娘取扱マニュアル
暴力的なまでの母性に打ち震えていると、クロエが「よし」と気合を入れるのが聞こえた。
続けてザクザクと落ち葉を踏み分ける音。どうやら動けるようになったようだ。
「もう大丈夫。飛べる? アウローラ」
クロエは愛竜の腰に手を当て、探るように問いかける。
アウローラは「無論ですわ」と頷くと、再び光を放って飛竜の姿に戻り、巣穴の方へと引き返していった。
一体何をするのかと思いきや、卵を回収しているようだ。
我が子を舌と上顎の間に挟み込み、そろそろとした足取りで戻ってくる。
「器用なもんだな」
運んでる最中に割れたりしないよな? とビクビクしていると、「大丈夫だよ、品種改良された飛竜の卵は頑丈だもん」となぜかクロエが威張っていた。
「上空から落としてもまず割れることはないし。ていうか、下にあるものを壊すためにわざと落としたりするし」
「試したことあるのか?」
「あっちの軍隊にいた時にやり方は習ったよ」
クロエが言うには、王国の最新戦法がそれらしい。
雌の飛竜に乗って敵地に攻め込み、空中で卵を産ませるのだ。
上空から金属弾を投下しているようなものなので、着弾地点には凄まじい被害が発生する。家屋に穴が開き、直撃を受けた家畜や人間は即死。おまけに生まれた雛が火を吹いて暴れ回るとなれば、もはや焼夷弾をばら撒いているようなものだろう。
「えげつねえなおい……」
まさに、生きた爆撃機。
畏怖の目でアウローラを見つめていると、コロロロロ……と小さく喉を鳴らされた。おそらく「大丈夫? ママのおっぱい飲む?」とでも言っているのだろう。最近のアンジェリカは目が合ったら三回に一度はそんな申し出をしてくるので、きっと他の女性もそうに違いない、と決めつけて生きているのが俺だ。
「飲むに決まってんじゃん……」
「?」
首を傾げるクロエに、「さっさと帰ろうぜ」と父親らしく声をかける。
「背中に乗っちゃっていいんだよな?」
「そうだね。二人乗りは初めてだけど、いけるいける」
まずは飼い主であるクロエがアウローラに跨り、その後ろに俺が跨る。
自転車の二人乗りのような姿勢で掴まり、両手をクロエの腰に回す。
「ちょっと。どこに手回してるの?」
「あ、わりい」
いくら父親でも、思春期の腰に掴まるのはハラスメントだったか、と咄嗟に腕を離す。
そしてクロエにも少女らしい感覚があったのか、とどこかほっとする自分がいたり。
「今お腹いっぱいなんだから、掴まるなら別の場所にしてよ」
「どこなら触っていいんだ?」
「胸に腕を回してよ」
「……え?」
「だからさ。後ろから私の胸を鷲掴みにする形で掴まってよ。それが一番安定するし」
「お前もしかして、これをやらせるためにミルク飲みまくったとかじゃないだろうな?」
「な、なな何言ってるの? そんなわけないよ」
「普通に肩に掴まるわ」
「ああっ!」
「悪いアウローラ、ちょっと待っててくれ。色々支度があるんでな」
「コロロロロ……」
いくつかの魔法を唱えたあと、「もういいぞ」と号令をかける。
「キュイ!」
「卵咥えたまま鳴いて大丈夫か?」
そうして。
アウローラは俺達を乗せ、力強く離陸した。
周囲の景色はものの数秒で雑木林から大空へと切り替わり、壮絶な浮遊感、そして気圧の変化が訪れる。
眼下に広がる街並みは、米粒大にまで縮小されていた。
「すげえ……!」
現代の旅客機を遥かに凌駕する上昇速度に、思わず感嘆の言葉を漏らす。
たっぷり搾乳した甲斐あって、アウローラのコンディションは絶好調らしい。
「念のため隠蔽かけといたけど、要らなかったかもな!」
この速さなら、常人の目では視認できまい。
きっと今の俺達が誰かに目撃されたとしても、流れ星か何かに見えるはずだ。
「あっ! アウローラ、あそこのホテルアマリリスってところで降りて!」
「それラブホだろ。さてはアンジェから教わったな?」
ろくでもない指示を出すクロエを叱りつけ、マンションに向かうよう言い聞かせる。
「ったく、しょうもないことばっか覚えやがって。いつラブホの場所なんか教わったんだ?」
「教わってないよー。たまたま目に入っただけだし」
「あーそうかい」
……って、ちょっと待て。
「お前、この速度と高度で、ホテルの看板が見えたの?」
「? 父上も見えてるでしょ?」
見えるわけねーよ。
俺の視力は常人のレベルに収まってるんだぞ。
聴力だってそうだ。風を切る音でゴウゴウうるさくて敵わないから、鼓膜に強化魔法をかけてやっと言葉を聞き取ってるくらいだし。
「……お前、離陸前に視力や聴力を強化したのか?」
「そんなの要らないよ。私は戦闘用に調整されたホムンクルスだから、デフォで五感が鋭いんだ」
「……」
「父上?」
なるほど。
鷹の目の視力でレーダーの役割を果たす人造人間と、生きた爆撃機を組み合わせた航空戦力。
これが異世界の戦力だとすると、厄介な戦いになりそうだ。
どう攻略したものか……と頭の中で一人戦略会議を開いているうちに、俺達は見慣れたマンションの屋上に降下していた。
「お疲れ様アウローラ。父上も」
先にクロエが飛び降り、少し遅れて俺も着地する。
最後にアウローラが母乳まみれの人間形態に変身すると、その腕には人間の頭ほどもある卵が抱かれていた。
「あら。あなた、この子ったら今動きましたわよ」
「元気でよろしい。いやー男の子かなぁ、女の子かなぁ」
新婚気分で卵を覗き込んでいると、クロエが俺をアウローラの間に割って入り、
「はいはいストップストップ、変な空気出さない」
と威嚇してきた。
「わかってるの父上? この卵は他の男との間に出来た子供なんだよ!? 父上は、今まさに托卵されようとしてるんだよ!?」
「そ、そんな人聞きが悪い……」
よよよ、と嘘泣きをするアウローラを尻目に、クロエは柳眉を逆立てる。
「父上の子供は、この私なんだからね。貴方の血を引いてるのは、私なんだからね。あの卵は他人なんだからね?」
クロエは俺の両腕を掴み、不安げに揺すってくる。
アウローラ親子に俺を取られると思ってるのだろう。
「ったく。変な心配すんじゃねーよな」
「でも!」
俺は「また母乳が飲みてえなあ……」と会話の内容と全然関係ないことを考えながら、クロエの頭を撫で、猫をあやすように顎の下をくすぐってやった。さらに手櫛で髪を梳かし、ハンカチを使って念入りに額、腋の下、下乳、鼠径部の汗を拭いてあげた。
「乗り物にやきもちを焼くなんて、お前らしくないな」
「ごめんなしゃいちちうえぇ……」
クロエは俺の腕に絡みつき、甘えた様子で顔を擦り付けてくる。
「えへっ。私ったらうっかりしてたや。父上の言うことは常に全部正しいってことを忘れてたよ」
年頃の娘は、デリケートゾーンの汗を拭いてあげるとデレる。世のお父さん方には朗報である。ぜひ自分の娘さんに試して、家庭を壊してみてほしい。
つまり絶対真似すんじゃねーぞ、と警告しているのだこれは。
……なんでこんな方法で機嫌が直るんだろうな、こいつらは……。
俺はクロエとアウローラに挟まれながら屋上を降り、帰宅を果たしたのだった。
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地域によっては早売りでもう入手している方がいらっしゃるかもしれませんね。
相変わらずほぼ書下ろしレベルで大量の加筆修正を行い、WEB版とは人間関係に若干の変化もみられるので、ぜひ手に取って比べてみて下さい!




