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「いっちばんのりー!」
アンジェリカは弾丸のように飛び出し、階段を駆け下りていく。
久々の外出だし、はしゃぐのも無理はなかった。
俺は様々な事情から、アンジェリカを一人で出歩かせないようにしているのだ。
というのも、まだ権藤に依頼した身分証が届いていないのである。
ビザなし外人が職務質問を受けたら、確実に面倒なことになる。
なら姿が見えなくなるよう、隠蔽魔法をかけてともねだられた。
だがそれをやって単独行動されると、「迷子になった時に悲惨」という問題が発生する。
透明人間と化し、声も聞こえなくなるのが隠蔽状態だ。
即ち、人に道を尋ねるのが不可能になる。土地勘のない街を、半泣きでさまようはめになるだろう。
だから俺が側についてやれる時しか、外に出せない。
そして、最近の俺は忙しい。
アンジェリカの缶詰生活は、もうすぐ一週間目に突入しようとしていた。
そろそろ限界だったのだろう。
俺はアンジェリカに追いつくと、毛皮に包まれた背中に隠蔽魔法をかけてやった。
隣にいる綾子ちゃんは、不思議そうな目で俺の手元を見ている。
はたから見れば、女の子の背中に謎の念力を送る変人なのだ。
何やってんだこいつ? な感じなのだろう。
「アンジェリカさん……と仲いいんですか」
「そっちを気にするのか。いや、この子はホームステイみたいなもんで、俺は保護者なんだよ」
「……お父さんなんて呼ばれてますしね。親代わりなんですか?」
そんな俺と綾子ちゃんの会話に、何を思ったかアンジェリカも混ざってきた。
「お父さんは私の旦那さんですけど?」
言って、アンジェリカは慣れた手つきで俺と腕を組む。
平然と双丘を押し付け、ひじに柔らかな感触を伝えてくる。
綾子ちゃんの視線が怖いので、やめて欲しい。
「……仲、よさそうですね……」
「そうですよー。過保護に愛されてますからね私。いっつも外に出してって頼んでるのに、お父さんってば聞いてくれないんです。よっぽど独占したいのかなって思っちゃいますね」
誤解を招くような言い回しをするんじゃない。
今のはアパートの外に出してって意味だからね? と綾子ちゃんに弁解するも、ブチィッと何かが切れる音がする。
「そうなんですか……」
わなわなと肩を震わせる綾子ちゃんを尻目に、アンジェリカはますます密着してくる。
前途多難すぎる。
俺は街灯の光を浴びながら、ぼんやりと空を見上げた。
星はほとんど見えない。月があるはずの場所に、にじんだ光がある程度だ。
寒い。
最強寒波がどうのこうのと言われているだけあって、尋常でない冷気だ。
男の俺でさえこれなのだから、アンジェリカと綾子ちゃんはなおさらだろう。
さっさと用事を済ませて帰らねば。
俺が足を動かしたところで、ととと、と綾子ちゃんが近付いて来た。
で、何をするかといえば、
「寒いので」
ぎうっ。
と、空いている方の腕にしがみついてきた。
……む、ひょっとしてアンジェリカより大きいのか?
一瞬湧いた雑念を振り払いつつ、俺は言う。
「歩きにくいんだけど」
でも最強寒波なんですよ、くっついた方が温かいじゃないですか、と綾子ちゃんはなんでもないことのように答える。
左右を十代女子に挟まれ、よたよたと歩く三十路男。
絵面が援助交際である。
俺は黙々と、自分と綾子ちゃんにも隠蔽魔法をかける。
とても世間様に見せられる状態ではない。
ていうかもう歩きで移動するのはやめよう。
監視カメラに映ろうがなんだろうが知ったこっちゃない。俺の神経が持たない。
「わ」
「あ」
俺はしがみつく二人から腕を引き抜くと、左脇にアンジェリカ、右脇に綾子ちゃんを抱え込む。
有無を言わせず跳んで、建物から建物へと飛び移っていく。
「やだー! のんびりデートするのにー! 移動スキップしないで下さいよー!」
と抗議するアンジェリカ。元気である。
対する綾子ちゃんは、驚きを隠せないでいる。
ジャンプ系の芸はテレビでも何度か披露しているが、二人の人間を軽々と持ち上げる怪力は初披露かもしれない。
「……これ……手品なんですか……? 違いますよね……?」
既に人が増えたりしててむちゃくちゃな世の中になってるし、言っても大丈夫かなと思う。
「俺はね、勇者なんだよ」
「……?」
魔法だって使えるし指一本でトラックも持ち上げられるし、手足を切られても再生する。
多分、もう人間じゃない。綾子ちゃんは人間だったけど、俺は違う。
この説明でどこまでわかってくれたか知らないが、綾子ちゃんはすっかり黙り込んでしまった。
「……でも、普通の人より格好いいですよ」
【パーティメンバー、大槻綾子の好感度が9999上昇しました】
【大槻綾子の性的興奮が70%に到達しました】
【同意の上で性交渉が可能な数値です。実行に移しますか?】
目まぐるしく流れるテキストメッセージに視界を邪魔されながら、俺は跳ぶ。
左下から、アンジェリカの不機嫌そうな声が聞こえてくる。
「ちょっとちょっと! 何他の女の子といい雰囲気になってるんですか。そういうの禁止ですからね。お父さんは私のものなんですからね」
【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が600上昇しました】
【アンジェリカの性的興奮が70%に到達しました】
【同意の上で性交渉が可能な数値です。実行に移しますか?】
二人とも抱けとでも言うのか?
道徳の下限はここにあったのか、とうんざりしながら俺はファミレスの前に着地した。
若い子の好む味付けなどよくわからないが、こういう店なら一通りなんでも出てくるだろうとの判断だ。
俺は全員の隠蔽魔法を解除すると、入り口に足を進めた。
自動ドアが開き、「いらっしゃいませ」と店員に声をかけられる。
トイレ近くの席を選ぶと、俺はドカッと腰を降ろした。
アンジェリカは、「私ここー」と俺の隣に座った。定位置である。
綾子ちゃんは一瞬だけ壮絶な目をしてから、向かい側の席に座った。
「……お前、近くない?」
さも当然といった顔で俺の膝に手を乗せるアンジェリカに、ツッコみを入れる。
「だって食べさせて欲しいんですもん」
「……子供じゃあるまいし」
お父さんの子供だもーんと、まるで聞く耳を持たない。
普段からこんな感じな気もするけど、いつも以上に引っ付いてくる気がしないでもない。
綾子ちゃんに対抗意識を持っていたりするんだろうか。
食べにくいし店員の目が気になるし、どうしたものか。
メニュー表を開き、顔を隠すようにして持つ。
「……俺はピザとカルボナーラ。アンジェは?」
「ハンバーグセットってやつにします」
ぴらっとメニュー表を裏返して、今度は綾子ちゃんに見えるようにする。
やはり俺の顔は隠したままである。
「……グラタンにします」
「それだけでいいの?」
「……お腹、空いてないんで」
ネットカフェに詰め込んでる間に何か食ってたのかな、と思ったり。
ドリンク飲み放題のコースにしてあったし、小銭も少々渡してたし。
呼び鈴を鳴らし、店員を呼ぶ。
単なる家族連れと解釈されるのを期待しながら、俺は手短にオーダーを済ませた。
「私とお父さんって、店員さんにどう見えてるんでしょうね。やっぱりカップルですよね?」
「そんなわけない。どっかの駐在員の娘さんと、その通訳とかに見えてるはずだ」
そう見えてるといいな、と祈りながら俺は料理を待つ。
十分以内には届くはずだ。
暇だし久々にリズムゲーでシャンシャンしようかな、とスマホを弄ろうとしたところで、アンジェリカに太ももを撫で回されているのに気付いた。
一気に雰囲気が妖しくなる。
これじゃ外人パブから女の子をお持ち帰りしたみたいだ。
……アンジェリカ、出会った当初からこんな感じだよな。
生娘の癖に、一々やることが商売女っぽいのはなぜだろう。
「お前さ、あっちで男についてどういう風に教わってたの?」
「なんですか急に」
「妙にこう、俺への迫り方が積極的っていうか。夜の店っぽいというか。どこで何を教わったんだ一体」
「だってお父さんに嫁ぎに来たんですもん。色んな本読んで、勉強してきたんですよ」
「……ちなみにどんな本を?」
「『魔道キャバクラ大全』とか『実録! エルフ限定ガールズバー』とか」
「異世界にもキャバクラあったのか!?」
どうりで水商売っぽい行動が目立つと思った。
何か色々勘違いしているというか、極端な知識だけ仕入れているのではなかろうか。
「好きな男の人と食事に行ったら、隣に座って太ももを撫でて、お絞りを出してあげればいいんですよね?」
「お前こっちの世界の常識以前に、あっちの世界の常識もあんまり知らないんじゃないの?」
あまりの有り様に、愕然となる。
「……なんていうか、本に影響されて俺にベタベタくっついてるんだとしたら、やんなくていいぞ」
「えー」
「そういうの無理してやってるなら……って、無理はしてないんだったな」
アンジェリカは俺の体をさするたび、好感度と性的興奮が上がっているのである。
システムメッセージさんによれば、こいつは楽しんで俺にスキンシップをしているのだ。
恐ろしいやつだ。
どこかの外人バーにでも放り込めば、間違いなくナンバーワンになれるだろう。
ルックスもきちんと東欧系だしな。
最近はそういうの、減ってるからな。
ヨーロッパ美人を集めましたと宣伝しておきながら、南米出身を働かせてる店が多すぎるんだよ。
日本人の目には白人もヒスパニック系も見分けつかないでしょ? という舐め腐った経営方針の表れだ。
残念ながら、外人だらけの異世界で十七年も過ごした俺の目はごまかせないがな。
褐色肌でロシア美少女を名乗るんじゃねえよ。
マジ許せねえわ。
言い訳させて貰うと、俺だって好きでそういう店に行ったわけじゃないのだ。
テレビ局の皆さんに連れられて、嫌々入店したのである。
ただでさえ酒が飲めないというのにニセ白人をワラワラと見せられて、違いのわかる俺としては大激怒であった。
家に帰ってアンジェリカを見て、「やっぱ本物はこうだよな」と一人頷いたものだ。
つまり俺は、最低のおっさんだった。
仕事上の付き合いとはいえ、若いねーちゃんのたくさんいる飲み屋に行って……。
今日も不可抗力とはいえ、女の子を持ち帰ってきて……。
俺は……俺は……。
「アンジェ、もっと頼んでいいぞ。甘いものも食うだろ?」
「? お父さんってたまに突然優しくなりますよね?」
「いつも優しいだろ俺」
「うーん? そうじゃなくて、異様に優しくなるっていうか。何かを誤魔化そうとしているような甘さというか」
「な、何言ってんだよ。俺はお前が可愛くてしょうがないんだよ。それが親父ってもんだろ」
追加で食後のパフェを頼もうか、なんてワイワイやっているうちに時間は過ぎていく。
そうしてアンジェリカとじゃれついているうちに、数分が経過。
「お、来たな」
さっそく料理が届いた。
アンジェリカの頼んでいた、ハンバーグセットである。
店員は忙しそうにプレートを置くと、そそくさと立ち去っていく。
俺と綾子ちゃんの分は、まだ来ないようだ。
「熱々ですね」
アンジェリカはナイフを手に取ると、湯気を上げるハンバーグにブスリと突き立てた。
キコキコと音を立てて、真ん中から切っていく。
均等に、二等分。
それをさらに小さくカットして、一口大にしたものをフォークに刺した。
当然自分の口に持っていくのだろうと思えば、なんと俺の顔に近付けてくる。
「はい、あーん」
「……俺はいいよ」
「その代わり、お父さんのも半分こにして分けて下さいね」
これなら二倍の味を楽しめるでしょう? とアンジェリカは艶っぽい顔をする。
本で学んだだけで、こういう表情を作れるのだから大したものだ。
……究極の処女と名高い身分なのに。
俺は両断されたハンバーグに目をやる。
アンジェリカはこう見えて器用で、綺麗に切り分けてある。
綺麗に、二つに。
「あ」
思わず声を漏らす。
「俺、綾子ちゃんを二人に増やした方法がわかったかもしれん。……おそらくやろうと思えば、俺にも出来る」




