トゥルーエンド
局を出た瞬間、霧のような雨が俺達を出迎えた。
「お?」
手のひらを上に向け、雨の勢いを確かめる。
大したことはない。
この程度の降り方ならば、傘を差すまでもないだろう。
「今日の降水確率は9000%だっけか。狂ってるなりに当たったな」
「だね」
リオは呆れたような笑顔を浮かべ、俺の手を握った。白く細い指がするすると絡みついてきて、あっという間に恋人繋ぎとなる。
「やっと中元さんのこと独占できるね」
「……何言ってんだよ」
二人並んで、夕暮れの街を歩く。
そして、数百メートルほど進んだところでようやく気付く。
これ、結構危険な状態かもしれない。
今のリオはブレザーの制服姿で、その下は薄手のワイシャツを着込んでいるのだが。さらに下にはピンクの派手なブラジャーを着けており、濡れるとどんどん透けていくのだった。
やめろと言ってるのに胸元のボタンを三つも外してるし、けしからんことこの上ないビジュアルに移行しつつあった。
「どっかで雨宿りしてかないか? お前を見てると、まとまりかけた思考がまたグチャグチャになりそうだ」
「どういう意味よそれ?」
「目の毒って意味だ」
俺はリオの腕を引っ張り、近くのカラオケボックスへと避難した。九十分コースを選択し、支払いを済ませる。
ドリンク飲み放題のオプションも忘れずに。
「いいか? 個室の中だからってあんまイチャイチャすんなよ。監視カメラ置いてあるかもしれないんだし」
「わかってるって。カラオケで彼氏とえっちした友達が、停学なったことあるからね。こういうとこは危ないって知ってる」
「よく停学で済んだなその子。俺の時代だったら即退学だぞ」
「なにそれ? 昭和じゃん! 今は保健体育でゴム配られたりするんだけど」
俺が学生だった頃も一応平成だったわけだが、たった十七年でここまで変わっているとは。
おっさんもう時代についていけねえよ、と加齢をありありと感じながら指定された部屋へと向かう。
「七番、七番、七番……」
あれじゃない? とリオは左手で指さす。ちなみに右手はまだ俺と繋いだままだ。即ち俺は、女子高生と左手を繋いだままカウンターで支払いを行ったのである。
都条例に中指を突き立てるが如き所業に、店員がどう思ったのかは考えたくもない。
俺とリオは、廊下の最奥にある七号室へと向かった。
扉を押し、二人揃って中に足を踏み入れる。同時に証明が灯り、自動的に室内が明るくなる。
現代文明ってのは便利なもんだ。
俺達はオレンジのソファーに、向かい合う位置で腰を下ろす。
「何歌う?」
リオは脚を組み、髪をかき上げながら言った。
スカートの隙間からチラリと覗く太ももが、やたらと艶めかしい。けれど残念ながら、それが見たくてここに来たわけではない。
「俺はいいよ。お前は好きなの歌っててくれ」
「えー? 中元さんは歌わないわけ?」
「俺は少々、頭の中を整理したい」
「ふーん」
リオは視線を左上に向け、不満そうな顔で脚を組み替えた。一瞬だけ見えたパンツをしっかり目で追ってしまったが、そんなものを見ている場合ではない。
「やっぱあれ? 機械をおかしくしてる犯人がわかった感じ?」
リオは腕を伸ばし、テーブルの真ん中にあったマイクを掴んだ。そのような姿勢を取ると、ワイシャツの襟元から白い谷間がばっちりと見えてしまう。ブラのレースまで観察できるほどだ。頑張れば胸の先端も見えるんじゃねえのこれ? とついつい顔を動かしかけたが、確実にこんなことをしている場合ではない。
「ああ。なんとなく目星はついた。俺の頭の中は今や、その件で占められてるんだ。とてもカラオケどころじゃないな。自分でも驚くほど闘志に満ちていて、それ以外に何も関心がない。マジだ。ほんとに。特に性欲は消えた」
「なんでそんなに強調すんの? なんか変なことでも考えてたわけ?」
「リオの歌声、聴かせてくれよ。しっとりした曲なら思考が冴えるかもしれない」
俺は腕を組むと、これ以上ボロが出ないように口を閉ざした。
「なにそれ? せっかくデュエットできると思ったのに、あたしにBGMをやれってわけ? 人のことCDか何かと思ってんの? ……あたしが中元さんのCD……。人間蓄音機……。歌って集中力を引き上げるための、生きた道具……。中元さんの、道具……。……うっ」
リオは「喜んで歌わせて頂きます」と言い、リモコンの操作に入った。
どうせ最近の子が好む曲など俺にはわからないので、大して期待せずに目を閉じる。
思考を己の内側に向け、静かに頭の中で呟く。
エミリーと体が触れるたび、スマホに表示される時刻が変化する。
ところがエミリーは異世界人ではなく、アメリカ人の父親がいると主張する者がいる。京都弁のアメリカ人、レベッカだ。
……二人とも外見は白人にしか見えない。
ひょっとすると、二人はグルなんじゃないか?
エミリーもレベッカも異世界人で、互いに「この子は日本育ち」と言い合うことで、俺を油断させようとしてるんじゃないか?
もしそうだとしたら、何もかもしっくりくる。
大体、京都弁の白人なんて怪しすぎるのだ。……エルフ語かもしれないし。
異世界時代、言語理解スキルの仕様によって起きた珍現象を思い出す。
あちらの世界の共通語は、俺の耳には日本語の標準語として聞こえていた。ところが向こうで辺境の言語とされていた言葉は、方言に翻訳されたのである。
――古代エルフ語は、はんなりとした京都弁に聞こえていた。
尖り耳のお姉さん達が、弓を片手に「ゴブリンは額を射抜くに限るどすえ」と談笑する光景は、中々インパクトがあった。
……レベッカは、エルフの関係者なのかもしれない。
本人は古代エルフ語を話しているが、それが言語理解スキルによって、自動的に京都弁に訳されているのでは?
「決まりだな」
うら若い少女を詰問するのは気が引けるが、他に何も思いつかない。
明日、決着を付けよう。
俺は拳を固く握り、唇を噛み締めた。
すると突然、軽快な伴奏が流れ始めた。
チャーチャーチャチャーッ、という明るいリズム。
どうやらリオが歌い始めるらしい。いったん考えごとは中止して、曲に集中しようかな、と目を開ける。
「……ん? この曲……」
そこでふと、音に聞き覚えがあることに気付く。
女の子の可愛らしさを最大限に協調するような、賑やかな曲調。
これ。
俺がよくプレイしてた、スマホゲーの楽曲?
ガチャで引いたアイドルをプロデュースして、スマホゲーでシャンシャンする例のあれ。『アイドルメイカー・プリンセスライブ』の人気曲だ。
「中元さん、こういうの好きでしょー? よくスマホ弄ってこういうゲームやってるしさ」
リオはマイクを用い、大音量で語りかけてくる。キイィィィィー……ンとハウリング音が響く。
てっきりリオのことだから、ヤンキー層が好みそうなガラの悪い曲か、今時のJKが好きそうな曲でくるかと思ったのだが。
「お前オタクっぽいの嫌いじゃなかったっけ?」
「中元さんの趣味に合わせたいもん」
口調は今風で見た目も気が強そうなのに、惚れた男の色に染まるタイプらしい。
従順というか、マゾいというか。
やがて伴奏が終わると、リオは伸びやかなアルトで歌い出した。
「……おお……」
きっと、見えないところで練習を積んでいたのだろう。
完璧な音程でアイドルソングを歌いこなし、振り付けまで完コピしている。
「……すげえ……SSRキャラ感バリバリ出てるぞ!」
「単語の意味はわかんないけど、褒められてるのは伝わってくる! えへへっ」
リオはその場でくるりと回り、サビ部分の決めポーズを再現してみせた。
スカートがひらりとめくれ、桃色の布地がチラチラと見え隠れする。もちもちとした尻肉に、パンツが軽く食い込んでいるところまで見て取れた。
ああ。
そうか。
俺はこの日のために生まれてきたんだ。
生身の美人女子高生が、アイドルゲームの歌と踊りを披露してくれる。課金したわけでも石を砕いたわけでもないのに、生パンツまで見せつけてくれる。
こんなに素晴らしいことはない。俺が味わった全ての苦痛と悲しみは、何もかもこのための前振りだったんだ。
異世界とかもうどうでもいいわ。なにそれ? 俺日本から離れたことないし。
俺は生まれてこの方ずっと日本にいたし、大学を卒業後して芸能プロデューサーになったし。
ある日町中で出会ったこいつをスカウトして、トップアイドルに育て上げた輝かしい経歴があるし。
「中元さん? 中元さーん? もしもし? なんで固まってんのー?」
リオは俺の顔の前で、ふりふりと左手を振っている。
「あ……いや、すまん。初めてお前と会った時を思い出してな」
「初めてって、ゲーセンのあれ? ……あたしはあんまいい思い出じゃないけどね。あの頃は権藤のせいでカリカリしてたし」
「何言ってんだ? お前とは十連ガチャで出会ったんだが?」
「十連ガチャって何」
「三千円で初心者応援パックを買ったら、お前が出てきたんだろ? もう忘れたのか?」
「忘れたも何も、その記憶は最初からあたしに無いんだけど……。中元さんには何が見えてるの?」
「まあ座れよ」
「……?」
「座るんだ」
俺は左手でソファーとポフポフとはたき、隣に腰かけるよう促す。
リオは「なんの薬をキメたんだろう」と言いたげな顔で、恐る恐る座った。
「お前には随分と手をかけさせられた」
「……それは、そうかもしんない。反省してる」
「大量の育成アイテムを使わされたし、衣装集めでも課金するはめになった。上限突破のために何人もお前を引いて重ねたりな。……アルバイト時代にこれを求められたんだぜ? 本当に金のかかる女だよお前は」
「あたしを何人も重ねるってどういうこと?」
「それにな、お前の持ち歌は難しいんだよ。難易度マニアックだともう、腕が四本生えてないとクリアできないんじゃないか? って感じだ。言っとくが俺、お前の曲でパーフェクト出すために二回行動スキル使ったことあるからな? ……召喚勇者の技能を使って、何やってんだ俺は……」
「専門用語が多すぎて意味わかんない」
俺も自分で何を言っているかわからないが、心は完全にアイドルゲームのPになりきっていた。
「でもな、俺はお前を育てたことを全然後悔してない。こうして最高のライブを見せてくれたんだからな」
「そ、そんなに良かった? 喜んでくれたならいいんだけど」
リオは軽く頬をそめ、もじもじと身をくねらせている。
「こういうブリブリした曲ってあたしに似合わないと思ってたから、結構恥ずかしいんだよねー歌ってると
」
「確かにお前はクールな曲の方が似合うかもな。属性的に」
「属性? ……んーと。中元さんから見たあたしのイメージって」
「俺のことはPと呼べと言っただろう!?」
「言われた覚えないけど!?」
マイクを握りしめて困惑するリオに、囁きかける。
「思い出せリオ。二人で武道館を目指すって誓ったじゃないか」
熱い視線を送ると、リオは恥ずかしそうに俯いた。
「顔、近いし……。なんでこんな、支離滅裂な言動と格好いい表情を組み合わせるわけ……?」
「リオ。あの頃の気持ちを思い出すんだよ。お前は俺の名刺を受け取って、アイドルなんて興味ないって顔をしてた。でも仲間達との出会い、及び重課金によるブーストでトップアイドルになったじゃないか。ライブ中に失敗するたび俺が石を割って、課金の力で色んな壁を乗り越えたはずだ。これ全然お前は努力してないな。何もかも金の力だな。糞っ、どうなってんだ? ……でも俺は、お前の担当Pだからな。孤独なフリーター時代を、お前の乳揺れポリゴンで癒されていたのは事実だ。俺が自殺せずに済んだのは、お前のおかげだと思ってる」
「……一言も理解できないけど……でも……中元さんの気持ち、ちゃんと伝わってくる……! 中元さん、本当にあたしに感謝してるんだね……?」
「ああ」
お前のおかげだ、とリオを抱きしめる。
リオは目尻に涙を浮かべ、弱々しく抱き返してきた。
「嬉しいな。……こんなあたしでも、中元Pの役に立ててたんだね」
「こんななんて言うなよ。お前は俺の自慢のアイドルなんだぞ」
「……うん。……うん」
俺はリオの頭を撫で、よしよししてやる。
リオは心地良さそうに目を細め、指の感触を楽しんでいた。
「……ねえ中元P。無事武道館コンサートを終えたご褒美……もらっていいかな?」
「なんだ? なんでも言ってみろ」
「……あの、さ……」
「なんだ?」
「……ベロチューしてほしい」
「里保はそんなこと言わない」
「里保って誰」
「お前のことだよ。知らなかったのか? クール属性のSSRアイドル。加賀谷里保だ。俺はこの子の担当Pなんだよ」
「う、うん。今初めて聞く名前だけど、知らなかったあたしが悪いんだよね。ごめんね、駄目なアイドルでごめんね……」
「気にすんなって。アイドルは不完全であることもまた、魅力に繋がるんだから」
「そ、そうだよね。……それで里保は、こういう時なんて言うキャラなの?」
「もうちょいドライな感じかな。それなりにデレるんだが、ベロチューなんて単語は使わん」
「わかった。そこ意識してもっかいやってみる」
「おう」
気を取り直して、テイク2。
「……ねえ中元P。無事武道館コンサートを終えたご褒美……もらっていいかな?」
「なんだ? なんでも言ってみろ」
「……あの、さ……」
「なんだ?」
「……キスしてほしい」
「……駄目だ。それをやったら、俺達はPとアイドルの関係ではなくなる」
「……でも、あたし……もう自分の気持ち、抑えたくない」
「里保……」
リオは目をつむり、軽く顎を上向かせた。
俺は――
「――いいだろう。お前は今だけ、皆のアイドルを辞めるんだ。……俺だけのアイドルになってくれ」
「……うん」
俺は目を閉じ、リオの口を吸った。
少女の舌は、甘い課金の味がした。
「……キス、しちゃったね……」
唇を離すと、二人の間に銀の糸が伸びた。
リオの目が告げている。最後までしてほしい、と。
「……もちろん、俺もそのつもりだ」
俺は担当アイドルのトゥルーエンドを完遂すべく、己の胸ボタンに手をかけた。




