二人
ドラフト一位で入団した甲子園のスター、中松選手が二人に増えていた。
二人に、である。
瓜二つの青年がもう一人現れ、自分も中松だと主張し始めたのだ。
声も仕草もそっくりで、球速も同じ160キロを記録した。
……意味がわからない。
もう一人、増殖した人物がいる。
連勝記録を塗り替えた十六歳の棋士、駒井四段もやはり二人に増えていた。
ふらりともう一人の駒井が出現し、自分こそが本人だと言い張っている。
二人の駒井は、将棋の腕も同等だった。
突然クローンが発生した若き天才の共通点は、通り魔被害に遭ったことだ。
数日ほど前、夜中に背後から切りかかられ、服を左右に切り分けられてしまったのである。
その数時間後、謎の分身が現れたのだ。
天才増殖事件。
新聞やテレビは日夜この事件を報道していて、無我夢中といった有様だ。
俺のUFOおじさん騒動なんて、もはやどうでもいいといった感がある。
世間から、忘れ去られなければいいのだが。
だって今の俺、手品師と芸人の中間みたいなポジションだし。
これからがギャラの稼ぎ時ってタイミングで、なんて事件が起きてんだよ。
こんなん絶対みんな気にするじゃん。俺への関心が薄れてくじゃん。仕事減りかねないじゃん。
「早く解決しないかな、これ……」
俺がハラハラしながら夕方のニュースを観ている横で、アンジェリカはバリバリとせんべいを齧っている。
ベッドの上でうつ伏せになり、ファッション誌を読みながらだ。
今日の服装は上が黒いキャミソールで、下は白のショートパンツ。
アンジェリカは、美少女だ。
肩のところで切り揃えられた髪はさらさらの金髪で、ぱっちりとした碧眼の持ち主。
体型は細身で、すらりと手足が長い。
それなのに胸元はボリュームがあり、百五十センチ少々の体格とは不釣り合いに大きい。
こんな「白人の美点だけ集めて小型化に成功しました」な少女が部屋にいると、ハリウッド映画の一場面のようだ。
アンジェリカは日本に来て、二週間ほど経とうとしている。
すっかり現代生活が板につき、最近は俺の代わりに宅配物を受け取ってくれたりもする。料金の支払いもばっちりだ。
俺がこっちの社会制度を毎日教えてるのもあるけど、それ以上に若さが大きいだろう。
順応力が高い年頃なのである。
その若い脳に、一つ相談してみようか。
いい答えが返ってくるといいのだが。
「アンジェはどう思う? この事件」
「んー……」
「アンジェ」
「なんですー?」
雑誌から顔を上げて、アンジェリカは首をかしげる。
テレビの音、聞いてなかったんだろうか。
「いや、これだよこれ。天才スポーツ選手と棋士が、急に二人に増えてたってやつ」
「ドッペルゲンガーとかじゃないですか?」
「こっちの世界は霊体いないんだってば。……ドッペルゲンガーって霊体で合ってるよな?」
「ですよ。あと普通は言葉を話さないんですよね。無言でドアを開け閉めしたりするくらいで」
「めっちゃインタビューに答えてるよな、あのクローンども」
「じゃあなんなんでしょう」
「それを聞いてるんだよ」
アンジェリカの口周りについた食べカスを指で拭きながら、たずねる。
「生き別れた双子の兄弟が、急に出てきたんじゃないですか?」
「……まあ、その線で片付けようとしてるな、マスコミは」
親が育てきれなくて養子に出した双子の片割れが、有名になってメディアに露出し始めた兄弟を発見。
居ても立っても居られなくなり、妙な形で名乗り出てきた。
大方そんなところではないか、と世間は予想を立てている。
「だったら両親が肯定していいと思うんだけどな」
そう。
中松選手の親も、駒井四段の親も、双子なんて心当たりがないと否定しているのだった。
この子は一人で産まれてきました、間違いありませんと。
「わけわかんないな」
やっぱ、異世界が関係してるんだろうか。
また俺を狙ってるのかもしれないと思うと、暗澹たる気分になってくる。
けど、今のところ俺に被害はない。
それに人の数を増やすなんて荒業、あっちの世界でも聞いたことがない。
俺が考え込んでいると、アンジェリカは「でも便利そうですよね」と言った。
「急に二人に増えたなら、色々捗りそうじゃありません? お父さんの二回行動が、ずっと続いてるようなものじゃないですか」
「そういうもんかな」
二回行動は、分身とはちょっと違うんだけどな。
もう一人の自分がなんかお手伝いしてくれる、みたいな感覚が俺の主観にあるだけで。
物理的に二人に分裂するわけではないのだ。
「しかも天才って言われてるような人が増えたんでしょう? いいことじゃないですか」
「うん、まあそれは……いやいや。良くないって。絶対良くないって。急にポコンと湧いてきたコピーの方はどうなるんだよ。アイディンティティーとか無茶苦茶だろ」
自分は何者なんだ? とか思い悩みそうなものだ。
「私も二人に増えたら、分身の方にお父さんの娘役を任せられるのに」
「……なんだそりゃ」
「で、私は奥さん役担当になるんです」
言いながら、アンジェリカは後ろから俺の肩に頭を乗せてきた。
何かねだる時の動きだ。
「おとーさーん」
「なんだ」
「……お父さんと、えっちしたいです」
「駄目」
絶対駄目だ、と断言する。
好感度がカンストし、上限を突破してからというものこの調子である。
前より酷い。
「おとーさぁーん。駄目ー?」
アンジェリカはためらうことなく俺の背中に胸を押し付け、首に腕を回してくる。
ためらえよ。
「なんでこんなに迫ってるのに……あっ。お父さんってもしかして、男性機能が衰えてたり……」
「そんわけないだろ!」
俺は至って健康体だよ。まだそんな歳じゃない。
ぴとりと密着するアンジェリカの感触に胸騒ぎを覚えながらも、鋼の勇者メンタルで耐えているのである。
早いとこ引っ越さねば。
このままでは身が持たない。
アンジェリカは嫌がっているが、寝室は別々にしよう。
そのためにも沢山仕事を入れて稼がなくてはならないのに、大衆の関心は、俺から増殖事件に移りつつある。
困る。
凄く困る。
もう金のためという身も蓋もない理由で、事件に首を突っ込んでしまおうか。
この手で早期解決させたら、また俺に注目が集まるし。ギャラいっぱい入ってくるだろうし。
「お父さぁん」
「なんだよ、変なことはしないからな」
「乗り気じゃない相手にそういうのはいいですよ。代わりに別の我儘聞いてくれません?」
「……服でも買って欲しいのか」
昨日も買ってやったろうに。
俺も大分甘い親父だな。
「映画観たいです」
「またか? まあいいけど」
しょうがないやつだな、とDVDデッキのスイッチを入れる。
「ニュースってつまんないんですもん。他の番組だってそうですよ」
アンジェリカは見た目通り、センスがガイジンさんなのだ。
なのであまり、日本のテレビに興味を示さない。
俺が出ている番組だけチェックし、他は「なにこれ?」な顔でスルーだ。
それじゃ俺が仕事をしている間は退屈だろうということで、最近はレンタルショップで洋画を借りまくっている。
ガイジンにはガイジンの娯楽が一番なのだ。
アンジェリカのお気に入りは、小説を原作とした有名なファンタジー映画である。
エルフやホビットが出てきて、指輪を捨てにいくやつ。
観てると実家のような安心感があります、とのこと。
まあ、そういう世界観の生まれだしな。
「やっぱあれか? 今日もファンタジーもの観るか?」
俺はアンジェリカに聞きながら、レンタルショップの袋をゴソゴソやる。
俺用のアクション映画を一本借りてきただけで、残りの四本は全てアンジェリカの好みにしてある。
気に入ってくれるといいのだが。
そんな、親心に満ちた心境でホビット族の冒険を描いた作品を手に取ると、アンジェリカは全く別の作品に食いついた。
「それがいいです」
「え? いやこれはアンジェ向けじゃないよ」
「だってその男の人、いい体してるんですもん」
「……」
「観たいです」
アンジェリカが言っている「それ」とは、俺が観るために借りたアクション映画である。
ケースに描かれているのは、筋骨隆々の主演俳優だ。
薄手のシャツから露出した二の腕は、みっちりと筋肉に包まれている。
膨れ上がった力こぶには血管が浮き出ていて、いい体と言われればそうだろう。
……どこまでもセンスが外国人なんだな、アンジェリカのやつ。
日本の女の子なら、もっとひょろっとしたイケメンを好むだろうに。
筋肉ムキムキが好きなのか。そうか。まあ異世界女子は概ねそうだったけど。
「浮気とかじゃないですよ、お父さんだっていい体してるじゃないですか。お父さんの体が一番好きですよ。ただほら、こう、ね……気になるじゃないですか。勉強ですよ勉強。ただの好奇心ですから」
いい体ねえ。
そりゃあ俺だってあっちで十七年も勇者やってたから、バキバキに鍛えられてはいるけどさ。
これでも首から下は、引き締まっているのだ。
俺の外見で褒められるのって、ここだけだな。
「お父さんの体が一番好きって台詞、他所じゃ言うなよ」
絶対誤解されるからな。
注意喚起を促しつつ、俺はアンジェリカのリクエストに応える。
ムキムキ俳優主演のアクション映画を挿入し、再生ボタンを押す。
配給会社のロゴ名が表示されたあと、タイトルが出てくる。
その名も『ラムボー ~一人だけの軍隊~』
1982年に公開された、アクション作品だ。
ベトナム戦争から帰還した兵士の悲哀を描いた、映画史に残る名作である。
戦場では英雄だったのに、故郷へ帰ってみれば腫れ物扱い。
仕事も見つからず、中々平和な社会に馴染めない。
何度も拷問や戦闘のフラッシュバックに悩まされ、ちょっとした悪意に全力で反撃してしまう。
戦争用に作り変えられた心と体が、望まぬ争いを巻き起こす。
単なる娯楽映画ではなく、兵士の心的外傷を描いた意欲作と言える。
俺がこれを借りてきたのは、楽しむためだけではない。
主人公が、俺と似ていたからだ。
とても他人事とは思えず、つい借りてしまったのだ。
画面の中では、さっそく主人公が保安官を殺している。
話し合いで解決出来たはずの問題を、過剰防衛で殺人事件に発展させてしまっている。
「結構、残酷な感じの映画なんですかね?」
「ああ」
「そういうのあんまり得意じゃないですけど、この主人公はちょっと可哀想ですね」
「ああ」
「お国に使い潰されちゃった兵隊さんですかー」
「ああ」
「……お父さん? なんか反応鈍いですよ?」
「ああ」
そうなんだよな。喧嘩売られると、すぐカッとなって手が出たりするんだよな。
仕事なんて見つけられないんだよな。
どんなに身体能力が高かろうと、無理なのだ。自分で自分の人生を、痛めつけてしまうのだ。
あえて己を粗末に扱うような道ばかり選び、気が付けば落ちぶれている。
それが適切なケアを受けられなかった、帰還兵の末路だ。
……ひょっとして俺もそうなのか? 心的外傷というやつなのか? と思ったりする。
画面から、目が離せない。
転げ落ちるように孤立していく主人公の境遇が、日本に戻ったばかりの俺と重なる。
気が付けば、貪るようにして観ていた。一時間三十分のストーリーが、ほんの十分程度に感じた。
あっという間だった。
「はわー……。まさか実話じゃないですよねこれって? ……っえ、お父さん? 泣いてるんですか!?」
言われて、はっとなる。
頬に手を当てると、見事に濡れていた。
「もしかして、私が他の男の人をジロジロ見てたせいですか!?」
「そんなんじゃないよ」
しまった、主人公に共感するあまり自然に涙が流れていた。
従軍経験者あるあるかもな。
泥沼化した戦場で、殺し合いしてた奴ならわかってくれるだろ?
そんなやつ、今の日本じゃヨボヨボの爺さんしかいないけど。
「……嫌なことでも、思い出しました?」
そんなとこだ、と目元を拭いながら答える。
俺、メンタルカウンセリングとか受けた方がいいんだろうか。
何やってんだろなしかし。
三十男が十代の娘の前で泣くなんて、とんでもなくみっともないぞ。
ティッシュ箱に手を伸ばしたところで、アンジェリカがベッドを降りた。
音もなく俺の前に回り込むと、無言で俺を抱きしめる。
ぽふ、と柔らかな感触が顔に当たる。
俺の顔を、己の胸に押し当てているのだ。右手は俺の頭を撫で回している。
「おい。何のつもりだ」
これじゃ母親にあやされる子供だ。
俺はいい大人で、こいつはガキだってのに。
けれどアンジェリカは、手を休めようとしない。
「お父さんには私がいるから、大丈夫ですよ」
「やめろ、離せ。お前は俺のおふくろじゃないんだぞ」
「私はお父さんの娘で、奥さんで、お母さんなんです。お姉さんだし、妹でもあるんですよ」
「……なんだって?」
「女の家族の役割、ぜーんぶ一人でこなしてあげます。だから大丈夫なんですよ。私とお父さんが二人いれば、もう大丈夫なんです」
何が大丈夫なのか、よくわからない。
そもそもそれは、もっと大丈夫じゃなくなる気がする。
なのに。
なんだか心地よくなっている、自分がいた。




