本能のままに
今にも湯気が上がりそうな顔で、リオは俺の一挙一動を見守っている。
もはや「ハァハァ」を通り越し、「ヘッヘッ」に近い音で息を荒らげていた。
盛りの付いた雌犬としか言いようのない、酷い痴態だ。
「……あたしも脱ぐね」
吐息交じりの声で囁き、リオはしゅるりとタイを外す。それから、勢いよくブレザーを脱ぎ捨てた。
布がソファーに落ちた瞬間、ふわりと風が舞った。
少女の体臭と、雨の匂いが鼻孔をくすぐる。匂い立つような淫行の香りに、立ち眩みのような感覚すら覚える。
……リオの奴、まだ服は生乾きのままなようだ。透けブラがしぶとく継続されている。
俺は「上は脱がなくていいぞ。その方がそそるからな」と言いかけたところで、冷静になった。
――駄目だ。
確かにリオは可愛い。俺を好いてくれてるし、合法的に婚約者の身分にもなった。
けれどカラオケボックスでえっちするのは、何かが間違ってる。
だって天井の端っこに防犯カメラらしき物体を見つけちゃったし。
あの上下逆さまになった黒いドーム、確実にスプリンクラーではない。
「リオ、リオ。ここは駄目だ。カメラがある」
「……別にいいじゃん。見せつけてやろうよ」
「良くない。……それに俺達はフィアンセといえど、お前が成人するまではプラトニックな付き合いでいるべきだと思う」
「は?」
リオはアイドルになりきるのを止め、地のヤンキー喋りに戻る。
「……それ本気で言ってんの……? こ、ここまで来て、寸止めしようっていうの……?」
「お決まりのパターンだ。受け入れてくれ」
「やだよ! 絶対嫌! 中元さんいっつもそうじゃん! またそうやって逃げるの!?」
「逃げるんじゃない、お前を本当に大切に思ってるがゆえの、名誉ある撤退だ!」
「それが逃げでしょ!? プロデューサー名乗るなら、ちゃんとあたしの下半身もプロデュースしてよ! お腹の奥までオリコン入りしてよ!」
「……それは許されないんだ……俺だって辛いんだ!」
リオはワイシャツボタンを全て外すと、俺の膝上に乗った。
両脚で俺を挟み込みような姿勢――いわゆる駅弁スタイルだ。
「別に中元さんが嫌でも、関係ないし。あたしはもうその気になってるんだもん。無理やり襲わせてもらうから」
「……やめろ。本気で怒るぞ」
「悪いけど頭ん中全部、卵子になってんだよね。今日は孕むまで家に帰さないから」
「里保はそんなこと言わない!」
「里保どころか人類はこんなこと言わないよ! 女の子になんてこと言わせんの!? 中元さんのせいだからね!?」
「……俺のせいなのか?」
そうだよ、とリオは酷薄な笑みを浮かべる。
「あたしのこと発情させた、中元さんが悪いわけ。あたし今、すっごい量の女性ホルモン出てるの自分でもわかるもん。このままじゃ脳みそから生理始まっちゃうかも」
「……俺だって、男性ホルモンのダムが決壊してるよ……お前の匂いと感触のせいで、完全に生殖モードになってる。けど、それを理性で抑えるのが人間ってもんだろう? カメラに見られてる中で致すなんて、人間じゃない」
「人間じゃなくていいし。獣でいい」
爛れきった瞳、てらてらと輝く唇。
エルザによく似た顔でこんな風に迫られたら、本当に一線を越えかねない。
だが、俺は大人だから。守るべき立場があるから。
だから――
「とにかく、カメラのある場所じゃ駄目だ」
「まだそんなこと言うわけ……!?」
「……カメラがなくて、アンジェリカ達もいないような場所を探そう」
「そうやってまた逃げ……あれ? 乗り気になってんの?」
勝てませんでした。
俺は弱い大人でした。
「あと、ワイシャツのボタンはちゃんと留めろ。お前の胸はめちゃくちゃデカイわけじゃないんだから、谷間を強調するような格好しても、そこまでぐっとこないんだよ。それはアンジェリカや綾子ちゃんの担当だろうが。リオみたいな体型の子は、あえて上半身の露出を減らして、鎖骨のチラリズムと透けブラに特化した方がいい。だがスカートは脱ぐべきだ。多分これが一番扇情的になる」
「勉強になります」
「痩せ型に見えて、案外尻まわりは肉付きがいいからな。露出するなら下半身だ。そこは忘れるなよ」
「うーん。あたしいっつも胸ボタン開けて中元さんに迫ってたけど、あんまり意味なかったってわけ?」
「ないわけじゃない。むしろそれなりに効いてたが、お前の一番強いパーツではなかったという話だ」
「なるほど……十代食いのプロは言うことが違うね」
リオは俺にまたがりながら、せっせと胸元のボタンを留める。
「これでいい?」
「ばっちりだ。十倍増しで可愛くなったぞ」
「えへへ……あ、スカートは脱いだ方いいんだっけ?」
「それはカメラのないとこに行ってからな」
俺とリオは、リオのどこが一番エロいかについて語りながら、カラオケボックスを後にした。
本人の前で「お前はここがいやらしい」と解説するのだから、退廃的にもほどがある会話だ。
「だからさ、お前は尻と太ももと髪の毛なんだよ。この三種の神器にポテンシャルが集中してるんだから、胸はそこまで気にしなくていいんだ」
「そっかぁー……。髪の毛は意識してなかったから、目からうろこかも」
「男ってのは、女の子が長い髪をかき上げたり、結ったりする動作に弱いからな。俺だってそうだ。たとえばほら、綾子ちゃんって台所に立つと、ヘアゴム咥えて後ろ髪を結い始めるだろ? あれが始まった時は、必ずジロジロ見るようにしてる」
「それもっと詳しく話してくれる?」
「ん? 参考にしたいのか?」
「そうじゃなくて。綾子のことを一日にどれだけ目で追うのか、聞かせてもらおうかと思って」
「……さっさとラブホ行こうか」
「前々から気になってたんだけどさ、なんで綾子に対してだけ二人称に『君』を使うわけ。あの子って中元さんの何なの。ひょっとして一番のお気に入りなの?」
「なんか怖いから、優しく接してるだけなんだが……他意はない……ほんとに……ラブホ行こ? な?」
大体誰が一番のお気に入りかなんて、俺自身にもよくわからない。
顔ならリオが一番好みだが、包容力ならアンジェリカがトップだし、バストに関しては綾子ちゃんがドンピシャで、フィリアは放尿が上手い。猫と化したエリンは除くとして、皆が違う魅力を備えている。
甲乙つけがたい、と呻きながら足を進め、裏通りに入る。
なぜそんな道を選んだのかといえば、やはり後ろ暗いところがあったからだろう。
――それが間違いだった。
「?」
まだシャッターが降りたままの飲み屋を通り過ぎた、その時である。
前方からゆらりと人影が現れた。
男だ。
「お前のせいで俺はお前のせいで俺はお前のせいで俺はお前のせいで俺は」
どこかで見覚えのある顔。……今朝の痴漢男だ。
エミリーとのやり取りを聞いていたが、最後はこの男が土下座した末、示談で済ませる形になったはずである。
その代わり、職場には告げない。
そういう条件で解放されたわけだが……。
人間というのは、短時間でここまで変わり果てるものなのだろうか?
朝は自信に満ち溢れた顔をしていたというのに、すっかり憔悴しきっている。
「なんだ? そういや家には連絡がいってたみたいだし、かみさんに離婚話でも切り出されたのか?」
「……」
「まさか図星か?」
「ごあああああああああああああああ!」
俺が質問するのとほぼ同時に、男はこちらに突進して来た。
手には包丁が握られている。腰溜めの構えで、明確な殺意が感じられた。
刃物を持った人間に奇襲を食らえば、達人でも無傷では済まない。……それがただの人間ならば。
「下らねえ」
俺はリオを庇うようにして、左手を横に伸ばした。
右手は、真正面に突き出す。刃先の直撃を受ける位置に、堂々と。
「死ねよおおおおおおおおおおおッ!」
ガギッ!
と金属質な音が鳴り響く。人の肌ではありえない、硬質な衝撃音。
耳元でリオが息を飲む気配があった。男はあっけに取られたような顔で、刃先を見つめている。
先端が欠けてしまった刃先を。
「もったいねえ。そこそこ高そうなのに、折れちまってんじゃん」
今の俺は、綾子ちゃんのデバフで筋力こそ下げられているが、耐久力や敏捷性は一切調整していない。
皮膚はダイヤモンドよりなお硬く、市販の包丁程度では傷一つつかないだろう。
「……あ? ……ああ? なんで……? なんで死なない? これは夢? 夢? 夢?」
俺は男の腕から、ひょい、と包丁を摘まみ上げる。
「なんとかに刃物って言うよな。危ないから処理しとくぞ」
刃の欠けた切っ先を、おもむろに口に突っ込む。
唖然とする男を睨みつけながら、バリバリと咀嚼する。こんなもの、俺にとっちゃ飴玉みたいなもんだ。
怪物性をアピールするには、これがよく効くのである。
「うん、悪くない」
「……あ……? 手品……?」
「種もしかけもないって言ったら、どうする」
ガタガタと震え出した男の肩に、プッ! と包丁の破片を吹きかけた。
粉々に砕かれた金属片が、次々と突き刺さる。
スーツの上に、じわりと赤いシミが広がった。
「ひぎいいいいっ!?」
「さっさと病院行けよ。俺、歯磨いてないから雑菌だらけだろうし」
リオの手を引き、「行くぞ」と告げる。
足を速め、小走りで男から離れる。
「こんな道選ぶんじゃなかった。すまん、しょうもないことに巻き込んで」
「……知り合い?」
「今朝とっ捕まえた痴漢のオヤジ。逆恨みもいいとこだ」
「……」
リオは押し黙っている。意外と怖がりなところがあるので、怯えてるのだろうか?
「あー、大丈夫だよ。あんだけやっときゃ、ビビって報復なんかしてこないだろうからさ」
「……いいの?」
「何が?」
「あいつが警察に駆け込んだりしたら、問題になるんじゃない?」
「ならないよ。俺が何かやらかしたら、公安が揉み消すことになってるし。……つまりその気になりゃあ、法律破り放題なんだよな俺。……気を付けないと傲慢になっちまいそうだな」
「……ふーん」
【パーティーメンバー・斎藤理緒の好感度が7100上昇しました】
「……これは表記が狂ってるのか、それとも本当に高めに上がったのか判断に困るな」
「中元さんって、なんかあたしと一緒にいる時が一番暴力的だよね」
「そうか?」
「綾子と話してる時が一番紳士な感じで、アンジェリカと話してる時は甘えた雰囲気がある」
「……よく観察してるな」
「どれが本当の中元さんなの?」
「全部本当の俺だが」
「……さっきの中元さん、格好よかった」
「え、そうか?」
自分では、少々チンピラすぎる振る舞いなんじゃないかと思ってたのだけど……。
「やっぱ中元さんはあれくらい鬼畜な方がいいよ。絶対似合う」
「……それは褒めてるのか?」
「褒めてるに決まってるじゃん。めっちゃえっちしたくなってるもん」
「あまり大声で言うな、通行人がいたらどうする」
「強い男って、格好いい……。超イケてる……。この人の子供産みたい、って雌の部分が喜んでる……」
強い男、か。
そういえば前にも似たようなことを言う人がいたな、と過ぎ去った日々に思いを馳せるのだった。




