震度4
やがてゆっくりと電車は減速していき、キイイイイー……と甲高い音を立てながら動きを止めた。
停車の瞬間、慣性の法則に従って乗客がぐらりと揺れる。
その中で、俺と目の前の王宮騎士――オドリックは微動だにしなかった。
来るべき衝突に備えて、足を踏ん張っているから。
身体能力が、周囲の日本人とは段違いだから。
俺もあいつも、帰宅ラッシュで賑わう電車の中では、場違いな存在なのだ。
あれは、ここに居てはいけない人間だ。
プシュー、と空気を吐き出す音と共に、ドアが開く。
同時に、弾丸の如き勢いでオドリックが飛び出す。もちろん、周辺にいた乗客などお構いなしの全力疾走だ。
「おい! 謝れよ!」
肩を強くぶつけられたサラリーマンが怒号を響かせる中、俺とアンジェリカ達もやや遅れて電車を降りた。
俺は正義と道徳の塊なので、乗客を弾き飛ばして降車するなんて真似はできない。
お前のガバガバ倫理観で正義を名乗るの……? と各方面から抗議の声が上がりそうだが、性方面以外のモラルはギリギリ常識人レベルに留まってると思いたい。
「それで逃げてるつもりかよ」
俺は遠ざかる背中に向けて、手のひらをかざす。
魔法で撃ち抜けばあんな奴……って、通行人がめちゃくちゃ邪魔だなこれ。
「ちっ。わかってて人の多い方に逃げてるな」
俺にとって、道を行く日本人は全て同胞。守らねばならない重荷。だが、オドリックにとってはただの盾だ。
大勢の人間が好き勝手に動き回るような空間で戦闘に入った場合、どちらが不利なのかは言うまでもない。
「――と、思うじゃん?」
所詮は異世界人の浅知恵か。日本の群衆がどう動くかをまるで理解していないと見える。
ここは先進国で、世界で最も規律の取れた人々の暮らす国であり、そして――災害大国だ。
俺は隠蔽魔法をかけて姿を消すと、全身全霊の力を込めて足元を踏みつけた。
ズン……!
と腹に響く音が響き、俺の足を中心に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。亀裂の規模は数メートルはあるだろう。
やがて横揺れが始まり、付近の人々は一斉に動きを止める。体感で震度四前後といったところか。まさかこの規模の揺れを、たった一人の男が己の脚力のみで生み出したとは誰も思うまい。
俺は隠蔽を解除すると、肺腑を全力で搾り上げて叫んだ。
「地震だ!! しゃがめ!!」
瞬間、視界に映る全ての日本人がしゃがみ込む。あっぱれな民度である。
それに対して、アンジェリカとクロエはオロオロとした顔で硬直している。
俺はゆっくりと二人に歩み寄り、
「今の揺れは俺がやったんだ。そうビビんなくていい」
とネタ晴らしをする。
途端、青ざめた少女達の顔に、赤みが戻る。
「よ、よかったー。てっきりこれが噂に聞く日本の大地震かと」
「こんな揺れ初めてだから、びっくりしちゃったよ」
そうだろうさ。
異世界で地震なんて珍しかったからな。
周りを見渡すと、日本人は落ち着いた様子で避難を始めたり、頭部を守るような姿勢でしゃがみ込んだりしているが、外国人はまるで世界の終わりでも目にしたかのように騒ぎ立てている。
九割の人間が動きを止めたんだから、これで十分だ。
「よし、やりやすくなったな」
「……父上はこれを狙って?」
「まあな。日本人のみを大人しくさせるならこれが一番だ。っていうか走りながら話そうぜ」
「凄い……父上って女の子を侍らせるだけの人じゃなかったんだ……」
誉めてるのかディスってるのかわかりづらい言葉を頂いたところで、追跡を開始する。
通行人が大人しくしているのはあと数分といったところだろう。
急がなければ。
「ねえ、あそこでパニックになってる男!」
クロエの指は、血の気の無い顔で這いつくばる白人を指している。
……いくら王宮騎士とはいえ、生まれて初めて味わう震度四には勝てなかったか。
「地面全体が揺れるってのは、よほど恐怖らしい、な!」
右脚に力を込め、跳躍の姿勢に入る。
転瞬、俺の体はふわりと宙を舞い、目測で二十メートルの距離を一気に詰める。
ズダァン! という着地音。
靴底から漂うゴムの焦げた臭いから、とてつもない衝撃が発生していたのだとわかる。
「捕まえたぜ、オドリックさんよ」
恐怖に目を丸くする王宮騎士を掴み、無理やり立ち上がらせる。
「ここは人目が多い。場所を変えるか」
数秒後、追い付いてきたアンジェリカ達が「痴漢確保ー!」と鈴を鳴らしたような声で騒ぎ立てたため、好奇の目が俺に集まる。
「こいつ痴漢なんです」
ああ、そうなんだ。お手柄じゃん。女の子達がそういってるならそうなんだろう。人々は己を納得させる言葉を口にし、スマホを片手に撮影会を始める。
「なあ、あいつ二十メートルくらい跳ばなかったか今?」
ギャラリーの一人がギクリとするような言葉を発したが、すぐに他の野次馬に茶々を入れられる。
「なんじゃそりゃ? あの女の子達が走りながら揺らすおっぱいしか見てなかったから、よくわかんねーわ」
「ジャンプする男と美少女の乳揺れ、凝視するのは普通後者だよなぁ。大丈夫かよお前? ホモかよ?」
「え、俺がおかしいのかこれ?」
「当たり前じゃん。男が二十メートル跳ぼうが百メートル跳ぼうがどうでもいいんだよ、そんなことより女の子だろ。俺はあの金髪の子がいい」
「俺はポニテの方がツボだわ。多分ハーフかな。可愛いな」
「いや、絶対ありえない距離を跳んでたんだって。俺見たんだってば」
俺はオドリックを引きずって、鉄道警察を探しに向かう……と見せかけて、もはや人の目では視認できない速度で走り、男子トイレへと移動。
個室のドアを蹴り飛ばし、中にオドリックを放り投げる。
「ぐはっ」
便器に後頭部を強打したらしく、異世界の騎士は呻き声をあげた。
「何が始まるかわかるな?」
「……殺せ」
「いい心がけだ」
俺は右手に光剣を生成し、オドリックの鼻先に近付ける。
「今からお前の下顎を切り飛ばす」
「な……っ」
「当たり前だろ。ステータス鑑定を見る限り、法術を使えるみたいだしな。いくら拷問したところで、たった一言ヒールと唱えられただけで回復されちまうんだ。まずは喋れなくするところからスタート。当然だろ?」
「それじゃ情報を引き出せないと思うが」
「瞬きで答えてもらう」
「……」
脂汗をかきながら、オドリックは答える。
「……やれ。何をされようが私は陛下を裏切らない」
「いいんだな? あとで後悔するなよ」
右手を振りかざした瞬間、オドリックが「フィリア様……!」と呟くのが聞こえた。
……フィリア?
「あいつがどうかしたのか」




