情操教育
クロエと並んでトイレを出ると、もじもじとした様子のアンジェリカと遭遇した。
男子トイレの入り口付近に処女を放置すると、面白い動きをする。これは新発見である。
「あの騎士さんはどうしました?」
上目使いにたずねてくるアンジェリカに、「死んだよ」と返す。
「そうですか……遺体はどうします? 一部分でも残ってるなら、お墓を作ってあげましょう」
「ないんだなぁそれが。クロエが全部燃やしちまったんだ」
「それはまた……」
ならせめてお祈りだけでも、と両手を合わせるアンジェリカを、クロエは不思議そうな顔で見つめている。
「なんで敵を弔うのさ?」
俺とアンジェリカが黙り込む中、クロエだけが陽気に己の戦果を語り続ける。私ね、父上のために騎士の顔をそぎ落としたんだよ。凄くない? 両手を広げ、まるでテストの結果を誇る中学生みたいに。
青ざめるアンジェリカと、薔薇色に頬を染めるクロエ。
正反対の少女を伴って、俺は帰路についた。
マンションに戻ると、エプロン姿の綾子ちゃんが俺達を出迎え、「夕飯の準備ならできてますよ」と微笑んだ。
「ありがと。でも先にやることがあるんだ」
「……?」
クロエの手を引っ張り、寝室へと向かう。
こいつには色々教えなきゃならないことがある。
「ちょっ……痛いよ父上。どうしたの?」
鍵をかけながら、「座っていいぞ」と声をかける。
クロエは無言でベッドの上に腰を下ろすと、クッションを抱きしめて背中を丸めた。
「どうして二人きりになったかわかるか?」
ん、とか細い声を発しながら、クロエは頷く。
「あの騎士を殺したご褒美に……えっちしてくれるんだよね」
「違う」
「じゃあ、殺し方がスマートじゃなかったお仕置きに、乱暴なえっちをするのかな」
「お仕置きにならねーだろそれ」
実父との性行為以外に、もっとやることがあるだろう色々。
「お前、あの男を仕留めた時にどう思った?」
「別に何も……あんなのゴキブリを叩くのと一緒だよ」
「そうか……」
俺は片手で顔を覆って俯く。
俺の種から作られたくせに、随分とまあ戦士向きの性格で生まれてきたようで。
「お前がただの兵隊さんならなんとも思わねえ。むしろそのくらい肝が据わってる方がありがたい。でもな、お前は俺の娘なんだ。だから言わせてもらうが、お前はもう少し命の価値を学べ」
「……なにそれ?」
「アンジェを思い出せ。ついさっきまで敵対してた相手だろうと、墓を作ってやろうとしただろ。あれが人として自然な反応だ」
「……」
途端にクロエが眉をしかめる。
「ホムンクルスに人間らしさを求めるのかい、父上は」
「そうだ」
俺は深く頷く。
「敵を憎む心と、生命全般を慈しむ心は別に持ってなきゃいけない」
「意味が分からないよ。敵は動かなくなるまで斬る。斬ったら燃やす。それだけの存在だよ。まさか父上、戦争反対とか言っちゃうタイプ? この国はそういうの好きらしいけど」
「そうじゃない……俺はそこまでお花畑じゃねえよ。今まさに自国に危害を加えようとしている輩がいるのに、一切の抵抗を見せないなんてのは、悪だ。非暴力って理想のために、守れるはずの人間を見捨てることになる。言わば思想のために民衆を見殺しにするわけだからな。これはこれで歪んでる」
「……父上は何が言いたいの?」
「脅威を排除するのは、一向に構わない。だが、殺しに愉しみを見出すな。死んだ者は敵味方問わず丁重に扱え」
「従軍神父みたいなことを言うんだね?」
「子供のためなら、神父にも牧師にもなるさ。お前は戦士かもしれないが、もう半分は人間なんだ。常に頭の中に、道徳を入れるスペースを用意しといてくれ」
「戦いの最中にそんなこと考えてられないよ」
「考えなきゃ駄目だ。これからの戦いでは、それが必要になってくる」
クロエは唇を尖らせ、ぶーたれた顔をしている。
「……やっぱり正義の勇者様なんだね、父上は。一々言うことが堅苦しいや」
「まあ、単に倫理的な問題じゃなくて、実利も考えての忠告だけどな」
「どういうこと?」
「戦闘中の振る舞いってのは、投降率に絡んでくる。……捕まったら残虐な方法で殺されるかもしれない、って恐怖が広がると、どうなる? 『捕虜になるくらいなら特攻して散った方がまし』と考えるだろ? そうなりゃ決死の軍隊の出来上がりさ」
「……」
「玉砕覚悟で突っ込んでくるクロエ軍団なんて見たくねーだろ。だから寛容に振舞った方が得なんだ」
「……それはあるかもしれないね」
どうやら納得してくれたらしい。
これで肩の荷が下りたというものだ。
「これでお説教は終わりだ。さ、夕飯食いに行こうぜ」
「待ってよ」
ドアノブに手をかけたところで、くい、と袖の端を引っ張られる。
「父上が命に対して、モラリストなのはなんとなくわかるよ。でもさ――同じくらい性に対しても真剣に向き合ってほしいんだけど」
「……というと?」
「今何人彼女いるの?」
夕飯を食べよう! と大声を出してみるが、ビクともしない。
さすがの糞度胸である。
「父上は性に関しても倫理観を持つべきだね」
「……まだ誰とも肉体関係は持ってないんだからセーフじゃないか……?」
「私の友達、ほぼ全員が父上と付き合ってると言ってるんだけど、どういうことなの? ていうかJK進化論に出演してる女の子、九割くらい父上とキスしてるよね?」
「お前にはわからない世界があるんだよ」
俺だって嫌なんだけど、謎の圧力で司会者となった経緯に権力の匂いを感じた芸能事務所が、次から次へと枕要員を送ってくるというか……据え膳喰わぬは男の恥だけど、エルザに悪いのでしゃぶるだけで我慢してる心の強さを誉めてほしい。吸い付くだけならセーフじゃね?
「……私に説教をするなら、父上も私生活を改めるべきだと思う」
「いや、それとこれとは別問題であって」
「全然別じゃないよ! 絡んでるよ! 私がさっきの騎士を殺したのも、父上の性生活が乱れてるせいかもしれないじゃん! ああいうのは子供の情操教育に悪影響を与えるんだよ!?」
「ぜ、絶対関係ねーし! 教育関係者みたいなこと言いやがって!」
ギャーギャーと喚いているうちに、ついにクロエは泣き出してしまった。
一体どうしちまったんだよこいつは。
ハーレムメンバーの中では、比較的情緒が安定している方だと思ったが……。
途方に暮れながらドアに背を預けると、コンコンとノックする音が聞こえた。
この場から逃げる口実が欲しかった俺は、即座にドアを開けて返事をする。
「はーい……綾子ちゃんか」
「……ごめんなさい。ご飯が冷めそうなんで呼びに来たら、お二人の声が聞こえちゃって」
盗み聞きするつもりはなかったんですけど、と綾子ちゃんは目を伏せる。
「悪い、もう少し時間がかかるかも」
「……あの」
「ん?」
「……お耳を貸して頂けますか」
「?」
背伸びした綾子ちゃんが、こしょこしょと話しかけてくる。
「……だと……思うんです……」
「……マジか」
「……ですから……」
「ふんふん」
「……ご飯はチンしておきますね」
「助かる」
綾子ちゃんのアドバイスが終わったところで、部屋に戻る。
「娘の前で他の女とイチャつくなんて、何考えてるのさ」
いじけるクロエに近付き、ゆっくりと手を引っ張る。
「へ?」
「悪かった、気付いてやれなくて」
「なに? なに?」
俺はクロエの手を引き、トイレへと向かう。
駆け足で個室に飛び込み、クロエを便器に座らせ――床の隅に置いてあるバスケットに、おもむろに手を突っ込んだ。
「父上?」
「お前の感情が不安定なのは、お前のせいじゃない」
「……」
俺の右手には、『多い日も安心』と書かれたパッケージが握られている。
「……なんで父上が把握してるの」
「さっき綾子ちゃんに聞いた」
「どうしてあの子が知ってるんだろ……?」
「綾子ちゃんはそういう子なんだ。気にするな。それよりも――」
クロエは何かを期待するような目で俺を見上げている。
「……父上が……取り換えてくれるの?」
「扶養義務の一環だからな」
「父上……!」
【パーティーメンバー、クロエの好感度が600000上昇しました】




