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*父の日記念番外編:フィリアの贈り物


 気が付くと日は沈み、長かった父の日も終わりを迎えようとしていた。


 色々あったが、なんだかんだで俺は誰とも一線を越えることはなかった。

 やはり俺は理性と良識の塊で、紳士な男なのだと言わざるを得ない。

 各方面から突っ込みが入りそうだが、たまには自画自賛させてほしい。


 俺は疲弊しきった体で風呂場に向かうと、手早く全身を洗った。あまりのんびりしているとアンジェリカ達が混浴しに来るので、さっさと済ませなければならない。

 髪に付いた泡を流し終えると、そそくさと湯船に浸かる。

 至福の一時。あとは十数えたら上がろうかな……と顔を上げたところで、


「あー」


 ドアの向こうから、女の声がした。

 まるで知性を感じさせない、気の抜けた響き。

 ……フィリアだ。


「あー。あー」

「フィリア? お前今どっちの状態だ?」

「フィリアも入る!」


 あまりにも声に邪気が無い。

 ……多分、呆けたフリをしているわけではないと思う。

 最近のフィリアは幼児退行モードと正常モードを行ったり来たりしていて、二重人格のような状況にある。

 厄介なことに正気の状態でも幼児退行を演じることがあるため、見極めが難しい。


「しょうがねえな。体洗ってやるからこっち来い」

「うん!」


 お父様と洗いっこするー! と言いながら、フィリアは勢いよくドアを開け放った。

 ここは浴室なので、当然ながら向こうも全裸である。

 ……見た目は二十代後半の美女なので、大変目のやり場に困る。


 が、いつまでも恥ずかしがってはいられない。


 俺は湯船から上がると、両手でフィリアを抱きとめた。

 さあて、ここからが重労働だ。

 スポンジも垢擦りタオルも嫌がるフィリアは、手のひらで肌を擦ってやるしかないのだから……。




「……全身が女臭い気がする」


 フィリアを洗い終わった俺は、着替えと歯磨きを済ませて早々に床に就いた。

 一日中女どもに振り回されたせいで、精神的な疲労感が酷い。あと最後の最後でフィリアと洗いっこをしたせいで、悶々する。


「……」


 やべえな。

 今夜の添い寝当番って誰だっけ?

 今の精神状態で迫られたら、うっかりお手付きしてしまう可能性がある。

 これはもうさっさと眠っちまった方がいいかな、と目を閉じていると、パチリと音が鳴った。


 誰かが寝室の電気を点けたようだ。


「……」


 入り口付近のスイッチを押した時の音なので、相手はまだ離れた位置に立っているはずだ。

 ……なのに、この距離からでもわかるほどいい匂いがする。

 甘くて切ない、現代的な少女の香り。


 JKの香り。


 我が家のシャンプーやリンスは綾子ちゃんが買ってきたメーカーを使っているため、住人全員がJK臭を放っているのである。なので実は、俺の髪からも女子高生の匂いが漂っていたりする。

 それってなんかの犯罪を疑われそうじゃね? と今さら大変な事実に気付いたところで、ひたひたと足音が近付いてきた。


「……勇者殿」


 落ち着いたアルトの声。確かな知性を感じさせる口調。

 間違いない。正気のフィリアだ。


「狸寝入りは無駄ですよ。起きてらっしゃるんでしょう?」

「……」

「一体どれだけ貴方と野宿したと思ってるのです? 勇者殿が本当に眠っている時の息遣いは把握しています」


 フィリアの声はどんどん近付いてくる。

 これはもう、目と鼻の先にいるのではなかろうか?

 そっと目を開けた瞬間、ふわ、と銀色の帯が視界をよぎった。

 それが髪の毛だと気付いた瞬間、腹の上に衝撃を感じた。


「……何のつもりだ?」


 どうやらフィリアは勢いよくベッドにダイブし、俺の上に馬乗りになったようだ。

 その状態で俺の顔を覗き込んでいるため、だらりと垂れた銀髪が鼻先をくすぐる。


「こんなことしてるとアンジェ達が騒ぐぞ。エリンに見つかったら最悪魔法の撃ち合いじゃねえの?」

「問題ありませんよ、彼女達には眠ってもらいましたから。私がスリープの魔法も使えるのはご存知でしょうに」


 まさか復讐でもするつもりか? 今になって体を焼かれた恨みが湧いてきたか。

 ぐっと右手に力を込めた瞬間、フィリアの顔が俺に重ねられた。

 

 ちゅっ……と水っぽい音が鳴り響き、やや遅れてキスをされたのだと気付く。


「フィリア?」

「……邪魔は入りませんから」


 青い瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。色が暗く見えるのは、目元に影が落ちているせいだろう。

 フィリアは顔の彫りが深いので、眉の下に光が当たりにくい。典型的な西洋人の顔立ちなのだ。

 ……おかげでなんだかハリウッド映画のラブシーンを見ているようで、現実感が湧かない。


「ええっとこれは……夜這いをかけてきたって解釈でいいのか?」

「他にどんな解釈があるというのです」


 などと言う間にも、フィリアはちゅっちゅと俺の顔にキスの雨を降らせている。

 ついには二人の間に銀の糸がかかり始めたが、お構いなしといった様子だ。


「聞きましたよ。今日はこの世界の祝日で、父親に贈り物を渡す日なんだとか。……勇者殿は気が触れている時の私に、父親として接しているではないですか。ならば父の日のギフトを受け取る権利があると言えましょう」

「……それがどうして夜這いに繋がる?」

「決まってるではないですか。これが私の贈り物です。――純潔を、差し上げようと思いまして」


 そう言って笑うフィリアの顔は、酷く妖艶に感じた。

 

 かつて惚れていた、年上の女。

 それが誘惑をしかけてくる様は、どこまでも淫らで。

 煽情的で。頭がふわふわして、どうにかなっちまそうで。


 俺は執拗に繰り返される接吻に、すっかり正気を失いかけていた。

 まるで小鳥が餌をついばむような、優しいキス。


 駄目だ、このままじゃ俺はフィリアに溺れる……。


 ぎゅっと歯を食いしばって耐えていると、フィリアはまたも俺の頬に唇を当てた。

 それが済むと、額にキスをしてきた。

 さらにその後は、鼻先に穏やかなキス。


 キス。キス。キス。

 しかも決して舌を使ったりはしない、唇を当てるだけの健全なキス。


「……?」

「ほら、勇者殿……劣情に身を委ねたくはなりましたか……?」

「いや、お前さ。キス以外にやることねえの?」

「……は」

「しかもなんだその、子供みたいなキスは。全然舌使ってねえし、これじゃキスっていうより『チュー』だぞ」

「……な……」


 フィリアの顔は青ざめ、全身がわなわなと震えている。

 そういえば、と俺はある事実に思い至る。


 こいつは今、俺に純潔をプレゼントしようとしているのだった。

 処女なのだ。

 実年齢四十五歳の、高齢処女が頑張って男を誘惑しているのだ。

 ……しかも中世ヨーロッパ風世界で、神官さんとして教育を受けて来たわけで……。


「キスをして雰囲気作りをしたら、その気になった男性がなんとかしてくれるのでしょう!? 男女の営みとはそういうものなのでは!?」


 この女に男をたぶらかすテクニックなど、あるはずがないのだった。


「……お前まさか、あの可愛いキスを繰り返してたら処女を喪失できると思ってたのか?」

「? 男性がやる気になれば、あとはどうとでもなると聞いておりましたが」

「それはそうなんだが、俺ももう歳だからな。些細な刺激じゃ興奮しねーんだなこれが」

「ではどうすれば……媚薬の出番ですか?」

「綾子ちゃんじゃあるまいし」


 ちっとは勉強しろよな、と俺は枕の下からスマホを引っ張り出す。

 画面をタップし、外国のポルノサイトにアクセス。

 動画の再生が始まったのを確認すると、くるりと液晶をフィリアに向けた。


「ほれ、こういう風にやるんだ」

「……何が起こってるんでしょうかこれは?」

「〇っ〇〇で〇〇〇を〇んでるんだよ」

「え」

「全身を使って盛り上げんの。お前の年齢なら本来そんくらいできなきゃ駄目なんだぞ」

「……不潔です! これは信仰に反した行為だと思います!」

「男に夜這いかけるような女が何言ってんだ! 覚えるんだよ、これ全部!」


 フィリアは泣きそうな目で画面を見ている。


「……エルザ殿もこんなことをしてたんですか?」

「あいつはもっと凄かった」

「うう……」


 私だって……と拳を握りしめているが、既に視線が泳ぎ始めている。


「その無意味に肉感的な体、有効活用する時が来たんじゃないか? ほらやってみろよ! この動画みたいに!」

「できません! こんなの想定外です!」

「わかった、〇〇〇〇は無理なんだな! なら△△△はどうだ!?」

「できませぇん!」

「お前はなんならできるんだ!? キス以外に芸はねーのか!?」

「……手を繋ぐ……とか?」

「乙女かよ! いや本当に乙女なのか……だりぃな……」

「うぅ……」


 マジめんどくせえなこいつ、と俺はフィリアを払いのける。


「ったく。これならまだ幼児退行してあーあー言ってるお前の方が楽しませてくれるわ。あっちはあっちでギャップ萌えがあるからな」

「……どこに行くというのです?」

「お前のせいで中途半端にムラムラしてるから、アンジェの乳でも揉んでくる」

「待って! なんでもする……なんでもしますから! 私が正気の時に他の女とベタベタするのだけはやめて!」

「男の悦ばせ方もわからないのに、いっちょまえに独占欲は見せるのか?」

「……駄目ですかね……?」

「ちょっと綾子ちゃんのケツ揉んでくる」

「待って! 勉強するから! 殿方の悦ばせ方を学びますから!」

「どうやって?」


 それは……とフィリアは口ごもり、やがてベソベソと泣きじゃくり始めた。

 十代の少女ならともかく、中年処女のマジ泣きは見ててきつい。

 

「しょうがねえなあ。じゃああれだ。俺が色々手ほどきしてやるよ」

「……優しくリードしながら抱いてくれる、ということでしょうか?」

「違う。お前の異性経験はあまりにも終わってるから、俺が一から男性心理ってやつを教えてやる」

「と言いますと?」

「この国はな、お前みたいな輩にぴったりな文化があるんだ」


 俺は机の奥からノートを取り出すと、優しくフィリアに手渡した。


「交換日記、始めようぜ」




 以来、俺とフィリアは文章でのやり取りが続いている。

 まあ、『好きな人と手紙のやり取りをするのはドキドキします』などと甘酸っぱい文章が送られてきた時は、頭を抱えそうになったが。

 どうもフィリアの恋愛観はアンバランスな成熟をしているようで、実年齢相当の妖艶さと、小学生並みのピュアさが同居しているらしかった。

オーバーラップ文庫様の公式Twitterにて、本日公開された番外編4本の人気投票を行なっております。

一位のヒロインは続編が公開される予定となっておりますので、ぜひご参加下さい。


また今月27日より発売される「電撃大王」様にて、本作のコミカライズがスタートします。

蘿蔔なずな先生の美麗作画で、120%魅力を引き出されたヒロイン達はたまらんの一言!

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オーバーラップ文庫様より、第三巻発売中!
今回もたっぷりと加筆修正を行い、書下ろし短編は二本収録! そしてフィリアのあのシーンにも挿絵が……!?
↓の表紙画像をクリックでサイトに飛びます。
i358673
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