未亡人
「ったく。娘の股拭いの後は、尻拭いかよ」
「ごめんってば」
翌朝。
俺はクロエと共に、飛竜が目撃された山を登っていた。
観光客が通るようなハイキングコースからは大きく逸れ、獣道を強引に駆け上がる。
巣があると思わしき登頂部に、最短距離で着くにはこれが一番いい。
前を行くのは俺で、我が身で小枝をへし折りながらの直進だ。おかげで後ろからついてくるクロエは進みやすくなるわけだが、この身を挺した父性に何か感じ入るものがあるらしく、数十メートルごとに【パーティーメンバー、クロエの好感度が100上昇しました】というメッセージが表示された。
既にクロエの好感度は結婚や性交渉が可能な数値に達しているらしいが、実の娘とそんな行為に及ぶほど畜生ではない。
確かに昨日は一緒に風呂に入ったし、今朝なんてタンポンを入れるのも手伝ってやったけど、それでもこいつを異性として意識するのは不可能なのだ。
近親姦を避ける本能は、それほどまでに強いのである。
「……動物は本能の奴隷だからな」
頭の壊れたファザコン娘どもはそのへんがおかしくなってるようだが、これは例外中の例外だろう。
ほとんどの生き物は、内側から発生する衝動に従って生きている。
飛竜だってそうだ。
この小型のドラゴン種は両手が羽になっているのが特徴で、そのシルエットは非常に鳥類と似ている。ついでに生態も鳥と瓜二つで、巣を作る、子育てをする、人間に懐く、とありがたい特徴を持ち合わせている。
ゆえに空飛ぶ軍馬として重宝されており、異世界の国家では標準的な航空戦力と言えるだろう。
「私の言うことならなんでも聞くから、そんな心配しなくていいと思うよ」
「どんなに従順な飛竜だろうと、繁殖期に入ったら飼い主より配偶者を優先するもんだぜ」
「アウローラが私よりオスを選んだとしたらショックだなぁ」
クロエの飛竜は、アウローラという名前らしい。なんだか外国の車みたいなネーミングだ。
「アウローラー! いるなら出てこーい!」
俺は知ったばかりの名前を叫びながら、山頂に向かって走り続ける。
「アウローラー!」
続けてクロエが声を張り上げた、その時だった。
林の奥から微かに、コロロロロ……と押し殺したような鳴き声が聞こえてきた。
この大型肉食獣のような唸りは、熊や猪の鳴き声ではない。
「アウローラだ!」
クロエは俺を追い越し、ザクザクと落ち葉を踏みながら走り寄っていく。
俺は周囲を確認しながら後を追い、そして、一匹の竜と遭遇した。
体高は二メートルほどで、二本の角と鋭い爪を持ち、鱗は鮮やかなグリーン。
きっと空気抵抗を減らす方向に淘汰圧を受けたのだろう。全体的に流線形のフォルムをしており、どこかヨーロッパのスポーツカーを連想させた。
「アウロ――」
はしゃいで駆け寄ろうとしたクロエの腕を引っ張り、力づくで制止をかける。
「なんで!?」
「あいつの足元を見ろ」
「……?」
アウローラの足元には、人間の死体が転がっていた。まだ若い、白人の男だ。
腹部を切り裂かれたのが致命傷となったらしく、血と臓物の臭いをあたりに漂わせていた。
「嘘……」
「人肉の味を覚えた竜は、始末するしかない」
俺が足を踏み出した瞬間、クロエは両手を広げて立ちはだかった。
「あの子がこんなことするわけないよ!」
「お前が処分できないなら俺がやる」
「父上!」
クロエは目尻に涙を浮かべて、首を横に振った。
「……なにかの間違いかもしれない」
「事故だっていうのか?」
そんなことがあるものか。
改めて飛竜の足元に横たわる死体を見やると……中世ヨーロッパ風の服装をしていて、全く現代人には見えない。
「妙だな」
「何が?」
「あの死体、異世界人に見えないか」
「……へ?」
クロエは目元をごしごしと擦ったあと、じっと目をこらし、「ほんとだ」と呟く。
「襲われたのは地球人じゃない……?」
俺は物言わぬ屍に向かって、ステータス・オープンと唱える。
【名 前】ロミオ
【レベル】47
【クラス】飛竜 死体
【H P】0
【M P】0
【攻 撃】0
【防 御】0
【敏 捷】0
【魔 攻】0
【魔 防】0
【スキル】無
【備 考】竜人族の血を引く飛竜。人化能力を用いて人里に食料を探しに行った際、野生の熊と遭遇。腹部を引っかかれて失血死した。
「人化したワイバーン?」
つまりこいつは異世界人どころか、人間ですらないということになる。
「そうか、品種改良か」
従順で飛行能力に優れる飛竜と、知能の高い竜人族をかけ合わせれば、理想の軍用飛竜が生まれることとなる。
異世界の軍隊は、馬と同じ感覚で竜の品種改良を行っているのだ。
「……お前も運がなかったな」
人化中は身体能力も人間並みに落ちるため、動物如きに殺されてしまったのだろう。
哀れな飛竜に憐みの目を向けていると、クロエが心配そうにたずねてきた。
「何かわかったの?」
「安心しろ、お前のアウローラは無実だ」
「ほんと!?」
「ああ。ただ、未亡人になっちまったらしいぞ」
夫を亡くしたという情報があるせいか、今は目の前の飛竜がとても不憫に見えてくる。
背後の巣には卵もあるようだが、これからどうやって育てていくつもりなんだろうか。
「この男は人化した飛竜だ。竜人族の血を引いているおかげで変身能力があったらしい」
「それで服装がおかしいんだね」
可哀そうに、と顔の前で十字を切るクロエ。両手を顔の前で合わせる俺とは対照的である。
そうやって簡略化された弔いを行なっていると、アウローラは俺達に敵意がないことを悟ったらしく、鼻先を擦り付けてきた。
「お前、泣いてるの?」
クロエに顔を撫でられながら、アウローラはキュウー……とか細い鳴き声を上げる。その音色は、どこか寂しげなメロディを含んでいた。
「キュウー。キュウー……」
「そうだよね。旦那さんが死んじゃったんだもんね」
じっと黙り込んでいると、アウローラの黄色い瞳と視線がぶつかった。
縦長の瞳孔には、気のせいでなければ悲哀の色が浮かんでいる。
「キュウー……キュキュウ……」
「……もしかして俺に話しかけてるのか?」
「キュウ。キュウ」
羽根を広げて、長い首をブンブンと縦に振るアウローラ。
「すまん、言語理解は人語じゃないと反応しないんだ」
「コロロロロロ……」
「唸り声に変えられても伝わんないから」
「キュウ……」
俺に伝えたいことがあるらしいのだが、何を言っているのかさっぱりわからない。
「こいつも人化できたら便利なんだけどな」
「できると思うよ?」
「ま?」
「うん。だってアウローラも竜人族の血混ざってるし。でも最後に変身したのって大昔の話だしなぁ」
クロエは、アウローラの角を撫でながら言う。父上に伝えたいことがあるなら人化してごらん?
「キュウ……」
未亡人の飛竜は深く頷くと――
全身からまばゆい光を放ち、二メートル近かった体は一六〇センチ程度まで縮み、青緑の鱗は青白い女の肌へと変わる。
「な……」
そこにいたのは、人間の女性であった。
それもとてつもなく美しく、艶めかしい女性だった。
薄幸そうな細面の美人なのだが、ぽってりとした唇は思わず吸い付きたくなるほど未亡人で、緩くウェーブした青緑の髪は、経産婦の色香に満ちていた。後ろにまとめてアップした髪型が、どこからどう見ても押しに弱い団地妻だった。
なにより目を引くのは、「母乳育児推奨派です」と力強く主張する爆乳で、これだけで母子手帳三枚はいける母性である。
しかも服装が――日本の喪服。
「なぜに和風!?」
アウローラは鈴を転がすような声で答える。
「この国はこれが正式な喪服と聞いたんですの」
フィリアにも通じる、落ち着いたアルトの声。おそらく受話器越しでも伝わる、典型的な巨乳声だった。
Dカップ以上の声は雰囲気でわかるのである。乳腺が振動して声を発してるんじゃないか? と思うほどだ。
「な、なるほど。よくある外国人の日本かぶれか……それでアウローラ……さん、何か俺に言いたいことがあるんじゃないか?」
「……はい……」
アウローラは真っ赤に腫らした目で俺を見つめる。
「実は私ども飛竜は、必ず夫婦で子育てを行なうんのです」
「……そうらしいな」
「ですが見ての通り、夫は帰らぬ人となってしまいましたわ」
ですから! とアウローラは俺の手を握る。
「勇者ナカモト様さえよければ、この子の父親になって頂きたいのです!」
「こ、この子!?」
「私の後ろにある卵です」
「それはつまり、再婚相手に俺を選ぶってことか?」
「いけませんか?」
「まずいよ奥さん、まだ喪も開けてないのに……」
俺の全神経は、胸板に押し当てられるアウローラの乳房に注がれていた。
間違いなく綾子ちゃんよりは大きい。ちょうどフィリアくらいだろうか?
「あの子には父親が必要なのです! マスターのお父様ならば信頼できる人柄でしょうし、強さだって申し分ないでしょうし……」
「マスターってクロエのことか? おい、なんとか言ってやれよ! お前の飛竜が俺に再婚を迫ってんだぞ!」
クロエに助け船を求めたが、こんな時に限ってアウローラの卵弄りに夢中になっているようだった。
「もちろん、ただでとは言いません。お礼になるかはわかりませんが……」
「金銀財宝でもくれるってのか?」
「いえ」
アウローラは己の胸を押さえ、どこか恥ずかしそうな顔で告げる。
「……実は人化したドラゴンは、過剰に人体の特徴を再現する傾向にありまして」
「どういうこった?」
「男性であればやたら筋肉質に、女性であればやたら肉感的な体になります」
「見りゃわかるな」
足元に転がるアウローラの夫も、筋骨隆々の体つきをしている。
「見た目だけでなく、機能の方もそうですの」
「……?」
アウローラは両手で頬を包み、真っ赤な顔で言う。
「その……妊娠した雌ドラゴンが人化すると、過剰に母乳が分泌されるようなのです」
反射的に人妻ワイバーンの胸元に目を向けると、先端に黒い濡れ染みが出来ていた。
「母乳が過剰に出る体質……」
「……恥ずかしながら、今も漏れ続けてるようですわ」
「そ、それがどうしたったんだ?」
「味には自信があります」
味見したんだろうか。
頭の中で愉快な映像を再生していると、アウローラは囁くような声で言った。
「勇者ナカモト様、どうか私と子供を養っては頂けませんでしょうか?」
謝礼はこのミルクにて……とアウローラは乳房を持ち上げる。
俺の答えは――
「これからよろしくな、アウローラ。あ、今のうちに合鍵渡しておくわ」
12月26日、電撃コミックスNEXT様から、『異世界帰りのおっさんは父性スキルでファザコン娘達をトロトロに』第1巻が発売されます。




