じ、じじじじ人命第一だし
先生と二人、夜の町を歩く。
向かう先は先生の工房である。アトリエともねぐらとも言う。
いつもなら絶対についてくるはずのフィリアとエリンは、宿でお留守番だ。
よくわからないがフィリアが腹痛を訴えたため、エリンが介抱しているらしい。
エリン曰く「情緒不安定の要因の一つ」だそうだが、あまり男の俺が関わらない方がいい気がしたので深入りはしない。
そんなことより今はこの下半身である。
「……何も言われないのが逆に怖い」
ダンジョンを出た俺は、自分の下半身を肩に担いで歩くという、なんとも猟奇的な体験をするはめになったのだった。
恐ろしいことに、既に少なくない数の通行人とすれ違っている。
見た目が完全に「痴情のもつれでバラバラ殺人を起こしたカップルです」なせいか、誰も俺達と目を合わせようとしない。
「仲間の死体を遺族の元に運んでる、的な優しい解釈をしてくれるといいんだけど」
「気にするな。君の実力は町中に知れ渡っているのだ。ゴチャゴチャ言ってくる者などおるまい」
なんなんだろうな、その力こそ正義みたいな思考。
俺がもし犯罪者だったら治安維持とかどうするんだよ、と愕然となる。
異世界人ってやっぱ何を考えてるのかわからないところがある。
「ここだな」
と。
カルチャーギャップに思いを馳せていると、先生が足を止めた。
金属製のガントレットに包まれた指で、一軒のアトリエを指し示している。
……全体的な印象としては、ひたすらファンシーな感じだった。
屋根はピンクを中心とした色使いで、壁の色は薄い黄色。
庭にずらりと並んだ花壇には、パステルカラーのお花がお行儀よく生えている。
「……えっと、ここは……」
「私の家だ」
ガチャリ、と茶髪の女騎士は歩き出す。
中性的な美貌を持ち、男顔負けの雄々しい戦いぶりを見せるタンク担当が、こんな美少女錬金術師みたいな家に住んでるのか?
そりゃまあ名前はリリだし、リリのアトリエって普通にゲームとかにありそうだけど……。
「笑うなよ。似合ってないのは自覚している」
先生はふっと小さく笑い、扉を開けた。
後ろ手でちょいちょいと手招きされる。来いということか。
俺はさっさとこの肉塊をどうにかしたい切実な理由から、駆け足でアトリエの中へとお邪魔した。
「……まあ散らかってるかも知れないが、そのへんにかけといてくれ」
なんだか照れるな、と女騎士は笑う。
シチュエーション的には独身女性の部屋にお邪魔するというやつなのだが……。
そのはずなのだが……。
「ひでえなこりゃ。風情も糞もない」
部屋一面を埋め尽くす、フラスコとビーカーの山。
中には濁った液体と人体の一部が詰め込まれていて、コポコポと怪しげな音を立てている。
……胎児らしきものが詰まった容器もあるようだが、俺はこの場で先生を逮捕した方がいいのか?
「それはホムンクルスだから気にしなくていい。事件性はない」
「材料はなんでしたっけそれ」
「人間の精液だ」
やっぱ殺人じゃんと思ったが、卵子を使ってないなら受精卵になってないからセーフなのか?
どうなんだ?
激しく倫理的な揺さぶりを感じていると、先生は涼やかな声で言った。
「材料は父や兄が定期的に瓶詰めして送ってくる。ほら、事件性はないだろう」
「いやーその時点で大事件じゃないっすかね……」
もう捕まえようかな、と鞘に手をかけたところで、先生は椅子を二脚引っ張り出した。
座れということらしかった。
「理由はちゃんとある。聞けば君も協力してくれると思う」
「……ふむ」
俺は警戒心たっぷりの視線を送りながら、腰を下ろす。
「もしかして人助けのために研究をしてたりするんですか?」
「いや、不老不死になるためだ」
あ、逮捕しますね、と腰を上げる。
先生に「落ち着け」と促され、渋々座り直す。
「とにかく事情を聞いてくれ。話はそれからだ」
「……」
先生は茶色い目を細め、乾いた笑みを浮かべる。
「うちの家系はな、とにかく早死になのだ。母は三十二歳の時、右の乳房に腫瘍ができて死んだ。蟹の脚のような形で広がっていってな。姉は一昨年死んだ。やはり同じ病で、享年二十八歳だ。祖母は下腹部にそれができて死んだ。享年は三十七歳だったかな。私の一族は代々女が早く死ぬ」
「……癌家系なのか」
「そうなるな」
幸い父方は錬金術師なのでな、と先生は胎児の入ったビーカーを指ではじく。
コン、と爪がガラスに当たる音が鳴った。
「父上と兄上は、私を助けようとあれこれ危険な研究をしている。私は今年で二十一になるからな。要らんというのに乳房も膨らんでしまった。今にここから腫瘍が湧くに違いない」
助ける――その言葉に安堵する俺がいたが、同時に空しさも覚える。
魔法では腫瘍を治せないし、錬金術からアプローチするのはわかるが……。
果たしてどこまで正しい研究をしているのだろう?
この世界はところどころオーバーテクノロジーがあるのだけど、それでも基本的な文明水準は中世後期レベルだ。
医学水準も似たようなものである。
俺の医療知識なんて学校に置いてあったモグリ医師の漫画由来だけど、それでも聞かずにはいられない。
「……先生のお父さん達は、腫瘍の原因はなんだと思ってるんだ?」
「蟹の呪いだそうだ」
たまらず天井を仰ぎ見る。
駄目だ、やっぱ中世ヨーロッパファンタジーの人だ。
「おそらく私の母方は、先祖が蟹を虐め殺したのだろう。それで子孫が呪われているのではないか、とのことだ。腫瘍を放置すると、蟹が脚を開くような形で皮膚を浸食していくのがなによりの証拠だ。よって患部を切り取り、蟹に供え物として捧げることで呪いが解けるんじゃないかと踏んでいる。あとは切った体を再生する方法なのだが、魔法を使うと腫瘍も蘇ってしまうのでな。やむをえず人体を培養して欠けた箇所にくっつける研究をしているのだが……」
「ちげーよ全然ちげーよ、癌は蟹じゃなくて自分の細胞由来だっつの!」
そうなのか? と先生は首をかしげた。
同時に、してやったりな笑みを浮かべてもいた。
「なんだ、やはり君は学があるんじゃないか」
「……いや、ないよ? 中三の三学期でこっちに飛ばされたから、義務教育すら終わらせてない馬鹿ガキだよ?」
ギシリ、と体がこわばるのを感じる。
俺の成績は中の上と中の下を行ったり来たりする程度だったし、間違いなく日本人全体で見ればアホな方に入る。
だが数百年近く文明水準が劣る異世界であれば、俺の理系分野の知識はオーバースペックもいいところだ。
迂闊にそれを披露してしまえば、歴史改変のような事態を起こしかねない。
本来ならもう数世紀先でなければ発見されない知識を、果たして目の前の女騎士に与えていいものか。
小さく唸りながら悩んでいると、先生は弱々しい声で言った。
「……駄目だろうか。私とて死にたくはない。それに血筋からくるものか、単純な好奇心もある。……お願いだ。君の頭の中にある情報を教えてはくれないだろうか」
「でも……それは……」
許されることなのか、と考える。
停滞しているはずの文明を先に進める。
それはもはや、神の行いに近付くことではないのか。
けれど、それで誰かが助かるのなら――
「――先生は大事な仲間だ、もちろん助けたい。けど、そんな神様みたいな真似をしていいんだろうかって恐れもあるんだ。俺の判断で勝手にこの世界の医学を数世紀も進歩させたら、ひずみが出るじゃないかっていう。……大丈夫なのかな」
「ふむ。変なところで真面目というか、小市民だな君は」
「……笑ってくれていいぜ」
「ところで勇者君、私の研究テーマは乳房に生じる腫瘍なのでな。定期的に胸を触診してもらう必要があるし、場合によっては味や匂いを確かめてもらうこともあるだろう。君が助手になってくれるならそういった作業も手を借りようと思っているのだが」
「そうだよな、人命第一だよな。ありがたく手伝わせてもらいます。それで俺はまず何を教えればいい?」
先生はにっこりと笑い、「癌が自分の細胞由来とはどういうことだ?」とたずねてきた。




