幽霊、幽霊、また幽霊
『正直さ、権藤って第一印象は悪くなかったんだよね。
見るからに裏社会の人だったけど、最初は感じ良かったし、あたしにも変なことしてこなかったし。
でも二回目に家に来た時、途中から別人みたくなっちゃって。凄い気持ち悪くなった。
単に本性出しただけなのかな。
えっと……幽霊を見た、とか言ってからおかしくなったんだよねあいつ。
……ところで中元さんの家に泊まってる外人の女の子って、実は彼女だったりするの?
違う? 違うんだ。そっか。……よかった。……ううん、なんでもない。
ねえ連絡先交換しよ。いいでしょ? いつかちゃんとお礼したいし』
別れ際にリオの発した言葉が、ずっと引っかかっていた。
幽霊。
また幽霊だ。
俺のアパートだけでなく、リオの周辺でも幽霊騒動が起きていた。
もし権藤のあの狂乱としか言いようのない言動が、薬物ではなく悪霊のせいだとしたら?
憑依でもされて、人格をコントロールされていたのなら?
その場合、あいつも被害者になる。
それはちと不憫だと思い、念のため権藤にステータス鑑定を行ってみた。
幽霊に操られただけで本当は熟女好き、とか書かれてたらどうしようかとも思った。
が、備考欄には「大の女子高生好きヤクザ。産まれる前から女子高生が好き」としか書かれていなかった。
元からリオに対して、劣情を抱いてはいたのだろう。
それでも当初は紳士的に接し、欲望を抑えていたのだ。
なのに、幽霊と出会ってから歯止めが利かなくなった。
だとすると。
今回発生している霊は、人が抑えている邪悪な面を引きずり出す力があるのかもしれない。
厄介なのが出回ってるな、と頭が痛くなる。
霊体の感知は、俺のもっとも苦手とする分野なのだ。
俺は元々最弱の勇者で、不器用なのである。
探索や感知、生産などに関するスキルは、ついに開眼しなかったくらいだ。
俺は努力型の勇者なのだ。
どんなに鍛えても、戦闘面の能力しか伸びなかった凡才だ。
姿形さえ見えるならまず負けはしないのだが、見えない敵を見つける才気がない。
だというのに今、不可視の幽霊が暴れている。
狙って俺の弱点を突いたような脅威が蠢いているところに、不気味なものを感じなくもない。
まあ、それでも今の俺には、アンジェリカがいるし。
あの子はまさに俺の苦手分野を補うように、感知スキルの使い手だ。
これは奮発してご機嫌取りしないとな、と紙袋の中に目をやる。
リオが選んでくれた女物の衣類に、ちょっと奮発したスイーツ。
十代の女の子に特攻を持つこれらの品で、アンジェリカにはいっちょやる気を出して貰わないと。
明日あたりさっそくあいつのスキルを活かして、ゴーストバスターとしゃれ込むつもりなのだ。
「ただいま」
一人暮らしをしてから、初めての「ただいま」を口にする。
胸の中に温かいものが広がるのを感じながら、アパートのドアを開けた。
アンジェリカのやつがどんな風にお出迎えしてくれるか、楽しみなような、恐ろしいような。
まさか裸エプロンで新婚さん風とかやってこないだろうな。
でも性格的にやりそうなんだよな。そんな真似したら説教だけど。
もっと自分を大事にしろ、と言って終わりだ。そのシチュ俺の趣味じゃないし。
喪服姿の未亡人(31)みたいなシチュエーションでこられたらヤバイけど。
団地妻設定も効くけど。
そんなん、異世界人のあいつが知るわけないし。
だからお父さんは無敵なのさ。
鼻歌交じりで靴を脱いでいると、リビングからドタドタと足音が聞こえてきた。
さっそくアンジェリカのお出ましだ。
「お父さん! 勇者様! ケイスケ様! 大変! た、大変!」
「呼び方ごちゃ混ぜなってるぞ。なんでそんな混乱してるんだ」
「お父さぁん!」
アンジェリカは俺を見るなり、ひしっと抱きついてきた
家を出る前と変わらない、神聖巫女の装束に身を包んだままだ。
つまりティッシュみたいに薄い素材の下から、異世界式ブラや谷間なんかが透けて見えている例のあれだ。
そんなあられもない姿で、様々な部位を肘に当ててくる。
「ほう。やるじゃないか。だが俺もそろそろ慣れてきたからな。耐性が出来てきたぞ」
「幽霊! 幽霊がそこに……っ!」
「再婚したら夫が化けて出た未亡人の設定なのか!? いつの間に俺の弱点を!?」
「あそこっ、いるっ、いるんです! 上半身だけの幽霊が、ぼわって!」
尋常ではないアンジェリカの怯えように、悪ふざけをしているのではないと気付く。
「――出たのか」
二つの緑眼に涙を浮かべながら、アンジェリカは頷いた。
親指で目尻の雫を拭き取ってやると、俺はリビングへと向かう。
アンジェリカにかけた結界魔法、セイクリッドサークルの効力はまだ続いているはずだ。
それを物ともせず侵入してきた亡霊となると、並の相手ではない。
すわ悪神か神霊か。
【勇者ケイスケはMPを300消費。神聖剣スキルを発動。攻撃力が300%アップ】
【霊体、悪魔、アンデッドに対して特攻状態となります】
ヴオン、と右手に光剣を発生させ、構える。
一歩、踏み込む。
左手はアンジェリカの顔の前に伸ばし、下がっていろと制する。
『政府は増大する社会保障費の対策に……』
感情を表に出さない、アナウンサーの声が聞こえてくる。
テレビのニュース番組だ。アンジェリカが点けたのだろうか?
それともポルターガイスト現象のように、悪霊が勝手に電源を入れたのか。
俺は小声で「何があった」と聞く。
「あ、あの。さっきテーブルに置いてあった四角いので遊んでたら、いきなりあの黒い石版に灯りがつきまして」
「……それで?」
「そしたら上半身だけの人間が映って、喋り出したんです! あれ幽霊ですよね絶対そうですよね!? もうすぐあの石版から飛び出して上半身だけでテケテケ歩き回って、下半身を寄こせーって迫ってきたりするんですよね!?」
「……想像力が豊かだな」
アンジェリカは自分で自分の言葉に恐れているのか、ますます縮こまっていく。
俺はスキルを終了させ、ほっと胸をなでおろす。
「アンジェ。あれはテレビって言ってな。過去に記録したものや、遠くの景色を映す道具なんだ」
「遠くの?」
「なんて言えばいいのかな。遠視用の水晶玉なら向こうにもあったろ。あれを長方形にしたような感じだ」
「……じゃああれは、生きてる人間なんですか? 下半身ぶった切り幽霊じゃないんですか?」
「腰から下は机に隠れてるだけだよ。画面には映ってないけど」
はーっと息を吐いて、アンジェリカはへたり込む。
お化けじゃなかったんですねー、と安堵したような声を出す。
「遠視って普通もっと、ぼやーっとして映るじゃないですか。あんなに鮮明だったら、急に人間が出てきた!? ってなっちゃいますよ。こんなの初見殺しですよ。私悪くないですよ」
早口でまくし立てるアンジェリカは、気不味そうに目をそらしている。
恥ずかしがっているようにも見える。
ものすごーくイジりたいけど、やめにしておく。
カルチャーショックは俺も散々経験したし、人のことは言えないのだ。
急に違う世界に来たら、戸惑うのも当然だろう。
俺なんて最初のうちは異世界召喚を信じられなくて、一週間近くドッキリ番組だと思い込んでたからな。
それに比べれば、アンジェリカの順応力はマシな方だ。
「まあ、改めて。ただいま」
「……おかえりなさい」