逆働き方改革
俺という新しい研究テーマを見つけた大槻教授は、ゴブリンの研究を中断させると約束してくれた。
中断というか、正確には「研究し続けることで実質中断」という謎かけのような状態を作り出すつもりらしい。
……研究し続けているのに実質中断?
一体どういうことかと聞いてみれば、
「時間と予算を食い潰してるのに一向に成果が出なければ、そのうち米軍サイドから切り上げを申し出てくるだろう」
だそうである。
具体的には、「ダラダラ作業をする」「無駄な残業をする」「働いているフリをする」といった作業を繰り返すらしい。
「そんなのできるんですか?」
「君は本当に日本人かね。この国の社会人なら誰でも身に着けている技能だと思うが」
「そ、そうなんすか?」
俺は成人してからほとんどの期間を異世界で過ごしてきたため、日本の労働環境をよくわかっていないところがある。
こっちの世界じゃフリーターと芸能人しか経験してないし。
なので正社員がどういう風に働いているのかは、見当もつかないのだった。なんとなくブラックなのは伝わってくるのだが……。
――などと身の上話をしてみたところ、大槻教授は苦渋に満ちた顔で説明を始めた。
「……将来の婿が世間知らずでは困るので、今のうちに教えておこう。いいかね? 時給で働くアルバイトと違って、正規雇用の人間は別の世界を生きている。作業効率などどうでもよく、とにかく一時間でも長く職場にいる者が評価される世界だ」
「ためになります」
「人より早く仕事を切り上げると、サボりか手抜きと見なされて怒鳴られる。あるいは仕事量をさらに増やされる。なのに給料が上がるわけでもないので、手の速い人間が損をするだけだ。よって本当は一時間で終わる作業に、二倍三倍の時間をかける必要が出てくる。そうやって無意味に残業をしていると、どういうわけかやる気のある人間と思い込まれて昇進してしまう」
「生産性はどこに行ったんだ……?」
「そんなものはない。かつてはあったかもしれないが、今は存在しない。ま、そういうわけだ。私くらいの年代であれば、『ダラダラ仕事をしておきながら何も生み出さない』というのは息をするようにできるのだよ。なんたってバブル世代の男なのだからな!」
「そんなことで胸を張られても」
任せたまえ、と大槻教授は笑みを浮かべる。
「米軍から注ぎ込まれる、潤沢な予算――半年で全て使い切ってみせよう」
「残業だけで使い切れるんですか?」
「経費でキャバクラ通い、ゴルフ三昧、視察という名のプライベート旅行、研究資料という名の個人的コレクション、助手名義で雇う目の保養目的の女の子達……。本物の好景気を知る人間なら、無駄使いの手段はいくらでも思いつく」
「ここまで来ると逆に頼もしい……!」
「こんなに日本人研究者が何もできないとは思わなかった! と米軍は大騒ぎだろうな」
「でもそこまで浪費すると、大槻さんの首が切られるんじゃないですかね? で、代わりの人材を連れてこられたら振り出しに戻るような」
「そうならないように、たまには結果を出して見限られないようにするさ。『こいつは有能ではないが、完全に無能なわけでもない。あと少し金と時間を与えればなんとかなるのでは』と思わせるのがコツなんだ」
「もしかして今までもそんな風に働いてきたとか……?」
「当たり前だろう」
断言された。
働き方改革も糞もあったもんじゃない。
「中元くんは考え方が青臭くていかんな。年長者としてアドバイスしておくが、追加の予算や人員を頂いていないうちから結果を出すのはご法度だ。『こいつはギリギリの状態でコキ使ってもなんとかなる人材だ』とみなされ、どんどん過酷な環境に追い込まれるぞ?」
「……なるほど……」
ふと異世界時代を思い出す。
あの頃の俺は人間国の王様に仕えており、各地を転戦しては戦果を挙げていた。
補給も増援もほとんど期待できない状況で勝ち続けていたのだが、それがよくなかったのだろうか。
当時の俺に必要な技能は、歯を食いしばって敵を倒す強さではなく、たとえ余裕で勝てる相手だったとしても「一人じゃ無理です!」と泣き言をかます演技力だったのだ。そうすれば王様が俺に戦力を寄こしてくれたかもしれない……。
その後も俺は大槻さんの発言に耳を傾け、これは使える! と思った駄目社会人テクニックはメモを取るのを忘れなかった。
「新人教育なんかしちゃ駄目だ、育った新人が自分を追い抜いたらどうするんだね? 職場に居場所がなくなるだろう。かといって積極的にイビったらパワハラ扱いだ。よって『聞かれるまで何も教えない』『友好的に接するがためになることは何も言わない』『頻繁に飲み会に誘って自宅学習の機会を奪う』といった、ソフトだが着実に新人を腐らせる手法を用いるべきなのだ」
「マジで参考になります」
俺はいいけど、この人の下で働く人間は知らない間に酷い目に遭ってそうだな、と思わなくもない。




