなのではないかと。
杏も九条の言葉に賛成の意を示した。
拉致のリスクは消えないものの、家にいたからとて全てを思い出すわけではないだろう、美春が経験してきたことを美春自身にもう一度体験させることが重要だと思う、と。
一方、広い部屋の中で、剛田と美春は2人きりになった。
誰もいなくなったところで、美春は剛田に対し一礼すると、渡したいものがあると言って近く置いてあったバッグを引き寄せた。
美春が自分のバッグの中の奥深いところに仕舞っていた一枚の写真。
それは、剛田と美春と本木が一緒に移った昔の写真だった。
逢坂の顔ではなく、本木の顔。本木と美春が結婚する前、交際していた頃の写真だと思われた。
美春は写真に写る剛田を指さし、優しげな表情で笑った。
「若い時からお変わりないお顔なので、この写真を見てすぐにわかりました。どうやら、わたくしたちは昔からのお知り合いだったのですね」
そう言われ、剛田は「はい、そうです」と答えるしかなかった。
もう1人は見たことがない顔だという。
あんなに愛した本木のことを忘れている美春。
剛田は何を思ったことだろう。
この写真は甥の九条にも知らせてないものだと言われ、保管を頼まれた剛田は写真を人知れず自分の財布に仕舞い込んだ。
美春の記憶はまだほとんど戻らなかったが、やはり杏のことだけは逢ったことがあるとはっきり覚えていた。
剛田は一縷の望みをかけて、杏に2週間ほど休暇を取らせ、美春と2人、地球温暖化で一時は海に沈みかけたものの地震の地殻変動で隆起した沖縄周辺に旅行するプランを練り上げた。
杏は素直に喜んだが、先日のような拉致事件に遭遇しないとも限らないことを思うと、手放しに旅行を満喫することはできないと剛田に申し出た。
「お前は旅行を満喫する役目ではないだろうが」
「あ、そうね。ごめんなさい、あの弾圧劇以来のホテル住まいだから、つい喜んじゃった」
「その代りだが」
剛田から出た案は、2人ほどボディガードをつけるというものだった。
ボディガードの役目を仰せつかったのは、なんと、不破と九条。
九条と、もう1人警察関係者が美春をガードするということ、友人も、友人の娘も警察府に勤めている真面目な警官だということなど、九条が実家に向けてやや大袈裟にアピールすることで、ようやくプライベートに口を挟まないと実家に約束させ、普段ついているSPを除外することに成功した。
ボディガード同士で険悪なムードになるのではと、両者の狭間で心配していた杏だったが、九条はあくまで叔母のボディガードであり、杏のガードは不破が担当する、という落としどころを見つけて九条と不破は結託したようだった。
不破曰く、「どっちがガードされているか正直わからん」とのことではあったが。
その晩、不破が杏にプロレス技を掛けられたのは想像に難くない。
九条を介し剛田から声を掛けられた美春は、沖縄入りを快諾した。
沖縄に行く前の日から杏は毛利市に入り、ホテルに宿泊することにして九条たちと入念にストーリーを練り上げていた。
翌日、毛利市の飛行場から沖縄に向かいジェット機に乗った杏と美春は沖縄のビーチに姿を現した。
手前は透明で遠くに離れるにしたがって真っ青にグラデーションを描く、とても綺麗なプライベートビーチ。
空の真っ白な雲と海の青が絶妙なコントラストを描いて、夏を思わせる空気感が辺り一帯に満ち満ちている。
「綺麗。わたくし、こういう景色がとても好きなの」
「本当に綺麗ですね。冷蔵庫の物で申し訳ありませんが、何かお飲みになりますか」
「今日は、お酒のほうは夜まで止めておきましょうね。今は烏龍茶をいただけるかしら」
「はい、承知しました」
「ごめんなさいね、こんなところまでお付き合いさせてしまって」
「いえ、剛田も心配しておりますので。お役に立てれば幸いです」
杏と2人でゆっくりとした時間を過ごす中、こういった時間の流れや景色にほのかな思い出がある、と美春が語った。
杏は剛田から預かっていた若かりし頃の逢坂と整形前の本木の写真を1枚ずつ見せた。
すると、最初は“知らない”を繰り返していた美春だったが、ついに逢坂の顔を思い出した。
“海に連れて行ってくれて、いつもこうした時間を一緒に過ごした人”
お付き合いしていた人かもしれないし、お友達だったのかもしれない。やはりそれ以上は記憶が定かでない、と。
それが愛する夫だとまでは、一度に思い出すことはできなかった。
本木の写真は、見ても誰かわからないという。
何日かプライベートビーチで過ごす中、自分が逢坂と結婚していたことを思い出した美春は、最初に杏の手を取った。
思い出した記憶は、こうしたビーチで過ごしている途中に結婚指輪を失くしてしまい、大喧嘩になったというもので、ふふふ、と美春は笑った。
「普段は大人しい人だったの。でもスイッチが入ると饒舌になる人だったわ。あの時もそう、2人で指輪を探しながら大喧嘩になって。そしたらラバトリーの隅にちょこんと置いてあって」
「この方は逢坂さんといいます。どこにお住まいだったか、覚えていらっしゃいますか」
「それは思い出せないわ。でもね、思い出したの。剛田さんのこと」
「どういったことですか」
「夫が亡くなったの。多分まだわたくしたちが30代か40代の頃だと思うわ。そしたら剛田さんが手を差し伸べてくださって。金銭的なものもあったけれど、一番はわたくしに寄り添ってくださって、翻訳者としての仕事まで探してくださったの。あなたのお父様には、本当に色々と助けて頂いたわ」
「お仕事のことも思い出されたのですね」
「でもね、杏さん。変なの」
「どうしたんですか」
「夫と剛田さんの間に接点が見つからないの。剛田さんは夫のお友達だったのかしら。だからわたくし、あなたのことも覚えていたのかしら」
美春は、逢坂が夫だったことは思い出したが、逢坂の姓、どこに住んでいたか、逢坂が何をしていたかまでは思い出せなかったし、ましてや本木のことなどこれっぽちも思い出せなかった。
そればかりか、逢坂と剛田の接点が見つからず美春は困惑しているようだった。
もうひとつ奇妙なことがあった。
余りに暇でやることもない杏が、クルーズ船で沖縄の海を満喫しないかと美春に声を掛けた時だった。
「船に乗るのは嫌」
そう告げたきり、美春の表情はみるみるうちに曇った。
杏が知る限り、美春は船に乗るのが嫌いではなかったはずだし、朝鮮国に剛田と不破と杏が3人で潜んでいたときも船で何度も済州島まで来て杏たちの身の回りの世話をしてくれた。
それが、船に乗ること自体を嫌がるとは。
それを聞き、行方不明になったあの事件の際、何かのアクシデントがあったのかもしれないと剛田は判断し、美春の記憶に係る混乱を避けるため、1週間ほどで旅行を切り上げろと杏に命令し、杏と美春、ボディガード2名は毛利市に戻った。
今回は拉致などの事件に巻き込まれることもなく、ほんの少しだけでも記憶を取り戻したことで、剛田は安堵していた。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
沖縄帰りの杏を、剛田が小さな声で廊下に呼び出した。
「五十嵐、ちょっと来てくれ」
「どうしたの?美春さんに何かあった?」
「いや、純粋に仕事の話だ」
「じゃあ、室内でも構わないじゃない」
「考え事があってな」
剛田が言う考え事、とは、暗殺部隊のことだった。
彼らは根っこからターゲットに対し暗殺が最善の策であると教え込まれてきている。
こちらの倖田のように命令に従い忠実に暗殺業務に就くのとは全く別だと嘆く剛田。
「でも、こないだの毛利市では九条さんも脳幹行かなかったわよ」
「あれは下っ端だと気付いていたからだろう」
杏は背中が何かゾクゾクするモノがあって、体中にブツブツと発疹ができる気がした。
「もしかして・・・」
「そう、そのもしか、だ」
「えー、なんでこっちでやるの。警察府の機動隊とかSITとかSATとか色々あるじゃない」
「総理のご希望だそうだ」
「げーっ」
今度もマルタイは槇野首相。
場所は北海道札幌市。
ESSSの管轄地である。
明後日、演説に行く予定が組まれているという。
そこに、テロ実行の情報が齎された。
今回は朝鮮国や中華国など、アジア系のテロ組織が関与していると思われた。
「断ることもできまい。行ってくれ」
「それだけ?暗殺部隊が心配なんじゃないの?」
「今回のテロはどういった手法を取るのかわからないから困っている」
「まあ、いつもなら周辺のビルとかに犯人がライフル持って準備して、って感じよね。でなきゃ人質とって立てこもるとか」
剛田の話では、日朝中国交断絶宣言後、朝鮮国や中華国では移民を断った槇野首相を恨んでいる輩が増えているということだった。
ご尤もな話だ。
自国にいても辛い生活しかできず日本に行けば幸せが待っているという、ある種のデマが流れ、謝った情報が乱れ飛ぶ。
噂が噂を呼び、日本に来たがる一団がいる一方で、朝鮮人や中華人で“日本での暮らし”を知っている人間は絶対にいってはダメだ、移民は総電脳化されてしまうと吠える。
電脳化されようが、今の生活を抜けられるならそれでいい。なんでもする。もう、自治国内で敵対してしまってはどうしようもない。
デマを信じ未来に対する希望が満ち溢れている中で、本当に電脳化した人たちは人間にとって大切である子孫繁栄のプログラムを書き換えてしまうことで人間としての尊厳を傷つけられ、尚且つ、今はゲルマン民族とは違った扱いしか受けられない。
単純に、日本自治国内閣府も悪い。
はっきりとした情報をこまめに出すべきで、移民を流入させたくないならそれなりの大義名分をはっきりと示さなければならない。
だが、日本自治国としては何も示していないのが現況で、そこで周辺国では移民として日本に入れば高級な暮らしができると言う夢を見る。
夢から覚めるころにはもう、テログループの一員として爆弾作りを担っている、というわけだ。
「五十嵐、これから皆に伝えるが、俺の援護射撃よろしく頼むぞ」
「無理かも」
「そういうな」
またまた頭の痛い任務がきたものだと、杏は頭を抱えながらE4室内に入っていった。
皆もう射撃練習から戻ってきていて、困り果てた表情の剛田と杏を代わる代わる見て、倖田や西藤、不破は“また面倒な依頼を引き受けたな”という顔をしている。
九条や三条、ナオミはそこまでは判断しかねているのだろうが、胡散臭そうな周囲の状況を嗅ぎ分けているように思われた。
ゆえに、3人とも真面目な顔つきで誰かが言葉を発するのを待っていた。
皆が見つめる中、初めに言葉を発したのは剛田だった。
「皆、聞いてくれ。明後日、槇野首相が北海道入りして札幌で演説する」
IT室から出てきた設楽の目の色が変わる。
「はい、それで」
「当日のテロ情報が齎された。そこでだ、E4が総理のSP業務を担うことになった」
シーン、と静まり返る室内。
剛田も杏も、皆が何も言わず付いて来てくれるのかとキラキラ星が舞い込みそうになった。
しかし、そうは問屋がおろさない。
次の瞬間、室内は騒然となった。
先陣をきるのは、いつも設楽。
「なんでうちがやるんです?」
八朔も負けていない。
「あんな我儘ジジイ、ほっときゃいいんですよ」
「そうそう、ああいうのは早死にしてくれた方が国民のため」
「設楽さん、たまにはいいこと言うじゃないですか」
「嫌なものは嫌でしょー」
それに対し、やはり、九条や三条、ナオミは何かしら思うところはあるのだろうが一切口にはしなかった。
何という鍛練。
今まで首相のSPに着いたことも数えきれない程あるだろうし、嫌な思いも多かっただろうに、職務に忠実に、自分を殺しながら忠実に職務に当たってきたというわけか。ナオミにしても同じようなシチュエーションでの業務に就いたことがあるのだろう。
杏が皆よりも大きな声で一喝し、室内はシーンと静まり返った。
「ここでいうのは勝手。皆の気持ちがわからないでもない。だけど、我々に課せられたテロ制圧という任務は着実に熟すべきじゃない?」
不破がこめかみを押さえながらも杏の言葉に反応した。
「そうですね、選り好みとかそういうのじゃないけど、僕たちが何のために存在するかを考えれば、北海道に飛ぶのは必然的なものでしょう」
倖田はヴィントレスを手に、声には出さずとも頷いた。
西藤もソファから立ち上がり、杏に対しOKマークを手で作る。
思ったほどの抵抗もなく、メンバーそれぞれが北海道行きを承諾した。
目に皺をよせながらも口元をきゅっと結んだ剛田は、ESSSへの報告のため室内を出た。
だが、剛田が部屋から出た瞬間、また愚痴合戦が始まった。
「こないだも何回も振り回されましたよ」
「そうそう、こっちの立ち位置指示しておいて、「お前は俺の身代わりに撃たれる役目だ」とか。俺はあんたの影武者じゃないし。ただ単にテロと聞いたから行っただけなのに」
「チーフ、さすがに初めてでしたよ、あそこまで強烈に我儘いうマルタイは」
杏としてもあのような人物をなぜE4が警護しなければならないのかと憂鬱にもなってくるが、こればかりは任務と割り切らなければならない。
「皆が言いたくなる気持ちもわかるとさっき私はいったな。実際、わかる。でも九条や三条が愚痴を言うのを聞いたことがあるか?」
悪口合戦を繰り広げたE4のメンバーは、途端に大人しくなった。
「ないです」
「俺もありません」
「僕もないですね」
あと一息。杏は立て続けに皆を鼓舞する。
「今回はテロを実行する旨の情報が入ってきているそうだ。どのような形でくるかわからない以上、自分たちの任務を考えればテロ制圧は私たちの正式な任務だ。移動するメンバーは後で発表する。今回はバグやビートルも連れていく。以上」
皆が下を向きながらも了承した。
「人質とって立てこもるんですかね」
「それが一番手っ取り早いからな」
「ライフルで遠くから総理を狙うことも考えられますよ」
九条や三条、ナオミはなおも口を開こうとしない。
杏は、メンバーを分断させてはならないと、九条たちにも声を掛けた。
「九条、お前はどう思う」
「テロと言っても方法は様々。僕たちW4は警護の方が本職でしたから、テロ制圧グループと総理警護グループに分けてもよろしいかと」
「警護は何だかんだ言ってESSSからも人を出しそうな気がしている。こちらではテロ制圧にほとんどの力を使うことになればいいんだが」
「であればなおさらのこと、僕や三条、ナオミはテロ制圧部隊に属して間もないわけですから、十分な計画と的確な指示が欲しいところです」
「指示はその都度私が出す。ダイレクトメモで指示を出すので、時計だけは忘れるな。あと、全員、今日明日で射撃練習を行え。倖田と三条はライフル銃の方にシフトしろ」
地下に行くと、珍しくバグの一機が地下1階に上がってきていた。
「アンダ!ホクトドコ?」
「仕事だ」
「ネエネエ、ボクラモアサッテノシゴトニツイテイクンデショウ?」
「そうだ、我々と一緒に行く」
「フーン、ホクトガイナイトサビシイナ」
「寂しい気持ちがわかるのか」
「アッタリマエデショ!!」
一時期、心を失くしたバグやビートルを目の当たりにした杏としては、嬉しいやら、こいつらの思考にどうやって魂が入り込んだのか調べてみたいやらで気持ちも揺れるが、今はどうやらその時期ではないらしい。
「今回も後方援護よろしく頼むぞ」
「ハーイ」
杏は皆の手前多く射撃訓練を行うつもりで地下に来たのだが、殆どの者が下に降りてきたので練習場所を譲った。
練習の光景を見ていると、ライフルを使う倖田や三条は別として、不破や西藤が肩を狙って発射しているのに対し九条とナオミは心臓を狙い100発100中の勢いでトリガーに手を掛けていた。
杏は不破の肩を叩き、振り返ったところを引きずり部屋の隅まで移動し、普段の練習風景を尋ねる。
「いつも九条は心臓一直線なのか?」
「心臓5割、脳幹5割」
「それじゃ被疑者が死んでしまう」
「元々が暗殺主体とは言え、何度注意しても聞きやしない」
「ナオミも初めからあの具合か」
「ええ、九条たちを真似してるんじゃないですか」
「まさか、ナオミには注意してない?」
「留学ついでの人に意見しても仕方ないですから」
「そういう問題か」
「なら、チーフが指導すればいい」
杏に頭の痛みが戻ってきた。
ジンジンと頭の奥が痛む。マイクロヒューマノイドは薬を飲んでも効かないから、この憂鬱な時間をどう乗り切ればいいのか自問自答してみるが、答えは出なかった。
でも、一度くらい指導しなければチーフとしての体面も保てないと考えた杏はナオミの傍まで歩いていく。
そして、ナオミの射撃が一段落するまで後ろで待った。
ナオミが射撃を止め、両手を下ろした時、杏はナオミの肩を叩いた。ナオミが振り向くと同時に早口で指導する。
「ナオミ。肩を狙って撃ってくれ」
「どうして?」
「人を殺しに行くわけじゃない」
「肩なんていつでも狙えるわ。それよりも誰かが人質になったらまずいでしょう。犯人はその場で射殺しないと。北米では常識よ」
「E4では命を奪わない」
「OH、それっておかしい」
「生け捕りにするのが我々の仕事だ。射撃訓練でも肩を狙うように」
「I don't want to do it」
「すまん、私は英語がわからない、日本語で話してくれ」
「嫌よ」
嫌と言われて引き下がるのも癪だったが、ナオミは指導事項を守りそうになかった。祖国の常識と言われれば、そうなんだろうが。
杏は頭を左右に振りながら、今度は九条の元へ歩いていく。九条も外すことなく脳幹と心臓を狙っている。
「九条、肩を狙うように」
「ナオミから言われてましたよね。僕も嫌です」
「そう言うな。生け捕りにするのが我々E4の仕事だ」
「W4ではターゲットを射殺するのが我々の使命でしたから。今更生け捕りと言われても思考が付いていかないんです」
「それは分かるが」
「なら、好きにさせてください。実際の現場では肩を狙いますから。ナオミもそうすると思いますよ」
もう、知るか。
そう言いたい杏。
チーフなんて辞めて一兵卒になれば言いたいことばかり言って気楽に過ごせるだろうなあ。不破にでもチーフを譲ろうかと、本気で杏は思考を重ねる。
「僕はチーフなんて嫌ですからね」
ドキッとして思わず後ろを振り向くと、不破のいかにも乗り気ではないといった表情が杏の目を捉えた。
各自が撃つ銃声が響く中で、杏はもうがっくりと肩を下ろしたいところだったが、最後のプライドというやつだろうか、ピン、と背筋を伸ばし自分も銃を片手に練習に入った。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
人口500万人都市、札幌。
北の要所として日本自治国を支えるこの地は、かつての第3次世界大戦でロシアの脅威に晒された土地でもあった。
中立を宣言した日本は軍隊を派遣してもこちらから戦を仕掛けることはできず、ただただ応戦に回るばかりで国民の不安を煽ることとなり、当時の内閣はヘボだ馬鹿だと揶揄された。
長きに渡る世界的な戦が終戦を迎える直前は、札幌にも核ミサイルが落ちるとデマが飛び交い、札幌市の住民は本土に逃げ出し北海道の人口は50万人を切った。
戦火がようやく冷め地球政府ができ各自治国が統治を始めた頃、札幌への移住者は増加の一途を辿ることになった。
東日本地域が軒並み核でやられ住まうことすらできなくなったからである。
その後、札幌周辺は戦争前の2.5倍に当たる500万人が犇きあい暮らすようになった。札幌周辺は札幌市に取り込まれ、北海道全体では800万人余りの人々が日本海側を通り、海を渡って原野を開拓する時代が再び到来したのだった。
その札幌市に槇野首相が演説に行くことになり、何年ぶりの首相来道かと地元新聞は書き立てた。
槇野は国民に見せる顔と素の顔に乖離があったが、新聞は一切そのことを洩らそうとはしなかった。北海道の地元新聞には槇野の素顔が知らされなかったこともあるだろうし、知っていたとしても、裏の顔を晒せばその新聞社は三日と経たずにお取り潰しの刑を言い渡されるという評判が出版業界や新聞協会にはあったからだ。
槇野が首相に指名されて以来、内閣は国内主要メディアにかかる株式を50%以上、保有するようになったのである。
国からの検閲を受ける社会主義国家と何ら変わらない仕組みではあったが、新聞社は地下新聞と名乗る新聞を皮切りに、ネットの波に乗せるなど様々な方法を駆使し国民が政治の一端を窺い知ることができるよう腐心したのである。
金沢から首相専用機で札幌入りする槇野首相を出迎えるため、E4のメンバーは札幌に集結した。
槇野首相が演説を行う大通公園において爆発物を仕掛け演説中に爆破させる、という情報が齎されており、ESSSは北海道警を中心とした近隣県の警官や機動隊を総動員して爆発物の捜索に時間を割いていた。
しかし、爆発物らしき箱や紙袋など怪しい物は一切見つからず、愉快犯による偽情報ではないかという空気が辺りを包み込んでいた。
捜索は、首相が演説を始める10分前に一旦打ち切りとなった。
槇野首相が演説を始める午後2時になると、サクラを初めとした演説傍聴者、野次馬、公園で親子が遊ぶ姿などがそこかしこに見受けられ、大通公園の中は平和そのものにしか見えなかった。
だが、演説を始めて10分後、事件は起きた。
手を繋ぎ公園で遊んでいた何十組という親子が次第に演説会場に近づいてきた。
おかしい。
公園に遊びに来ただけの子供連れ親子が、こんなに熱心に演説を聴くとは思えない。
サクラの人物たちを押しのけ、演説を聴くために前列に紛れ込む親子。
すると、演説を掻き消すかのような悲鳴がそこかしこから響き渡る。
杏は宗像補佐官に耳打ちをして、補佐官から首相に言伝してもらう。宗像補佐官は杏に対し嫌味三昧だったが、言うことには素直に応じた。
「総理、様子がおかしいです、バスの中に避難を」
その意見をまるで無視するかのような槇野首相は、杏に向かって豪語した。
「お前たちが身代わりになるんだから、私に害は及ぶまい」
杏も負けていない。
「大掛りな爆弾になると、周囲全体が吹き飛びます。警察バスの中だけは安全ですので、どうかバスの中へ」
自分が危ない、その言葉を聞いた槇野首相は、登壇して訴えていた演説を慌てて終了させて警察バスの中に一目散に引っ込んだ。
通常、演説者が奥に引っ込めば、野次馬などは直ぐにその場を去る。サクラは皆警察関係者なので残っていても不思議ではない。たぶん、北海道警の警官だろう。
でも、何十組もの親子連れは帰るということもなく、まるで槇野の後を追うように演説場のバスが置いてある近くの噴水まで歩いていくと、子どもの服を脱がせ始めた。
まだ水浴びなどするような季節ではない。
杏は、その光景を見て目を疑った。
10人ほどの子どもが、爆発物を身体に括りつけられ泣くでも喚くでもなく立っている。年は、5歳から10歳と言ったところで、余りにも痛々しい姿だった。
また、子どもの親と見られていた人物たちも次々と上着を脱ぎ始めた。身体には同様に爆発物を巻いている。己が身に爆弾を巻いた様子を携帯電話で自撮りする者まで現れた。
自爆攻撃。
バスはそこから走り出そうとしたが、親子らしき者たちが立ちはだかって前にも後ろにも進めなかった。轢いてしまえば爆弾が爆発するからである。
「すぐに爆弾処理班を!隣市にも応援要請しろ!」
それまでポカーンと様子を見ていた北海道警の警官たちは、杏の言葉で現状の危機を捉えたらしい。
無線で本庁とやり取りしている。
杏の物言いは、かなりキレていた。
「バカヤロー、爆弾処理班呼ぶんだよ、今すぐに動け!」
札幌市では、爆発物処理を担当する課すらなく、今まで道警におんぶしていたらしい。
準備も含めて到着まであと1時間かかるという。
北海道警、なんという失態。
いや、失態はE4にもあった。
このようなテロ行為が日本でも起こり得ると想定し判断しなければならなかったのだ。
この時、杏にとっては槇野首相などどうでも良くて、助けたいのはむしろ子どもたちだった。
ダイレクトメモで皆に繋げた杏。
(このまま噴水あたりで留め置いて自爆機器類を外そうと思うんだが、意見のあるやつはいるか)
(九条です。もっと人のいない場所に陽動して自爆する前に殺害するべきではないでしょうか)
(子どもだぞ。一緒に殺すというのか?)
(バスに被害が出る方が怖いでしょう?仮にも我々SPですし)
杏は九条の意見に賛成しかね、言葉を返せない自分をもどかしく思った。
(不破です。バグとビートルなら爆発物処理できるかも)
(何機持ってきた)
(フル動員して6機来ました)
(九条、せめて子どもだけでも助けてやりたいと思う)
(時間がないですよ)
(バスに近寄ってもすぐに爆発しないところをみると時限爆弾のようだ。ビートルとバグを使って子どもたちの爆発物を外す)
それ以上自分の意見をいうことなく、九条は素直に折れた。
(そうですか、了解しました)
親子たちは相変わらずバスを取り囲んでいて、自爆するにしても、あとどのくらいの時間が残されているのかわからない。
杏は、一か八か、人から見えぬ場所でカメレオンモードになりバスの方に近づいて、親が手を離したすきに1人の小さな子どもの真ん前に立った。
子どもがぶら下げていた爆弾の爆破予定時刻は2時40分。もう10分しかない。爆弾処理班の到着を待つ時間は無い。
「バグ、ビートル、全機カメレオンモードになれ。最初にバグとビートルが子どもたちの爆弾を外す。バグもビートルもカメレオンモードになって噴水までいくんだぞ、気付かれないようにしろ」
「ハーイ」
「ふざけてるとオイル抜くぞ」
「フザケテナイヨ。バクハノセンヲキレバイインデショ?」
「そうだ」
「ミンナ、イコー」
E4からついて来たバグ3機とビートル3機は、車の陰に隠れるとすぐにカメレオンモードになって噴水前に駈けていく。
子どもたちにバグが見えたのかどうかは知らないが、子どもたちがその顔に笑いを取り戻した。
爆発予定時刻まであと5分。
(アン―、コドモノブンハミンナキッテイインデショ)
(どこを切るかわかったのか)
(モッチローン)
それから3分もしないうちに、バグとビートルにより、爆発物は子どもたちの身体から安全に撤去された。身軽になって、噴水の辺りから逃げ出す子どもたち。どうやら、一緒にいたのは本当の親ではなかったのだろう。
逃げた子どもたちに驚いているのは大人の方だった。
日本語ではない言葉で何か叫んでいる。
そして、子どもたちを追いかけて駆け出す者が現れ、それまで取り囲んでいたバスから遠ざかる大人が大多数となった。
皆一様に、子どもが簡単に外せたと思ったのだろうか、自分の爆発物を身体から撤去しようともがいている。
「バスを動かせ!!」
杏の声が聞こえたのかどうか、バスは無傷で噴水前から移動し公園の外に走り去る。
ちょうどバスが噴水前から走り去ったその時だった。
銃声の音が数発聴こえた。
爆弾を身体に巻いた大人たちは全員がその脳幹や額を撃たれ、後ろに倒れ息絶えると同時にそこかしこで少爆発が起こった。その数、約10名。子どもを従えていた数と同じと思われた。
不破と西藤に、噴水前から逃げてバスを遠巻きに見ていた子どもたちを救急車で札幌市内の病院まで急ぎ送り届けるよう指示すると、杏は、爆発した大人たちの傍に駆け寄った。
もう、無残なものだった。
手足や上半身はバラバラとなりどれが誰の身体かもわからない。
生け捕りなどという甘いことを考えていた自分が正しかったのか、今回に限っては殺すしかなかったのか。
警察が現場検証を始めたが、彼らは誰が撃ったかまで特定しようとしなかった。要するに、総理側から指示があったということだろう。
確かに、槇野首相は無事に逃げることができた。
しかし、これでよかったのか。
無事に総理は助かった、と言えば聞こえはいいが、テロを計画している元締めがどこにいるのか情報源を失ってしまった杏としては、大人たちの爆弾を処理できなかったのが心底悔やまれた。