第2章 核の脅威
不破が荒々しく運転する車の中では、杏が身体を左右に振られながら不破の横顔を見ていた。
「ご機嫌斜めね」
「そりゃもう」
「九条と三条?」
「そう。あのシチュエーションで射殺とか有り得ない」
「仕方ないわ、身体と思考回路が洗脳されてるようなもんだから」
「俺たちの方が絶対正しい」
「見る角度によって変わるモノだってわかってるでしょ、本心では」
杏の言葉を聞いた不破はそれ以上、語ろうとはしなかった。
九条と三条。彼らには彼らなりの流儀があり、たまたまE4と平行線を辿っているだけで、どちらが正しい方法なのかなど永遠に見つかりはしない。
それは杏も頭では理解できていたが、魂で嗅ぎ分けるのはかなり難しいと感じていた。
伊達市に着いた杏たちは、2000GTをESSSビルの地下に置き、地下通路で隣のビルに入る。いつまでも来ないエレベーターに苛立ちを隠さない不破。
杏は何も言葉にすることなく、不破の肩を揉みながら49階まで上がる。
E4では、またしてもいつもの光景が広がっている。
杏はIT室に入り、居眠りしている設楽に拳骨をかまして声を掛けた。
「設楽、よくやってくれた」
飛び起きた設楽は、相手が杏だと知るとふうっ、と溜息を洩らす。
「室長たちを救えたとあっては、光栄この上ないっす」
「寝言か?」
「いえ、本心ですよ」
杏たちより先に毛利市を出た剛田は、金沢辺りに立ち寄ってから帰路に就いたらしい。昼を過ぎてから剛田がE4戻り、そこから1時間遅れで九条と三条もE4に戻ってきた。
剛田は椅子に座りながら、九条たち2人を呼び止めた。
「九条、三条、一連の働きに感謝する」
「いえ、半分は私事でしたので」
「君の勘がなければ美春さんはどうなっていたかわからない」
九条は瞬間、眉をピクッと上げながら平静を保とうとしている。
気付いたのは、たぶん杏だけ。
勘という言葉がお気に召さなかったのか、他に理由があるのかは分からない。
九条と三条の二人は、剛田に断りをいれると、また地下に潜ってしまった。
「もぐらじゃあるまいし」
クールが売りのはずの不破は、すっかり小言ばかりの舅状態と化している。
剛田に聞えないように、杏はぶつぶつ言ってふて腐れている不破にそっと耳打ちした。
「まあ、そういわないで」
そこに、ESSS本部から1本の内線電話が入った。
剛田は電話を受けながら徐々に眉間のしわが深くなり、言葉も少なくなっていく。まるで息を止めて話を聞いているかのようで、室内に緊迫感が流れる中、電話が終わった瞬間剛田は大きく息を吐きだした。
目を閉じ黙りこんでしまった剛田の元に近づいた杏は、自分と剛田の分の珈琲を準備した。
「室長、何かあった?」
「まあ、あったと言えばあった」
「じゃあ、無かったと言えば無かった?」
「いや、無くはない」
「じゃあ、あったんだ」
剛田は九条と三条、北斗を地下から呼び戻すよう杏に告げると、また、椅子に深く座り直して皆を待つ。
地下組が49階に姿を見せると、剛田は電脳を使うよう皆に命令した。
「皆、電脳を繋いでくれ。北斗には後程レクチャーする」
各々が、耳たぶ部分についているアクセサリーを1回、強く押す。イヤホン型の線がアクセサリーから伸び、その線を耳の鼓膜に押し当てるという初期型の電脳線で、現状に照らしてみればかなり旧式の電脳パターンではあったが、小脳を弄り電脳線を小脳に繋ぐ新式のパターンと見栄えが変わっただけということもあり、E4では今も遜色なく任務を熟せている。そのため、新型に変えたいという申し出は未だ無い。
九条と三条は小脳から出る電脳パターンを使用していたが、彼らと電脳が繋がらないというデメリットも無いため、電脳線の形体について剛田は無駄に身体を弄らない方針を採っていた。
北斗は今も全身電脳化も義体化もしていない。
厳しい状況に陥るときが無いと言えば嘘になるが、北斗は今の仕事に誇りをもって生きている。電脳化しないことにより、スパイとして潜入できる場所は山ほどある。
今日も電脳での打ち合わせが終わったら、剛田から直接レクチャーを受ける。その方が伝言ゲームにならずに済む。
さて。剛田から告げられた懸案事項とは。
「槇野総理がな、日本でも核実験に伴うミサイル発射を行うと諸外国に宣言したらしい」
メンバーは一様に驚きを隠さなかった。
こういうとき、一番先に口が動く設楽。
「だって今じゃ各国が廃止の方向で発射場を閉鎖したりしてますよ。どうして世の中の流れに逆行するようなことを宣言したんでしょうか」
「そうだな。朝鮮国、中華国、北米辺りはもとより、世界中から猛烈な反発が予想される」
「そりゃそうですよ」
「内情側からの言い分としては第3次大戦が起こる前に北米で流行った、北米ファーストの考えを踏襲しているとのことだ。先日北米で行われたG8の会議で日本ファーストを貫く所存であると明言したそうだ」
剛田は、この話題に関する質問は受け付けない、というように手を広げた。
この上まだ一つ二つ何かあるのか。
「その発言を受け、諸外国は日本に向け再再度のミサイル発射準備に入ったとも噂に聞く」
さすがの九条や三条も苦笑いするしかない。
普段は不破や九条と並びポーカーフェイスの部類に入る三条も呆れてものが言えないという顔つきに変わり剛田を見る目が完全に泳いでいたが、すぐにまた瞳に炎を宿した。
「万が一日本海側の居住区にミサイルが落ちてきたら、今度こそ日本は終わってしまいます。日本の太平洋側を上空から見てくださいよ。二度と核爆弾は御免だ、って思いますから」
剛田は初めて自分の言葉で話した三条の意見を聞きながらも、小刻みに溜息を吐いていた。
これからのミッションを想像するだけで頭が痛いと言ったところか。
「海外視察に来る各国の自治体議員団などは多いが、皆、対岸の火事という雰囲気が蔓延している。観光旅行としか見えない。いつどうなるかなんて誰にもわからないのにな」
九条がフフフ、と笑った。
「いくらE4でも、撃たれてしまったミサイルの弾道までは制圧しきれないでしょう」
剛田は飄々とした表情で応える。
「撃たれる前に行って制圧すれば問題ない」
「え?室長、真面目に言ってるんですか?」
「命令次第だ」
剛田の微かな笑みに、世界のどこであれ、日本に向けた不当な動きがあれば制圧がなされることを知った九条。
だが、先日の事件以来、剛田と杏の間には九条たちに関するひとつの約束事項があった。
2人が事件及び暗殺対象の人間をいとも簡単に射殺することを優先する限り、カメレオンモードは使わせない、というまさにシンプルな考え方。
暗殺主体の人間がカメレオンモードを使用できるということは、銃を向けられる側に対する人間としての尊厳を著しく奪ってしまっていることと同義であり、それはよほどの事情が無い限り、例えば人質をとって今にも殺しかねないといったケースでなければ認めらないということになる。
そう考えるとあの毛利市の廃屋での事件では一見九条たちが正しいようにも思えるが、あのケースは杏と不破がいたため、射殺作戦を実行に移す意味が無かった。
不破が後から激怒したのも理解できる、と杏は考えていた。
射殺優先の作戦を採りなんら迷いなく実行する限りは、カメレオンモードは使わせない、時計はとりあげる、と厳しい方法を採らざるを得なかった。
E4が成り行きを注視する中、北米と朝鮮国が今までG8の枠組みから離れて国交を樹立していたのは確かで、北米は、事実上中止~空中分解していた米朝軍事演習を再開すると日本に通告してきた。
日本の核の脅威が世界的に広まった証拠だとも言えよう。
しかし、同時に地球規模で経済制裁に踏み切るとされた日本国民は日本の食糧自給率が前年度マイナス10%になると聞き、不安を募らせていた。
昨年の食糧自給率が40%台スレスレで、30%台まで落ち込むとメディアで取り上げ、毎日のように騒がしくしていたからである。
この経済制裁では、主に食糧をストップさせるという噂が流れ、各地で経済制裁詐欺とも呼べる動きが加速し、食糧の取引金額は倍近くに膨らんだが、それでも食料品を扱うスーパーなどでは長蛇の列ができた。
日本にいた朝鮮国や中華国の人間は、正規のルートに則った移民でない者も多かった。彼らは食糧を入手する方法が無く、最終的にスーパーを襲撃・破壊し食料品等等、何もかも奪っていくのだった。
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「槇野が何やら素っ頓狂なことを考え付くのは仕方ないとして、内情や内閣府は今の今で何をしてるんだ?」
朝から活字新聞を見ている杏が新聞を応接椅子に放り投げた。
北斗はそれを拾い、丁寧に折り畳んでから1面を見始める。
槇野首相の核実験発言に関連し、経済制裁が各国から次々に発動されることがどの活字新聞でも1面を飾っている。経済制裁の項目として取り上げられたのは、やはり食料品だった。会社を休んでスーパーに並ぶ男性が増える情景が目に見えるようだ。
マイクロヒューマノイドは一般人が口にするような食物では無かったし、腹が減る、栄養が偏るというデメリットはないので比較的冷静に対処していたようだが、世界一良かったはずの一般人のマナーもここまで。
朝鮮国や中華国のように真夜中のスーパーなどに忍び込む輩が増えたが、それらは全て朝鮮国及び中華国の人間が行ったこと、と真実を曲げて騒ぐメディアの連中。
真実を曲げざるを得なかったその裏側には、内閣府及び内閣情報局からの猛烈な圧力だったことが透けて見えた。
なぜ隠したのか、なぜ外国人のせいにするのか。
これらについては一般人に知らされることも無かったが、内情が諸外国と非公式に協議を続け、槇野首相にミサイル発射を思い留まらせる代わりに、食料品の経済制裁を解く方向で調整していた、という筋書きで日本人の謙虚さを前面に出したかったらしい。
核の脅威を消し去るには、槇野首相のミサイル発射発言の撤回が必要になってくる。
人に頭を下げるのが大嫌いな槇野首相は、今回も内情のトップに頭を下げさせた。
諸外国にしてみれば、誰が頭を下げるかによって日本という国の本気度を見極めたい狙いもあったようだが、槇野首相の態度は決して諸外国の関係者に歓迎されるものではなかった。
むしろ誠実でないとして、経済制裁を強めようという国すらあったくらいだ。その急先鋒が中華国だった。
中華国は北米との関係こそ最悪だったが、ロシアとの結びつきは強固で友好条約も締結しており、ロシア周辺からの移民受け入れは何を置いても優先させていた。だが、キャパを超えた受入は真綿で首を絞めるような形で国をどん底へと落としていく。
現在の中華国の為体は、そこを見定める人間が誰一人としておらず、ましてや責任を押し付けあうその国の、個々人の体質にあるのだろう。
朝鮮国はそのような親密な国もなく、一時期は噂された北米との結びつきも強固なものにならないまま、米朝軍事演習を再開するという話も宙に浮いた。
北米としては、日本に対するあてつけの意味もあっただろうし、自国の本気度を否応なしに見せつけるつもりだったはずが、組む相手が朝鮮国というだけで北米国内では反発されデモ行進が起きたという。
朝鮮国の非道の数々、嘘の数々を北米の国民は忘れていなかった。
結果、日本は各国の核の脅威からその身を守ったことになる、とメディアはこぞって報じたが、それは全く逆で各国に飴を与えたようなものだった。
そもそも、核の脅威ではなく経済制裁という別物が日本を襲う寸前で助かっただけのことであり、日本にとって核を持ち続ける限り避けて通れない問題が浮き彫りになった出来事だった。
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E4専用のカメレオンモード化のオーバーホールはまだまだ先の話としていたが、取り敢えず三条をマイクロヒューマノイド化するオペが国立第2科学研究所の一室で行われた。
今ある肉体はほとんど損傷していないため第2科研は全身義体に難色を示したが、三条の強い希望で身体中が義体に交換されていく。
最終的に、残されたのは頭部分のみ。三条は眼も交換したいと言い出した。
しかし西藤や倖田の例でも分かるように、目の義体交換は軍隊に入隊した場合やスナイパーとしてライフル銃を扱う任務等に限られており、好んで交換をすることはないと杏がいうと、自分はスナイパーになり現在1人で担っているスナイパーの倖田を補助したいという。
三条の言葉に嘘はなさそうで、杏はしばし悩ましい時間を持つことになった。
だがE4にいる剛田に連絡を入れてみると、紗輝の後任としてスナイパーが欲しいのは事実であり、三条さえオペの承諾書にサインしてくれれば直ぐにでも倖田を通じて練習時間を作る、とのことで、杏にしてみればそれ以上は何も言えなかった。
「剛田室長からOKが出た。あとはお前の承諾だけだ」
「任せてください。元々銃の扱いには手慣れてますし、目標物を撃ち落とす訓練も怠りませんでしたし」
「倖田に指示を仰げ。ライフルにはそれなりの動きもいるだろう」
「承知しました」
そうして、全身義体のスナイパーがE4に誕生した。
寡黙な倖田は多くを語らなかったがやはり嬉しかったようで、三条を連れて一緒に地下に潜り込んだりビル群に出て目標物をどれくらいの射程距離で撃つかなど、様々なことをレクチャーしている。
三条も始めこそ黙々と働く倖田の前で大人しくしていたようだが、段々と打ち解け、ライフルの話などで盛り上がっているようだった。
九条が49階にいる時間も増えた。
三条のいない地下はどうやら寂しいらしい。今は北斗がちょっとした仕事でE4にいないからバグやビートルの世話もいいぞとけしかけてみるが、乗ってくる様子はない。
基本、無口で仕事中はほとんど冗談も言わないが、オンオフの切り替えだけは早い九条は、オフになると杏を質問攻めにする。するといつの間にか不破が混じっていて、杏の答えを不破が九条に伝える、といったおかしな関係が続いているのも確かだった。
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核問題がようやく落ち着きを見せたのが1か月後の5月末。
その頃、四季が無くなった日本ではあったものの季節は昔でいうところの夏に向かっていたところだった。
心地よい風が頬をすり抜け、緑に包まれた街路樹はさわさわとざわめく。
新制E4ではこの時期と9月、事件さえなければ2人ずつ1週間、交互に休んで鋭気を養うのが通例となった。
今回の休みは、設楽と八朔、倖田と西藤、九条と三条、北斗と不破の順で日程が組まれた。
ただ、北斗が急ぎスパイとして槇野首相に近しい筋の国会議員秘書として働きだしたので最後まで残っていた不破は杏と組むことになった。
剛田は杏とかち合わないように最初に休むと言いながらまだ休んでいない。剛田はいつもそうだ。休む休むと言いながら休んだ試しがない。
車の旅行は不破の運転が荒くて楽しめそうにないと杏が愚痴るため、今季は新幹線に乗り福岡市に旅行することにした。途中、毛利市に立ち寄り美春の様子を見てくるのが杏の休暇の条件だったと言ってもいい。
杏も久しぶりの休暇かもしれない。
一旦事件が起きると徹夜で3日や1週間仕事が終わらないなどザラ。
中間管理職のチーフでさえも仕事は休めない。
どこでも相場が決まっているものだ。
今週休む九条と三条は毛利市に里帰りし、美春の様子を見たり、昔のW4時代の仲間とともに酒を酌み交わしたりと有意義な1週間を過ごす予定らしい。一条の墓参りにも行くと聞き、杏は花を手向けてくれるよう九条に願い出た。
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剛田は今日も会議で金沢市に飛んでいた。
杏にとっては頭が空っぽになるくらい何もない日々だった。
この日々を有効に使わなければ、と反対に気合が入りすぎる。
珍しく杏は白いタイトスカートを穿き白いTシャツにベージュのジャケットを羽織ってゆったりとした雰囲気を漂わせて活字新聞を見ていた。
そこに、八朔が大きな声を出しながらバタバタとE4室内のドアを開け、飛びこんできた。
「モ、モニター」
もう息が上がり声に出すことさえできなくなっている。
「どうした、八朔」
「とにかく、モニター」
急いで西藤がモニターのスイッチを入れた。
そこに映し出されていたのは、新幹線の映像だった。
ニュースによれば、札幌から福岡に伸びる新幹線の毛利市駅近くで、包丁を持った男が乗客に襲いかかっており、列車が毛利市駅に緊急停車したというものだった。
男は包丁の他に凶器は持っていなかったが、その凶器で滅多刺しにされた女性が1人心肺停止のままその場所に倒れ、他に、首などを切られ重傷を負った男女が2人いるとの情報だけは入ってきたが、他に情報が入らない。
そう言えば、この新幹線は九条と三条が乗る予定だった。
あの2人のことだから、もし犯人と対峙したらすぐさま射殺して事件の全容を迷宮入りにしてしまうだろう。
案の定、九条からダイレクトメモが来た。
(チーフ、ニュース見てます?)
(ああ、見ている。その新幹線に乗っているのか?)
(はい、残念ながら)
(お前たち、変な気を起こして犯人を射殺するなよ)
(誰かが犠牲になっても?)
(手か肩を狙えば相手は凶器を持てなくなるだろうに。そして逃げられないよう、足を撃て。たまには命令に従ったらどうだ)
(たまには、って。従わなかったのは美春さんの件だけですよ)
(そうだったか?)
(今日は大丈夫です、信じてくださいよ)
(とにかく、どうしようもない状況になったとしても手足を撃って終わらせろ。絶対にE4とは気取られるな)
(了解)
まあ、何を言っても聞きやしないだろうが、言わないよりはマシか。
正義のヒーローになることも大切だがW4やE4は世に存在しないはずの機関。何か事件に巻き込まれて警察沙汰となり、マスコミの餌食になるのも困る。
その辺りのさじ加減が微妙なラインを保ったまま、E4は現世に存在している。
頼むぞ、九条、三条。
元は暗殺部隊だったお前たちのことだ、人知れず手足を撃つことで犯人をその場に留め置き、警察に引き渡すことなど朝飯前だろう。お願いだから犯人の脳幹を狙うのだけは止めてくれ。
杏は心配しながらも、手も足も出せずにニュース情報をみているしかなかった。
ニュース情報では、犯人は凶器を振り回し誰も近づくことができず、警察でさえも手を拱いている状態だった。
杏なら獣用の麻酔弾を肩に撃ち込みそのまま眠らせるところだ。
テロ制圧という目的のために手段は何でもありの今の世で、犯人を殺さず人質を助けるには、麻酔弾にて手足を撃つというのは、世界を通してしばしば用いられる手法でもある。
毛利市にあるWSSSでは特にそういった手法を用いることなく、地元警察に任せて、手を出す気も無いようだった。
設楽もIT室から出てきてモニターを見ていたが、WSSSは意気地がないと口にして暗に批判していた。W4が無くなった今、WSSSとて作戦を実行に移す部隊がなくなり口惜しい限りだろうが、ここまで被害を広げたのでは如何ともし難い部分もあるだろう。
地元警察が犯人の説得に失敗し膠着状態が何十分と続く中、突然犯人の男が両手を上に挙げ凶器の包丁を放り投げたかと思うと、後ろに倒れ込んだ。
警察や機動隊の連中が雪崩をうったように倒れ込んで犯人を取り囲み、ようやく取り押さえるのがモニターを通して日本中に流れる。
犯人は脳幹を撃たれ即死だった。
救急隊が入れ替わりに列車内に入り、怪我をした男女を車内から救急車に運んだが、滅多刺しにされた女性だけは心肺停止の状態でブルーシートを掛けられ車外に出てきた。
そしてもう一つのブルーシート。犯人が最後に列車から降ろされていくものとだ思われた。
銃の音がしない中での逮捕劇。
誰かが車内の喧騒に紛れてサイレンサー付きの銃を使ったものと思われた。
E4で皆に支給している銃にはサイレンサーが付いている。テロを制圧する際に音がするとマズイ場面にちょくちょく出くわすからだ。
そうなると、九条か三条が車両内に入ったのかもしれない。
杏はこちらから九条たちに向けダイレクトメモを送った。
(捕まったようだな)
(そうなんですか?僕たち、車両が別なのでニュースが流れないと進捗状況がわからない)
(そうか?じゃあ、WSSSで解決したのかな)
(あそこはこういった事件で動く機関ではありませんよ、あの人たちが考えるのは身内の体裁だけだ)
(手厳しいな)
(2年前、嫌と言うほど思い知らされましたから)
杏は強制的に話題を変えた。九条の思考回路は2年前にタイムスリップしたまま、いつまでも動く様子が無さそうだった。
(撃ったのがお前たちでないのなら、長居は無用だ。早く脱出して本来の行程に戻れ)
(了解)
ニュース映像はずっと新幹線内で映像を繰り返し流していたが、警察に取り囲まれた犯人の他、2回、警察隊の脇に髪の毛が明るい栗色の背の高い妖艶な美女が立っている映像が流れた。
最初その手に銃を確かに持っていたのに、次の瞬間には何も持っていなかった。一連の映像を組み合わせ現場の再現を構築するに、犯人を撃って始末したのはその女性で、あの緊迫した場面で犯人の脳幹を1発で正確に撃ち抜き即死させたものと推察された。
事件が射殺という形で終わりを告げると、当該新幹線に乗車していた乗客は別の新幹線や代替バスに乗り現場を離れていった。
事件現場の周辺が沈静化していく中、警察の発表資料が事前にどこからかマスコミにリークされた。
包丁を振るったのは住所不定、無職、福嶋丈太郎、25歳。
福嶋は女性1人を殺害し、男女2名への殺害未遂の罪で逮捕されたのだが、この時、何者かに脳幹を撃たれ即死した。警察では被疑者死亡のまま、今後も捜査を進めるという。
もう一つ、リークされた内容の中に目を見張るものがあった。
新幹線内で銃刀法違反の罪に問われた女性がいた。
警察隊の脇にいた女性だろうか、彼の女性の名はナオミ・ゴールドマン。
女性は毛利市で勾留されるとの速報が1回だけTVで流れたが、速報は一回きりで何回にも渡り流れることはなかった。
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あくる朝。
剛田は金沢に行くとだけ告げて、朝早く家を出た。
また会議か。
不破が欠伸をしながら杏を起こしに来た。
どちらかといえば低血圧に近い様相の杏は朝起き抜けが一番機嫌が悪い。
なのに、今日は化粧まで済ませているといって不破が杏をからかう。
それにも動ずることなく不破をやり過ごしている杏。
杏はあの事件以来、妖艶女性が何となく気になっていた。
まさか銃持ちながらの観光・・・いや、それこそ飛行場で金属探知機に捕まって日本には入れないだろう。
なら、どこの誰?
考えられるとするならば、FBI。
FBIなら銃持っていても変じゃないし、今は身分証明書さえ出せば飛行場でも通してくれる。なぜ新幹線に乗っていたかは不明だが。
杏の考え事をよそに、不破は楽しそうに口笛を吹きながら洗面所へ行き、口笛を止めずに髭を剃っている音が洗面所から漏れ聞こえる。
器用だ。
「乗ってく?」
不破の声が聞こえないでいた杏。
「おい、乗ってくか」
不破の怒りボルテージはちょっとしたことで上がっていく。九条たちがE4に配属されてから、クールな不破はどこかにいった。
その代り、うるさい舅みたいな不破が降臨した。
これがこいつの本性なのか、とさえ思ってしまうほどだ。不破本人に言わせると「全然変わってない」むしろ大人になったというのだが。
自分が思う自分と他人が思う自分は、全く別なのだなと杏が痛感した出来事でもある。
乗っていくかと聞きながら、乗らないと答えれば怒る不破を前に杏はちょっとした面倒さを感じてはいたのだが、今日はE4に剛田がいないとなれば早く行かねばなるまい。
不破の怒涛のアクセル急発進さえ我慢すれば早くE4に着く。
杏はOKの返事をして、車の助手席に乗り込んだ。
「おはようございまーす」
いつでも明るい設楽がE4室内に入ってきた。
この挨拶を聞くと、気分が滅入るときがある。ちょうど今日の杏は気分が滅入り気味だった。
九条たちが昨日まで休みをもらっていて、今日から登庁する。
果たして彼らはステップアップしてE4に慣れるよう努力をしてくれるだろうか。
実際、九条も三条も、赴任当初に比べれば49階にいる時間も増えた。
だが、コミュニケーションという垣根はまだ高いのか、他の連中と仲良く話しているのは見たことがない。
“職場は仲良しグループじゃない”
それが杏の口癖でもあるわけだが、仲良し以前に相互理解の気持ちがなければ、いざという時の議論は平行線を辿ることが多い。
E4では普段からメンバー同士が仲良く話すわけではないが、いざとなれば仲間を救うため全力で任務にあたる。
スパイ任務の北斗の救出などがそのいい例だ。
仲良くお仕事するわけではなく、お互いを心から認め合って考え方にも理解を示す、こういう大人のお付き合いができる組織、それがE4だ。
ただし、今回の場合、不破が自らそのお付き合いを止めようとしているのが心配でもある。
杏は、口うるさい舅になってどうする、と家に帰るたびに説教ともなんともつかない話を不破にするのだが、一向に収まる気配はない。
ああ、頭が痛い。そう言いながらいつも杏は痛み止めの薬を探す。
「今は頭痛薬ないよ。つか、僕らが飲んでも効くわけない」
ふふん、と鼻を高くする不破のその鼻をポキッと折ってやりたい気分に駆られる杏。
「それなら金輪際舅めいた真似はよして。そうすれば治るから」
不破は杏の言葉を脳内変換しているのか知らないが、自分が誰かに悪いことをしている、という意識が無いらしい。
「俺が誰に何したっての。杏こそおかしいでしょ」
クールガイだった不破からは程遠い現在。
こうなってくると、剛田から言ってもらわない限り、治らない。剛田が注意したところで、脳内変換してしまえば治すのはもう無理に近い。
不破の脳ミソを正気に戻す一発逆転劇でもないものか。
杏は今日も気が滅入っている。気が滅入ったままサーバーからカップに珈琲を移していた時のことだった。
「あ」
並々と溢れかえる珈琲の量。
やってしまった、注意散漫な証拠。
杏はカップに口を近づけるが、熱くて飲めない。
そう、杏は猫舌である。
首から上はオーバーホールしていないので、小さな頃からの猫舌はいつまで経っても治らない。
益々滅入る、今日この頃、である。
「みな、集まれ」
杏が珈琲とトラブルを起こしていたちょうどその時。
少し低めに剛田の声が二度、聞こえた。
いや、実は高く言い放ったつもりが、珈琲と格闘していた杏には聞こえなかったのかもしれない。
杏は珈琲メーカーの傍に零さないようにそっとカップを置くと、一番前に小走りで出た。
剛田の隣には、背が180cmはあろうかという大女、失礼、スレンダー美女が立っていた。
どこかで見たことがある。
最近のことだ。
杏は近頃の考え事が何だったのかすっかり忘れていた。そして杏お得意の脳内人物整理が始まった。今日は女性編。ぐるぐると色々な女性の顔が脳内に浮かび、蠢いては消えていく。シーン分けで、オン、オフ、そしてテロ制圧と女性の顔が流れていく。
ことのほか、時間がかからずこの女性を思い出すことができた。
新幹線での包丁男に発砲し事件を解決した女性だ。
どうしてまた、E4に。
「先日の新幹線内殺人事件、覚えているか。あの際事件解決に尽力してくれたナオミ・ゴールドマンだ」
「ああ、一度だけ速報流れたけど」
「あれは当局のミスでな。間違った情報がそのままマスコミに流れた」
「銃刀法違反のこと?名前のこと?」
「銃刀法違反の話だ」
「じゃ、本名なのね。大丈夫なの?全国的に名前知れちゃって」
女性は青い目を瞬かせながら杏をじっと見た。5秒ほど、両者は瞬きもせず相手を見つめ続けた。
「OH.あなたがアンね。よろしく」
「名前の心配してるのだけど」
「大丈夫、偽名だから」
偽名、ナオミと名乗る女性は杏よりも大きな口を開けてアハハと笑い、メンバー全員に握手を求めてきた。
英語は一言も使わず日本語だけで対応してくる能力の高さ。
これは、安全安心が売りの日本に滞在しているただの女性警官ではないだろう。
「で、どちらからのお客様?」
剛田の顔を見た杏。
その質問に対し、剛田は一度咳払いをしてから皆を見回した。
「ナオミ・ゴールドマン。ま、偽名でもなんでもいい、ここではそう呼ぶことにする。彼女は北米CIA Central Intelligence Agency、中央情報局に所属している。今回、留学を兼ねて日本に来たんだが、あの事件で一時警察に勾留されてな、皆への紹介が遅れた」
「兼ねて、っていうことは」
「そうだ、E4メンバーとしてテロ制圧に加わることになる。留学終了時期は今のところ未定だ」
目の前にいるこの女性は、杏を困らせる存在になるのか、それとも明るい未来がここに生まれるのか。
サイレンサー付きの銃を携行している留学生か。
銃携行して旅行なんぞ有り得ないし、何かしら目的を持って日本の中を移動していたはず。
興味というよりは、心配の種になりそうで杏は頭を振ってその考えをどこかに吹き飛ばそうとした。
ナオミの紹介が終わると、三条は、倖田に教えを請うためライフルを持って地下室に降りた。
九条はいつもどおり誰と話すわけでもなく、自分の席で活字新聞を読んでいる。
北斗が帰ってくれば、九条の相手をしてくれるのだろうが、その北斗は今、E4の中で一番忙しい。
繁忙期といえば誤解が生じるが、スパイとしての情報収集は今が最も盛り上がっている時期であり、こちらに顔を出す時間は取れないと思われる。
現在、槙田総理の周辺で人気急上昇中の国会議員秘書として働いている北斗の任務に差し支えないよう、こちらからは連絡を控えていた。
西藤はいつもどおりソファに寝転がるし、設楽と八朔はIT室で遊びだした。
ナオミの相手は、必然的に杏か不破の役目となる。
ただ、何か事件が起こった時や剛田がいないときは杏が皆を取りまとめるので、お客様のナオミまで気が回らないかもしれない。
その辺を心配したのだろうか、剛田はナオミのパートナーとして不破を指名したあと、金沢の警察府で会議があると言って席を立った。
不破は九条のことなど忘れたかのように、いつものクールな不破に戻ってナオミを各施設に案内し始めた。
良かった。うるさい舅の不破が消えた。
神様ナオミ様。
名前なんてこの際どうでもいい、感謝します。
杏自身も、これで安心して任務を遂行できると、日常を取り戻した気分になるのだった。