確保
一月二十七日。約束の日だ。
俺は相良山のてっぺんで寝そべり、ぼうっと山道を眺めていた。
俺以外の登山客は見当たらない。
無理もなかった。
標高がたった数十メートルの、みすぼらしい冬山なのだ。
観光名所でもなんでもない、地面に出来たイボみたいな場所だ。
地元住民ですらほとんど足を踏み入れず、業者がゴミを不法投棄するのにしか使われていない印象がある。
よほどの事情がない限り、誰もこんなところには来ないだろう。
おまけに今は、平日の午前九時。
学生も社会人も、山登りしている暇はない。
それでもご隠居老人や、物好きなキャンプ客がいる可能性はあった。
その時は背後から忍び寄り、昏睡魔法で眠らせようと思っていた。
が、幸いなことに人影はなし。
記録的な寒波が、人々の外出を控えさせる方向に働いたのかもしれない。
そうとも。
こんな日にわざわざここを訪れるのは、わけありな人間だけなのだ。
俺や、冴木裕太のように。
ザリザリと砂利を踏みながら、細身の少年が走ってくる。
息も絶え絶えに、必死の形相で足を進めている。
俺は今、自分に隠蔽をかけている。
裕太の目には何も見えまい。
「……大槻さん……大槻さん……」
裕太はすぐ側にいるはずの俺を探し、叫んでいる。どこだよ! 大槻さんを返してよ! と。
多分、悪人ではないのだろう。
危害を加えるのは忍びないので、速やかに昏睡魔法をかけることにした。
立ち上がって、裕太の背中に呪文をぶつける。
「なよなよしてると聞いてたが、頑張ったじゃないか」
眠りにつき、倒れ込んだ裕太を受け止める。
やけにあっけない。
絶対にこのままでは終わらないはずだ。油断は禁物である。
なぜならカナは、裕太を尾行してきたのだから。
己に隠蔽魔法をかけ、無断でついてきたのだ。
圭介Cは今朝早くから、望遠鏡越しに冴木家を監視している。
カナの生命感知に引っかからない、超遠距離からの監視だ。
レンズから覗き込めば、隠蔽をかけた相手だろうと姿を見ることが出来る。
冴木家を出入りする人間は、逐一スマホから俺に知らされている。
『カナも三人飛び出した』
が数分前に圭介Cから送られてきたメッセージ。
確実に、カナもここに来ている。
どこだ。
俺は戦闘態勢を取り、あたりを伺う。
不意打ちは不可能だと、全身で伝える。
やがて何もない空間から、三本の光剣が発生した。
カナだ。
どうやら、あまり高レベルの隠蔽ではないらしい。
スキルで発生させた刀身までは隠しきれないようだ。
ヴゥンと音を立てて揺れる光の刃は、迷うような動きを見せている。右へ揺れたり、左へ揺れたり。
なぜ奇襲が予測されたのかわからない。どうすればいいのかわからない。現在のカナの心境は、そんなところだろうか。
「解呪」
俺は光剣に向かって、浄化の魔法を唱えた。
まばゆい光があたりを包み込んだかと思うと、カナを覆っていた隠蔽のベールが引き剥がされる。
姿が顕になったカナ達は、三人とも憤怒の表情をしていた。
「あああァァー!!」
一人が、大振りな撫で切りを繰り出してきた。
俺は軽く後ろに跳んでやり過ごす。
攻撃を見切られたカナは、体勢が大きく崩れた。
隙だ。見逃すわけにはいかない。
閃光弾の魔法を放ち、つんのめりになったカナを蒸発させる。
まずは一人。
二人目にはこちらから飛びかかり、顔面に正拳突きをおみまいする。
「ギッ!」
パァンと水音を立てて、カナは首から上が消失した。水風船を割ったような手応えだった。
首なしとなった体は、ガクガクと痙攣しながら倒れ込む。
再生されては面倒なので、こちらも大火力の魔法で全身を消滅させた。
「どうする? あと一人だが」
最後に残されたカナは、中段に剣を構えている。
視線は俺と裕太の間を何度も往復していた。逃げるべきか救出に専念すべきか、迷っているのだろう。
「力の差はよくわかっただろ。大人しく降参しろ」
真正面からぶつかって勝てる相手ではない。それはしっかりと伝わっているはずなのだが。
「……わかった」
カナは剣を収めると、両手を上げた。降参のポーズ。
あまりにも聞き分けがいい。カナの性格からすると、不自然ですらあった。
第一、まだ目に闘志が宿っている。
あまり嘘が得意なタイプではないようだ。
ここはあえて乗っかって、その上でやり込めた方が上手くいくだろう。
俺は「最初から大人しくしてくれればよかったんだ」と言いながら、無造作にカナに近付いた。
肩に手を置き、いかにも話し合いに入るようなそぶりを見せる。
「君、六人に増えてたよな。あとの三人は家に置いてきたのか」
「……まーね」
「そう警戒するな。穏便に済むならそれに越したことはない。君も裕太も生きて帰れるように……」
その時である。
あろうことかカナは俺の股間に向かって、光剣を突き立てようとしたのだ。
最悪の騙し討ちだった。
「無駄なことを」
防御力が三万を超えたあたりから、俺は戦闘で痛みを感じたことがない。
眼球でさえ刃が通らないのだ。
例え局部であろうと、同じこと。
「……信じらんない。普通こんなとこまで鍛える?」
「好きでこうなったわけじゃない。だが精神的には傷つくんだぜ」
やむを得ず、カナの両腕を切り落とす。
これで神聖剣スキルの使用は不可能だ。
ここへ来る前に自動回復魔法をかけていたかもしれないが、解呪で隠蔽ごと吹き飛んでいるはずだ。
新たに腕が生えてくる恐れもない。
「リジェネー――」
もちろん、魔法は再び詠唱し直すことが出来る。ちょうど今のカナのように。
だがそれをむざむざ許すほど、俺も愚かではない。
カナの口に指を突っ込み、回復魔法を唱えられないようにする。
「――! ――っ!」
「無理だ。お前の顎じゃ俺の指は噛み切れないよ。本気で噛んでるんだろうが、スポンジに挟まれてるみたいな感触だ」
「――っ! ――ぎっ――!」
「俺とお前じゃ基礎ステータスが違い過ぎる。諦めろ。もうお前に打つ手はないんだ」
カナはまだ自由が残されている足で、必死に俺の爪先を踏んでいる。
虚しい抵抗だった。
「話し合おう。女の子をいたぶるのは好きじゃないんだ」
カナは涎を流しながら、俺の指に歯を食い込ませようと足掻いている。
「お前は生命感知が使えたよな? 残りのカナを探すレーダーになって欲しい。それをやってくれたら、ここにいるお前は生かしてやってもいい。他のカナは始末する」
「……ぎ……! ぐ……!」
「全てが済んだら、お前は普通の人間として生きろ。どうだ? 妙な選民思想は捨てろよ。気に入った人間以外は殺すなんて、やめようじゃないか」
同じ召喚勇者のよしみだ、と諭すように語り聞かせる。
伝わってくれただろうか?
「――っ!」
カナの返答は、「俺の股間を蹴り上げる」だった。
「効かないと言ってるだろ」
やむを得ず、カナに恐慌のデバフをかける。
恐怖心と痛覚が数倍に引き上げられる、悪辣な状態異常。
カナの精神が壊れなければいいのだが。
「昔話をしようか」
俺はカナの耳元で、異世界時代の冒険譚を語る。
「俺はね、あっちの世界でゴブリンを絶滅させたんだ。どうやったと思う?」
ゴブリンの子供を生け捕りにして、巣穴の前に磔にしたこと。
怒り狂った親ゴブリンが飛び出してきたところを、次々に討伐していったこと。
口にするのもおぞましい、醜悪な方法で拷問したこと。
なんでもない思い出話のように、カナに聞かせる。
臨場感たっぷりに、耳を塞ぎたくなるような描写まで詳細に。
俺のゴブリン退治は、もはやどちらが鬼なのかわからくなるようなエピソードで満ち溢れている。
エルザの人生を奪った種族と思うと、全く加減が効かなかったのだ。
「お前があんまり頑固なら、ゴブリンと同じように扱わなきゃいけない。今話した責め苦を延々と続けられるなんて嫌だろ? ……ああもう、漏らすなよ」
カナは失禁し、涙と鼻水を垂らしていた。
すっかり変わり果てた少女の頭を、ポンポンと撫でてやる。
「安心しろ。俺は人間相手ならここまで酷いことはしない。カナ、お前は人間だよな? 選別した者以外は殺めるなんて思想は、人間のそれじゃない。そんなことを考えてる悪鬼なら、俺は手段を選ばない。だがお前は違うよな?」
首を縦に振るカナに、聞き分けのいい子は嫌いじゃないと声をかけてやる。
さっきまで目に宿っていた戦意は、完全に霧散している。
純粋な怯えと、虚ろさを感じさせる瞳だ。
「あと三人か」
呟いた瞬間、ポケットに入れていたスマホが通知音を鳴らした。
急いで取り出し、画面を覗き込む。
『カナ達を追いかけて記者も山を上り始めてる。来た時とは別のルートで降りろ。今すぐ』
どうも、と圭介Cに返信をする。
情報化社会の便利さと不便さを同時に味わいながら、俺は冴木兄妹を抱えて下山した。




