第1章 第4話 「宿屋の娘の困惑」
しがない宿屋の一人娘のあたしには、この学園での目標がある。そう、もちろんお客さんをゲットすること。
学園…つまり王都から馬で一週間ほど行った場所にある町、海に面するその観光都市であるそこがあたしの故郷。海があるから夏はもちろん人がたくさんいるけれど、冬は貴族様は社交の時期だし一般のお客さんも全然いない。それはどの都市でも基本はそうなんだけれど、あたしたちの都市は特にひどい。海の形的に大型の船は出せず、貿易都市というわけではないからだ。あたしの町を目的地にするには、あたしの町には美味しい魚以外何もなさすぎる。
そんな時、町の平民学校では学年で一番の優秀者だったあたしは、なんと学園の入学試験を受ける権利を得た。魔力は平民の中でも並み以下で少ないものの、読み書き計算は宿屋を継ぐためにそりゃあもう勉強していたからだ。そのおかげか少ない魔力の運用も上手いことできていたし、試験を受けるレベルになんとか至っていた、というわけだ。
権利を得てからは、平民学校を出てすぐに働かせてもらうつもりだった宿屋の店主、つまりは両親を説得し、そこからは座学の勉強、魔法の実習を半年間猛烈に頑張った。その甲斐あっての、今回の入学だ。
「なぁ、入学の挨拶してたのって、あんただよね」
「う、うん、そうだよ」
入学式の後、教室へと移動した。すると、さっきの入学式の挨拶をしてたお坊ちゃんが偶然同じクラスだったもので、思わず話しかけた。この学園は実力によってクラスが変わるので、このお坊ちゃんも物凄い優秀というわけではないらしい。ここは学年でも6クラス中4番目のクラスだ。むしろ、貴族の割には下の方だろう。少し驚いた表情で、でも、嬉しそうに返事をしてくる。
「あの挨拶、あたしは好きだったよ。だから敬語はなしで話しかけたんだけど、あってる?」
あの挨拶は、「僕はこの学園では平等に接する」と言ってるようなものだった。あたしにそう言われて、お坊ちゃんは嬉しそうに微笑む。
「うん、そこを汲み取ってくれて嬉しいよ。ありがとう。僕は学園の中では、なるべく自由に学びたいんだ。これから、よろしくね」
「ん、ああ、こちらこそ、よろしく」
男なのに、春の桜みたいな笑顔と、夜明けの波音みたいな静かな声で普段は話すんだな、と思った。故郷がなぜか少し懐かしくなる。なんだかそれがむず痒くて、そっけない返事になってしまう。
「あ、そうだ、僕のことはゼットって呼んでくれるかな?本名は、あまり言いたくなくて。学校に通うための名簿登録の名前も本名じゃなくて良いみたいで、僕はこの名前で登録してるんだ」
「へぇ、そんなことできるんだ。にしても学校でも偽名なんて難儀だね。それに貴族様なら顔も知れてるだろうから、意味ないんじゃないか?」
「ん〜、実は僕、病気をしてたせいで成人のお披露目式をしてなくてね。貴族は成人するまでと後で名前を変える人も多くて、僕もそうなんだ。だから、僕の見た目とか存在とか、前の名前を知ってても、今の名前は知らない人が多いんだよ。僕はあまり社交界に出ないし、優秀でもないから僕個人に興味ある人はあまりいないし…」
しまった。これは地雷だったか。ついつい踏み込み過ぎた。昔から両親に、お前は客に入れ込みすぎるって言われていたけれど、その悪癖が出てしまった。
「ごめん。貴族様は色々大変なこともあるよな。これからはゼットって呼ぶよ。あたしは…そうだな、じゃあせっかくだし、アイって呼んでくれ」
「…気を遣わせてごめんね、アイ。家族の仲は良いし、アイが思ってるような理由で隠してるわけじゃないから安心して。…そうだ、せっかくだし、今日の学校の予定のあとに一緒にお昼でもどう?」
「…あたし、あまりお金はないんだけれど、良い?」
「いいよ。僕が奢る。僕、実は自分でお金稼いでてね。一応、自立もしているんだ。凄い高いところは無理だけど、そうだな…冒険者の中で流行りの宿屋の中にある食堂、評判が良いみたいなんだ。どう?」
「いや、さすがに奢られんのは嫌だ。この街の宿屋の飯ってのも食べてみたいし、都合良い。だから、ちゃんと、平等だ。そうだろう?」
「ふふ、わかった。先生も来そうだし、また後で、アイ」
「あいよ、また後で」
そう軽く挨拶して、自分の席へと戻る。家族と仲も良くて、自分でも稼いでる…それなのに、自分の名前は隠すって、変なやつだな、と思う。でも、あたしが家族と仲が悪くて家名を言いたくないのかと思ってたのも察せられてしまった。多分、そういう人もいるための措置ではあるのだろう。だが、彼は多分本当に違う。「家族の仲は良い」と言った彼の顔は、とても穏やかだった。
にしても、流れで急にお昼を食べることになってしまった。両親は仕事があるからと入学式の前に別れを済ましているし、どうせお昼は食べないといけないのだから、こちらとしても嬉しい誘いだ。できれば、味を盗んで帰りたいくらいだ。
けど、これって。
「…デート、なんじゃないかなぁ…」
今日初めて会った歳近い男の子との、二人での食事。それはなかなかに、ハードルが高い気がした。