なかったことに
「お父さん!? ねえお父さん!? 何を見たんですか!? どうして死にそうになってるんですか!?」
ガクガクとアンジェリカに肩を揺さぶられながら、綾子ちゃんを見つめる。
典型的な、図書館少女タイプ。
きっと一度も染めたことのないだろう、セミロングの黒髪。一年中真っ白な肌。
運動が苦手。人と話すのが苦手。声が小さい。
なのにエプロンを内側から突き上げる胸元はボリュームがあり、今日の私服は縦セーター。
まさに男が思い描く「理想の読書少女」を体現したかのような綾子ちゃんの性癖が、そんな、いくらなんでも。
「あんまりだ」
思い返せば綾子ちゃんは、好きな男性のタイプはお父さんみたいな人と言っていた。
……そうかあ。俺はお父さんの若い頃と似てたか。
どうりでここの店主さんも俺に甘いはずだよ。旦那の若い頃と似てたら、そりゃ可愛がるわな。
「お父さん……泣いてるの?」
俺は力の入らない膝を頑張って動かして、ギコギコと不器用に立ち上がる。
長いこと油をさしていない機械を、無理やり稼働させたような動作になってしまった。
「大丈夫ですか、中元さん」
レジから腰を上げた綾子ちゃんが、パタパタと駆け寄ってくる。
ひっ。
こ、来ないでよ変態!
思わず女子力高めの悲鳴が出そうになる。
リオのステータス鑑定で好意が見えた時は、「俺もまだまだいけんじゃん?」的な嬉しさがあった。
だが今回のは、純粋な恐怖しか感じない。
「お父さん、この女は何者ですか。新種のデーモンですか」
「……安心しろ。彼女は無害だ。一切の魔力を持っていない。悪霊を操ろうにも、MPがゼロなんだ」
「じゃあ一体……?」
「心が歪んでるだけの一般人だ。間違いない」
「でも感知スキルに検知されるってことは、悪魔やアンデッド並に外道なんですよ? こんなのと同じカテゴリにねじ込まれちゃうくらい、トんでる精神の人間なんですか? 確かに理論上はありえますが……」
ゲームか何かのお話ですか? と綾子ちゃんは俺の顔を覗き込んでくる。
「……あの、具合が悪いなら、奥の部屋で休んでいきますか? おクスリもありますし」
「遠慮しとくよ、そこまで重症じゃない」
薬の発音がカタカナなのが怖いし。
「ただの痛風なんだ。気にしないでくれ。たまに発作が起きて立てなくなる」
「……うちのお父さんも痛風持ちなんですよ。中元さんもそうなんですね……似てますね……」
一瞬、綾子ちゃんの目に禍々しい光が宿ったように感じた。
嫌だ。これ以上ここにいたくない。
俺がアンジェリカに「出よう」と囁くと、綾子ちゃんが呼び止めてきた。
まさかこの場で恋敵を絞め殺そうというのか?
アンジェリカを庇うように腕を伸ばすと、狂気の書店員はか細い声で言った。
「そちらの方、今日は随分雰囲気が違うんですね」
そちらって、アンジェリカのことだろうか。
俺が硬直していると、綾子ちゃんはさらに続ける。
「どうでした? あの本。参考になりましたか?」
話しかけている相手は、俺ではなくアンジェリカである。
当のアンジェリカはというと、なんのこっちゃな顔をしている。
「私、ですか?」
「はい。この前も来て下さりましたよね。ありがとうございます」
ファザコンをこじらせて、本格的に気が触れてしまったのか?
噛み合わない会話を聞きながら、俺は呆然と立ち尽くしている。
こんなに可愛いのに、この歳でここまでおかしくなっちゃって。
救ってあげたいんだけど、勇者でも無理だ。人の心は変えられない。
「先週はお爺さんみたいな服装で来たのに、今日は普通なんですね……中元さんとどういう関係なのか、聞いてみていいですか? いえ、ただの好奇心で……」
そろそろ危ないと思ったので、アンジェリカを引っ張って店を出る。
まだ冬の盛りで、外気は冷たい。
全身にぐっしょりと汗をかいているので、急速に体温を奪われていく。
あの短時間で、世界だって救ってみせた俺がここまで追い込まれるなんて。
「なんだったんでしょうか、あの子」
アンジェは知らなくていい世界だよ、と諭す。
俺も知りたくなかったけど。
なんだかどっと疲れている自分がいる。
「休もう」
俺はふらふらと近場のハンバーガー屋までアンジェリカを案内し、そこで休憩を取ることにした。
トイレを済ませ、水分を補給し、おしゃべりに興じて時間を潰す。
「恐ろしいですね、しかし。一般人なのに、上位悪魔クラスの邪気をビコーンビコーンって放ってましたよ、あの人」
「ビコーンビコーンなのか、音は」
「感知スキルっていうのは、こう……視界の端に地図みたいなのが見えてですね。邪悪な者のいる地点が、点滅するんですよ。ピコーンピコーンって」
「へえ、それはちょっと面白いな」
やっぱりアンジェリカのスキルも、ゲーム風なのか。
完全に「画面右上のマップに表示されるエネミー」だなそれは。
「強かったり属性が純粋な悪に近かったりすると、ビコーンビコーンってなります。ちなみにさっきの女の子は、接近したらビコビコビコビコビコ! と真っ赤な点が高速で明滅してましたね。赤は悪意の色です。赤ければ赤いほど悪です。普通は悪魔がこの色なんですけど、たまに凶悪犯罪者も赤くなるみたいで。死刑囚でようやく薄い赤って聞いてたんですけど、あの子のは血液色で……」
俺はそんな危険人物が店子を務めていた店に、何ヶ月も通ってたのか?
今さらながら寒気がしてきた。
「ちなみに俺の部屋で感知した時は、どんな風に見えてたんだ? うじゃうじゃいたんだろ」
「お父さんの部屋ですか? んー。……なんかこう、私を中心に広がってて。それで凄い怖かったんです」
「アンジェリカを中心に?」
「ですです」
こくこくとアンジェリカは首を縦に振る。
「私を取り囲むみたいにして、放射状に白い点が、ぶわーっと。白は霊体の色です」
アンジェリカを取り囲むようにして、か。
俺があの時セイクリッドサークルをかけたのは、正解だったようだ。
対象の周囲、半径三百メートルの空間を完全防護する魔払いの円。
あれさえあれば心配は要らない。今は解除しちゃったけど、探索を終えたらまたかけてやろう。
「でも私のスキル、精度落ちちゃったのかもです。ただの一般人に反応しちゃうなんて」
「いやバリバリ現役だと思うぞ? 正しく悪性の存在を見抜いてた」
えーなんで急に褒めてくるんです? と嬉しそうなアンジェリカの前に、メニュー表を滑らす。
「何か頼もう」
水だけ飲んで終わりなんて味気ないだろ、と笑いかける。
さっきからアンジェリカのやつ、そわそわしてるし。
店内で調理する匂いや、周りの客が食べる様子が気になってしかたないといった様子。
「いいんですか?」
「ちょっと早いけど、このままお昼にしちゃうか。歩いたから腹減ったろ」
ごっはんっ。ごっはんっ。
とアンジェリカは、またも妙な歌を口ずさみ始めた。
はしゃいでメニュー表に目を走らせる姿を見ると、まだまだ子供なんだなと思う。
「……字は読めるのに、固有名詞だらけで意味がわかりません……」
「あ、だよな。そうなるよな」
俺も異世界行ったばかりの頃は、よくそうなったっけ。
少し懐かしくなりながら、アンジェリカにどれがどういう食べ物なのか解説した。
アンジェリカはチーズバーガーのセットを頼み、俺はテリヤキバーガーのセットにした。
商品が運ばれてきたら、互いのハンバーガーを半分に切って、片側を交換し合う。
準備が出来たら、思い切りかぶりつく。
「これなら両方の味を楽しめますね」
と、アンジェリカは口の端にピクルスをつけて笑っていた。
俺もソースが顎に付いてたらしいので、おあいこだが。
女の子に飯を奢るのは気分がいい。痛い出費なはずなのに、全然苦にならない。
所持金が減っていく。代わりに心が満たされていく。
炭酸飲料に怖がって口をつけようとしないアンジェリカのために、追加でウーロン茶を頼む。
更なる出費。それすら気分が弾む。
……楽しい。
ずっと日本にいたら、妻や子供とこうやって休日を過ごしていたのだろうか。
俺の年齢なら、子供はまだ小さいはずだ。
その子のために、わざわざオモチャのついてくるセットを頼んだりなんかして。
どうせすぐに飽きるガラクタだってのに、必死に集める姿を穏やかな目で眺めて。
……そういう人生も、あっただろう。
今の俺では決して手の届かない、消えてしまった可能性だ。
別に、いい。
俺の人生はクズだ。罪に濡れた勇者の残骸だ。やり直したいだなんて思わない。
でも、アンジェリカはそうじゃない。
まだ若く、何ら悪事に手を染めていない。
この少女なら、今から自力で未来を掴み取れる。
同年代の男と結ばれて、子供のいる未来を。
そのためにも、こいつに身分証をくれてやらないと。
俺達は少し早い昼休みを終えると、店を後にした。
――権藤を脅す。
ヤクザなら非合法に身分証を用意する方法も知っているだろう。
仮に知らなかったとしても、何かしら動いて貰う。
どんな手でも使う。法はどんどん破るし、暴力も辞さない覚悟だ。
アンジェリカは俺が保護者になると決めたのだ。俺の家族で、娘だ。
俺が守る。俺はいい親父になる。娘に尽くす。
アンジェリカにそれをすることで、かつての失敗がなかったことになる。
――なかったことに?
今のはなんだ?
一瞬浮かんだ下衆な思考は、俺の本音なのか?
アンジェリカを甘やかすことで、亡くなった者達へ償いをしているような感覚に陥ってるとでもいうのか。
「最低だな、俺」
息を曇らせながら、独り言を吐く。
ああそうさ。わかってたよそれくらい。
アンジェリカに抱いている親しみは、欲望でも愛情でもなく悔恨が由来だ。
学生時代にモテなかったオヤジが、金で買った若い女にセーラー服を着せるのとほとんど変わらない。
俺はアンジェリカで、失った可能性を取り戻したかったんだ。
いい父親になっていたかもしれない自分を。
ぎりり、と歯ぎしりをする。
だからなんだってんだ。この子のためになるなら、動機はなんだっていいだろう。
「お父さん、なんだか怖い顔してますよ」
なんでもないよアンジェ、と答える。
俺はお前のお義父さんだからな。娘を怖がらせる真似なんて、するはずないだろう。
俺が怖がらせるのは、悪党とモンスターだけだよ。




