父祖の名誉
あとがきにお知らせがあります
「おーいオドリック。おいってば」
名前を呼びながら肩を揺すってみたが、若き王宮騎士は一切の反応を見せなかった。
便器に座り込み、力なく天井を見上げる姿はまさに生ける屍である。
気のせいでなければ、瞳孔も開いているように見える。
やむをえまい。
荒療治だが、直接フィリアと通話させてみることにしよう。
俺はオドリックの耳にスマホを押し付け、
「好きなように話してみろ」
と促した。
するとオドリックは途端に生気を取り戻し、爛々と目を輝かせて「フィリア様! 私の愛する聖女! 真の貴婦人!」と叫んだ。
フィリアの返事は、『勇者殿と変わって下さらない?』というつれないものだった。
『こちらに派遣されるくらいですから、さぞや高名な騎士様なのでしょう。ですが今の私に必要なのは、勇者殿のお声なのです』
「ど、どうしてそんなことを仰るのですか……あの男に何をされたというのですか!」
『……』
「言えないようなことをされたのですか!?」
フィリアは湿った声で打ち明け話を始めた。
『勇者殿は、毎日私の体を洗って下さいました……指と口を使って、全身を清めて下さったのです。もはや私の肌で、勇者殿の舌が這わなかった場所は一ヵ所もありません』
薄々気付いてはいたが、この女は自身に片思いする青年に、俺と行なった淫蕩の数々を伝えることに、昏い快感を覚えているらしかった。
あるいは懺悔のつもりなのかもしれない。
異世界の人間には、告解の文化がある。
最後に己の罪を告白すれば大体オッケーというガバガバ倫理観に従って、やぶれかぶれになって事実を垂れ流している可能性がある。いや、可能性がある、どころではない。絶対そうだ。フィリアってそういう女だ。
『騎士様、どうか私のことはお諦め下さい。私はもう、身も心も勇者殿の虜なのです。はっきり言って私は、どうすれば勇者殿に犯して頂けるのか、それしか考えられないのです。勇者殿の技巧と男らしさに調教され、信仰や愛国心などといったものは跡形もなく消え失せました。……はっきり言いますね。貴方に言い寄られても、迷惑なだけなんです。こうして話している時間がもったいない。勇者殿は愛人が十数人もおられるので、一人の女と話す時間が非常に限られているのですから。理解できたなら、さっさと勇者殿と変わって頂けますか? せっかく勇者殿が電話をかけて下さったのですから、その声を使って自慰をしたいのです』
武士の情けで、オドリックの耳元からスマホを遠ざける。
「あーもしもし俺だけど?」
『ケイ君!? ケイ君! 早く帰ってきてよ! ケイくぅん! 私もう、体が疼いて仕方ないの!』
さすがに気の毒になってきたので電話を切り上げ、騎士の元に向き直る。
ほとんど死にかけているように見えるが、まだかろうじて息があるようだ。
……人殺しは好かないが、いっそ一思いに楽にしてやった方がこの男のためかもしれない。
光剣を生成し、どの角度から切れば苦痛を感じさせずに首を落とせるだろう、と考え込んでいると、にわかに個室の外が騒がしくなり始めた。
どうやら人が来たらしい。
が、声が甲高い。
少女の声――
「見つけた」
にゅっ、とクロエの指、ついで顔が現れる。
壁に手をかける形でぶら下がっているのだろう。
「ここ男子トイレだぞ」
「人払いの魔法をかけたから大丈夫」
よっ、とかけ声を発し、ホムンクルスの少女はひらりと個室の中に飛び降りた。
「三人も入ると狭いね」
「アンジェはどうした?」
「入口前でまごまごしてる。男子トイレに入るのが恥ずかしいみたい」
「あいつにもそんなところがあったのか……いや、処女で巫女さんなら当然の反応か」
逆に我が娘のワイルドぶりときたら。一体誰に似てこうなったやら。
「で、どう? 尋問は進んでる?」
クロエは廃人と化したオドリックを見下ろし、顔の前で手を振る。
「凄い、ほぼ死人だ……。父上はこの短時間でどうやってここまで追い込んだの?」
驚嘆の声を発するクロエに、「企業秘密だ」と答える。
「やっぱり歴戦の勇者なだけあって、尋問もプロフェッショナルなんだね……!」
父上は偉大だなあ、と目を輝かせるクロエの横で、オドリックがぼそりと言った。
「……人形風情が何の用だ」
「人形?」
「貴様、ホムンクルスの兵士だろう」
「ふうん? 私は君の顔を知らないから、きっと姉妹の誰かと面識があるんだね」
「黄猿の精液と、女騎士の経血から作られたそうだな? 汚らわしい……」
「黄猿?」
「そこにいる男のことだ」
オドリックの視線は俺に向けられている。
「……父上を猿呼ばわりする気かい」
熱くなるなよ、とクロエをなだめる。こえーなこいつ。いきなり目つきが殺人鬼になったぞ。
「ねえ、この男からどれくらい情報を引き出せたの?」
「ほとんど何も。地獄の苦しみを味わわせたはずなんだが、全く口を割ろうとしない。意思が強いというより、ひょっとしたらこいつ自身も詳しいことはわからないんじゃないかって気がしてきてる」
「……そう」
クロエは光剣――俺のものとそっくりな形状――を右手に作ると、オドリックの鼻先に突き付けた。
「報告はもう済ませたの? 地球の戦力を偵察し、王宮に伝えるのが貴殿の任務とお見受けするが」
よせ、この男は何も話さない、と制止しかけた瞬間、オドリックが口を開いた。
「……昨日のうちに済ませたさ」
俺はぎょっとなって目の前のを男を見返す。
こいつ、クロエが相手だと尋問に答えるのか?
「なんて報告したの?」
「地球人はクズで、三日もあれば攻め落とせるとな。陛下はきっとすぐにでも兵を出すであろう」
クロエは片眉を上げ、不審そうに首を傾げる。
「……正しい報告とは言えないね。私の見立てだと、この世界の軍隊と正面からやり合えば、双方に甚大な被害が出ると思うけど。地球の科学は、もはや魔法の域に達している。貴殿だってそれは身に染みて理解しているはずでは? 我々を乗せ、風の速さで移動していた電車と、王国の馬車を比べてみるといい」
「だからなんだ? 人形」
「なぜ正確な情報を伝えないのかな」
オドリックは片頬を歪めて答える。
「そりゃ、戦争をおっ始めるためさ」
「……勲章が欲しいの?」
「いいや。単に私は、この世界が嫌いなんだ――初めてこの地を踏んだ瞬間から、薄気味悪くて仕方ない」
「清潔だし発展してるし、いい国だと思うけどな」
「それが許せん。黄猿の分際で、我々よりも生活水準が高いだと? あってはならぬことだろうが」
「……つまり君は、自分とは違う人種が……父上と同じ黄色人種の人々が、優れた文明を持っているのが許せなくて、それででたらめな報告をして、戦争を引き起こそうというんだね」
人形にしてはものわかりがいい、とオドリックはほくそ笑んだ。
刹那。
クロエの右手は下段から上段に向かって振り上げられ、男の顔を真っ二つに切り裂いた。
「あが?」
真ん中で切り分けられたオドリックの顔が、ぼとりと床に落ちる。
「おい、何も殺さなくても!」
「戦士の眼前で父祖を愚弄したんだ。当然の報いさ」
クロエは、薄い笑みを浮かべながらオドリックの死体を燃やしていく。
魔法の炎は、目標の以外の物体を燃やさない、温度を持たぬ炎。この少女の中身も、きっと同様の炎が灯っている。
やがて後処理を終えたクロエは、胸に手を当ててくるりと振り向いた。
「父上! 貴方と貴方の民族を侮辱した愚か者を、この手で屠りました! 何もかも貴方のためです!」
時代がかった口調で恭しく膝をつくと、俺の手を取って接吻をする。
「私は貴方の名誉を守ったのです……父上、どうかお褒めの言葉を……。ねえ、誉めてよ、撫でてよ父上……。父上?」
クロエは不安げに俺の顔を見上げている。
「どうしたの父上? 戦争が始まるから落ち込んでるの? 大丈夫だよ、敵なら私がいっぱい殺すから。父上のためなら、誰だって殺してあげる。別に自分と同じ顔をしてる相手だろうと、なんとも思わないよ? 父上以外の人間なんて、藁人形が喋ってるようなものだし。だから安心してよ。父上には私がついてるんだからさ……」
こいつと同じ精神構造をした娘が、何千何万と量産されている軍隊が、いずれ攻め込んでくる。
俺は眩暈にも似た感覚を覚えながら、クロエの頭を撫でた。
子猫のように甘えた声を発する娘は、人殺しとは思えないほど幼く見えた。
おかげさまで12月25日に、3巻が発売されることとなりました!
またコミカライズ1巻も同時期に発売決定!




