表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
E4 ~魂の鼓動~  作者: たまささみ
2/14

第1章  インテグレート=組織統合の完成形=

 2124年春。

 その年の春一番は観測されなかった。

 いや、観測されないと言うよりは、どの風を指定して良いか気象分野のお役所が揉めただけだろう。

 杏にとってはそんな些末なことなどどうでも良い。

 風が強いと伊達市内の外部施設にて行う射撃練習の成果に影響を及ぼすので、魔法か何かで風を止めたいとまで思うこの季節がやってきただけの話だ。


 そう言えば、夜遅くE4から戻った剛田が家の中でそっと洩らした。

「今春から、元W4の九条と三条が我がE4に正式に異動する。近日中に内示が出る」

 あら、それは良かった・・・と呟こうとした杏の口を塞ぎながら、不破は見るからに不機嫌そうな顔でその知らせを聞いている。

「なんだ、不破。気に入らないと言った顔だな」

 剛田の質問に答えることはせず、不破は杏の顔色を窺っている。

「僕は別に気に入らないとか思ってません。それより杏があいつらの異動を喜んで、自分の仕事を忘れやしないか、それが心配なんです」


 杏は不破が口を塞いでいた左手を強引に退()けると、家の中だと言うのに目つきが変わる。

「仮にもチーフに向かって失礼な」

 そう言って、不破と剛田の顔を見ながら腰に手をあて大きな声で笑った。


「2人とも仕事は仕事として、上手くやってくれ」

 大きな溜息が剛田の口から漏れてくる。剛田は近頃溜息ともつかぬような深い深呼吸をすることが増えた。W4が解体され九条たちの面倒を見るようになってからかもしれない、と杏は剛田を案じていた。

 

 剛田の心配事はそれだけではなかった。


 これは内々の情報ではあったが、槇野首相は朝鮮国との国交断絶に向けて動きを加速し始めていた。理由は、朝鮮国からの移民が犯罪に手を染める率が顕著に表れている、と言うものだったが、国家内閣情報局=内情では、これ以上増え続ける移民を受け入れたくない、という槇野首相の本音を押し隠そうとはしなかった。

 無論、済州島など観光地への旅行なども制限されるのだから、移民に関係のない都市では反対運動も起きそうな気配だ。

 そこに、運よくと言うべきか、運悪くと言うべきか、日本古来の島を朝鮮国の土地だと豪語し島に上陸する朝鮮国の陸軍兵士たちが数多くみられ、日本のメディアは連日のようにその問題を取り上げた。

 日本古来の島が無くなろうとしている、とぶちかましたものだから、朝鮮国への日本国民の思いは怒り心頭に発し、日本国内における朝鮮移民は肩身の狭い思いをしたばかりではなく、料理店などは罵詈雑言に(さいな)まれ一旦店を閉じる者まで現れる始末だった。

 

 槇野首相にとっては渡りに船。

 自分がコメントを発表しなくても、マスコミは毎日のように印象操作で朝鮮国を叩いてくれる。槇野首相は自分が矢面にたつ行動を極度に嫌い、内情に任せきりでコメントすら内情に出させていた。

 だが、多くの国民は時の首相が答えるべきだと考えているのだろう。内情のコメントに激怒した国民は、内情や官邸の総理秘書室にまで怒りの手紙や、インターネットによる攻撃材料としてSNSを有効に活用していた。


 

 そんな中、春の異動内示が出て、正式にW4の九条と三条のE4入りが決まった。

 E4の皆はこれまでの経緯を知っていたから猛反対とまではいかないものの好ましい人事とは言い難かったようで、内示の瞬間、E4の皆は目が泳いで自分たちの心中を悟られることのないように、といった面持ちの者がほとんどだった。


 そして4月。

 九条と三条がE4に異動してきた。

 杏が仕切った最初の挨拶で、九条は皆の顔をひとりひとり見ながら「昔は暗殺部隊の中にいた」と強調した。続けて喋った三条も「得意なのは暗殺」とE4に戦線布告するような言葉をわざとチョイスしたように見えた。

 これからのワークバランスをどうするか悩ましい、と痛感した杏だったが、たぶん、一番心配したのは朝から会議で警察府に行かざるを得なかった剛田だろう。

 

 それでも、倖田と西藤、特に倖田は暗殺も辞さない日々に身を置き、西藤は元軍隊所属。軍隊と言うところは「殺るか殺られるか」で日々を過ごしていたから九条たちの発想と似たものがあるのは確かだ。

 挨拶を聞き顔色を変えたのは設楽と八朔だった。

 何様だと言う顔をして下目遣いで九条たちを睨む設楽。八朔はそんな設楽を見て心配したのだろう、何か気の利いた言葉で補おうとしていたようだが、どうやらそれは無理だったらしく然も残念だと言わんばかりに首を振る。


 ところで、杏はここにいるべき人間が1人足りないことに気が付いた。

「北斗は?」

 設楽が嫌味たらたらに杏の目を見た。

「地下でやつらと遊んでます。射撃訓練とか言ってたけど、どうすかね」

「おい、誰か連れてこい」

 杏が周りを見回した時、三条がいらないという風に手を振った。

「彼とはもう挨拶済みですし」


 北斗と三条の接点。

 青森市の山中、FL教独自の研究施設。


「そこで九条さんも挨拶しましたから」

 三条としてはこの挨拶式を早く終わらせたい、そういう心理が働いているのだろう。

 九条はポーカーフェイスを貫いていたので、杏にとっては何を考えているか見当がつかなかった。

「それなら僕らが地下に降りましょう」

 突然の九条の言葉に、E4の面々は少々戸惑いを隠せないでいる。

 特に杏は。

 まさか北斗に挨拶するためだけに地下に降りるわけがない。何か別の目的があるに違いない。

 いや、今更その目的を聞いてどうなる物でもないし拒むこともできないだろう。杏は2人をバグやビートルのいる地下2階と、射撃場他様々な設備のある地下1階に案内し、その顔色を窺った。


 九条と三条はバグたちには見向きもせずに、地下1階にある射撃場に興味を示した。

 2人とも目に光が差し込み、輝いているのが見て取れる。

 さすがは総理直属の暗殺部隊であったW4の生き残り。

 自分達の生き様を、そしてその誇りを忘れてはいなかったか。


 杏は2人に地下を自由に見て回るようにと声を掛け、1人でE4に戻るため、エレベーターのボタンを49と押した。


 49階に戻った杏のところに、ひねくれた顔をした設楽が忍び寄ってくる。

「チーフ」

「なんだ」

「俺、あの2人好きになれないんですけど」

「まだ1日目だ」

「第一印象ってやつですよ」

「お前はやかましボーイだな」

「なんすか、それ」

「いつでもやかましいってことだ」

「いくらなんでも失礼っす」


 設楽は頬をブクブク膨らませ、自分の持ち分であるIT室に篭ってしまった。

 他のメンバーはと言えば、いつものように八朔はVRで遊んでいるし、倖田はソファに腰かけてライフルのオーバーホールを始めていた。西藤はソファに横になりだした。

 不破の姿が見当たらない。

 不破にはいつものルーティンが無い分、こういう時は探すのも面倒ではあるのだが、今日はたぶん、杏と入れ替わりに地下に降りたはずだ。北斗のところに行くふりをして。

 その実は、九条と三条が何を欲しているか見ておきたいのだろう。


 杏の思惑通り、10分もすると不破は北斗を連れて戻ってきた。

「2人は?」

「射撃練習してます」

「そうか」

「朝から晩までやりかねませんよ、アレ」

「朝こっちに顔を出してくれれば問題ない」


 そうか、やはり。

 あの2人は元々暗殺部隊で毎日のように射撃に励んでいたことだろう。それがテロ制圧部隊のE4に放り込まれ、極力犯人の命を取らない方針の剛田の元で、果たしてやっていけるのか。

 杏の脳裏に2人が孤立していくさまが連想される。

 今後、彼らが属するのはテロ制圧部隊のE4。最悪の事態だけは避けなければ。



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 

 それから1週間が経った。

 相変わらず、九条と三条は朝49階に顔を出し、それからは地下に潜って射撃練習を繰り返していた。

 当然、E4メンバーと話す機会も全くと言っていいほど、ない。


 表立って不満の色を見せる訳ではなかったが、総理直轄の暗殺部隊として主に活動してきた彼らにしてみれば、テロ制圧組織として動くE4の面々の日ごろの行いは、「甘い」という一言で片づけられるような貧弱とでも呼ぶべきくだらない側面を持ったものだったに違いない。

 テロ制圧部隊としてのE4が決して結果を残していないというわけでもない。

 ただ、普段の自堕落とでもいうべき生活態度に、常時ピリピリとした生活を送ってきた暗殺部隊の面々に急に慣れろといってもそれは及び難いことだった。

 特にIT担当の設楽とITサブ担当の八朔が、持ち込み禁止のスコッチを飲んでE4室内をうろついていたことが、九条たちにとって自堕落の枠を超えた信頼に値しない勤務態度と捉えられたようだった。

 無論チーフの杏が二人に拳骨を食らわせ酒を取り上げたとしても、それに至るまでの経緯を笑って許せるような九条や三条ではない。

 それは2人の目が物語っている。


 今、チーフとして自分に何ができるのか、何をしなくてはならないのか。

 いや、もう方向性は出ている。

 それをどうやってあの2人に伝えていくのか。

 自分がマイクロヒューマノイドとはいえ、見た目が女だからダメなのか、それとも出自が華族ではないから目下に見られているのか。

 女だ華族でない、と言われてしまうとさすがの杏も頭が痛くなるのは目に見えていた。


 九条たちの件はE4室長の剛田にとっても総合的に頭を抱える問題のひとつだったと思われるが、九条がマイクロヒューマノイドであり、三条も次期健康考査の際にマイクロヒューマノイドに再生したいという希望を持っており、そのようなプラス面を考慮すれば直ぐにでもE4に溶け込んでほしいという願いが剛田や杏の心の内があったのは確かだ。


 どうすれば彼らは49階に上がってくるのだろう。

 剛田から直接注意してもらう方法もないではない。

 だが、表面上はいくらか効くかもしれないが、腹の中ではあの挨拶どおり自分達を暗殺部隊としか考えていないことになりはしないか。

 本当に、どうしたものかと杏は毎日のように考え続けていた。



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



 九条たちの参入により新制E4が発足して10日ほどが過ぎたある日のこと。

 杏は一度思考を深めていくと、周囲が見えなくなる悪い癖がある。

 どうやら今日はその悪い癖が出たようで、杏が気付かないうちに、金沢で毎日のように開かれている会議から戻った剛田が自分で珈琲を淹れて席に着いたことに気が付かなかった。

 珈琲の香りで剛田の到着を知った杏は、椅子に深く腰掛けていた剛田の前に小走りで立ちはだかり、剛田の机の両端に己が手を置く。

「さて、あの2人はどういう立ち位置にするの?」

「今どこにいる」

「地下で射撃訓練してる。この10日間立て続けに。あのぶんだと毎日それがルーティンになりそう」

「紗輝がいなくなって倖田だけになったからな、スナイパーが。あと1人は欲しかったところだからそれでいいだろう。1人も2人も変わらん」

「了解。でも、2人が浮かないようにだけしないとね」

「ああ、それはかなり頭の痛いところだが」


 何か疲れているようにも見える剛田の表情を察知した杏。

「何かあった?」

「E4回線を遮断しろ、ダイレクトメモで話す」

「了解」

 杏はダイレクトメモの準備をするため、着けている時計の右端ボタンを1回押した。

(総理の意向が強く働いてな、朝鮮国との国交断絶が現実味を帯びてきた)

(如何ともし難い状況なの?)

(あの人は一度言い出したら折れない。まして、自分の総理の座を揺るがしかねない大問題にも関わらず、皆内情に丸投げしている)

(内情、内閣情報局?あそこにだってできることとできないことがあるじゃない)

(イエスマンしか近くに置いていないからこうなるんだ)

(暗殺する?)

(言葉が過ぎるぞ)

(あら、ごめんなさい)


 杏は笑ってダイレクトメモを切った。


 国交断絶。

 安室元内閣府長官と壬生前内閣長官が推進した朝鮮半島移民政策=移民推進計画はとん挫することになる。

 当時、合わせ技で達成を目論んだ日本自治国総電脳化計画はお蔵入りとなったわけだが、今の槇野総理は何を考えているかわからない。自分に都合のいいイエスマンだけを国民として残すために、またしても日本自治国総電脳化計画が浮上してこないとも限らない。

 ある意味、槇野総理の方がやりにくい。

 春日井理もマイクロヒューマノイド弾圧などめちゃくちゃな政策をぶち上げて国の基盤を揺るがすような世迷言をやらかしてくれたが、槇野総理は実は小物で、虚勢を張っているだけかもしれない。

 それでも今まで何とかやってこれたのは、内閣情報局通称内情が総理の気持ちを忖度して、これまで上手く立ち回ったからだ。


 そりゃ朝鮮国や中華国からの移民は、国内でも持て余すほどの犯罪集団と成り果てた者も多数存在する。

 だが、目に見える部分だけで国交を断絶してみても、密航者が増えるだけで根本的な解決にはほど遠い。

 果たしてそこには、表立って諸外国に知らしめたい何かをリノベーションする目的があるのか、それとも浅はかで自分ファーストな総理の単なる思いつきか。


 これから日本はどういった方向に舵を切っていくのだろう。

 考えれば考えるほど、杏ですらもため息が出てくる。



「帰るか、五十嵐」

 剛田の声がして、きょろきょろと杏は周囲に目を配った。

 目の前には微笑みを浮かべた剛田が立っている。

 時計を見ると、もう退庁時刻だった。

 部屋にはまだ北斗と不破が残っていた。

 杏は九条たちのことが気になった。

「九条と三条は?」

「もう帰りましたよ。鐘とともに去りぬ、ってやつです」

 帰宅の準備をしていた北斗が静かな口調で杏の疑問に答えた。

 一緒に北斗の言葉を聞いた不破が目の中に炎を宿し始めている。

 それに気付いたのかどうか、北斗は「お疲れ様です」と手短に挨拶したかと思うと早々にドアの向こうへと姿を消した。


 不破が目の中の炎を隠さないまま、誰に向かってでもなく、独り言を発する。

「なんか、これからやってけんのかよ。今ですらこの状態で」

 杏も不安を隠せないところではあるが、ここで言葉にすべきでないことは皆の共通意見だと思いながら不破をなだめるのだった。

「しばらく様子を見ましょう、幸い仕事も入ってないし」

 不破は、やはりあの2人に良い感情を持ち合わせていないのだろう、段々と目を細めて暗に意見しているのがわかる。

「紗輝の後釜だと思えば人数的には足りる。でもさ、紗輝のように個人プレーに走られて困るのはこっちだ」

 それまで杏と不破に背中を向け、二人の会話を聞くだけに徹していた剛田が、不破を諭しながらコートを羽織る。

「不破、そういうな。紗輝はもう亡くなった。死人を貶めるもんじゃない」


 杏も黒い革のライダースジャケットを羽織りながら不破を嗜めた。

「紗輝は不器用な生き方しかできなかったから」

 不破も剛田の言葉を聞き反省の色を見せつつも、どうやら今日ばかりは言わないと気が済まないらしい。

「紗輝のことを引き合いに出したのは悪かったと思ってる。でも、あいつらがE4に馴染んでくれるかは未知数じゃないか」

「まあね、一筋縄じゃいかないかもしれない」


 剛田は先を歩きながら振り向きざまに右手でクイッと飲みのような仕草をした。

「どうだ、付き合わないか」

「あたしたち、飲んでも酔わないのに?」

「だからいいんだ」

 杏も不破も吹き出した。自分だけ酔いたい剛田。

「OK、そこらの屋台でならいいわよ」

「好都合だ」


 3人は室内の電気を消すと、ドアの向こうに消えた。



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇


 翌日、朝7時に杏が目を覚ますと剛田はいなかった。

 洗面所や果てはトイレまで開けてみるが、その姿はない。

 何かあれば絶対メモを残していくのに。

 杏は爆睡している不破を起こすため不破の部屋に行き、ドンドン!と大きな音を立ててノックした。返事はない。もう一度、今度はドアを蹴破りそうな音でキックする。

 ようやく不破は目を覚ましたらしく、室内でベッドから転がり落ちる音がした。

「う・・ん。誰」

「あたし、杏」

「どうしたの、まだ早い」

「剛田さん、今日朝早いって言ってた?」

「いや・・・」

「いないのよね、どこにも。メモもないし」

「九条たちのことでE4行ったか、至急の会議で金沢にでも飛んだんじゃないの」


 杏は妙に嫌な予感がして、自分の部屋に駆け戻った。そしてクローゼットを開けると、黒いTシャツに細身のパンツを穿きビビッドピンクのロングジャケットを羽織り、上に黒のロングコートを着込んだかと思うと、不破の部屋の前で「お先っ」と叫んで家を出た。

 ガレージに、剛田の愛車NSXは無かった。

 不審に思いながらマイクロヒューマノイド特有の早い走りでE4の部屋へと急ぐ。

 E4室内や地下の駐車場も探したが、そこにも剛田はいなかった。

 当然ながら、机上にメモもない。


 杏が着いたばかりの午前7時半ごろは部屋の中に誰もいなかったが、午前8時を過ぎるとメンバーが続々と出勤してきた。

 設楽が杏の顔色に気が付く。

「チーフ、どうしました?」

「あ、いや、なんでもない」

 九条や三条は出勤してくるだろうか。

 杏の心配をよそに、2人は連れ立って出勤してきた。

 同じアパルトモンを借り上げたようで、その行動はいつも一緒らしい。どこから狙われてもいいように2人で互いを守り抜いているような雰囲気。

 あの拷問は、三条にとって世の中への見方を180度変えさせてしまったのかもしれない。


 倖田、北斗、西藤、不破。

 皆が揃っても剛田は顔を見せる様子はなかった。


 どうしてだ?

 何の連絡もなく杏や不破の前から姿を消す人ではない。剛田に引き取られたときからずっとそうだった。


 九条たちは直ぐに地下室に降りようとしていたが、杏の困ったような表情に九条が気付き、足を止める。三条だけが最初にドアを開けて廊下に出たかと思うと、そのままエレベーターで地下へと降りた。

 九条は不破に背を向けて、囁くような小さい声で杏に問うた。

 不破に聞こえないように、とでもいうべきか。

「剛田さん?」

「あ、ああ。姿が無い」

「今までこんなことは無かった?」

「思い出せる限りでは一度もない」


 杏の焦りは尋常のそれとは違っていたように見えたらしい。

「じゃあ、探しに行きますか」

「どこへ」

「心当たりがあるんです」

 そこで不破が背後から抜け出し、杏と九条の間に入ってくる。

「僕も行きます」

 どうやら全部聞えていたらしい。不破が地獄耳とは知らなかった。


 九条が出掛けると聞いて、設楽はIT室から大声を出した。

「時計、E4専用ダイレクトメモ用の新品時計できてますよ。こないだのはW4用の時計でしたから。ほら、持ってってください」

 不破がIT室に行き、2人分の時計を設楽から受け取ったが、杏はそれを不破の手から容赦なく取り上げる。

「北斗、三条用の時計ができたみたいだから地下に持ってってくれないか」

 北斗が時計を受け取り地下へ降りようと準備していると、ナイスなタイミングで三条が49階に戻ってきた。待ってましたとばかりに九条と三条を捕まえ、ダイレクトメモの使用方法を説明する設楽。

 いつでも使えるよう、ほとんどの場合、電源は入れっぱなしにしておくのがE4式。

「時計?ああ、僕らも持ってるけど」

「それだとE4向けじゃないんすよ。こないだは準備が間に合わなくてその時計使いましたけど。そっちは思い出にとっておいた方がいいじゃないすか」

 三条は設楽をまじまじ見ると、黙って1回頷き、元々していたダイレクトメモ用の時計を腕から外した。


「ところで、僕も連れてってくれませんか」

 杏に向け発せられた三条の言葉に、不破は大の男が3人も・・・と渋ったが、杏は不破の声など聴かずに三条の手を握ってお礼を言っている。

「ありがとう。どこを探したらいいのか、全くわからない」

 三条も杏の手を握り返しながらシリアスな顔付きで返事をする。

「九条さんに任せましょう」



 それからすぐに4人はエレベーターで1階に降りた。1階で杏と九条が待っていると、GT-Rに乗って現れた三条。

「すみません、こっちは2人しか乗れそうにない」

「いや、こっちの2000GTもそんなもんだ、気にするな」

 不破が急ぎ家に戻り取ってきた車だ。

 九条と三条がGT-Rに乗り先頭を走り、不破と杏は2000GTで後を追う。

 GT-Rは違法改造された車らしく、2000GTでついていくのもやっとのくらい時速が出ている。杏は真剣に悩みながらも可笑しくなってしまった。


 剛田失踪の心当たりとやらを聞くに当たり、九条と三条に配布されたダイレクトメモが使えるか試用してみることにし、杏は二人に向け語り掛ける。

(こちら五十嵐、聞えるか)

(聞こえます、こちら九条)

(ところで、心当たりとは?)

(叔母のところです)

(今はどこに)

(まだ九条の家に世話になっているはずです)

(剛田室長が我々の誰にも言わないで会いに行ったと?)

(何か記憶の鍵が掴めたのかもしれない)

(それならあなたにダイレクトメモくらい残していくのでは?)

(僕らの時計は旧式の物ですからね。先日だってわざわざ皆さんに合わせていただく格好になった。もう寿命だったんです。そして、E4用の新しいダイレクトメモを知ったのは今日の登庁後ですよ)


 毛利市までの4時間。

 九条の言う心当たりとやらは、剛田と美春の関係性。美春に何等かの異状が起きたか、或いは全てを思い出したのか。杏は不破と話をすることもなく物思いに耽っていた。


 ダイレクトメモの試験後は誰も何も話さず、景色だけがものすごいスピードで過ぎていく。

 景色の中には毛利市内の移民居住区も見えてきて、何かバラックのような建物だったり、朝鮮国の旗がたなびいていたり、およそあそこは日本の中なのか?と目を疑うような景観が広がっている。


 移民居住区は山の手のゲルマン人居住区と、下町の朝鮮人及び中華人居住区とに選別されていた。

 山の手にある居住区は建物も立派だし、居住区内で生活を完結できるよう生活圏内には様々な工夫がなされていたが、下町の朝鮮人及び中華人居住区に対しては、そういった配慮はなされていないようで、学校にすら通えない子どももいるとどこかで聞いた。

 杏は下町の風景を目にするにつけ、直視できない自分がいることが恥ずかしくもあり、政局に興味がないとはいえ、何もしない政府ばかりか代案すら示さない内閣府や野党に対し、少なからず苛立ちを覚えるのだった。

 

 九条の実家は、そんな異国情緒溢れる景色とは縁のない、地区の南方向にあり荘厳な建物が立ち並ぶ住宅街の一角にあった。だだっ広い土地の中に、これまた8LDKはあろうかという平屋建ての家屋。

 さすがは元華族である。

 車を降りた九条は、両手を広げて前に突き出し皆に待てと言う仕草で家の中に入っていった。

 5分ほど待っただろうか、九条が1人で家から出てくる。その5分が杏にはとても長く感じられた。

 ダイレクトメモで流れてきたところによると、九条は家族に大勢で来たことを内緒にしているらしい。

(叔母は1時間ほど前に病院に出掛けたそうです)

(剛田さんは?)

(いえ、こちらには誰も顔を出していないとのことでした)

 不破が珍しく会話に参加してきた。

(となると、どう考えるべきでしょうね、チーフ。室長はこちらに来ていないのでは?)

 九条を心良く思っていないからか不破は否定的な意見目白押しで、杏としては、できることなら不破のオンラインメモにスクランブルをかけたくなったほどだ。不破がみなを押さえつけるように続ける。

(最初から方向性が違ってて、剛田さんは伊達市にいる、という線も有り得ますよ)

 不破には悪いが、ここで諍いを起こしてほしくない杏としては早々にこのやり取りを終わらせて欲しかった。

(まあ、そんなに早々と決めつけるな、不破。ここも重要なポイントだ。ここに来てないということを証明してから次に進む)


(病院に行きましょう)

 不破のいうことなどまるでお構いなしの九条の提案で、杏たちは美春が通っているという心療内科を訪れた。

 また、九条が様子を見てくるということで後の三人は建物外で待つことになり、不破のネガティブボルテージはどんどん上がっていく。

 杏に対し、地声で込み上げる怒りを小噴火させている。

「大体、4時間もかかるとこにくるんならメモ残さないはずないって」

「でも自分の意思によりメモ無しで家を出たのは確かでしょ。車も無かったし」

「何かの用で早く家を出て、金沢辺りで会議じゃないの?」

「そういう時はメモが残ってる」

「たまたま忘れたとか」

「それはない」

「じゃ、誘拐」

「それは心配してる。でも家の周りに争った跡はなかった。靴痕も見た。車もない」

「車付きでE4ビルの近くで拉致されたら?」

「それは・・・」


 杏が言い淀んでいると九条が病院のドアを開け、手で丸印を作りながら2000GTに近づいてきた。三条もGT-Rを降り、2000GTの方に向かって速足で歩いてくる。

「ここに来た時、ちょうど付き添いの看護師さんともう1人、年配の男性が一緒だったそうです」

 不破はそれが何だという顔をする。

「それが剛田さんだとは限らない」

「いえね、設楽さんから剛田さんの顔写真入った入館許可証借りてきたんです。それ見せたら、この人だ、って」


 さすがの不破も九条に対する辛辣なフレーズが見つからなかったらしく、むっとしたまま黙り込んだ。

 杏は、ほっとしたのもつかの間、時間的にもう実家に戻ってもいい頃ではないかと考えを巡らせた。

「実家からこの距離なら、もう戻っていても良い頃じゃないのか」

 

 九条は一瞬、眉を(ひそ)めた。

「そうですね、それからの足取りは掴めていません」

「ダイレクトメモで話しかけてみるとするか」

 すると不破を初めとした男性陣は皆、手で×印を作る。盗聴を心配してのことだ。

 不破が何かを考えて腕組みし始めた。

「設楽に連絡して、Nシステムに車がヒットしてないか聞くのが得策では」

「車ったって、剛田さんの車か九条の実家の車かもわからないし、もしかしたら別人の車かもしれない」

 杏は皆の意見を無視して、ダイレクトメモを送ると再度言い放った。

「相手が同じ周波数を使っていない限り、影響はないだろう。これは警察府にしか割り当てられない周波数だ」

「そりゃそうですけど」

 さすがの九条も心配している。

「ハッキングには十分気を付けてくださいね」

「そういった外部からの侵入があればすぐにスクランブルがかかる仕組みだ。設楽は口さえ除けば優秀な男だからな」



◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇



(剛田さん、剛田さん)

 杏は優しい口調で静かに語りかける。

(剛田さん、今どこ)

 返事はない。

(剛田さん)


 しばらく繰り返していたが、返事がない。

 不破は優しい口調の杏など知らないはずだから別人と思われているのだろうと悪態三昧。いや、剛田の前では女らしい言葉遣いだと杏が反論する。

 そんな喧嘩はどうでもいいと不破にやり込められた杏。皆はダイレクトメモを止めろというし、杏自身、ちょっと不安になりつつあった。

 剛田や美春たちが皆まとめて誘拐されていたとして、犯人にこの周波数がバレていたら?

 誘拐されたかもしれない3人はただでは済まないだろう。


 もう1回だけ、それで連絡がなかったらもう止めよう。

(剛田さーん、返事してー)

 その時だった、微かに聴こえた剛田らしき男性の声。

(五十嵐、か?)


 思わず杏は丸印を作って周りの3人に知らせた。周りもダイレクトメモを準備し、杏と剛田の会話を聴きだした。

(今どこ)

(わからん、高速にいるのは確かだ)

(何に乗ってるかわかる?車種)

(年代物の黒いセンチュリー)


 杏は低い声で不破に命令する。

(不破、設楽に連絡。年代物の黒いセンチュリーをNシステムで追え。それと、毛利市にあるはずの赤のNSXも)

(了解)


 不破はすぐにE4にいる設楽に連絡を取った。設楽がNシステム検索を起動させ、全国を視野に入れ車種と色を入力する。

 3分もしないうちに、毛利市から金沢市に向けて高速道を走っている年代物の黒いセンチュリーが見つかった。

 剛田は九条家界隈まで自力で行ったのだろう、その際、九条の実家と病院を結ぶどこかの地点で何者かに捕まり、センチュリーに乗せられ高速道路に入ったと考えられる。

 センチュリーは、もうすぐ毛利市を出て金沢市に入ろうというところのようだった。

「行くぞ!不破!」

「僕たちも」

 2台の車はセンチュリーを追うためにギャギャッとタイヤを鳴らしながらカーブを曲がり、アクセル全開で高速道へと向かった。


 GT-Rは信じられない程速いスピードで高速道路を駆け抜けていく。

「マジ、すげえ」

 車に関してはちょっとうるさい不破が褒めている。

 こうして段々距離を詰めてくれれば杏にとっても嬉しいことなのだが。


 杏は九条にダイレクトメモを送る。

(犯人は生け捕りにする。いいか、犯人は生け捕りだ。きっと誰かがバックにいるはずだ)

(叔母や剛田さんに危険が迫ったらどうするんです)

(その時は私が犯人に引導を渡してやる。他の者は生け捕りに回れ。これは命令だ)


 九条も三条も返事をしない。

(返事!)

(了解)

(はい)


 納得していないという気持ちが声に現れていて、今後のE4を投影しているかのようなシーン。

 これは、とてもじゃないが一筋縄ではいかない。

 暗殺部隊は総理の影。どうすれば彼ら2人を暗殺部隊というしがらみから魂を解き放ち、光を当ててやれるのか。

 E4だってたまに暗殺に回るときもあるが、任務の殆どはテロの制圧。国民を危険から救い守ることにある。

 杏は決して、テロ制圧が光だと思っている訳ではない。

 ただ、暗殺部隊という闇を背負った2人を、闇という砂の城に置き去りにすることなどあってはならない。だからこそ、剛田は敢えてE4への異動を内申したはずだ。

 2人を本当の意味で救うには、何が一番効果的なのか。

 

 杏の思いは其処にあり、不破の荒い運転で身体を左右に振られながらも、その荒さが全然気にならないほど深く考え込んでいた。

 

 

◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇


 高速道を爆走しながら、杏たちの乗った車は金沢市に近づいていく。

(設楽、今向こうはどこにいる)

(金沢の市道に入ったようです。マップ送りますか?)

(頼む)


 設楽からダイレクトメモを通じて送られてきたマップには、金沢の要所要所にあるNシステムとその番号、地域名がアップされている。設楽オリジナルだと本人は得意顔だ。

(今何番だ)

(金沢市街19番で最新の映像確認できました。段々スピードが落ちてきているのでこの辺がアジトかもしれません。廃屋、ですかね)

(引き続き映像解析してくれ)

(了解)


 どうやら犯人は剛田や美春を町はずれの廃屋に連れ込む気らしい。設楽オリジナルのマップが顕著にそれを物語っている。

 金沢は九条たちの方が知っているかもしれない。総理からの直接命令などもあっただろうから。途中から命令主は安室元内閣府長官に代わったようだが。

 春日井元総理はそれも面白くなかったのだろう。それでW4はお取り潰しとなり、一部の人間は拷問に耐え兼ね警察を去った。

 九条はマイクロヒューマノイドだったばかりに2年間の逃亡生活を余儀なくされた。逃亡したのは九条だけではなく、杏や不破も同じ。

 春日井の総理としての道筋が見えなくなったとき、杏も不破もどれほど安心したことか。

 杏が昔のことを思い出している間に、九条たちの車と杏たちの車は1軒の廃屋の前に着いた。

 設楽のマップどおり。設楽はお喋りさえなければ本当にいい仕事をする。

 杏たち4人は音がしないようにドアを開け車外に出ると全員が銃を手に、ゆっくりした足取りで廃屋の中へと踏み込むのだった。

 

 すると突然、廃屋の奥の方で乾いた音の銃声が鳴った。


 九条と三条は走り出そうとしたが杏に止められた。

(皆、私の後について私を援護しろ) 

 顔を(しか)めながら銃声のした方向へ走り出した杏。後ろから男性陣が援護する。

(1台のセンチュリーに乗れる人数は決まってる。犯人は大した数ではないはずだ、見つけたら手足を狙え)

 九条が反論ともとれる意見を述べる。

(でも、今ので誰かが怪我したかもしれませんよ、射殺の許可を)

(その許可は現場を見てからだ)

(一瞬の判断の遅れがいたたまれない状況を齎す結果にもなりかねません、射殺の許可を)

(九条。言いたいことはわかるが犯人なんぞ後からどうにでもできる、今は剛田室長と美春さんを救うことを優先に考えろ)

(でも・・・)

(私と不破がこれから奥に進む。九条と三条はここで待機。犯人が逃げ出そうとしたら足を撃て。カメレオンモードのロック解除は私が行う)

 九条との押し問答が続く中、杏たちの目の前に広がった風景があった。

 剛田が美春の前に立ち、犯人と対峙していた。

 剛田の脇に、ひとりの女性が倒れているのが見える。

 犯人は2人。

 剛田も犯人も、杏たちには気が付いていないようだった。


(行くぞ!ロック解除!)

 プログラムに組み込んだ指揮系統から命令があった場合はオートロックが自動的に解除され、即座にカメレオンモードになる。

 指揮系統のチーフである杏の命令で、杏と不破は即座にカメレオンモードになった。杏は九条と三条も自身の命令でカメレオンモードになると思っていたが、オーバーホールしていないことに気が付きハッと息をのんだ。

 まさか2人の姿が見える状態で犯人の前に出てはいまいか。

 急いで周囲を見渡すと、4人とも姿が見えない。九条と三条は各自の判断でカメレオンモードになったのだろう。


 湿った臭いのする廃屋の中で倒れていたのは、付き添いの看護師と思われる女性だった。杏が急ぎ駆け寄る。出血は多少なりとはあるものの、良かった、まだ息はある。

 九条と三条の姿がどこにあるか心配ではあったが今はそちらを考えている時ではない。剛田たちの安全を確保することだ。

 杏がゆっくりと犯人の1人の前に立って肩と手足を立て続けに撃ち、不破も杏同様にもう一人の犯人の目の前に立って肩と手足を1発ずつ撃った。

 2人の犯人は動けなくなり、そこに蹲った。


 杏が設楽に救急搬送をするよう指示する。

(設楽、消防に3名分の救急依頼をしろ。地元警察も呼べ。場所はお前のマップどおり廃屋の中だ)

 犯人が動けなくなると、杏と不破はカメレオンモードを解き犯人に手錠を掛けた。九条と三条もモードを解き近づいてきた。

 剛田は4人を見て安心したのか、肩の力を抜いたように見えた。美春を庇っていたのだろう。立ち位置ですぐに判る。

 九条は優しい口調で剛田に問いかけた。

「大丈夫でしたか?剛田さん。叔母様も」

 九条の問いかけに剛田は頭を掻いた。

「済まない、美春さんをこんな危ない目に遭わせてしまって」

「ご無事なら何よりです」


 杏はちょっとおかんむりだった。

「なんで美春さんのとこに行く、ってメモ残さなかったの」

「本当に済まない。美春さんから手紙で連絡があったんだ。全てを思い出したから2人で話したい、皆には知らせてくれるな、と」

「本当に思い出したの?」

「いや、誰かの企みに乗せられてしまったらしい」

「美春さんは何も思い出していなかった」

「そうだ。ところで」

 頭を掻きながら話題を逸らす剛田。

「五十嵐。よく私が毛利市に来てることが判ったな」

「九条さんの勘」


 杏が剛田とやり取りしている間、九条は美春をハグして自分のことがわかるかと問うていた。

 美春は残念そうに首を横に振る。

 ただ、美春はカメレオンモードを解いた杏の方をしきりに気にしていた。

 目が輝き、まるで娘だとでもいわんばかりの表情で。

「どなたかは思い出せないのだけれど、前にお会いしたことがあるわ」

「どこで会ったか覚えていますか?」

「ううん、それはわからない」


 九条に代わり、杏が美春の肩を抱いた。

「とにかく、一度外に出ましょう」

 万が一、犯人の仲間がここにくることを考えて4人で剛田と美春を囲みながら廃屋を出ようとする杏たち一行。不破は心配げな顔つきだったが、先頭は九条と三条に任せた。

 廃屋の外の明るさが眩しく感じられたちょうどその時。

 パン!!

 また、ピストルの乾いた音が鳴る。

 杏と不破が盾になり剛田達の前に出て、剛田と美春を守る。杏たちの前にいる九条と三条が廃屋を最初に出てしまう格好となり、今更ながらに杏は先頭二人に対し強い違和感を覚えた。

 まさか。

 すると突然、武器をもった犯人らしき人間が前方から2,3人現れた。こちらに向かって話しているのはどうやら朝鮮で使われている言葉。


 それは一瞬の出来事だった。

(おい、待て!!)

 杏が発したダイレクトメモの言葉が空回りするかのように、九条が相手の胸に弾を1発当て、犯人の仲間であろう1人がもんどり打って後方に倒れた。

 三条も九条が発射したすぐあと杏の許可を得ずに1人の脳幹に発射、相手は膝を落とし前に倒れた。

 あとの1人は、不破が手足を撃ち抜き射殺には至らなかった。

 他に犯人がいないのを確認した杏が倒れた男たちに近づき2人の脈を計ったが、もうどちらも息は無かった。

 


 不破は怒り心頭に発したようで、九条たちの前に回り込む。

「なんで許可も得ずに射殺するかな」

「あの場合、僕と三条が何らかの事情で守れなくなったら剛田さんと美春さんに危険が及んでしまいますから」

「実際に君らは無事で、僕とチーフが剛田室長たちを囲んでたでしょうが」


 杏はこれからのことを考えつつ、美春を毛利市に置くこと自体に賛成の意を表さなかった。

「少なくとも伊達市に来てもらって、安全な住まいを提供しないと」

「五十嵐の言う通りかもしれない」

 剛田も最初は杏の考えに賛成したが九条の実家ではそれを許さないとのことで、実家からのお達しを九条が剛田に説明すると、腕組みして自分としての考えを押しとどめたようだった。


 そう。


 美春は九条が近くにいるからと伊達市のホテルに移った直後に行方不明となる事件が起こり、見つかったのは400km以上も離れた毛利市だった。

「あの謎が解明できない限り、毛利の家では叔母を手放そうとはしないでしょう。ここにきて、またこういう事件に巻き込まれたわけですし」

「じゃあ、あたしがSPとしてE4近くに家を借りる。そして毎日一緒に暮らす。あたしの顔は覚えてるみたいだし。それならどう?」

 九条は黙って考えを頭の中で纏めているように見えたが、それを言葉にしようとしていない。少なくとも杏にはそう見えた。

 少しは杏のプランに興味を示してはいたのだろうが、返答に値するほどのプランではなかったのだろう。その様子を見ていた不破の怒りは頂点に達したらしく、九条に掴みかかろうとする。杏の怪力で不破を押し込めなかったら、今頃九条は2,30mほど投げ飛ばされていたかもしれない。

 杏は不破を宥めて九条の返事を待った。

 プラン以前の問題を九条は気にしていた。

「今日の犯人は、朝鮮語を話してました。やはり以前誘拐したのも朝鮮国にいる人間でしょうね」


 朝鮮国か。

 逢坂美春として夫と一緒に海を渡ってから20年余り。

 その中で夫の逢坂は亡くなり、美春は朝鮮国の中で1人生きてきた。

 苦楽を共にした夫との別離(わかれ)、異国で独り生きる哀しさ、辛さ、寂しさ。

 それらすべてを飲みこんで美春は生きてきた。

 剛田の助言や融資に頼るところもあっただろう。

 せめて剛田のことだけでも思い出してほしい、それが杏の願いだった。


 空にはオレンジやグレーの色が差し込み、もう、日暮れ時に差し掛かろうとしていた。

 2000GTとGT-Rに2人以上乗るのは無理があるので、九条と杏と美春が1台のタクシーに乗って先導し、金沢市の警察府御用達のホテルに泊まった。

 ここはセキュリティがしっかりしているので警察府の人間か、その家族でないと泊まれない。九条は美春を実母と書き込み杏と一緒のツインルームを取った。

 他の4人はシングルルームでツインルームの近くに部屋を準備してもらい、よもやの事態に備える。


 食事はルームサービスでと主張する九条だったが、そのルームサービスのボーイに扮した敵が現れない可能性もゼロとは言えない。

 本来、一切のリスクを冒さないのがE4の手法であり、杏のポリシー。たまにわかっていながらリスクを取るときもあるが、それは他に手立てがなく、テロ制圧を早急に解決するために必要な場合のみだった。

 今は美春を守るのが第一に優先すべき事であり、リスクを冒す必要などどこにもない。

「食事は夕方6時に。4人で迎えに来て。1人でも欠けたら事件があったと見做してここからは出ないことにするから」

 杏のスキームに皆が賛成し、夕方6時まで杏は美春と一緒に部屋でのんびりと過ごすことにした。

「美春さん、何か飲みませんか。お茶とコーヒー、紅茶、どれにします?」

「そうね、久しぶりにマッコリが飲みたいわ」

「マッコリ?朝鮮国のお酒ですね。ルームサービス兼SPに頼んでみましょう」


 各部屋にいる者たちとはダイレクトメモを通じて話すことにしており、皆ON状態にしている。

 杏は不破にダイレクトメモを飛ばした。

(おい、不破。マッコリとミックスナッツルームサービスで持ってきてもらえるかどうかフロントに聞け。で、そっちの部屋に運んでからお前がこっちに持って来い)

(そんな言葉遣いしてると剛田室長が泣きますよ、チーフ)

(大丈夫だ、室長から一旦時計を預かっているから向こうには聞こえないはずだ)

(やれやれ)


 15分も経った頃か。

 不破がマッコリ2人分を運んで部屋に現れた。

 カメラ付インターホンの画像をわざわざE4にいる設楽に解析させて、100%不破ならドアを開けるという念の入れ様。

 目的の物を入手すると、不破をお払い箱にしてドアをぴしゃりと閉める杏。

 公務中とは言え、ついつい不破も地が出てくる。

(酷くねー?ありがとうの言葉もないわけ?)

(あ、忘れてた。ありがとう、不破君)

(取ってつけたような礼だな)

(細かい意見はあとで聞く)


 不破もマッコリと聞いて朝鮮国の酒だと気付いたはずだ。

 杏が飲みませんかと勧めたのは部屋の冷蔵庫に入っていたものだったが、美春はそれらを飲みたいとは言わなかった。

 たぶん、美春が大好きで一押しの酒なのだろう。

 瓶のマッコリを小さなグラスに注ぎ入れ、美春は乾杯、とグラスを杏の方へと近づける。

「乾杯」

 口元にグラスを傾ける美春。杏は飲まずにグラスをテーブルに置いた。

 直ぐに飲み終えた美春は、首を傾げた。

「美味しい。でも変ね、どうして久しぶりに飲みたい、なんて思ったのかしら」

「朝鮮国に関わるお仕事とか、もしかしたら旅行先で飲んだのかもしれませんね。いずれ朝鮮国に関わりがあったのかも」

「そうね、あなたは飲まないの?」

「実は下戸でして」

「そうそう、マイクロヒューマノイドだものね」


 美春はハッと目を見開き、杏をじっくりと見つめる。

「あなたのことだけは、なぜか思い出せるの。前もこうしてホテルの中でお酒を飲んだわ」

 杏は柔和な表情を浮かべ、美春に問いかけた。

「そうです、正解です。それがいつ頃かは思い出せますか?」

 美春はしばらくグラスに目を落していたが、次第に苦しそうな表情に変わり眉間に皺をよせた。

「ごめんなさい、やっぱり思い出せない」


 夜のディナーと朝の軽い食事を済ませると、剛田は不破とともに毛利市に戻り、設楽がシステムで見つけておいたNSXを取りに向かった。

 時間制駐車場で埃を被りつつあった赤のNSXに乗り込んだ剛田は、2000GTの不破を残しE4へと先に向かった。

 その間も、杏と美春はホテルで待機していた。

 これからどうするか。

 杏のプランは受け入れてもらえそうにない。

 九条と美春が一旦毛利市の実家に戻り、複数のSPを付けるよう九条が実家に提案することで話は纏まった。

 九条たちが毛利市に向かうためハイヤーを呼ぶと、三条はひとりGT-Rに乗って伊達市を目指してホテルを出ていき、残りは杏と不破だけになった。


 杏が2000GTの助手席に乗る。

「少し飛ばすぞ」

 そういうと、不破は思いきり2000GTのアクセルを踏み込んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ