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異邦人

 

 異世界なんて、うんざりだ。

 家に帰りたい。父さんと母さんに会いたい。またゲームがしたい。学校に行きたい。

 ゴブリンもオークもドラゴンもデーモンも、もう見たくない。


 なんせどのモンスターも、真っ先に俺を殺そうとするのだ。

 顔を見るなり襲いかかってきて、喉元に牙を突き立てんと迫ってくる。

 

 俺は日本から召喚された、勇者だから。

 大将首だから。

 俺は全ての魔物の敵で、全ての人間の味方なのだ。

 個人ではなく、公人。

 いや、公共物。

 こんなのは公道や公衆便所と、大して変わらない。

 だけどそれが、勇者という生き方だった。


 言うなればインフラなのだから、もはや俺一人の人生ではない。

 俺の失敗は国中で嘆かれ、俺の成功は国中に喜ばれる。

 だから、強くあらねばならない。

 もっと、もっと強く。更なる高みに。

 

 そうやって鍛え続けた俺は、いつしか史上最強の勇者と呼ばれるまでになっていた。

 皆が求めた理想の勇者様という鋳型に、自ら入っていった。

 入り切らなかった余分な箇所は、切って捨てた。


 少年としての俺。

 日本人としての俺。

 クラスに好きな女の子がいて、将来はゲームデザイナーになりたかった、ごく普通の中学生だった俺。


 そんなものは全部余分だから、引きちぎって捨てた。

 そのたびに俺は強くなり、違う誰かになっていった。

 

 心だけじゃない。

 体だってそうだ。


 火龍に肘から下を切り落とされたけど、魔法で生やした。取れた方の腕は、投擲して目潰しに使った。

 両足はガーゴイルの群れに襲われた時、やはり失った。これも魔法で再生させた。

 ついに頭部もそうなった。首から切り離されてコロコロと転がる俺と、切断面から生えてくる新しい俺。

 俺の魂は、一体どちらの脳みそに宿っているのだろう?


 よく、わからない。

 親に産んで貰った俺本来の肉体は、ほとんど戦闘で喪失してしまった。

 今じゃ魔法で作り直した箇所の方が多いくらいだ。


 自分を作り変えてまで、攻め落とした魔城は十。

 守り抜いた城は六。


 俺は頑張っただろう?

 だからそろそろ、中元圭介として見てくれないか。

 勇者じゃなく、ただの圭介として。


 皆のための英雄として扱われるのは、もう十分だ。

 そうさ、何が英雄だ。何が勇者様だ。

 糞食らえだ!


 俺がどんなに苦しいか。辛いか。寂しいか。何もわかってない癖に。

 教えてくれ、どこに本当の俺がいるんだ? 

 そんなものはとうに消えちまってて、ここにいるのは再生魔法で培養した勇者様だってのか?


 勇者様、と猫撫で声で擦り寄ってくる女達。

 勇者殿、と媚びた笑いを浮かべる王侯貴族。


 勇者は尊称なんだから、本名で呼ばれるより嬉しいでしょう、となんにもわかっちゃいない気遣いをしてくる異世界人。


 誰か、名前で呼んでくれ。両親がつけてくれた名前で。故郷を思い出させる響きで。

 お願いだ。

 誰か。

 これじゃ俺が誰なのか、俺自身ですら忘れてしまいそうじゃないか。


 ――そんな時、俺は一人の奴隷と出会った。


「貴方は誰?」


 奴隷の名はエルザ。物心つく前に、小鬼の巣にさらわれてしまった女の子だ。

 年齢は俺と同じ、十七。

 黒く長い髪をした、儚い顔立ちの少女。淋しげな瞳、アザだらけの細い体。


 エルザはさらわれてからというもの、一度も巣穴から出して貰えずにいた。 

 ゴブリンの巣穴など、通常は闇の世界だ。人の子は育たない環境だろう。


 しかしエルザが連れ去られた鍾乳洞は、天井が大きく崩落していた。

 浴びる光に困らなかったのが幸いし、奇跡的に生き延びたのだ。

 

 エルザは力仕事が出来る年齢になると、ゴブリン達にこき使われるようになった。

 読み書きを知らず、洗礼も受けず、単なる労働力として飼われていた。あるいは八つ当たりの道具として。

 おかげで自分を、人間とすら思っていない。

 恐ろしいことにエルザは、自らを「変な顔のゴブリン」と思い込んでいたのだ。


 そんな彼女からすれば、俺はただの「中元圭介」でしかなかった。

 勇者なんて肩書、生まれてこの方聞いたこともないのだろう。

 目の前で小鬼の群れを蒸発させても、勇者様と崇めてこないのは新鮮な感覚だった。


「俺は中元圭介」

「ナカモトケイスケ?」

「もう大丈夫だ。君を親元からさらったゴブリンどもは、壊滅させた」

「私もゴブリンだよ?」

「君は俺と同じ、人間だ」


 エルザの目は驚愕に見開かれていた。私が人間、と小声で繰り返している。


「君を殴るゴブリンは、いなくなった。枷も外してやる。君は自由だ」

「自由って何?」

「その意味が知りたかったら、ついておいで。一緒に人里に行こう。嫌か?」

「……嫌じゃない」


 二人で巣穴を出ると、出迎えの馬車が停まっていた。

 馬を動かす御者と俺の顔を見比べて、エルザは不思議そうに首をかしげていた。


 それからが大変だった。

 エルザは人間社会に復帰するための、長い戦いを始めなければならなかったのだから。

 粗暴なゴブリンの習慣を洗い落とし、人の淑女に仕立て上げる。

 どんなに大変な作業かは、言うまでもない。

 朝から晩まで文字を教わり、テーブルマナーを叩き込まれる毎日。

 いっそ小鬼のまま生きた方が幸せだったかもしれない、というくらいに厳しく躾けられていた。


 やがてエルザは、俺の顔を眺める時間が増えていった。

 恨まれているんだと思った。

 貴方が余計な真似をしなければ、私はずっとゴブリンでいられたのに。そんな風に憎んでいるんだろうな、と。


 でも、そうじゃなかった。


 月明かりの綺麗な夜、エルザは俺を呼び止めて言った。


「どうしてケイスケは皆と違うの? ケイスケの顔は、ちょっと平べったい。肌の色も黄色っぽい。皆と違う。私とも違う。貴方はどこから来たの?」


 エルザの質問に、俺は「日本」と簡潔に答えた。


「ここじゃない世界だよ」


 遠いところ? とエルザは聞いてくる。


「とても遠い」

「どれくらい?」

「二度と帰れないかもしれないくらいに」

「ニホンの人達は、ケイスケと同じ顔をしてるの?」

「ああ。皆俺と、よく似ている。……人種が同じだから。俺と、そっくりな人が、あっちには、沢山いる」


 だが異世界には、一人もいない。

 俺の目からは、自然と涙が零れていた。

 なんでこんな、急に。男なのに情けない。


 ごしごしと目をこする俺を、エルザはそっと抱き締めた。


「私も、ずっとずっとそうだった。皆と違うって思いながら暮らしてた。本当の家族と引き離されて、好きじゃないお仕事してた。ケイスケの気持ち、わかるよ」


 俺は異世界に来て三年目にして、初めて声を上げて泣いた。


 以来、俺とエルザは二人でよく話すようになった。

 気になるあいつ。本音を言い合える相手。気の置けない異性。

 そこから恋人同士へと発展するのに、そう時間はかからなかった。

 

「俺を圭介として扱ってくれるのはエルザだけだ」

「私を雌ゴブリンだなんて言わないのも、ケイスケだけだよ。他の人は皆、どこかで気味悪がってる」

「俺達はこの世界に居場所がない」

「……あるよ。二人でこうやってくっついてると、ここに居ていいんだって感じる。私と貴方が二人揃えば、そこが居場所になる」

「エルザは俺より賢いな。最初から人間の生活が出来てれば、どんなに出世してただだろう」

「出世なんて興味ないよ。ケイスケと一緒にいられるなら、身分はなんでもいい。別に、奴隷でも」


 エルザと結ばれた夜、確信した。

 俺達は今この瞬間、人間に戻ったんだ。ゴブリンからエルザに。勇者から圭介に。

 

 エルザ。俺はお前のためなら、何だって出来る。

 お前がいれば他の何も要らない。

 きっと俺は、お前を守るためにこの世界へやって来たんだ。

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