饒舌
鑑定結果によれば、この冴えない中年男の名前は田中洋一。
歳は俺より一回りほど上に見える。
備考欄には「失業し、妻子に逃げられた中年男性」としか書かれていなかった。
なので人となりはよくわからない。
終始怯えっぱなしなため、あまり気が大きくないのは伝わってくるが。
「なあ田中さん」
「ひっ」
なんで私の名前知ってんですか、と眉をへの字にする田中。ただえさえ気弱そうな顔が、一層頼りなくなる。
この年代なら備わっていてもおかしくない、威厳やら風格やらは皆無だ。
こりゃただの被害者かもしれない。
「あんたそこで寝そべってる若者達と、どういう関係なんだ。まさかグルなのか」
「めっそうもない!」
田中は言う。
家賃の滞納でアパートを追い出され、ふらふらとさまよっていたところをこの二人に拾われたのだと。
免許を持っているかと声をかけられ、首を縦に振ったらその場で契約完了。
食事と引き換えに、専属運転手としてこの一週間こき使われていたらしい。
「そろそろ自由にして下さいと頼んでも、聞いちゃくれません。段々怖くなってきたところだったんですよ」
一体どこまで本当なんだろうか?
信じてやりたいのはやまやまなのだが、鵜呑みにするのは危険だろう。
まさか人間相手に拷問をするわけにもいかないし、どうやって確めればいいのか。
俺はアンジェリカの方を向き、「どう思う?」と聞いてみる。
未だ目をつむったままの異世界少女は、
「声のトーンからすると本当っぽく聞こえますけど」
と答えた。女の勘は当たると言うし、賭けてみようか?
「田中さん、最後にもう一個だけ確かめたいことがある」
「な、なんでしょう」
「駅前の赤龍堂ってラーメン屋、行ったことあるか?」
「……ありますね」
「素直な感想を言ってみてくれ。どうだった?」
「不味いですね。あれを美味いと言ってる人は、ガソリンもコーヒーも同じ味に感じるんじゃないでしょうか」
「あんたとは気が合いそうだ」
あそこの店長はレビューサイトに金払って星貰うのには一生懸命だけど、味の探求なんて一切興味ねーからな、と黒い内情を語る俺である。
田中は目をしばたかせながら、どうりでと納得していた。
「正しい味覚の持ち主同士、俺らって上手くやってけると思うんだ」
「はあ」
「十万払う。今日だけ俺の運転手になってくれないか」
田中の目の色が変わる。急に生気が出てきたのがわかる。
「これだけあれば今月は乗り越えられるはずだ。その代わり俺がここでやったことも、これからやることも他言無用で頼む。駄目か?」
「……あなた、手品師の中元さんですよね」
「俺を知ってるのか」
「あれだけテレビに出てれば、そりゃあ十万くらいポーンと出せるんでしょうが……まさかこんな、チンピラ相手に喧嘩をするような人だったとは……」
元ヤンか何かですか、と田中は声を震わせている。
「まあそんなもんだ。十七年近く暴れまわってたしな。で、どうなんだ。運転手やってくれるのか」
田中は視線を空中にさまよわせたあと、いいでしょうと頷いた。
「約束ですよ、十万円ですからね」
交渉成立。俺は田中と握手を交わすと、財布から万札を一枚引き抜いて手渡した。まずは前払い。
安いもんだ。不幸な失業者に施しを与えつつ、移動可能な休憩所を確保出来たのだから。
ここなら捕まえたゴブリンをぶち込んでおけるしな。
「そういやこの車って、誰名義なんだ? あんたのか? それともレンタカーか? 盗難車だったりしたら面倒だな」
「そこでうずくまってる鈴木さんが買ったそうなんですが、動かし方がよくわからないと言ってたんですよ。どういうことなんでしょうね」
「まだこっちの社会の常識を理解してないのかもな」
「……ところでその、いいんですか。鈴木さん、両目から血を流してるんですが。失明なんかしてたらシャレになりませんよ」
「問題ない」
俺は鈴木ことバルドの目元に手のひらをあて、回復魔法を唱える。
見る見る出血が収まり、元の青白い白目に戻っていく。
「ほらな。こいつは元々怪我なんかしてなかったのさ」
「……え? え?」
「目の錯覚だったんだよ」
そういうものなんでしょうか、と田中は不思議そうな顔をしている。
「ただの手品だったんだ。わかるだろ?」
「手品……? 躊躇なく目に指を突っ込んでたように見受けましたが……」
「手品だ。今から行なうのも安全なマジックだから、例え何があろうと気にしないように。アンジェ、お前は耳も塞いでろ」
言い終えると、俺はバルドの胸ぐら掴んだ。
さきほどの治療で、既に会話が可能なくらいには傷が癒えているはずだ。
「他にもゴブリンがいるんだろ? どこに隠れてるのか言え」
「知らねえ」
「記憶に制限がかかってるのか?」
「知らねえ」
らちが明かない。
「仲間を庇ってるつもりなら、ご愁傷さまと言っておこう。お前が今日ここを通りがかるのは、他のゴブリンから聞いたんだ。お前、売られたんだよ」
「……んだと?」
「なのにお前は友情に殉じるんだな。いや、悪いことじゃないぜ。小鬼にも自己犠牲の概念があったなら、それはそれで素晴らしいことだ。俺はゴブリンってやつを見直したよ」
畜生、とバルドは叫んだ。
「俺を売ったのはゴウルか!? それともイップか? イップだな!?」
知能も低ければ、信頼関係も薄い。ゴブリンとはそんな種族である。
こいつらはかろうじて血縁者には情を感じるようだが、それ以外の個体とは利用し合う関係でしかない。
「知っているゴブリン二匹の居場所を吐け。そしたらお前は生かしてやる」
バルドはすっかり饒舌になっていた。
媚びるような目で、ぺらぺらと同胞の隠れ家を語り始める。
一件は駅前のゴミ屋敷。
もう一件は孤独な婆さんが野良猫に餌をやってこしらえた、有名な猫屋敷。
わざわざ悪臭を放つ場所ばかり選んでいるのは、ゴブリンの生態ゆえなのだろうか?
「ちげーよ、最初から臭かったら何を持ち込んでも騒ぎになんねーからだよ」
けけけ、とバルドは笑う。
「どんなものを持ち込んだんだ?」
「そりゃあ人間に決まってんだろ。風呂に入れてねーから臭うのなんのって」
「……人をさらったのか?」
そうだ、こいつらは元々この世界にいた人間と、入れ替わる形で紛れ込んでいるのだ。
ならば身分を奪い取られた人物は、どこへ行ったのか。
殺されていないのだとすれば、生きたまま閉じ込められているのではないか。
俺は田中に向かって、車を出すよう指示を送った。
行き先はゴミ屋敷だ。




