綾子の匂わせブログ
「――中元さん、これ」
収録の合間。
水を飲みながら休憩をしていると、顔色を変えた女性スタッフが飛んできた。
確かまだ新人で、大学を出たばかりと言っていたのをなんとなく覚えている。
俺は年下のスタッフに愛想笑いを浮かべつつ、返事をする。
「なんかトラブルですか?」
「いえ……そういうわけじゃないんですけど」
新人スタッフはあどけない顔を曇らせながら、スマホの画面を俺に向けた。
「なんすかこれ? ブログ?」
「これ、運営してるのは女子高生なんですけど、芸人さんとの交際を匂わせてるんです」
「へえ。なんでそんなことするんだろ」
「他の女への牽制とか、優越感を感じたいとかじゃないですか?」
「なるほど」
スマホを受け取り、ブログの中身に目を通す。
……管理人のプロフィールは、関東在住の女子高生。大の読書好きで、胸が大きいのが悩み。
とある若手芸人Nが出演した番組は全てチェックし、何故か彼女目線の感想を繰り返している。
『今日のNさんはちょっと滑ってたかな。もー。ああいうネタは私の前でしか見せちゃ駄目ですよ』
『わぁ……あの腕時計付けてくれたんだ。私が似合うって言った物はなんでも身に着けちゃうんですね』
『Nさん、部屋に帽子忘れてるんですけど。私が被っちゃおうかなこれ』
このNさんって中元さんじゃないかって噂が一部で流れてるんですけど……と、女性スタッフが眉をしかめる。
俺は大槻綾子なんて少女とは何の縁もねーし、な顔を作って言い切る。
「これ、この子の妄想じゃないですか?」
「私もそうだとは思ってます。アイドルの追っかけやってる子なんかが、自分を彼女と思い込んで妙な文章を投下することってよくありますしね」
「でしょう?」
「でも芸人さんにそれをやる子って珍しいから……それにほら、中元さんってJKと婚約してますし……もしかしてガチの愛人なんじゃ? って疑念を抱く人が出てくるのも仕方ないかと」
「そんなわけないじゃないですか。俺、今はリオ一筋ですよ」
ははは、と爽やかな笑みを残してトイレへと向かう。
個室に入るなりポケットからスマホを取り出し、コールボタンをプッシュ……しかけたところで指を止める。
待てよ。
どっちの綾子ちゃんだ?
容疑者は二名。
俺のマンションにいる方の綾子ちゃんと、大槻家にいる方の綾子ちゃん。
どっちかの仕業なのは間違いないのだが、果たして……。
「……大槻家だな」
これはただの勘だが、同居している方の綾子ちゃんとはかなり距離が縮んでいるので、俺が本気で嫌がるようなことはしない気がする。
となるとより疎遠な方を疑うべきだろう。
この時間帯であれば向こうは学校にいるはずだが、お構いなしで電話をかける。こういうのは通話の方が効き目があるからだ。
数分ほど待っていると、息を切らした綾子ちゃんの声が聞こえてきた。
『……な、なんですか急に』
「悪いね。授業中だった?」
『……ギリギリ休み時間でした』
「じゃあ今教室?」
『……トイレに駆け込みました』
「ナイス判断だ」
ダッシュで移動したのだろう。それでハァハァ言っているのかもしれない。
『……その、お電話して下さるのは嬉しいんですけど……できれば放課後の方が』
「ブログ見たよ」
『……なんのことですか?』
「あれ、君が運営してるんだろう? 芸人Nとの匂わせブログ」
『……ごめんなさい』
ビンゴ。やはりこちらの綾子ちゃんが下手人だったようだ。
「困るんだよなぁ、ああいうの」
『ごめんなさい……ごめ、なさ……』
「綾子ちゃんの部屋に出入りしてるってのが世間にバレたら、俺、終わりだよ? 君くらい賢い子ならわかるはずだよね?」
『……ごめんなさい……』
綾子ちゃんの声は、もはやほとんど涙声と化していて、聞き取るのが難しくなり始めている。
「なんであんなことしたの」
『……他の子と、仲良くしてるのが、嫌で……中元さんは私のだって、アピール、したくて……』
「要は牽制か」
洟をすすりながら、「はい」と言うのが聞こえた。
こっちの綾子ちゃんとも定期的にデートや淫らな行為に及んでいるのが、仇となったようだ。
「何がそんなに不満なんだよ。十八になったら抱いてやるって言ってるだろ? 俺がこんなこと言うの、綾子ちゃんだけだよ? リオとアンジェはまだ十六だから、あいつらより早く処女を卒業できるんだぞ?」
『……それ、あっちの私も一緒じゃないですか……』
「え?」
『……中元さんと、同居してる方の私も……私と同じ日に十八になって、中元さんとえっちできるじゃないですか……!』
「それはそうだけどさあ」
『嫌なんです、そんなの……!』
めんどくせえなあ。
なんか雑な対応取りたくなってくるわ。
「じゃあ二人同時に抱いてあげるから」
『……え?』
「ダブル綾子ちゃんが誕生日を迎えたら、ホテルの予約取って二人一緒にロストヴァージンさせてあげるよ。これなら平等だろ?」
『……そんなことできるんですか。……中元さんのあれは、一本しか生えてないんですよ……?』
「二回行動スキルがあっからね、俺は。ほら、君が覚えた魔法みたいなもんだ」
『……そういうものなんですか』
安心したらしく、ため息の音が聞こえてくる。
どうやら綾子ちゃんのライバル意識は、主にもう一人の自分に対して向けられているようだ。
「綾子ちゃんが抱いている不安や不満は、概ね解消させてやれると思う。俺はいつだってそうだろう?」
『……はい……』
「いい子だ。じゃ、あのブログは消してくれよ。電話切るね」
『……あ、あの! 待って下さい!』
「何?」
『……怒ってますよね』
「怒ってないよ」
『嘘……声が不機嫌です……今日の中元さん、怖いです……』
「だから怒ってねーって」
しまった、つい荒い声が出てしまった。
案の定、綾子ちゃんは本格的にぐずり始め、かろうじて聞き取れる声は「嫌いにならないで下さい……」だけになってしまった。
『……私……何やっても駄目で、馬鹿だから……中元さんに嫌われたら、私……』
私馬鹿なんです。駄目な子なんです。嫌わないで下さい。捨てないで下さい。そんな言葉を繰り返しながら、綾子ちゃんは泣きじゃくっている。
こちらの綾子ちゃんは俺と同居していないせいか、どんどん卑屈で不安定になっていく。
逆にあっちの綾子ちゃんはすっかり情緒が安定して、性欲が強い以外は清楚な若奥様って感じになってんのになぁ。
遺伝子も記憶もほぼ同じ、一卵性の双子と言っていい関係性なのに、置かれた環境が違うだけでこうも差が出るとは。
人間って不思議、と妙な感慨を抱きながら、俺は慰めの言葉をかける。
「怒ってないよ」
『……ほんと、ですか』
「ああ」
むしろ弱り切った綾子ちゃんの声を聴いているうちに、妙な興奮を覚えたのも事実だ。
普段はもう一人の綾子ちゃんにぐいぐい押されているせいか、なんだか新鮮な感覚だったのだ。
俺にSっ気はなかったはずだが……。
「たかがブログくらいで、綾子ちゃんを嫌いになったりしないよ。俺は元々、君目当てで古書店に通うようになったんだぜ?」
『……』
綾子ちゃんの息が荒くなったのを感じる。
なんだなんだ。
まさかこの程度で発情したのか?
女子高生ってどうしてこう、常にムラムラしてるんだろうな?
『……あの……お詫びになるかどうか、わからないんですけど……』
「なんだい?」
『……私、今から、します』
「する? 何を?」
『……音で、わかると思います』
「だから何を?」
『……中元さんのこと考えながら……一人で……だから……中元さんさえよければ……最後まで、聞いてて下さい……』
「綾子ちゃん!?」
くそ、意味わかんねえ。
一体何をどうするってんだ!? もしかしたら世界の危機が迫ってるかもしれないし、聞き届けておくべきなんだろうな!?
俺はスマホにイヤホンを差し込むと、片耳にはめた状態でスタジオに戻った。
「プロデューサーからの指示で、今日は一日音楽を聴きながら撮影しろって言われたんです」と適当なホラをふき、スタッフを丸め込む。
そうして俺は。
その日一日、綾子ちゃんの声をBGMに収録をこなしたのだった。
それでわかったのだが、綾子ちゃんは楽器としても一級品の素材なようだ。