親子ごっこ
見れば画面の左端にスペースが設けられ、縦横にテロップが表示されていた。
L字型字幕というやつだ。
大災害や特別な法案の可決、それから海外で人質になっていた日本人が殺された時なんかもこうなったと聞いている。
どれも俺が異世界にいる間の出来事なので、リアルタイムでこれを見るのは初めてだった。
『都庁に巨大生物襲来』
『緊急避難勧告』
子供向けアニメにはそぐわない、物々しい文字列が流れていく。
フィリアは知性の大半を喪失したが、言語理解スキルはまだ保持している。
おかげで漢字だろうがなんだろうが問題なく読めてしまうので、怖くなったのだろう。
「やだ……おっきいお化け、やだ」
フィリアは震えながら、俺にしがみついてきた。
ぐずったような声を出しているが、声質は大人びたアルトだ。
「安心しろ。俺がついてる」
言って、フィリアの肩を抱く。
まるでごっこ遊びだ。
自分で自分に呆れながら、テロップに目を向ける。
――巨大生物、襲来。
現代社会ではありえないはずのファンタジーな字面に、嫌な予感を覚える。
俺はリモコンを操作し、チャンネルをアニメから報道番組に変えた。
『皆さん! これはCGではありません! 本物! 本物なのです!』
途端、ヘルメットを被って大騒ぎする、男性リポーターのアップが映し出される。
『都庁舎が大変なことになっております!』
リポーターの背後には、傲然と背の高いビルがそびえ立っていた。
二本の棟が途中まで繋がり、漢字の「凹」に酷似したシルエットを形作る、特徴的な建物。
東京都庁第一本庁舎だ。
高さは二百七十四メートルにも及び、まさに首都の象徴とも言えるビルである。
そのてっぺんに、異変が起きていた。
巨大な鳥のような生物が、頂上部分で羽を休めているのだ。
しかし顔つきは鳥というより、爬虫類に近い。
羽の生えた恐竜、が一番しっくりくる表現だろうか。
俺はこの生き物をよく知っている。
ドラゴンだ。
異世界で何度となく討伐した、天災級のモンスター。
それがどういうわけか、ビルの頂上に居座っているのである。
赤い鱗と筋肉質な体つきからすると、おそらくはレッドドラゴン種だろう。
飛行能力は最新鋭の戦闘機並で、吐き出すブレスは水素爆弾。
性格は躾のなってない闘犬で、知能はカラス程度。
そんな生き物がひょっこり現れて、コロロロロ、と不機嫌そうに喉を慣らしているのだ。
「不味いなこれ……」
あれはその気になれば街を火の海に変えられる、生きた災害である。
やつの生態を知っている身からすると、とにかく余計な刺激をするなと言いたい。
なのにこの局の報道ヘリは、バリバリと音を立ててドラゴンの周りを旋回していた。
見上げた記者根性だが、いくらなんでも無謀すぎる。
『私の目には! 怪獣のように見えるのですが! これは一体なんなのでしょうか!』
リポーターは興奮した様子でマイクを握っていた。
スタジオとは中継が繋がっているようで、ワイプに表示されている顔と時々会話をしている。
『宮部さん、あれって本物なんですかね』
『は?』
『いやね、作り物なんじゃないかって声が上がってるんですよ』
『生きてます! 間違いなく生きてますよこれは! 瞬きする様子も見えます!』
『じゃあもうちょっと近付いて貰えます? 出来ればマイクも向けてくれませんかね』
宮部と呼ばれたリポーターは、スタジオの司会者にのせられてヘリから腕を伸ばした。
ドラゴン相手に、何を考えてるんだこいつは?
「……よせ!」
一視聴者に過ぎない俺の声が、テレビ中継をする人間に届くはずがない。
それなのに俺は叫び、立ち上がっていた。
不用意に火龍を刺激するとどうなるかは、誰よりも知っている。
まだステータスが低かった頃とはいえ、仮にも召喚勇者の俺が重症を負わされたのだ。
魔法の加護も受けていないヘリと一般人がどうなるかは、言うまでもない。
やがてドラゴンはカメラに顔を向け、かっぱりと口を開けた。
夜だというのに、真っ赤の喉の粘膜がありありと見える。奥の方が発光しているのだ。
龍の食道が光っているとなると、やることは一つ。
『宮部さん? 宮部さん!? ……皆さん落ち着いて下さ――』
そして、ブレスは放たれた。
爆音と共に真っ赤な光線が射出され、凄まじい勢いで映像が乱れる。
ローターを掠めたらしく、ヘリは見る見る高度を落としていく。
「……言わんこっちゃない」
言いようのない脱力感に襲われる。
まさか生中継で墜落事故を見せつけることになるのだろうか?
はらはらしながら見守っていると、ヘリは大きく旋回し、近場のビルに不時着した。
この状態からの生還は、パイロットの運転技術を称賛するべき場面だろう。
宮部リポーターは『奇跡が! 今奇跡が起きました!』と場違いなテンションで声を張り上げている。
よく見るとスミレテレビの番組なようだし、そのうちこの映像を使い回して特番でも組むかもしれない。
黒澤プロデューサーならやるだろう。
数字が取れそうだし喜んでるんじゃないかな……と急に馬鹿馬鹿しくなってくる。
俺はベッドに腰を下ろし、チャンネルを元のアニメ番組に戻した。
ため息をつきながら顔を横に向けると、縮こまって震えるフィリアと目が合う。
かつて王国きってのタカ派で知られていた神官長は、両耳を手で抑え、涙を流していた。
「悪い。今のはビビるよな」
謝りながら、ぽんぽんと頭を撫でる。
それに安心したのか、フィリアは勢いよく抱きついてきた。
鼻をぐすぐすと鳴らし、俺の胸に顔をこすりつけてくる。
大きな赤ん坊。
庇護欲なのか罪悪感なのか、よくわからない感情が湧いてくる。
俺はフィリアの涙を、親指でそっと拭き取った。
その時の感触で、わかってしまった。
この女の肌は、肉体年齢相応の衰えが現れている。
妙齢の美女と言えば聞こえはいいが、それでも二十九歳相当の体なのだ。
ところどころくすみがあるし、ハリも失われつつある。アンジェリカ達とは、全く肌質が違う。
これ以上老けないとはいえ、もう若くはないのだと実感させられる。
「う、う、うううう」
なのに、俺にくっついて泣きじゃくり、肩を震わせる仕草は幼い子供そのもの。
匂いも触り心地も大人の女なのに、このざまだ。
「泣くなよ。俺がついてるから」
俺は少しでも安心させてやろうと、背中をさすってやる。
てのひらを上下に動かすたび、衣擦れの音が響く。
ブラジャーが浮き出た部分が段差になっていて、そこを通る時だけ音が変わる。
本物の子供なら、こんな下着は必要ない。
けれどこいつの体は立派な大人だから、きちんと着けさせている。
どこからどう見ても幼児ではない女。娘とみなすには、無理がありすぎる女。
俺は何をしてるんだろう?
本来なら死んでいたはずの人間を己のエゴで救って、茶番みたいな親子ごっこを繰り返している。
こいつは悪人で、ずっと俺と敵対してきたのに。
それなのにだ。
情けなんかじゃなく、完全に自己満足なのも滑稽さに拍車をかけていた。
そう。俺は決してフィリアに同情したから、助けたわけではない。
自分の思い出が可愛くて、助けたのである。
昔好きだった女の写真を、一度ゴミ箱に捨てたのに拾い上げてしまった。そんな感覚。
「……未練たらしいな、俺」
フィリアの体温を感じながら、テレビに目を向ける。
画面の中では俺が小学生の頃から歳を取らない主人公が、相棒の電気ネズミと共に草原を走っていた。
エンディングテーマに合わせて、スタッフロール流れている。
アニメの主人公が歳を取らない分にはいい。きっと世代を越えて愛され続けるだろう。
だが現実に歳を取らない女――それも頭がやられている――は、誰が面倒を見てくれるのだろう。
俺が死んだあと、フィリアはどうなるというのだ?
沈んだ気持ちで眺めている間に、エンディングが終わった。
次回予告が始まり、また来週も見てくれとよな、と視聴者に向けて語りかけている。
フィリアの好む番組が、終わってしまった。
こうなると、一気に子守の難易度が上がる。
勝手にそのへんを歩き回るし、部屋の中を散らかし始めるのだ。
酷い時はドアをガチャガチャやって、外に出ようとする。
どうにかして大人しくさせなければならないのだけれど、その方法がいつも俺を落ち込ませる。
「フィリア。お風呂行こうか」
「……ん」
「嫌か?」
「いく!」
フィリアの心は子供になってしまったけれど、性欲はあるようだし――俺への好意も残っている。
それが、酷く虚しい。




